第26話【捜査活動】

 まだ弁当を食っていない。大急ぎで教室に戻ろうとすると廊下の壁にハルヒがもたれかかっていた。ずっと廊下で待っていたらしいハルヒは俺を見つけるや開口一番、苛立たしげに、

「どこへ行ってたの⁉ すぐ帰ってくると思ってご飯食べないで待ってたのに!」

 まるで幼馴染みが照れ隠しで怒っているようだが、けっこう本気で心から怒っているようだ。つい〝幼馴染み云々〟を口に出してしまった。

「あほっぽいこと言ってないで、ちょっとこっちに来て」

 ハルヒはまた俺の袖口を掴みあの階段の踊り場へと引きずる。

「さっき職員室で岡部先生に聞いた。朝倉さんの転校って朝になるまで誰も知らなかったみたいなの。朝一で朝倉さんの父親を名乗る人から電話があって急に引っ越すことになったからって。どこへ引っ越すと思う? カナダよカナダ。そんなのあるの? 胡散臭すぎるわよ」

「カナダ?」

「そう。それでわたし、カナダの連絡先を教えて欲しいって言ったの。同じクラスの友達なんだから連絡したいって」

「友達?」

「いいでしょ。同じクラスってのは間違いないんだから。そしたら先生が何て言ったと思う? それすら解らないって。普通引っ越し先くらい伝えない? 何かあるに決まってる」

 確かに〝何か〟はあった。しかしんなこと言う気が起こらない。

「だけど引っ越し前の朝倉さんの住所だけは解った。学校が終わったら一緒に行ってみない? 何か解るかもしれない」

 多分何も解らないだろう。

「返事。SOS団の一員でしょ」

 しょうがない。

「解ったよ」


 昼休みの時間がもうあまり残ってない。大急ぎで文芸部室へとって返し、長門にハルヒからの伝言を伝えた。

 今日は俺もハルヒも部室には来ない、と。

 念のため藁半紙に、

 『SOS団、本日自主休日  ハルヒ』とマジックで書きドアに画鋲で留めた。



 女子と並んで下校する。絶対にやっておきたいと前々から思っていたささやかな夢が現実になっている。とは言え、実際やってみると一方でけっこう醒めてもいる。別に恋人同士な仲だからってわけじゃないからな。

「何か思うところがあれば聞くわよ」

「いや別に、な」


 坂を下って下って、今俺たちは私鉄の線路沿いの道を歩いている。もう少しで光陽園駅だ。

 ここら辺りは長門のマンションの近くじゃないのか……

 そう思いながら歩いていると、ハルヒもそちらに向かっていく。そして見覚えのある新築分譲マンションの前で立ち止まった。

「ここの505号室みたいなんだよね」

「しかし、この中にどうやって入るんだ? あそこに鍵が見えてないか?」

 インターフォン横にテンキーがあった。

「たぶんあれは数字を入力して開けるようになっている。その番号が解らないんじゃここまでだ」

「こういう時は持久戦よ」

 その時これから買い物に行くらしいオバサンが俺たちを不審者を見るような目で眺めつつ出て行こうとしていた。人が通ったのだから当然扉は開いている。その扉が閉まりきらないうちにハルヒが足の先を突っ込んだ。

 いいのかよ。

「早く来て」

 俺たちはまんまとマンションの玄関ホールに入り込むことができていた。ちょうど一階にいたエレベーターに躊躇なく乗り込む。『5』のボタンを押すとエレベーターが動き出す。

「朝倉さんのことなんだけど」

「まだなにかあるのか?」

 そうは無いはずだ、と思いながら俺は訊いた。

「そう。朝倉さんってこの市内から北高に来たんじゃないらしいの」

 宇宙から来たからなぁ。

「調べてみたらどこか市外の中学から越境入学して来たって。こんなの絶対おかしい。別に北高なんて有名進学校でもなんでもない。ただの普通の県立高校。なんでここにわざわざ転校してくるの? 動機が全く解らない」

 動機。シャレじゃないが動悸が激しくなってくる。

「よく解らない」

「だけど住所はここ」

「何が言いたい?」

 エレベーターが五階に止まった。取り敢えず降りる。歩きながらハルヒは中断された話を続けた。

「ここは賃貸じゃない。分譲マンションよ。で今はまだ五月。北高に来るためにこのマンションを購入し、入学して二ヶ月も経たないのにもうどこかへ引っ越しちゃう。変よ」

 そうこうするうちに505号室の前に着いた。

 今は表札部分には当然何も表示されていない。空き部屋だってことか。ここにかつて『朝倉』と入っていたのだろうか。

 ハルヒはドアノブを捻っていたが当然開くはずもない。ハルヒは腕組みをして何事かを考え続けている。

「朝倉家がいつからここに住んでいたのか調べる必要があるようね」

 それがハルヒの当面の結論だった。


「管理人室に行きましょう」

 俺たちは再びエレベーターに乗り一階へと引き返す。目指すは玄関ホール脇の管理人室だ。

 ハルヒが壁のベルを鳴らすと、やや間を置いて白髪をふさふささせた爺さんがゆっくりとやって来た。

 その姿を見るなりハルヒが口を開く。

「わたし達ここに住んでいた朝倉涼子さんの友達なんですけど、朝倉さんって連絡先も残さずに急に引っ越しちゃったんです。どこに引っ越したか聞いてませんか? あとそれからいつから朝倉さんがここに住んでいたかそれも教えて欲しいんです」

 耳が遠いらしい管理人とのやり取りは少々の忍耐を必要としたが解ったことがいくつかあった。


 ・引っ越し屋が来た様子も無いのに突然部屋が空っぽになっていた。

 ・朝倉家がこのマンションに来たのは三年前ほど。

 ・マンションは一括払いで購入された。

 ・姿を見かけたのは朝倉涼子ただ一人で両親を見たことはただの一度もない。


 よくぞここまで聞きだした。

 俺たちは管理人の爺さんにお礼を言い、マンションの外に出る。

「変だわ」

「変?」

「三年前にこのマンションを買っておきながら通っていた中学が市内じゃなく市外だったって変よ。中学の時点でこっちに転校して来るのが普通でしょ」

「確かに変だが、ここまでじゃないか。もうすることがない」

 ハルヒはあからさまな不満の表情をしたが、反論をされることもなかった。


 〝あっ〟と思った。

 マンションの玄関から数歩、長門に出くわした。コンビニ袋と学生鞄を提げて。

 まずくないか?

「あっ、長門さん。あなたもこのマンションだったの? 奇遇ね」

 いや、奇遇じゃない。

「朝倉さんのこと、何か聞いてない?」

 否定の仕草をする。

「そう……もし朝倉さんのことで解ったことがあったら教えて」

 肯く。

「あれ、そう言えば眼鏡は?」

 長門は俺を見る。こっちに振られても困る。コンタクトにしたとかなんとか自分で適当に言ってくれよ。

 だがハルヒは眼鏡には大した興味も持っていなかったようで既に歩き出していた。俺も後を追おうとする。長門の横を通る瞬間、耳に声が入ってきた。

「気をつけて」

 朝比奈さんといい長門といい、抽象的すぎるぜ。



 ローカル線の線路沿いの道を延々と歩いている。けっこうな早足で俺はハルヒの二、三歩後ろを歩いている。ふたりで仲良く並んで、という感じで歩いてはいない。

 何のために歩いているんだろう。俺の家からどんどん離れていくんだが。

「どこか行きたいところでもあるのか?」

「別に」

 べつに、か。

「……すまん。俺、もう帰っちゃっていいか?」

 ハルヒがいきなり止まった。あやうくつんのめってぶつかるところだった。

 振り返ったハルヒは生気のない目をしていた。

「キョン、自分がこの地球でどれだけちっぽけな存在なのか自覚したことはある?」

 元々〝大きな存在〟だともこれっぽっちも思ってないからな。だが下手なことは言えない妙な威圧感をひしひしと感じる。


「わたしはある。忘れもしない」


 線路沿いの県道、その歩道の上でハルヒは語り始めた。


 俺は長々とした人の話しを逐一記憶できるほどの記憶力は持っていない。

 だがハルヒはおおむねこう言ったように思う。


 小学生の頃家族みんなで野球を見に行ったことがある。たぶんそれは甲子園の阪神の試合なんだろう。

 なんて人が多いんだろうって思ったとのこと。甲子園なら五万人近くか。

 試合が終わってからの駅でも否応なしにそれを感じさせられた。

 だけどそんな数でも日本の人口のまた一部に過ぎないってことが解った。

 早い話し、自分があの数の中の一人だと思ったら急激に何もかも色あせて見えるようになったということらしい。

 それまで楽しかった毎日が急につまらないもののように見えた。自分が普通であることに耐えられなくなったらしい。

 俺には正直解らない。

 だがハルヒはどういうわけかこれだけ人数がいれば例外がいる、と思い込んだ。普通じゃない面白い人生を送っている人間もいるはずと。

 俺には普通が一番で、普通ってのは人並みってことで、普通じゃない人生なんてイコール不幸な人生なんじゃないかと考えるのだが。

 そこでハルヒは自ら〝普通じゃない人生〟を送ろうと決意した。面白いことは待っててもやって来ないと考えて。自分まで変えて行動した。だけど、行動なんかしても何一つ変わらない。そういう意味のことをまくし立てるように言った。


 ハルヒが納得するかどうかは別にして俺は反論しようと思えばできた。

 あまりにも普通を否定しすぎた結果が俺たちの今の学校での立場なのだ。ハッキリ言って変、ハッキリ言って異常だと思われている。

 だがそういう事を言う気が起きない。ハルヒが喋ったことを後悔するような表情で天を仰いでいたからだ。


 誰かにぶつけたかったんだな。それをぶつけ返す必要は無い——

 電車が轟音を立てて通過していく。間がいい。

「そうか」

 俺が言えたのはただひと言。

「帰る」

 そうハルヒは言って歩き出した。


 おーい、家はそっちの方なのか? 俺も実はそっちの方へ行きたいんだが。だが今さら並んで歩く気にもならない。

 この場に立っているしかない。なにやってるんだろうな。

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