本編
天崎朝美のプロローグ
私の名前は天崎朝美。
小さな商店街の小さな古書店の店長。それが私。
ちなみに私以外に店員はいない。
そんな私の日常はひどく退屈なものである。
まずは朝、二階の部屋で目を覚ましてしばらく微睡んだ後、朝食。メニューはトーストと紅茶。
一階の本屋のシャッターを開いて客が来るまで本を読む。
昼には一旦店を閉めて昼食。メニューはサンドイッチと紅茶。
再び店を開いて客が来るまで本を読む。
七時以降はどうせ客も来ないので店を閉めて晩御飯等の買い出し。
家に帰ったあと夕食。メニューはサラダとお肉屋で買ったコロッケ。
あとは眠くなるまで本を読み、眠くなったら寝る。
これが私の日常であった。
別にそんな退屈な日常に不満はなかったし、変える気もなかった。
むしろ人との関わりもほぼ最低限で済む今の環境に居心地の良さすら感じていた。
だがそんな日常はある日、突如として終わりを迎えることとなる。
時間は昼ごろ、一本の電話から終わりは始まった。
「はい。天崎古書店ですが……はあ、朝美は私ですが。
……え?……父と母が?……事故?」
高校時代にごくごく普通の反抗期を迎え、一人になりたがった私は逃げるように一人暮らしを始めた。
そこから私がこの古書店を引き継ぐまでには紆余曲折あるが話が脱線するのでここでは割愛する。
今となっては特に反抗心もなかったが、連絡する気にもならなかった私はずるずると十年近く疎遠関係を続けていた。
そんな折に両親が二人とも交通事故にあった。
話を聞くに即死であったらしい。
……驚きはあったが、悲しかったかと問われると正直わからない。
もはや疎遠関係が長すぎて、両親にどのような感情を抱いているかもその時は忘れてしまっていた。
そして私には、両親の死よりもよほど驚いたことがあった。
「……はい、ええと、その、肉親は、はい……え?は?」
私はその話を聞くなり両親の家……昔の自分の家に向かった。
場所から何から昔と少しも変わりはなく、それは佇んでいた。
少しだけ寂しさのような、もやもやした気持ちが浮かんだ。
私は意を決して鍵をドアに差し込んだ。
家を出るときから持っていた鍵は、未だに変わらず使えるままであった。
昔とまるで変わっていない玄関、廊下、リビング、キッチン。
そして、同じように何も変わらないソファに、彼女は座っていた。
「……あの、ええと」
「……」
彼女……その空間の中で、私にとっては異質に見える一人の少女が私の目に映る。
黒い髪を耳の上で二つに結っているその顔は、両親の面影をよく残している。
茫然としていた私を彼女は真っ直ぐと見つめると、口を開く。
「……お姉ちゃん、ですか?」
それが私と、私の実の妹、天崎真昼の初めての出会いであった。
両親は私が家を出ている間に娘を一人儲けていた。
そのことを私は知らなかった。いや、きっと連絡は来ていたのだろうが、私がすべて無視してしまったのだろう。
結果として、私は件の電話で初めて妹の存在を知ることになる。
うちには親戚がいない為、唯一の肉親であり、仮にも自立している私のところに彼女が住まうことになるのは当然の帰結と言えるだろう。
よってその日から、私の退屈にして平和な日常が終わったのもまた当然の帰結と言えた。
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その後の遺品整理やら生命保険やら葬式やらのことに関してはもうあまりの忙しさに記憶があいまいになってしまっている。
年単位でのんびり一人で過ごしてきた私にとってはあまりに大きすぎる事件であった。
その期間の中で覚えていることといえば、彼女とはじめてゆっくりと話した日の事だろうか。
時間は夜中だったはずだ。彼女が少し眠そうだったことが印象に残っている。
「ええと、その。改めまして、天崎朝美といいます。一応、あなたの姉、ということになります」
「知ってる……ええと、知ってます、お父さんとお母さんから聞いてました」
私が彼女のことを知らなくても彼女が私のことを知らない道理はない。
むしろ両親なら話していても当然のことだろう。
知らないのは私ばかりだ。
「えっと、あたしは天崎真昼です。あたし、お姉ちゃんがいるって聞いてて、会えたらいいなってずっと思ってた……ました。
こんな時じゃなかったらもっと嬉しかったんですけど、でもこれから一緒に暮らす事になるんですよね。その、よろしくお願いします」
彼女は少しはにかんだような笑顔を浮かべておじぎをした。
ああ、この利発そうで人と話すのも得意そうな雰囲気。
思えば両親もこういう雰囲気をよく出していた。頻繁に旅行に繰り出しては知らない人相手にも平気で話しかけていた事を思い出す。
私はというと幼い頃からこのような性格だった為、ただびくびくしながら両親の後ろに隠れていた。
なるほど、間違いなく彼女は両親の娘だ。
……私よりもよっぽど、両親の娘らしい。
「それではその、これからよろしくお願いします。真昼さん」
私としては、それだけひねり出すのが精いっぱいだった。
真昼さんは「これからもお姉ちゃんって呼んでも大丈夫ですか」とか「お姉ちゃん、ごはんと掃除はあたしもやったほうがいいですか」とか様々なことを聞いてきた。
私はそれに対して「はい」とか「そうですね」とか非常に簡素な受け答えをしていた気がする。
そのうち真昼さんはどんどん眠そうな顔になっていき、私が寝るように促しベッドに向かわせるとすぐにすやすやと寝息を立てていた。
彼女を見ていると、自分が何故両親の元を離れたがったのかを思い出したような気がする。
きっと私はいたたまれなかったのだろう。両親の明るさが。
これから、またあの明るさと共に生きていかなければならないのか。
そう思うと気分が沈んでいた。
真昼さんが、私によい影響をもたらしてくれることを、この時の私はまだ知らなかったから。
……ついでに、真昼さんの小学校の転校などの面倒な手続きがまだ残っていることも、私は知らなかった。
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