第28話【悪しき予兆】
「涼宮さんの動向には注意しておいて下さい」帰りしな古泉は俺にそう言った。しかしなにをどうしろという?
今日はやけに気温が高く汗だくになりながら学校に登校し教室に入ると既にハルヒは自分の席に着いていた。
ぐったりしてる——
「キョンー、暑いよねー」
「そらそうだ」
「扇いでくれないかなぁ」
「他人を扇ぐくらいなら自分を扇ぐ」
ハルヒはまだぐんにゃりしている。暑さだけのせいとも思えない。昨日俺に思いの丈をぶちまけていたからな。
扇いでやれば良かったかな、と思いつつもなんでもかんでもそこまでサービスしてしまってはそれが当たり前になってしまうと思い直し自分の言ったことの合理化を試みる。
「わたしの次の衣装はなにがいい?」
ブルマの体操着に、バニー、メイドと来た、いや着たからな。まだ次があるのか?
「ネコ耳カチューシャとか、スカートのナース服とか、それとも女王様がいい?」
バニーをちょこっと改造すればすぐできそうだな、最後のヤツ。ってこんなこと考えてるんじゃねーっ! ハルヒの女王様姿を想像しちまったじゃねーか。
俺のそんな顔を至近距離からじっと見つめ、ハルヒは眉をひそめ睨めつけ耳の後ろに髪を払い、
「変な顔」と決めつけた。
敢えて反論はすまい。そういう想像をしてたからそういう顔になっていたかもしれないし。ハルヒはセーラー服の胸元から教科書で風を送り込みながら、
「ほんと、退屈」
ハルヒは口を見事なへの字にした。
輻射熱を大量に浴び午後の時間全部を使ったマラソンが終わった。地獄の体育がたった今ようやく終わった。
俺たちは六組で汗ドッロドロの体操着を着替え、五組の教室に戻ってきた。
早めに体育を切り上げていた女子どもの着替えは終わっていた。後はホームルームを残すのみとあって運動部系の部活に直行する数人は体操着のままだった。むろんSOS団はそういう部活ではないがなぜかハルヒが体操着を着たままだった。しかも相変わらずブルマ姿の。
「なんで着替えないんだ?」
「暑いから」
「そのまま帰るわけじゃないだろう」
「いいの。部室に行ったらどうせまた着替えるから。今週は掃除当番だしこのほうが動きやすいし」
教室でそういうカッコはどうかと思うが。俺が苦言を呈すると、
「なにか妄想してるでしょ?」と逆ネジを食らった。
確かにしてたな……ハルヒがブルマ姿で教室を掃除している姿を。だが妄想させるようなことは謹んで欲しい。
「わたしを手伝ってもいいけど?」さらにハルヒはそう付け加えた。
だが〝妄想してる〟とまで言われて手伝えるか。何を言われるか知れたもんじゃない。近くで見たいから手伝った、なんてな。
「いや、掃除は当番がきっちりとやるべきだろう」、俺は言った。
「わたしが部室に行くまで品行方正にしていてよね」
〝品行方正〟とはどーいう意味だ。
いつものように文芸部室の中に入る。
なんとそこにはメイドさんがちょこんと椅子に座っているじゃないですか。
「朝比奈さん、どうしたんですか? そのカッコ」
「うふ、今日は涼宮さんがこの服貸してくれるって、そういう日なんですよ」そう言った朝比奈さんはその場で立ち上がるとくるりと一回転してみせた。
「じゃあお茶を煎れますね」
「え、わざわざ?」
「この服を着てるとそういうことがやりたくなってくるんですよ」そう言った朝比奈さんはお茶の支度を始めた。
いい……
この瞬間俺に閃きが来た。
パソコンのスイッチを入れ旧型OSの起動を待つ。
起動が終わるや俺は外付けハードディスクの電源を入れフリーのビューワを立ち上げる。そしてその画像フォルダの存在を確認する。
フォルダは二つあり、一方は『HARUHI』、もう一方が『MIKURU』。
前に朝比奈さんはハルヒがメイド姿の写真を撮ってもらっているのを羨ましがっていた。そこで朝比奈さんはハルヒからメイド服を借りそれを着込み、自身をハルヒに撮ってもらっていたのである。
俺は『MIKURU』フォルダを選択し中身を表示させる。旧型機に最新のデジカメ画像を表示させるのはチト辛い。とは言え機種はコンパクトデジカメでフルサイズの一眼ではない。今サムネイルの表示がようやく終わった。
もしハルヒと朝比奈さんが同じようなポーズで写真を撮っているのだとしたらこの中にあるはず……
それらしき数枚を見つけた。
朝比奈さんが湯飲みを用意している様子を確認しながらその数枚の中の一枚を選択、拡大し、さらに拡大する。
それは雌豹のポージング。朝比奈さんの表情はノリノリでそのイメージにヒビを入れてくれるがそこは今は重要ではない。
大きくはだけた胸元から豊満な谷間がギリギリまで覗いている。左の白い丘に黒い点があった。もう一段階拡大表示。くそ、フルサイズだったら。だいぶドットが荒れていたがそれは確かに星形をしていた。
「なるほど、証明完了か」
朝比奈さんは確かに未来人であるようだ。
「え? なんの証明ですかぁ?」
机に湯飲みが置かれるよりほんの少しだけ早く俺は画像を閉じていた。だがそこまで。
「あれ? この『MIKURU』ってフォルダはこの間の……」
「ええ、まあちょっと、なんていうか」
「もしかして見ました?」
朝比奈さんは楽しそうに笑ってマウスに手を伸ばし、後ろから覆い被さるように俺の右手を取ろうとする。させるまじ、とマウスをつかむ俺。背中に柔らかい身体を押しつけてくれながら朝比奈さんは俺の肩の上に顔を出した。甘やかな吐息が頬にかかる。
「あの、朝比奈さん、ちょっと離れ……」
「どれを見ました? 教えて下さいよ」
左手を俺の肩にかけ、右手でマウスを追いかける朝比奈さんの上半身が背中でつぶれている感触、クスクス笑いが耳朶を打ち、そのあまりの心地よさに——
「二人とも何をしてるの⁉」
通学鞄を肩に引っかけた体操着姿のハルヒが入り口の戸を開け立っていた。
声を出す間も無くつかつかと俺たちの背後に回り込まれた。即座に液晶ディスプレイをも覗き込まれた、
「『MIKURU』フォルダ選択中……」
ハルヒが抑揚のない声でつぶやいた。
しまったぁ!
俺は開いた画像を閉じただけでフォルダの選択状態を解除してなかった。
当然『MIKURU』フォルダのすぐ横には『HARUHI』フォルダ。
「キョン、年上萌えだったの?」
「なんのこった」
実に重々しく気まずい空気。
なんとか言ってみろとばかりにハルヒに睨みつけられる。
「着替えるから」、「着替えるって言ってるでしょ」、「出てけ!」
三連発を食らい俺は這々の体で部室を退散する。
ハルヒは一切悪いことをしてない。もう一度思う。本当にしまった。
「どうぞ」
朝比奈さんの声が部室の中から聞こえた。相変わらずメイド服のまま。その背後、肩越しに机に肘をついたハルヒの白く長い足が見えた。
頭で揺れるウサ耳。懐かしのバニーガール姿。面倒くさいのかカラーやカフス抜き、網タイツ抜きの生足。
ブルマ姿の体操着の次はこれかよ。っていうかなんでこれに着替えてんだよ。何やら試されているような気がしないでもない。
「手と肩は涼しいけど、ちょっと通気性が悪いわね、この衣装」
その時だ、
「うわ、なんですか」
笑顔のまま素っ頓狂な声を上げるという器用な反応を示しながら古泉が部室に入ってきた。
「あれ、今日は仮装パーティの日でしたっけ。すみません、僕、何の準備もしてなくて」
だが古泉のこの機転(?)も場の空気を改善することに、もはや何の役にも立たなかった。
「みくるちゃん、ここに座って」
ハルヒが自分の前のパイプ椅子を指し示す。朝比奈さんは明らかにおどおどと、おっかなびっくりハルヒに背を向けて椅子に座った。
今までの雰囲気じゃない、これは。
何をするのかと思ったら、おもむろにハルヒは朝比奈さんの栗色の髪を手にとって、三つ編みに結い始めた。
この場面だけを切り取れば、まるで妹の髪をセットしてやってる姉、みたいな美しい風情だが、いかんせん朝比奈さんは表情をこわばらせているし、ハルヒは無表情だ。
女子って不機嫌のオーラを隠そうともしないんだな。
SOS団のこの後はいったいどうなるんだろう?
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