いい湯だな② 汚れっちまった悲しみに

 一般にお風呂と言えば、白い泡やバスクリン色の湯船を想像します。溢れんばかりにフローラルな香りを漂わせる空間は、不潔と言う単語から最も掛け離れた場所です。


 一方で(作者のように)心の汚れた大人は、「風呂」と言う単語に別の施設を思い描きます。頭に浮かぶのはローションまみれのエアーマットや、ご家庭では見ない形の椅子です。


 ドン引きした女性陣に釈明させてもらうと、江戸時代初期には「風呂=18禁な場所」と言うイメージが正常でした。今からは想像出来ませんが、黎明期れいめいきの銭湯は風俗店の役目も持っていたと言います。


 江戸に誕生したばかりの頃、銭湯には湯女ゆなと言う女性が常駐じょうちゅうしていました。表向き彼女たちの役目は客の背中を流すことでしたが、実態は一種の遊女だったと言います。ただ身体を売るだけではなく、客との食事や三味線しゃみせんの演奏も行っていたと伝えられています。


 色々とサッパリさせてくれる湯女ゆなは絶大な人気を誇り、吉原よしわらの経営にも影響を及ぼしました。

 おかみが堅いのは今も昔も変わらないようで、幕府は度々、風紀を乱す湯女ゆなを禁止しようとしました。しかし江戸には圧倒的に男性が多かったこともあり、湯女ゆなを根絶することは出来ませんでした。実際に湯女ゆなが姿を消したのは、元禄げんろく16年(1703年)に大地震が起き、江戸の銭湯が壊滅的な被害を受けた後のことです。


 ちなみに非合法的に春を売っていた湯女ゆなとは異なり、吉原よしわらは幕府公認の遊郭ゆうかくです。冥加金みょうがきんと言う多額の上納金と引き替えに、幕府から様々な便宜を受けていました。


 更にけしからんことに、江戸時代の銭湯は混浴でした。前回紹介した通り石榴口ざくろぐちの内部は薄暗く、教育上宜しくない行為も散見されたと言います。


 寛政かんせい三年(1791年)、幕府は風紀上の理由から、混浴を禁止するお達しを下しました。

 しかし急に男湯と女湯を分けろと言われても、経済的に難しいものがあります。大前提として、もう一つ湯船を作るのには費用が掛かります。今まで以上に水や薪を使うことになってしまうのも、銭湯にとっては痛いところでした。

 何より長年続いてきた習慣は、おいそれと変わるものではありません。野暮やぼなおかみが禁止令を下した後も、江戸の男女は同じ浴槽に浸かり続けたと言います。


 業を煮やした幕府は、天保てんぽう改革かいかくの際に再び混浴を禁止するお達しを下します。また同時に徹底した取り締まりを行い、「み湯」と呼ばれた混浴を排除しようとしました。


 歴史の授業でお馴染なじみな「天保てんぽう改革かいかく」とは、1840年頃に行われた政治改革のことを指します。時の老中ろうじゅう水野みずの忠邦ただくにが中心となり、「人返ひとがえれい」(※1)や「株仲間かぶなかまの解散」(※2)と言った政策が行われました。

(※1→地方農民が江戸に移住することを禁じた法令。同時に江戸に居住していた農民を故郷に返し、地方の農村を復興させようとした)

(※2→現在の『カルテル』に相当する株仲間を解散し、自由競争を促進しようとした政策。実際には市場を混乱させ、景気を悪化させるだけに終わった)


 固く混浴を禁じられた銭湯は、様々な方法で幕府の意向に沿おうとします。経済的に男湯と女湯を設けることが難しい店は、時間帯で男女を分けました。また日によって男性専用、女性専用と切り替える銭湯や、思い切って男湯だけ、女湯だけにしてしまう店も現れたと伝えられています。


 男湯と女湯が分かれて以降、前者の二階には有料の座敷が設けられました。そこは男性専用の休憩場で、利用料は250円程度だったそうです。

 座敷に上がった男性客には、茶や菓子がきょうされました。また世間話に花を咲かせながら、囲碁や将棋を楽しむ客もいたと言います。今でもスーパー銭湯や健康ランドには休憩所を備えているところがありますが、その源流は江戸時代にあるのかも知れません。


 幕府の弾圧によって大分数は減りましたが、混浴の火が完全に消えることはありませんでした。

 事実、ペリーの編纂へんさんした「日本にほん遠征記えんせいき」には、混浴する男女を描いた挿絵が登場します。下田しもだの公衆浴場を題材にしたこの絵は、幕末にも混浴の銭湯が存在した証拠に他なりません。


 時代が明治に変わっても、混浴はなかなかなくなりませんでした。

 現に明治政府は、何度となく混浴を禁止する通知を出しています。近代国家を目指す明治政府にとって、西洋的な道徳観から外れた混浴は忌むべき習慣だったのかも知れません。羞恥心しゅうちしんなく裸の男女が集まる姿を見られれば、諸外国に「未開の土地」と言うイメージをもたれるおそれもあります。


 結局、日本から混浴の銭湯が姿を消したのは、明治の中頃のことでした。更に前回紹介した通り石榴口ざくろぐちが取り払われ、銭湯は健全(あくまでも現代の価値観で、ですが)な場所へと姿を変えます。


 第一弾から二回に渡ってしまった今回のシリーズ、飽きずにお楽しみ頂けたでしょうか? 今後も幅広いムダ知識をお届けする予定ですので、宜しければお付き合い下さい。って言うか、もう女性からの支持は期待出来ないような……。


 参考資料:週刊江戸№2 (株)デアゴスティーニ・ジャパン刊

      東京銭湯/東京都浴場組合公式ホームページ

                     http://www.1010.or.jp/

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