拍子抜けはさせない提灯抜け

亡霊葬稿ゴーストライターシュネヴィ』において、〈シュネヴィ〉の提灯ちょうちんからは古生物の化石が飛び出しました。間抜け=正義な作者によって〈飛幽灯篭ヒュードロン〉と名付けられたそれは、歌舞伎の「提灯ちょうちんけ」をモチーフにしています。


提灯ちょうちんけ」は歌舞伎の「東海道とうかいどう四谷よつや怪談かいだん」において、燃え上がる提灯ちょうちんからお岩さんの怨霊が飛び出す演出を指します。まさに「東海道とうかいどう四谷よつや怪談かいだん」の代名詞と言える場面で、お化け屋敷顔負けの光景は多くの観客を驚かせています。


 江戸時代の人々も大いに度肝を抜かれたようで、葛飾かつしか北斎ほくさい提灯ちょうちんと一体化したお岩さんを描いています。恨めしげに口を空け、髪を生やした提灯ちょうちんの浮世絵は、誰もが一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。


 連綿と人々を驚かせ続けてきた「提灯ちょうちんけ」ですが、仕組みは意外と簡単です。時と場合によって細かい違いはあるそうですが、今回は作者が調べたものを紹介します。


 前提として:お岩さん役の役者はスライド式の板に乗り、提灯ちょうちんの後ろに待機している。

 ①舞台上の提灯ちょうちんに火を付け、正面の部分を燃やす。

 ②提灯ちょうちんの火が消えるのを待ち、待機中の役者を舞台上に押し出す。

 ③役者の乗っていた板を提灯ちょうちんの奥に引っ込め、舞台へ出るために使った穴を黒い布で隠す。


 歌舞伎の世界では、「提灯ちょうちんけ」のように奇想天外な演出を「外連けれん」と呼びます。ちなみに「ハッタリ」や「ごまかし」を指す「ケレン」と言う単語は、歌舞伎用語の「外連けれん」を語源にしています。


 赤穂浪士あこうろうしをモチーフにした「仮名かな手本でほん忠臣蔵ちゅうしんぐら」には、一人の役者が素早く衣装を変え、別人(別の役)に変わってしまう「早替はやがわり」が登場します。


 また八艘跳はっそうとびな彼を主題にした「義経よしつね千本桜せんぽんざくら」には、「宙乗ちゅうのり」と言う外連けれんが用いられます。これはワイヤーを使った大掛かりな演出で、空中に吊り上げられた役者が、あたかも飛んでいるかのように劇場内を移動すると言うものです。


 数ある演目の中でも、文政ぶんせい8年(1825)年に初演された「東海道とうかいどう四谷よつや怪談かいだん」は外連けれんの宝庫です。先に紹介した「提灯ちょうちんけ」の他にも、様々な外連けれんが登場します。


 代表例と言えば、お岩さんの怨霊が掛け軸に人間を引き込む「仏壇返ぶつだんがえし」でしょう。「呪怨じゅおん」まがいのこの外連けれんには、水車状の大道具が利用されています。


 今でこそ伝統芸能のおもむきが強い歌舞伎ですが、江戸時代は大衆の娯楽でした。

 舞台にたずさわる人々は趣向を凝らし、観客を飽きさせないようにしていたと言います。さすがにワイヤーを使っていたわけではありませんが、江戸時代には既に「宙乗ちゅうのり」が披露されていたそうです。


東海道とうかいどう四谷よつや怪談かいだん」の作者である鶴屋つるや南北なんぼくは、他の作品でも大胆な外連けれんを発案しています。


 例えば文化ぶんか元年がんねん(1804年)に初演された「天竺てんじく徳兵衛とくべえ韓噺いこくばなし」では、本物の水を使い、水中での「早替はやがわり」も行いました。

 大蝦蟇おおがまによって披露される「屋台やたいくずし」は、舞台上の建物を崩すと言う大掛かりな外連けれんです。あるいはドリフの原型は、鶴屋つるや南北なんぼくにあるのかも知れません。


 無学な作者は知りませんでしたが、「鶴屋つるや南北なんぼく」は生まれながらの名前ではありません。今回調べてみて驚いたのですが、「鶴屋つるや南北なんぼく」とは歌舞伎の役者や劇作家に代々受け継がれてきた名前(=名跡みょうせき)です。


 鶴屋つるや南北なんぼくを襲名した人物は五人おり、「東海道とうかいどう四谷よつや怪談かいだん」で有名な南北なんぼくは四代目に当たります。三代目鶴屋つるや南北なんぼくが妻・おきちの父であったことから、文化ぶんか8年(1811年)に四代目を襲名しました。ちなみに三代目は劇作家ではなく役者で、滑稽な人物を演じる「道化方どうけがた」でした。


 四代目の南北なんぼく宝暦ほうれき5年(1755年)の生まれで、生家は日本橋にほんばし染物そめものを営んでいました。見習い作家として歌舞伎の世界に足を踏み入れたのは、21歳の時のことです。


 後の活躍ぶりからは想像も付きませんが、南北なんぼくは40近くまで下積み生活を続けた苦労人でした。メイン作家兼演出家的な役割の立作者たてさくしゃになったのは、47歳の時だったと言います。


 当時、歌舞伎の脚本は複数の作家によって書かれており、立作者たてさくしゃは彼等をまとめる立場にありました。また先述の通り演出家としての側面も持ち、宣伝や配役と言ったプロデューサー的な役割も担っていました。


 50歳の時に送り出した「天竺てんじく徳兵衛とくべえいこくばなし」は、南北なんぼくの名を世間に轟かせました。一気に人気作家の仲間入りをした南北なんぼくは、亡くなるまでに120篇余りの作品を手掛けました。


 文化ぶんか8年(1811年)、それまでかつ俵蔵ひょうぞうと名乗っていた南北なんぼくは、鶴屋つるや南北なんぼく名跡みょうせきを受け継ぎます。

 以降も精力的に活動を続け、71歳の時には「東海道とうかいどう四谷よつや怪談かいだん」を発表しました。75歳で亡くなるまで創作意欲は衰えず、最晩年には自身の葬儀の台本を書いています。


東海道とうかいどう四谷よつや怪談かいだん」に登場する外連けれんの仕組みは、今回参考にさせて頂いた「文化デジタルライブラリー」様に動画付きで紹介されています。文章ではなかなか判りにくいと思いますので、ぜひご覧になってみて下さい。


 また東京都とうきょうと墨田区すみだく両国りょうごく江戸えど東京とうきょう博物館はくぶつかんでは、「東海道とうかいどう四谷よつや怪談かいだん」の外連けれんをミニチュアで説明しています。2016年の夏、「大妖怪だいようかいてん」のついでに拝見してきましたが、なかなか面白かったですよ。


 参考資料:週刊江戸№90

           (株)デアゴスティーニジャパン刊

      面白いほどよくわかる歌舞伎

            宗方翔著 (株)日本文芸社刊

      大妖怪展 図録

           (株)読売新聞社刊

      文化デジタルライブラリー

             http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/

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