八話:恋と憧れと漫画の話

 それはまだ、真昼が天崎古書店へやってくるよりも前の話。

 星空商店街の八百屋である、八百屋小清水での事である。

 小清水家の長男、小清水晴はこの日も八百屋の手伝いをしていた。

 野菜が大好きなことで有名であり、実質的に看板娘である由希とは違い、彼はあまり目立つ方ではなかった。

 だが、家の手伝いをよくする孝行息子としてそれなりに評判は良い方であった。


「さてと、今日も一仕事頑張るかなー」

 

 そう言いながら晴は野菜の入った段ボールや台などを並べていく。

 晴がふと道の方を見ると、同い年くらいの少女が店の前を足早に通り過ぎようとしていた。

 その時、少女のポケットから中途半端に飛び出ていたメモ帳が落ちた。

 晴は偶然足元に滑ってきたそのメモ帳を何気なく拾う。


「すみません、落としましたよ」

「あ、ご、ごめんなさい……」


 晴の声に気付いた少女はあわてて戻ってきてメモ帳を受け取る。

 と、少女はメモ帳を開いたりポケットの中を探ったりせわしない動きをする。


「……あの、どうかしました?」

「あ、大したことじゃ……ちょっと、ペンが見当たらなくて」

「ペン?」

「いえ、メモ帳にはさんであったんですけど……いえ、いいです。大したものじゃないんで……」


 そう言って少女は少しだけためいきをついた。

 その様子を見た晴は店の方に戻りながら女の子に呼びかける。


「ちょっと待っててくださいね」


 そう言うと、積んである籠を置いた台や段ボールをどかし始めた。

 一緒に置いてある野菜もどけていく。


「えっ、あの……」

「たぶん滑ってきた方向からして、こっちの下の方に潜り込んじゃったんだと思うんですよねー……」

「だ、大丈夫です!ただのペンなんで……!」

「でも、なくしたの残念なんでしょう?」


 少女は言葉に詰まる。

 実際、それは安物ではあったが長い事使い続けていたので愛着もあり、相当にお気に入りのペンであった。


「それに、物は大事にしろってよく言われてるんで」


 そう言って晴は屈みこむと地面と台の間の隙間にぐっと手を差し込んだ。

 そして立ち上がって少女に近寄る。


「これですよね」

「あ……はい、ありがとう、ございます……」


 晴の手には薄い緑色のペンが握られている。

 それは紛れもなく少女のペンであった。

 少女は深々とお辞儀をし、リボンを付けたロングヘアが揺れる。


「あ、ご、ごめんなさい!急いでたんでした!失礼します!本当にありがとうございました!!」

「気を付けてください」


 晴は少しはにかみながら笑う。

 少女は何度も頭を下げた後駆け足でその場を離れる。


「あーーーっ!!」

「わ……なんだ由希か。どうしたんだよ」


 突然の声に驚いて晴が振り向くと、そこには由希の姿があった。

 ぷりぷりと怒りながら由希はびしっと晴を指差した。


「なんだじゃないよ!こんな台とか野菜とかぐちゃぐちゃに置いちゃって!」


 彼女は八百屋としてなんらかの美学があるらしく、野菜の配置にはこだわっている。

 といっても今は彼女が並べているわけではなく、両親の配置を見てなんとなく素晴らしいと思っているだけらしいが。


「これは……なんとなく、こっちの方がいいかと思ったんだよ、だめならすぐ直すよ」

「しっかりしてよ!それでも八百屋の息子なの!!」

「お前ほんとその野菜にかける情熱なんなんだよ……」


 その様子を、先ほどの少女が眺めていた。

 由希の声に思わず振り向いて様子を見ていたのだ。

 少女の名前は海老原綾子。

 晴や綾子もあとで知ったことであるが、同じ高校に通っている同級生であった。

 綾子はその拾ってもらったペンを握りしめてメモに文章を書いた。

 八百屋小清水、と。

 ほんの些細なきっかけであったが、綾子はその時から恋する乙女となった。


----


 時は戻り、玲奈が転校してきてから数日後。

 今日も晴と由希は学校から帰ってきた後、店の手伝いを始めた。

 そんな彼らの様子を近くの影から見つめる綾子の姿があった。


「……晴くん、今日も頑張っているなあ……」


 そう、綾子は八百屋小清水に来たというより、小清水晴を見に来たのである。

 普段は少しだけ様子を見た後に野菜を買いに行き、少しだけ会話することの幸せをかみしめる程度なのだが、今日は少し様子が違った。


「……はあー」


 仕事がひと段落つき、客もちょうど切れ目に入った頃、晴はためいきをついた。

 それを見た由希がてくてくと歩いて声をかける。


「どした兄ちゃん、疲れた?」

「ああ、いや、別に疲れたわけじゃないんだけどさ」

「じゃあ何?元気ない?ピーマン食べる?元気でるよ兄ちゃん!」

「いや、それですぐに元気出るのはお前だけだろ……」


 晴は少しだけ辺りをきょろきょろと見回す。

 綾子は咄嗟に姿を隠した。どうやら気付かれていないようだ。

 そうして晴はこっそりと由希に話しかける。

 こっそりとは言ってもあたりに人がいないと思っているので声は割と普通のボリュームである。


「内緒だぞ?」

「おうよ」


 綾子は内緒話をこっそり聞いてしまうことを多少ためらったが、それでもしっかりと聞き耳を立てていた。


「いや、なんていうかさ……最近さ、朝美さんよく来るようになったろ?」

「姉ちゃん?そうだね、前よりも多くなったかも」

「いや、前はさ、あんまり気付かなかったけどさ……なんていうか、朝美さんって、いいよなって……」


 綾子に衝撃が走った。

 朝美、朝美とはいったい誰だ、誰のことなのだ。


「ええ!?兄ちゃん、姉ちゃんのこと好きなの!?」

「ばっ、ちがう、そういうんじゃなくてだな!なんていうか、こう……憧れみたいな、そういうやつだよ!」

「憧れ?どういうとこが?」


 綾子は最初のためらいもどこへやら、必死に聞き耳を立てる。

 少しでも情報を得なくてはならないと感じたからだ。


「まあ、なんていうかさ、やっぱこう、落ち着いててさ、雰囲気も知的だしさ。こう、大人っぽい感じあるだろ?」

「え?姉ちゃん結構こどもっぽいよ?」

「それはお前らに合わせてくれてるんだろ」

「ふーん」


 由希は冷たい視線を晴に送る。

 落ち着いてて、知的で、大人っぽい。

 その単語を綾子は咄嗟に、そして必死に、お気に入りのペンを使ってメモする。

 気になることや予定のメモを取るのが彼女の癖なのだ。


「だからまあ、こう、いや本当に恋とかじゃなくってさ……一緒にお茶とかしたりしてこう、話とかできるだけでもなんかこう、いいよなあって……」

「兄ちゃん、仕事中に変なこと考えてないで真面目にやったら」

「お前いつからそんな口を……」


 一緒にお茶したり、話したり。

 そう書いたところで綾子のペンはいったん動きを止める。

 晴と一緒に、お茶したり、話したり……そんなことを考えて、ちょっとだけ幸せな気持ちになる。


「だから別に大したことじゃないんだって。そういう、ちょっとした憧れっていうか……あ、でも絶対お前言いふらしたりすんなよ、あとでたまねぎサラダやるから」

「たまねぎサラダ!じゃあ仕方ないな!」


 綾子は我に返ると、あたりの様子を確認する。

 人も少ないし会話もひと段落ついたようだ。

 行くなら今だと、足を踏み出す。


「……」


 冷静を装っていくつかの野菜を手に取って、素早くレジ、つまり晴の元へと向かう。

 不自然でないように、あくまで自然に。


「こ、こんにちは……小清水くん。今日も元気に仕事をしてるね!」

「まあ、これで結構小遣いももらえるしね」


 綾子の努力の甲斐もあってか、初めて会ったときと比べて随分と打ち解けていた。

 とはいえまだ完全に友達としての対応だが綾子はそれでもドキドキしっぱなしであった。


「そ、そうなんだ、じゃあ、私の買い物もお願いね」

「……そういや海老原も割とうちによく来るよな」


 綾子は自分の心臓が早鐘のように鳴り、弾むのがわかった。

 あくまで自然に、自然にと自分に言い聞かせる。


「うちの家族は結構ベジタリアンだから。私も含めて。そう、私も含めて」

「なんで二回言うのさ」

「べ、別に大した意味はないんだけどね!なんとなく!」


 綾子はちらちらと由希の様子を見る。

 由希は軽く息を吐いてから晴に言葉を投げかける。


「野菜好きなのはいいことだぞ!兄ちゃんも見習うようにな!」

「なんで俺が見習わなきゃいけないんだ……はい、十円のおつり」


 おつりを手渡しされる際、ほんの少しだけ晴の手が綾子の手に触れる。

 綾子は思わず息を飲みながらそそくさとおつりを財布の中に入れ、その触れた手を隠すように背中の方に回した。


「じゃ、じゃあ、仕事頑張ってね!それじゃあ!」

「はいはい、ありがとうございました」


 逃げるように買った野菜を抱えて綾子は再び店の影へと向かう。

 そして、先ほど晴の手と触れた自分の手を少しだけ幸せそうに見つめる。

 ふと、思い出してメモを取り出して見る。

 メモには「朝美、落ち着き、知的、大人っぽい」という文字が並んで書かれている。


「……朝美……うちの学校の人ではない……多分、違うはず……いったい誰なの……?……いや、でも、負けられない……!」


 そう言って綾子はメモをしまい、少し燃えながら帰路に就くのだった。


「……兄ちゃんってさ、にぶいよな」

「何が」

「別に」


----


「というわけでさー、兄ちゃんがにぶくて困ってるわけだ」

「そうなんだ」


 そう由希が話すのを真昼は頷きながら聞いた。

 天崎古書店の居住スペースの一室で真昼、由希、恵、エマ、そして玲奈が集まっている。

 最近では何かあるとすっかりここに集まることになってしまったらしい。


「……恋とかあんまり興味ない……」

「エマは好きですよ!そういう話!」


 エマは目を輝かせているが、一方で恵はあんまり楽しくなさそうにるーちゃんの腕をいじっている。


「私もあんまりかなー……玲奈ちゃんは?」

「私は……まあ、普通かな……」


 真昼の質問に玲奈が答える。

 玲奈もこの数日で大分打ち解けてきて、かなり普段通りの性格で接することができるようになっていた。


「でもじゃあ、それ教えてあげたり応援してあげたりはしないの?」

「いや、なんか、そういうのとさ、またなんか違うじゃん?なんていうかまあ、自力で頑張ってほしいというか……」

「……まあ、由希は実ははるにい大好きだから……」

「違うし」


 由希はそっぽを向きながらもきっぱりとそう言った。

 そんな中、部屋に朝美が入ってくる。


「みなさん、どうぞ。ジュースとお菓子があります」

「やったー!姉ちゃんありがとー!」

「い、いただいちゃっていいんですか?」

「もちろんですよ玲奈さん」


 戸惑う玲奈に朝美が優しく声をかける。

 玲奈はちょっと遠慮がちにジュースを飲んだ。


「朝美お姉さん、朝美お姉さん」

「どうしましたかエマさん」

「朝美お姉さんは恋人とかいるですか?」

「……!?」


 唐突な質問に朝美が完全に固まった。

 なんとなく期待のまなざしを感じる気がして、朝美は目を逸らした。


「……ええとですね、私には、その、そういう方はちょっと……」

「そうなんですか?」


 今まで特別そういう存在を求めたことがあるわけではなかったが、いざ無邪気に問われると多少心にくるものがある。


「あ。え、もしかして、その、みなさんは、そういう、恋人とかが……?」

「いや、いないよお姉ちゃん、大丈夫だから安心して」

「そ、そうですか……」


 これで真昼に恋人がいるなどと言われたら、さすがにショックを受けていたかもしれないな、と朝美は思った。

 そしてふと思う。これは姉としてショックなのだろうかと。

 姉はそういう考え方をするものなのだろうか、と少しだけ考えたがいつものように自分だけでは結論は出なかった。


「ま、恋とかの話はもういいよな!桃鉄桃子の撃鉄でもやろうぜ」

桃鉄桃子の撃鉄……また持ってきているんですか?」


 朝美は少しだけ嬉しそうな顔をした。

 と、その直後に慌てて取り繕う。


「あ、いえ、その……わ、私はまだお店があるんでした。失礼します」


 朝美はそそくさと、しかし多少後ろ髪を引かれながら部屋を出た。


「……やっぱ姉ちゃん、結構子どもっぽいとこあるよな」

「あはは……」


 その由希の言葉に、真昼は肯定も否定もせずただ苦笑するのだった。


----


「……突き止めました。天崎古書店」


 一方、綾子はついに"朝美"の正体にたどり着いていた。

 天崎古書店の店主、天崎朝美。

 それが晴の言っていた"朝美"に違いない。

 そう気付いた綾子の足は自然と天崎古書店へと向かっていた。


「……どうしよう」


 と、店の前までたどり着いたところで綾子はどうするべきなのか、目的を見失っていた。


「だって、直接会ったところで何するの?別に私、まだ、こ、恋人とかそういうわけじゃないし……晴くんも好きなわけじゃなくて憧れって言ってたし……直接会って話したって別になんにもないし、というか私がこんな理由で来たなんて言ったら完全にただの迷惑な人だし……」


 綾子は店の前で考えを巡らせる。

 そして結論を出す。


「……帰ろう。特に何も用もないんだから……あっ!」


 そこまで考えたところで綾子は思い出した。

 今日は楽しみにしてた少女漫画の発売日だったということに。

 綾子は振り返って古書店を見る。

 古書店とは書いてあるが新書の取り扱いもあるようだ。

 綾子はごくりと喉を鳴らした。


「……本を買う、ただそれだけ……ただそれだけだから……」


 綾子は恐る恐る古書店の扉を開ける。

 やや古めかしい建物の中に本が所せましと並んでいる。

 新書は手前側の本棚にあり、目当ての漫画は目立つところに置かれていた。


「……買うだけ、買うだけ……ついでにちょっと顔を見るだけ……」


 綾子は漫画に手を伸ばす。

 するともうひとつ、別の手が漫画に伸びてその手が触れる。


「ひゃっ」

「わあ、ごめんなさい」


 その手の主は美しい女性であった。

 綾子はもしこの手が晴だったらな、と少しだけ思いつつ女性を見る。


「……もしかしてこの人が……?」

「?」

「あっ、いえ、なんでもないです!先にどうぞ!」

「いいの?ありがとう」


 女性は漫画を手に取ってレジの方へと向かう。

 よく考えれば朝美は店主なのだから漫画を買いに来ているわけがない。

 綾子は深呼吸をして自分も漫画を手に取りレジへ向かう。


「やっほー朝美さん」

「あ、ゆかりさん。こんにちは」


 綾子はどきりとしてそちらの方を見る。

 先程の女性がレジ向こうの椅子に座ったおとなしそうな女性を見ている。

 少し長めの黒髪で、美人というよりはかわいいといった感じの顔である。


「この漫画面白いんだけど朝美さん読んだことある?」

「いえ、漫画はあんまり読んだことがないのですが、そうなんですか?」

「絶対読んだ方がいいですよー。おすすめです!」

「じゃあ、今度読んでみようと思います……はい」


 朝美がゆかりに漫画を手渡す。

 綾子はドキドキしながら朝美に漫画を渡した。


「……」

「……」


 綾子はじっと朝美を見る。

 確かにとても落ち着いた雰囲気の女性である。

 振る舞いは大人っぽく、本に囲まれたその姿は知的だ。


「……ええと……」

「……あっ」


 じっと顔を見ていたせいで綾子の目が朝美と合ってしまう。

 綾子は慌てて目を逸らし鞄から財布を取り出す。

 と、誤って硬貨を取り落してしまった。

 その硬貨は店の扉の方へと転がっていき、偶然通りがかった誰かの足に当たった。


「……お?なんだこれ……あれ?あや姉ちゃんじゃん」


 綾子は自分の目を疑った。そこにいたのは晴の妹の由希だったからだ。

 そういえば晴と話している由希は朝美の事を知っているようであったことを思い出した。


「……由希さん、ええと、お知り合いですか……?」

「兄ちゃんの学校の……友達かな」


 友達。わかってはいるし当然そうなのだが、少しだけ綾子は落ち込んだ。

 いつか、友達以上に。心の中でそう思う綾子であった。


「これあや姉ちゃんが落としたの?」

「あ、うん。ごめんね、ありがとう」

「大変だと思うけどいろいろ頑張ってね」


 不思議な関係を朝美はきょとんとしながら見ていた。

 するとふと、綾子が神妙そうな顔をして由希に目線を合わせる。


「え、ええと……あの、それと由希ちゃん、ちょっと、聞いていいかな……?」

「どしたのあや姉ちゃん」

「う、ううん。大したことじゃないんだけどね。どうして私があや姉ちゃんで、あのお姉ちゃんのことは、姉ちゃんって呼んでるのかなって……」


 綾子は由希が晴の事を『兄ちゃん』を呼んでいるのを当然知っている。

 そのため自分の呼ばれ方と朝美の呼ばれ方に何か決定的な差があるのかどうかどうしても聞かずにおれなかった。


「え?なんでだっけ?……姉ちゃん、なんでだっけ?」

「え、いえ……その、私に聞かれてもわかりません……」

「そりゃそうか」


 朝美が困惑するのを見て由希はうーんと考える。

 そして、理由がわかったらしくぱっと顔をあげ、手を叩いた。


「そっか、あたし初めて会ったとき姉ちゃんの名前知らなかったからだ」

「ああ……そういえば、そうでしたね」


 つまりは、名前を知らなかったので姉ちゃんとだけ呼んでいたのがいつのまにか定着してしまったらしい。

 綾子は大した理由ではなかったことに安堵した。

 それと同時に、こんなところで急に変なことを聞いてしまった自分の行動が急に恥ずかしくなってきた。


「ご、ごめんね変なこと聞いちゃって」

「別にいいよー」


 朝美には質問の意図が全く分からず、ただただ頭に疑問符が浮くばかりだった。

 その時、突然由希の後ろからゆかりが現れ、抱きつきながら話しかけた。


「由希ちゃん、私もいるよー」

「お、ゆかりちゃんやっほー」

「あれ!?私には姉ちゃんは!?」


 ゆかりはお姉ちゃんと呼ばれなかったことにショックを受ける。

 どうやら帰ったと思ったら由希の姿を見て戻ってきたらしい。

 朝美はふと、また気になったことを聞くことにした。


「あの、その漫画、今人気なんですか?」

「え?どうだろう、なんで?」

「いえ、お二人が同じ漫画を買っていたようなので……」


 二人が買ったのは少女漫画は、少年に片思いをした少女が頑張るというストーリーである。

 綾子は晴に恋したあと偶然その漫画を知り、自分の境遇とどこか似ている気がする主人公に感情移入して気が付いたらファンになっていたのだった。


「うーん、爆発的な人気があるって漫画じゃないけど、でもいいんだよ。主人公の女の子が頑張るのが心打たれるっていうのかな」

「そ、それなんですよね!わかります!」

「ね、いいよね!」


 ゆかりの説明に綾子が同意する。


「特にあの、私、恋のおまじないを試すところが大好きで……!」

「わかる!あそこいいよね!あと私、お弁当作り始めるとこも好きで」

「わかります!」


 ゆかりと綾子は二人で盛り上がってしまう。

 朝美はその様子を見て少しだけ微笑んだ。


「ああっ、朝美さんに笑われた!」

「あ、いえ、違うんです、その、なんというか……お二人とも、本当にその漫画がお好きなんだな、と思いまして……私もとても読みたくなってきました」


 そういって遠慮がちに微笑む朝美の姿に、綾子は少しだけどきりとしてしまう。

 大人っぽさとかとは違う気はするが、その表情はとてもかわいらしく見えた。


「あ、そうだ。そういうお話が好きなら実はおすすめの小説もあるんですが……」

「私は小説あんまり読まないからなー、あなたはどう?」

「えっ、私ですか?私は……ちょっと気になるかも……」

「そうですか?実はその、こういう本なんですけど……」


 朝美は目を輝かせながら綾子に本の説明をする。

 綾子は少したじろぐも、楽しそうに話す朝美と興味を引く物語に少しずつ引き込まれていく。


「面白そう……買っちゃおうかな……」

「本当ですか?あ、でもなんだか買わせてしまうみたいで悪いですね……」

「いいんじゃないですか?本屋さんがおすすめしてくれる本なら面白そうって私も思いますもん」


 少し遠慮をする朝美をゆかりがフォローする。

 その後もしばらく本の話で盛り上がることとなり、結局綾子は小説と漫画の両方を買うことにした。

 自分だけでは知ることはなかったかもしれない本を知れて、なんとなく得した気分になって嬉しくなる。

 綾子は、晴が朝美に憧れてしまうのもなんとなくわかった気がした。

 ただ、大人っぽいのとは少し違う気はしたが。


「……でも、恋の方は負けませんからね」

「え、何か……?」

「あ、いえ!なんでもありません!ありがとうございました!」


 そう言って綾子は天崎古書店を後にした。

 綾子はメモとペンを取り出し、「朝美、落ち着き、知的、大人っぽい」の後にさらに「天崎古書店、また来よう」と書き足した。

 そして今日はまず、どちらの本から読み始めようかな、と考えるのだった。


----


「どうしたの由希ちゃん、ずいぶん戻ってくるのが遅かったけど」

「うーん」


 全員がいる部屋に戻ってきた由希は、何かを考えるように首をかしげる。


「案外、大人ってみんな子どもっぽいのかもしれない」

「なにそれ」


 由希は真剣に語ったが、真昼達にはいまひとつそれは伝わってこないのだった。

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