薔薇の名前① 薔薇の履歴書

亡霊葬稿ゴーストライターシュネヴィ』に登場した白薔薇「シュネーヴィットヘン」は、病気に強く育てやすい品種として知られています。「氷山アイスバーグ」の別名通り真っ白い花弁かべんが美しく、人気の高い花です。


 一般的に薔薇と言うと育てるのが難しいイメージがありますが、現実には育てやすい種類も多いと言います。実際、注意して街並みを見回してみると、薔薇を育てているお宅が多く目に入ります。何となくお高く止まった感じのする花ですが、意外と私たちの身近に存在する植物なのかも知れません。


 薔薇はバラバラぞくに分類される植物で、150種から200種の野生種が存在すると言われています。

 バラには他にもヤマブキやサクラなど、我々の目を楽しませてくれる植物が多く含まれています。またリンゴやモモ、ウメなどもバラ科の植物で、花より団子な方にとっても恩恵の大きいグループです。お菓子に使われるアーモンドやイチゴもそうであることを踏まえるなら、一日一回は必ずバラの植物を口にしていると言っても過言ではありません。


 今日こんにち、薔薇は世界中の花屋で見掛けることが出来ますが、南半球に野生の種は存在しません。反面、棲息域は極めて広く、北半球の花が生える場所にはもれなく薔薇が分布しています。棲息地の環境も極めて多様で、標高3000㍍以上の高地やアラスカにも自生しているそうです。


 薔薇と人類の関わりは極めて古く、シュメール文明の遺跡からは薔薇とおぼしき花を持った女神像が発見されています。またシュメール文明の英雄ギルガメッシュの活躍を描いた「ギルガメッシュ叙事詩じょじし」にも、薔薇が登場するそうです。


 シュメール文明は現在のイラク周辺に栄えていた文明で、紀元前3000年頃におこったとされています。2016年現在、世界最古の文明と言われており、楔形くさびがた文字もじを作ったことでも知られています。薔薇の登場する「ギルガメッシュ叙事詩じょじし」も、粘土板ねんどばん楔形くさびがた文字もじで記されています。


 紀元前12世紀頃の古代ペルシア(現代のイラン)では、既に薔薇の栽培が行われていたと見られています。当時、薔薇はもっぱら薬や香油の材料に使われていました。とは言え、古代の人々も薔薇を美しいと思う感性を持っていたようで、部屋を飾ることにも使われたと言います。


 また古代ギリシアの人々は、薔薇を美の女神アフロディーテの象徴とみなしました。ルネッサンス期の画家サンドロ・ボッティチェリの描いた「ビーナスの誕生」にも、無数の薔薇が描かれています。ビーナスはローマ神話に登場する女神で、アフロディーテと同一視されています。


 西洋的なイメージとは裏腹に、薔薇は中国でも古くから栽培されてきました。

 一年を通し、新しく伸びた枝には必ず花を付ける特性は、中国で誕生したと言います。「四季咲しきざき」と呼ばれるこの習性に対して、それまでの薔薇は一年に一回しか花の咲かない「一季咲いっきざき」でした。


「スレイターズ・クリムゾン・チャイナ」、「オールド・ブラッシュ」、「ヒュームス・ブラッシュ・ティー・センティッド・チャイナ」、「パークス・イエロー・ティー・センティッド・チャイナ」と言う四つの品種は、現代の薔薇に四季しききをもたらした功労者として知られています。


 中国の人々は四季咲しきざきの薔薇を利用し、数多あまたの品種を生み出しました。驚くべきことにそうの時代には、洛陽らくようだけで41種もの薔薇が栽培されていたそうです。


 そうは西暦960年から西暦1279年まで存在した中国の王朝で、西暦1127年までを北宋ほくそう、以後を南宋なんそうと呼びます。一方、洛陽らくようは中国の河南省かなんしょうにある都市で、「三国さんごく」のが首都としていたことでも知られています。


 更に中国の人々は、薔薇に「剣弁けんべん高芯こうしんき」と言う形を与えました。

剣弁けんべん高芯こうしんき」とは文字通り花びらがつるぎのように尖り、花の中央が盛り上がった薔薇を指します。中国で生み出されたのはみんからしんの時代と言われており、現代では薔薇を代表する形になっています。みんしんは共に中国の王朝で、前者は西暦1368年から1644年まで、後者は1644年から1912年まで大陸を統治していました。


 もう一つ中国で誕生したのが、「ティー」と呼ばれる香りです。

「ティー」は数種ある薔薇の香りの一つで、現代の品種に最も多いと言われています。香りの強さは中程度ですが、洗練された気品を持つと表現されています。


 独特の特徴を持つ中国の薔薇は、18世紀から19世紀に掛けてヨーロッパに持ち込まれました。ヨーロッパに持ち込まれた薔薇は現地のそれと交配し、四季咲しきざきや剣弁けんべん高芯こうしんき、ティーと言った特性を根付かせていったと言います。


 時のフランス皇帝ナポレオン・ボナパルトの妻ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネは、薔薇の栽培に熱心だった人物として知られています。彼女は世界中から250種もの薔薇を収集し、住居であるマルメゾンの館に植えたと言います。庭に生えた薔薇は園芸家に管理され、時には品種改良も試みられたそうです。


 ジョゼフィーヌはまた一流の植物画家に命じ、収集した薔薇を描かせました。ピエール・ジョゼフ・ルドゥーテによって描かれた「バラ図譜ずふ」は、当時の薔薇を物語る貴重な資料になっています。彼女の功績をたたえたのかは定かでありませんが、古い薔薇には「エンプレス・ジョゼフィーヌ」と言う品種があります。


 参考資料:別冊NHK趣味の園芸 バラ大百科 選ぶ、育てる、咲かせる

            上田善弘、河合伸志監修 日本放送出版協会刊

      京成バラ園芸株式会社 公式ホームページ

                 http://www.keiseirose.co.jp/index.html

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