三話:カフェとお菓子と金髪の少女の話

 朝美も時には古書店の外でゆっくりしたい時もある。

 そんなときに来るのがこのカフェ"天の川"だ。

 とても小さなカフェだが、軽食もありコーヒーも紅茶も美味しく、そして何よりも静かだ。

 水曜と日曜でも開いているのが朝美にとっては嬉しいポイントのひとつである。

 店にいるのは白ひげを結わえた紳士的なマスターと、大学生くらいのウェイトレスの少女が一人。

 どちらも物静かな性格で、朝美にとっては安心できる場所なのである。


「朝美さん、浮かない顔をしていますね」

「……そ、そうでしょうか」


 紅茶を飲んでいた朝美にマスターが話しかける。

 彼は朝美が悩み、相談に乗ってほしいときには常に声をかけてくれた。

 逆にそっとしておいてほしいときにはそっとしておいてくれる。

 朝美は、時に彼がすごいのか自分がわかりやすいのか時折考えるが答えは出ない。


「よければお話を聞きますよ」

「……妹と、どうやって接していくのが一番いいのか、悩んでいまして」

「ああ、真昼ちゃんですか……」


 この店に真昼を連れてきたことはまだないはずだが、もうすでに真昼はここに来て挨拶に来たことがあったらしい。

 あの社交性の高さはどうあがいても自分には手に入れられないものだ。

 そう考えるとまた深いため息がでる。


「……そうですね、私もあまり人付き合いに関して何か言える立場ではないですが……朝美さんは少し遠慮しがちなところがありますからね」

「はい……そこを少しでも直していけたら、と思うのですが……」

「案外、真昼ちゃんもあなたに遠慮しているところがあるかもしれませんね」

「……そうでしょうか、真昼さんは、私とは違って人付き合い得意ですから……本当に実の姉妹なのか、不安になってきてしまうくらいに」


 朝美はふうとため息をつく。

 マスターは何も言わずに皿を磨きはじめる。

 このように、考え事をしたくなるとマスターはすぐに話しかけるのをやめてくれる。

 それが非常に心地よく、朝美はこのカフェに通っている。

 同時に、マスターには何か親近感のようなものを覚え、一人ここで暮らしていた朝美にとっては心の支えの一つでもあったのだった。

 そして紅茶を飲み終えて帰ろうとした時、ウェイトレスに声をかけられた。


「朝美さん、よかったらこれ、妹さんと食べてください」

「……これは?」

「友達と作ったアップルパイです。あまりもので悪いんですが、その分タダということで」

「いいんですか?」

「お得意さんですから。それにこっちも処分に困ってたんで。ウィンウィンです」


 ウェイトレスは軽くウィンクをした。

 彼女もまた、このカフェの雰囲気にあった大人っぽい少女であり、朝美は感謝しきりであった。


----


 朝美が古書店に帰り、居住スペースへと戻ると、見知らぬ靴があることに気付いた。


「……真昼さんが友達を連れてきたのかな……」


 様子を見ながら廊下を歩いていくと、部屋から真昼と誰かもうひとりの話声が聞こえてきた。

 どうしよう。今までのように不意打ちで来たのとは違う、おそらくしっかりと真昼が招いてきたパターンだ。

 こういう時はどういう態度で行くべきだろうか。

 友達の姉として何かお茶でも出すべきか。

 それともなにかしっかりとした挨拶をするべきなのか。


「なにしてるのお姉ちゃん」

「みっ……!!」


 考えているうちに真昼が廊下に出てきていたらしい。

 朝美はわたわたとなんでもないと手振りを交えて説明する。

 その状態から落ち着くのに数秒かかった。


「ええと、それで、誰か、来ているんですか?お友達ですか?」

「あ、ごめんなさい、勝手に連れてきちゃって」

「い、いえ、それは構わないんですが……」

「よかった、えっとね、土屋エマちゃんっていうんだけど、わかる?」


 土屋。

 聞き覚えがある名字な気がする、が、思い出せない。

 この商店街のどこかにそんな店があった気がするが、もしかしたら馴染みのない店かもしれない。


「土屋和菓子店の娘なのですよー」

「あ、ああ、土屋和菓子店……そういえば……あんまり和菓子を買うことがなかったので……」


 ふと、声がした方に視線を向けると、いつのまにか真昼の隣に金髪の少女がいてにこりと笑っていた。

 再び朝美が声を上げて驚いたのは言うまでもない。


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「お菓子を、作りたい、ですか?」

「そうなのです」


 エマはアップルパイを頬張りながら頷いた。

 なんでももうすぐお爺さんの誕生日なので、手作りのお菓子を作りたいらしい。


「みんなに内緒で、せっかくなので和菓子じゃなくて洋菓子を作ってみたいのですよ」

「で、お姉ちゃん。お菓子作りの本、ないかな?」

「どこかにはあったかと思いますが……」

「お金ならありますです!」


 エマは財布を取り出すと高々と掲げる。

 それを見て真昼はぱちぱちと手を叩いた。


「いえ、それくらいなら、私物の本を貸しますよ。材料にもお金は必要でしょうし」

「ほんとうですか!」


 エマがきらきらとした目で見つめてくる。

 朝美はなんとなくまぶしさのようなものを感じて目を背けた。

 それを見て真昼はくすくすと笑う。


「よかったねエマちゃん」

「はいです!もう作ったも同然です!」

「それはちょっと早いんじゃないかな……」


 満面の笑みを浮かべるエマは喜んで本を抱えて出ていこうとする。

 それを見た朝美は思わず引きとめた。


「あ、あの、いったいどこへ……?」

「え?帰りますですけど」

「ええと、お菓子はいつ、どこで作るのですか」

「今度の日曜に家で作りますです!」

「……あの、秘密で作るのでは……?」

「……あ!!!」


 エマはようやくこのまま帰って作ったらすぐにばれるということに気が付いた。

 どうしよう、という顔で真昼を見つめる。


「いや、そんな顔で見られても……どうしよう」

「……」


 朝美は少し考えた。

 そして、悩んだ末に、結局これしかないと考えた。


「……よければ、うちのキッチンを使」

「いいのですか!!?」


 全て言い切る前にエマは朝美に近寄って見つめてくる。

 その青く輝く目で見られると、する気はないとはいえ、今さら撤回できない気持ちにさせられた。


「お姉ちゃん、ありがとう!」

「え、なんで真昼さんがお礼を……?」

「んー?友達を助けてもらったんだもん、当たり前だよ!」


 真昼は当然の事とばかりに言い切った。

 そういうものだったかなと、朝美は思い返す。

 自分が子供の頃はどうだっただろう。

 考えても、思い出せなかった。


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 そして当日は大変な作業であった。

 真昼もクッキーは今まで作ったことがなく、実は朝美も作ったことがなかった。

 全員がはじめてだらけで迎えたクッキー作りは困難を極めた。

 エマは卵をぐしゃりと割って殻を混入させ、真昼はクッキーの種をこねすぎてばててしまった。

 朝美はといえば、うっかり小麦粉をぶちまけてしまって必要のない掃除までする羽目になってしまった。

 そんなクッキー作りもなんとかあとは焼くだけというところまで来たのであった。


「……なんとかここまで来ましたね……」

「……お菓子作りは、大変です、和菓子作るのも、きっとこれくらい大変です……」

「う、うん、なんか無駄に苦労したような気はするけど」


 頑張って作ったクッキーをオーブンに入れて焼く。

 あとは焼きあがるのを待って、冷ませば完成だ。


「おじいちゃん、喜んでくれますですかね」

「もちろんだよー。ね、お姉ちゃん」

「え?……は、はい」

「えへへ」


 正直なところ、朝美にはわからなかった。

 親や祖父、祖母にプレゼントを贈ろうと思ったことなどなかったからだ。

 もしかしたらあったかもしれないが、あまり記憶になかった。

 当然贈られるような経験もないので、想像の上で喜ぶだろうと考えることはできるがどうしても実感が伴わなかった。


「楽しみですねー、焼けるの」

「少しくらい食べてもいいよね?」

「はいです!」


 二人は楽しげに話しているが、どうしても朝美はもやもやとした気分になっていった。


「あの、しばらく焼けるのにも冷めるのにも時間がかかりますし、お二人で遊んで来ても大丈夫ですよ」

「いえ、わたしのプレゼントですから、見てますです」

「じゃあ私も」

「そうですか……」


 二人はオーブンの前に椅子を持ってきて、じっと眺めている。

 朝美はその様子を少しだけ気にしながら、本を読み始めた。


----


 その後、少女たちもオーブンの前に陣取るのに飽きて遊び始め、朝美はただもくもくと本を読む時間が流れた。

 クッキーが焼けたことを知らせるオーブンのアラームが鳴り響いた。


「焼けましたですか!」

「お姉ちゃん、焼けたよ!」

「え?あ、そ、そうみたいですね」


 エマはオーブンの前に行き、真昼が読書に夢中になっていた朝美に呼びかける。

 朝美はクッキーを取り出すと、網の台の上に置く。


「あとはこのまま冷まさないといけませんから、まだ食べてはだめですよ」

「はいです!」

「もうすぐお爺さんにプレゼントできるねエマちゃん!」

「はいです!とても楽しみです!」


 二人の無邪気な反応が、とてもまぶしく見えて。それと同時に疑問に思って。

 だからきっとそれは、思わず言ってしまった言葉なのだろう。


「……もし、お爺さんが喜んでくれなかったら、どうします?」

「え?」

「……あ」


 朝美も言った後ですぐに失言だったことに気付き、なんとか訂正しようとした。

 だが、その前にエマは、満面の笑みで答えたのだ。


「喜んでくれますですよ、わたしのおじいちゃんですから」

「……」


 我ながら、本当にバカな質問をしてしまった。

 朝美はそう後悔した。


「そうですよね、ごめんなさい。きっと喜んでくれますよ」

「はいです!」

「ああ、そうだ。冷めるまでお茶でも飲みましょうか。手伝ってくれますか、真昼さん」

「……」


 真昼は、珍しく朝美の言葉にすぐに反応せず、何か考え事をしているかのようだった。


「真昼さん?」

「あっ、うん、そうだね!手伝うよお姉ちゃん!」


 その後、すぐにいつも通りの真昼に戻ったのできっと少し疲れていたのだろう。

 朝美はそう思ってさほど気にしなかった。


----


 その後、お茶と数枚のクッキーを味見したエマは、クッキーをプレゼント用の袋に包んで持って歩いていた。

 朝美と真昼もその後ろで歩く。

 エマがどうしてもお爺さんに会わせたいというのでついてきたのだ。


「……あれ、こっちは……」


 ついたのは、カフェ天の川。

 ここで待ち合わせしているのだろうか。

 エマは体全体でカフェの扉を開ける。


「おじいちゃん、今大丈夫ですか?」


 その先にいるのは、マスターとウェイトレスだけ。

 そしてマスターがエマに親しげに話しかける。


「おお、エマ。よく来たね」

「え……えっ……?」

「おや、朝美さんに真昼ちゃんもいるのか。真昼ちゃんとはともかく、朝美さんと一緒に来るのは初めてだね」

「え……あの、え?真昼さん」


 混乱した朝美は思わず真昼に助けを求めた。

 真昼は思わず困惑した表情を向けた。


「え、もしかしてお姉ちゃん、エマちゃんのお爺さんが誰か知らなかったの?」

「いや、その」

「だって、土屋って苗字同じじゃん」

「………………ああ!!?」


 朝美は土屋和菓子と聞いても今一つピンと来ていなかった。

 しかし今、思い出した。

 マスターの名前、土屋礼二。

 だから聞き覚えがあったのだ

 そんな朝美をまるで気にせずエマはマスターにプレゼントをする。


「おじいちゃん、お誕生日、おめでとうです」

「これは……私にくれるのかい?」

「はい!クッキーです!真昼ちゃんと朝美お姉さんが手伝ってくれたです!」

「そうか……ありがとう、とても嬉しいよ」


「朝美さん、真昼ちゃん、孫の為に手伝ってくれて本当にありがとう」

「あ、いえ、その……はい」

「どういたしまして!」


 その嬉しそうな顔を見て、朝美はほんの少しだけ思い出した。

 かつて、母に摘んできたお花をプレゼントした時の事。

 そういえば、この二人みたいなとても嬉しそうな顔をしていたっけ。

 じゃあ、やっぱり喜ばないわけがなかったのだ。

 そう思うと、どんどんと罪悪感がわいてきて。

 なんであんなことを言ってしまったのだろうと自分を責めそうになる。


「お姉ちゃん」

「……真昼さん?」


 真昼は、何もそれ以上何も言わず、朝美に向かって微笑んだ。

 それだけで、朝美の心はなぜかとても楽になった。


 真昼さんはやはり、こうして人の心を癒すのが上手いのだろうか。

 ……それともやはり、自分がわかりやすいだけなのだろうか。


 答えは、当然出なかった。


----


「お姉ちゃん。クッキー美味しくできてよかったね!」

「あ、はい、そうですね。なんとか、作れるものですね」


 朝美は真昼と手をつないで帰路につきながら、マスターに言われた事を反芻していた。

 それは、真昼とエマがカフェの奥へ行き、ウェイトレスが様子を見に行った後、マスターとした内緒の話だった。


「……そうですね、朝美さん。少しだけ私の話を聞いてもらえますか」

「え?あ、はい……私で、よければ」

「ありがとうございます。あの子……エマは本当にいい子です。このように私の誕生日を覚えて、ひとりでお菓子を作ろうとしてくれるなんて」

「……そう、ですね」

「はは、本当に朝美さんたちには感謝しています」


 そう笑いながら言ってから、マスターは少しだけ覚悟したようにため息をつき、話を切り出した。


「エマはね、私と血がつながっているわけではないんですよ」

「……え」

「うちのせがれがフランス人の嫁さんをもらいましてね。彼女の連れ子だったんですよ。三年ほど前ですから、もう五歳くらいでしたかね」


 不思議と疑問には思わなかった。

 むしろ、金髪で青色の目をしている少女に日本人の祖父がいる、ということのほうが不自然なくらいだ。


「まあ何を隠そう私も最初は戸惑いを隠せませんで、しばらく彼女たちとうまくやっていけるか不安だったんですよ」

「……」

「でも、ああいう優しくて人懐こい子でしょう。だんだん悩んでいるのがばかばかしくなってきてしまいましてね。

 少しずつ、自分なりに歩みよってみたんですよ。そうしてなんとか今日に至るわけです」

「はあ……」


 朝美は、ただただその話に聞き入るばかりだった。

 マスターはそのままゆっくりと話を続ける。


「どうですかね、やはり私とあの子はお爺ちゃんと孫、という関係にはまだなれていないと思いますかね」

「……い、いえ……そんなことはない、と、思います」


 朝美はゆっくりと言葉を返す。

 血がつながっていないとか、そんなことは関係なく二人がとても良い関係なことぐらいはわかる。

 そのような考えを、朝美は拙く伝えた。


「ありがとう、朝美さんならきっとそう言ってくれると思いました。ならきっと、朝美さんも大丈夫ですよ」

「……私も、ですか」

「朝美さんと真昼さんもきっと大丈夫です。

 それはお二人が姉妹だからとか、そんなことは関係ない。お互いに近づこうとしているんですから」

「……」

「すみません、余計な事を言ってしまいましたかな」

「……いえ、ありがとうございます」


 お互いに近づこうとしているから、きっと大丈夫。

 朝美は、真昼にもそう思われているのかどうか自信はない。

 でもマスターが言ったのなら、そうなのかもしれないと思えた。


「……お姉ちゃん?聞いてる?」

「え、あ、ご、ごめんなさい真昼さん。聞いていませんでした……」

「もー、しっかりしてよ、じゃあもう一回言うよ」

「は、はい……」


 朝美はいきなりこの有様か、と少しだけ落ち込む。

 それでも、真昼は笑顔で言った。


「また、一緒にお菓子作りたいね!」


 その時にまた、ふと思い出した。

 この間、一緒に料理を作ろうという提案を断ってしまった時の事。

 お互いに近づこうとしている。

 今度は、自分自身が心からそう思えた。


「……はい、今度は一緒に、晩御飯も作りましょう」

「……うん!」


 そういうと真昼は嬉しそうに朝美とつないだ手を振り上げた。

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