続・明日自慢出来る(かも知れない)話
烏田かあ
いい湯だな① 銭湯中in江戸
『
タクラマカン砂漠から遠く離れた日本でも、銭湯は多くの人に愛されています。
風呂上がりにフルーツ牛乳を飲み干すことは、日本人の通過儀礼と言っても過言ではありません。最近では特殊な設備を揃えたスーパー銭湯が、老若男女の人気を集めています。
東京に始めて銭湯が出来たのは、
この頃、江戸では街の建設が進められており、城下には作業に従事する男たちが溢れていました。現在の100円程度で一日の汗や埃を洗い流せる銭湯は、
江戸時代、湯を沸かすための薪は高価で、水自体も不足気味でした。また木造建築が密集した江戸の街では、火を使う風呂をなるべく造らないようにしていたと言います。そのため、一般庶民はおろか武士の屋敷や裕福な商家でも、風呂を備えていることは
朝六時から夜八時まで営業していた銭湯には、
今でこそ銭湯と言えば「ゆ」の
不足気味の水を高い薪で沸かさなければいけなかった時代、清潔なお湯は非常に貴重でした。中には入浴後に浴びるお湯に係を付け、
また当時の浴槽は、洗い場から独立した小部屋に置かれていました。お湯に浸かるためには、「
一見すると不便に思えるこの構造には、蒸気や熱が洗い場に逃げるのを防ぐ目的がありました。
先に述べた通り、湯を沸かすための薪は高価で、無制限に使える代物ではありませんでした。銭湯の主人たちは経費を最小限に抑えるため、廃材や建築現場で拾って来た木片を薪の代わりにしていたと言います。浴槽の温度を出来るだけ保つような構造もまた、涙ぐましい経営努力だったのかも知れません。
経営陣の奮闘が功を奏したのかは判りませんが、江戸時代の200年間、銭湯の料金はほとんど変わりませんでした。
周囲を壁に囲われた上、湯気の立ちこめる
参考資料:週刊江戸№2 №95 (株)デアゴスティーニ・ジャパン刊
東京銭湯/東京都浴場組合公式ホームページ
http://www.1010.or.jp/
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