二話:兄妹と姉妹と人形の話
水曜日と日曜日は天崎古書店の休業日である。
日曜はほかの店も休みであることが多いので、主に水曜日が買い物の日となる。
商店街をまわるだけで十分な買い物が出来ることも朝美がこの商店街での生活を好ましく思っている理由の一つだ。
そして水曜のこの日、朝美が買い物に行かないとと思いつつ本を読んでいる間に時間は午後四時となっていた。
「……もう四時か。そろそろ本当に買い物にいかないと」
「お姉ちゃん、買い物に行くの?」
「あ……はい、そうですね。そろそろ行こうかと思っています」
真昼は学校から帰ってきており、外に出ていない。
そういう時にはだいたい真昼は宿題をしている。
普段は五時頃に家に帰ってきてから晩御飯の前や直後にやっていることが多いが、量が多い日にはこうして学校から帰ってきた直後にやっているらしい。
「あたしも宿題終わったし、一緒に行っていい?お姉ちゃん」
「え、は、はい」
突然の申し出に思わず朝美は動揺してしまう。
いい加減慣れないと申し訳ないな、と朝美はもう何度思っただろうか。
真昼は特にそんなことを気にした様子もなく満面の笑みで一緒に出掛けることを喜んでいた。
「お姉ちゃんとお買いものするのはじめてだね!」
「そうですね」
朝美はそう答えながら戸締りをする。
そういえば買い物どころか二人でどこかに行くなんて事自体、初めてこの店に連れてきた時以来だったかもしれない。
「どこ行こうかー!」
「ええと、そうですね……今日はいつもの日用品とあと、晩御飯は……うーん……」
「考えながら行く?」
「そう、ですね」
真昼は朝美の左手を不意にぎゅっと握る。
その行動に再び朝美が動揺したのは言うまでもない。
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「おー!まひるんー!姉ちゃんー!買い物ー!?」
「由希ちゃん」
八百屋の前を通りかかった二人に少女が駆け寄ってくる。
朝美は思わずぺこりとおじぎをする。
その笑顔、そして手に持った野菜。あの時の記憶が一瞬で引き出された。
「お店のお手伝いしてるの?」
「おう!姉ちゃんも真昼も野菜買ってけ!世界一の八百屋の野菜だぞ!」
「世界一なんですか」
「あたしが生まれたときから世界一!」
よくわからないがすごい自信だ。
どちらにせよ野菜は買うつもりだったしここで買っていくことにしよう。
「今な、もやしが安いぞ、あとピーマンもいいぞ」
「本当に野菜好きだなー、由希ちゃんは」
「おう!野菜があたしの人生の全てだからね」
「ずいぶん早いね人生を悟るのが」
朝美は、真昼と由希が楽しげに会話しているのを邪魔しないように少し離れて野菜を選ぶ。
あまり野菜に詳しくはないが、あそこまで推されるとなんとなく美味しそうに見えてくるものだ。
もやしとピーマンがおすすめと言っていたし炒め物でも作ろうか。
「真昼さんも野菜、好きですよね」
「うん」
「まひるんはいい子だよー。将来野菜大使になるよ」
「うーん……それは、まあ、由希ちゃんにゆずるよ」
「あたしは野菜大統領だから」
よくわからないが壮大だ。
とにかく野菜が好きだという気持ちが全身から伝わってくる少女であると、朝美は思った。
かごに野菜をいれてレジへと向かうと高校生くらいの少年がレジに立っていた。
「えと、お預かり、します」
「兄ちゃん!しっかりと接客したまえよ!」
「お前に言われなくてもちゃんとするよ」
少年は由希の言葉をうんざりしたように受け流すと、手早くレジをこなしていく。
朝美に話しかけるときはややはにかんでいた少年であったが、由希の時にはなんの遠慮もないようだ。
「というかお前こそあんまりお客さんに迷惑かけるんじゃないぞ」
「迷惑かけてないし、接客だし」
「お前のは接客になってないんだよ」
「べー」
由希と少年が話しているのを朝美はきょとんとしながら眺めていた。
その様子を見た真昼が朝美の服の袖を軽くくいくいと引っ張り、耳打ちする。
「えっと、あっちの人、由希ちゃんのお兄ちゃん。晴さん」
「ああ、なるほど。お兄さんでしたか……」
いくら由希が物怖じをしない性格とはいえ距離や態度が近しいとは思っていたが、なるほど。
なるほどと思ったあとで、兄妹であればあれくらいの距離感が普通なのだろうか、とも朝美は思った。
「妹が迷惑をおかけしています」
「い、いえ、迷惑だなんて」
「ほら姉ちゃんも迷惑じゃないって言ってるし!」
「社交辞令だよ」
軽口を叩きあいながら仕事をする様は、これがいつも通りなのだということを感じさせた。
会計が終わり、野菜を受け取って八百屋を離れる。
由希がいつまでも笑顔で手を振って、真昼がいつまでも手を振りかえしていた。
しかし、この八百屋に来るのは初めてではないはずなのに、どうして今まであんなに印象に残る子の記憶がなかったんだろう。
今までずっとこのあたりで暮らしてきて、彼女たちも店に立ったのは今日が初めてはないだろうに、どうして今まで一度も意識してこなかったのだろう。
自分でも不思議に思いながら、朝美は買い物を続けた。
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「お姉ちゃん、今日はこれで買い物終わり?」
「ですね。そろそろ帰りましょうか」
買った荷物を少しだけ持ってもらいながら帰路につく。
なんとなく心配で何度も真昼の方を見てしまい、そして口に出す。
「あの、本当に、持っていただいても大丈夫なのでしょうか。重くないですか?」
「えー?平気だよー、お母さんとお父さんと一緒によく買い物してたし」
「ああ、なるほど……」
そうか、両親と一緒に買い物をしていたのか。
私は買い物に付き合ったりしたことなどあっただろうか。
もしかしたらあったのかもしれないが、よく覚えていない。
「そういえば、お母さんと買い物したあとはよく一緒にご飯作ってんだよね……」
「そうなんですか」
「ねえお姉ちゃん、今日は一緒にご飯作ってみようか?」
「えっ……」
何故、言葉に詰まってしまったのだろうか。
何故、少し悩んだあげくにその提案を断ってしまったのか。
自分でもわからなかったが、とにかくその提案に乗る気にはならなかった。
素直に一緒に作ってみればよかったのではないだろうか。
断ってからそんな気持ちがもやもやと湧いてきて、それと同時にややきまずい空気になったのがわかった。
「あっ」
突然真昼が声をあげて駆け出していく。
何事かと目で追っていくと、一人の少女と話す真昼の姿があった。
「あの、真昼さん、どうかしましたか」
「あ、ごめんお姉ちゃん、あのね」
「……るーちゃん」
「えっ」
声がした方を見ると黒くて長い髪の少女がとても悲しそうな、不機嫌そうな顔をしてそこに立っていた。
その少女にはどこか見覚えがある。
この間、真昼と一緒に由希を迎えに来た少女のひとりだ。
しかし、どこかあの時とは違うような気がして朝美は少し違和感を覚えた。
「えっと、この子、私の友達で、恵ちゃんって言うんだけど」
「……るーちゃん、また、いなくなった……」
「ええと……?」
「るーちゃんっていうのは、恵ちゃんのお友達の、んーと、お人形なんだよ」
人形……ああ、そうか。あの時持っていた和風の女の子の人形。
大事そうに抱えていたあの人形を持っていなかったのが違和感の原因か。
「……すぐ、どこかいっちゃうから……困る……」
「なくしてしまったんですか」
「なくさない、いなくなるだけ」
「ご、ごめんなさい」
恵にものすごい勢いで睨まれ、朝美は思わず謝った。
再びしょんぼりとする恵を真昼は心配そうに見る。
「ねえお姉ちゃん、るーちゃんを探してあげたいんだけど……」
「そうですね……わかりました」
「うん、それじゃあお姉ちゃん、私探してくるから荷物……」
「いえ、一旦家に帰って、みんなで探しましょう」
「……いいの?」
朝美の提案に恵は目を丸くした。
真昼も少し驚いた様子で朝美を見る。
「ええと、大事なお友達なんですよね」
「……うん」
「一緒に探した方が、すぐ見つかりますよ」
「うん」
そうして、朝美は再び古書店へと向かって歩き始めた。
真昼は嬉しそうに朝美の横をついて歩き、それに恵も続いた。
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「お姉ちゃん、恵ちゃんが肉屋の青木の子だって知ってた?」
「え、そう、なんですか」
「そうだよー、やっぱり知らなかったんだ」
肉屋の青木といえば、コロッケやチャーシュー等のお惣菜を買いによく行っている。
もしかして、この子も店で働いていたのに気が付かなかったのだろうか。
「……まあ、わたし……お店に出たことないし……」
「あ、そうなんですか」
どうやらそういうわけではなかったらしい。
朝美はなんとなく少しだけほっとすると同時に生まれた疑問を何気なく聞く。
「ええと、恵さんは、お店には出ないんですか。由希さんみたいに」
「あたまにキャベツが入ってるのと一緒にしないでほしい……」
あたまにキャベツ。
ある意味では的確な表現かもしれない、朝美はこっそり思った。
この子はどうやらなかなかに毒舌らしかった。
「肉屋とか、別にわたし、興味ないし……わたし、いつか、人形のお洋服作る仕事するし……」
「夢があるんですか、すごいんですね」
「うん……」
恵とそんな話をしていると真昼が朝美の袖をまたくいくいと引っ張る。
また何か私が知らない事でも教えてくれるのだろうか、と思ったらなんとなく不安そうな、不機嫌そうな顔をしていた。
「んと、私は、お姉ちゃんの本屋、手伝うから」
「え、あ、はい。ありがとうございます……?」
そんなことを話しながら古書店の近くまでやってくると、突然恵の足が止まった。
何事かと思って視線の先を見てみると、ひとりの大学生らしき髪を金髪に染めた少女が立っている。
美人で化粧もしっかりしているように見えるが、恵は彼女をじっと睨むように見ている。
もしかしてこの近辺で有名な怖い人なのかもしれない。
少女と目があう。近づいてくる。どうしよう、真昼たちだけでも逃がした方がいいのだろうか。
そんなことを考えているうちにあっという間に近づかれ、そして。
「こーら恵!あんたまーた人形落としたでしょ!近くにあったし!」
「……おとしてない……勝手に逃げたの」
「まったそんなこと言って!」
ずいぶんと仲よさげに会話をしはじめた。
朝美がぽかんとしていると、また真昼が耳打ちをしてくる。
「恵ちゃんのお姉ちゃんだよ、あの人」
「あ、ええ……?」
由希と晴は言われてみれば兄妹だとわかったが、彼女たちは全くそうは見えなかった。
なにせ雰囲気が全く似ていない。
どちらかといえばおとなしくて話しやすい雰囲気があった恵と違い、姉の彼女はずいぶん活発そうな印象を受けた。
「あ、ええと、すみません、あなた、もしかして最近噂の古書店の人ですか」
「えっ、あ、は、はあ」
そんな噂になるようなことをしていただろうか、と朝美は思った。
実際のところは朝美というよりは真昼の噂でもちきりだったのだが、そんなことを知る由もない。
真昼ともまた違った感じにフレンドリーに接してくる恵の姉に朝美はまたどぎまぎしてしまう。
「ああ、やっぱり、真昼ちゃんにうちの妹がお世話になっています。姉の青木光っていいます」
「は、はい」
「うちの妹、口が悪いから心配なんですよ。大丈夫でした?何か言われませんでした?」
「い、いえそんな」
「ひか姉より口悪くない」
「ア?なんか言った?」
光は恵にそう言った後、朝美の方を見て一瞬しまったという顔をして、軽く咳払いをした。
「ええと、その、妹さんが、お人形さんをなくされ……えっと、はぐれてしまったらしいので、一緒に探しに行こうと」
「ああ、すみません。もうほんとこの子しょっちゅう人形なくすんですよ。ご迷惑をおかけしました」
「……だから……なくしてない」
「いいからちゃんとこれ持って、お礼言いなさいあんたは!」
そういうと光は恵に女の子の人形を渡して、頭を押さえておじぎをさせた。
恵の方もおとなしくしているかといえばそうでもなく、光の腕を払いのけるようとするなどの必死の抵抗を試みていた。
そして朝美の方はといえば、慣れないケンカの光景に少しあわてふためき、なんとなく止めようとしているような動きをしていた。
「お姉ちゃん、大丈夫だよ。いつものことだから」
「そ、そうなんですか?」
「うん、すぐ仲直りするし」
「はあ……」
真昼の言うとおり、二人はすぐにケンカをやめた。
そして、光に抑えられるわけではなく、恵は自分から頭をさげた。
「えと……あさ姉」
「あさ、ねえ……あ、私、ですか。はい」
「ありがとう……ございました……」
「い、いえ、結局探す前に見つかってしまいましたし……」
「アタシからも、ありがとうございました」
光の方も頭を下げてお礼を言う。
朝美は先程会ったときに怖い人かと思ってしまったことを少し恥ずかしく思った。
「いやもうほんと、次はこんな薄暗い妹の気味悪い人形のことなんか無視してくださって結構ですから」
「ひか姉の猫かぶりより全然気味悪くないし」
「あんですってこんのクソガキっ!!」
光は恵の首を腕でぐいっと締め上げる。
恵のほうも負けじとびしびしと光の足を蹴飛ばす。
それを見て再び朝美は慌てふためいてしまうのだった。
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「それじゃあ、真昼ちゃん、こんな妹だけどまた遊んでやってね。朝美さんも、本当にありがとうございました」
「うん!またね恵ちゃん!光さん!」
「……あさ姉、るーちゃんの事とか、その、改めて、本当にありがとう」
「あ、いえ……」
「……また今度、本屋さんに遊びにいっていい?」
「あ、はい」
そういうと恵は少しだけ微笑み、手を振った。
その時、彼女の腕の中に収まっている"るーちゃん"も少しだけ微笑んだように見えた。
「え」
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「あ、いえ……帰りましょうか」
「ん?うん」
----
朝美は家に帰ってきてから、ご飯を作りながら、そして夕食を食べながらもやもやと少しだけ考えていた事を思い切って伝えてみた。
「真昼さん。やはり兄弟というのは、ああいうのが自然なものなのでしょうか」
「んう?」
真昼は野菜炒めを頬張りながら朝美の言葉の意味を考える。
その様子を察し、朝美は少しずつ捕捉していく。
「ええと、つまり、由希さんと晴さんみたいな関係とか、恵さんと光さんみたいな関係が、兄弟として自然なのでしょうか」
「んんー……」
由希と晴も、恵と光も、すごく自然な付き合い方をしているように朝美には見えた。
自分もあんな風に接してみた方がいいのだろうか。そう考えていたのだ。
「ああ、そういうこと?」
「真昼さん?」
「お姉ちゃんはそのままで大丈夫だよ」
「そ、そう、なのでしょうか」
「うん、私お姉ちゃんの事好きだもん」
「え、あ、は、はい」
思わぬ真昼の返しに思わず言葉に詰まる朝美だったが、どうも何かをはぐらかされたような気もする。
やはりもう少し自然な関係を目指した方がいいのではないか。
形だけでも真似てみようか。
朝美は思い立ち、少しだけ勇気を出してみることにした
「……そ、そういう生意気なことを言わないー……の……です……真昼……さん……」
勢いに任せて言ってみたが、何か間違ったような気がして語気がどんどん弱まっていく。
真昼はしばらくきょとんとしていたが、少しずつ机に突っ伏すような体勢になっていったかと思うとこらえるように笑い声が聞こえてきた。
「あ、いや、その、わ、忘れましょう、忘れましょう真昼さん」
「う、ううん……ごめん、忘れられないかも……ふふ、ふふふ……」
それでも少しだけ、真昼との距離が近づいた気もする。
そんな天崎古書店の夜であった。
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