第22話【必然じゃなくて偶然だったの⁉】

 週明け、そろそろ梅雨を感じさせる湿気を感じながら登校すると着いた頃には今までにも増して汗みずくになった。

 教室で下敷きを団扇代わりにして首元から風を送り込んでいたら、珍しく始業の鐘ギリギリにハルヒが入ってきた。どさりと静かに鞄を机の上に置き、

「わたしの方にも風を送って」

「自分でやった方が風力を調整できる」

 この声で頼まれるとついホイホイ扇いでやりたくなるが、頼まれたことをなんでもやってしまったら単なる従僕である。そこには一線を引いておきたい。

 ハルヒは二日前に駅前で別れたときとまったく変化のない様子で僅かに憂いを帯びた無表情で頬杖をつき始めた。近頃表情に生気が出てきたと思っていたのに、また元に戻っちまった。

「あのさ、ハルヒ——」

 言うか言うまいか少しだけ決意を要した。

「——お前、『しあわせの青い鳥』って話知ってるか?」

「青い鳥かぁ、どこか飛んでいないかなぁ」

「いや、まあ何でもないんだけどな」

 そんなものは飛んでいないのだよ、という陳腐な説教をする気が急激に失せた。

「変なの」

 ハルヒは空の彼方斜め上を眺め、俺は前を向き、岡部教師がやって来てホームルームが始まった。


 不機嫌な気分は自分で持ってきたくせにな。

 ハルヒもまさか市内を歩き廻ってすぐにも〝不思議〟が発見できるなんて本気で考えちゃいないはずだ。

 原因は一昨日の爪楊枝のくじなんだ。

 二度クジを引き、その二度とも俺はハルヒと同じ組にはならなかった。

 なんのためにクジにした? そんなことしなければこんな気分にはならなかっただろう。

 偶然……偶然を期待したんだろうか。

 いや、もう一度偶然が起こるか試した?

 席替えをしても俺の後ろは相変わらずハルヒだ。あり得ないことがあり得ている。これが偶然かそれとも何かの必然か、もう一度試したんじゃないか?

 そして偶然は起こらず俺とハルヒは二度とも同じ組にはならなかった。

 やっぱり席替えした後も俺の後ろにハルヒがいるのは単なる偶然か。ハルヒはそれを確認してしまったが故にこういう気分なんだろうか。

 結局その日、ハルヒは部室に姿を現さなかった。




「昨日はどうして来なかったんだよ。反省会をするんじゃなかったのか?」

 例によって例のごとし。朝のホームルーム前に後ろの席に話しかける俺である。

 机に顎をつけて突っ伏していたハルヒは面倒くさそうに口を開いた。

「反省ってさ、一人になって自問自答すべきものだと思うんだよね……」

 まぁ、言われればそっちの方が質の高い反省になりそうではある。複数人人間が集まると責任のなすり付け合いになりかねん。

 訊けばハルヒは土曜に三人で歩いたコースを、昨日学校が引けた後で一人で廻っていたのだと言う。

「見落としがあったんじゃないかと思って……」

 犯行現場に何度も足を運ぶ習性のあるのは刑事だけかと思っていたが。

「とっても暑いし疲れちゃった。衣替えはいつからなのかしら。早く夏服に着替えたい……」

 衣替えは六月からだ。あと一週間ほど五月は残っている。

「前にも言ったかもしれないけどさ、見つけることもできない謎探しはすっぱり止めて、普通の高校生らしい遊びを開拓してみたらどうだ」

 ガバッと起き上がって、あの吸い込まれそうな黒い瞳に見入られる……ことを予想したのだが、あにはからんや、ハルヒはぐてっと頬を机にくっつけたままだった。疲れているのは本当のようだ。

「高校生らしい遊びってなんなんだろう?」

 声にも潤いがない。

「だから、いい男でも見つけて市内の散策ならそいつとやれよ。デートにもなって一石二鳥だろうが」

 あの日の朝比奈さんとの未来人的語らいを思い出しながら俺はそう提案する。

「それにお前なら男には不自由しないぞ。その奇矯な嗜好を隠蔽していれば、という条件付きだけどな」

「隠蔽かぁ、結局そうなるんだね。なら男なんてどうでもいい。恋愛感情は一時の気の迷いなんじゃないかな。だって永遠に続いている人の話しを聞かないもの。それはきっと精神病の一種かもしれない……」

 机を枕にして窓の外へぼんやり視線を固定したまま、ハルヒは無気力に言った。

 なぜだ、それを一刀のもとに否定できない俺がいる。

「わたしだって、たまーにだけどそんな気分になったりするわよ。街でそういう風景を見たりするとさ。そりゃ健康な若い女なんだし身体をもてあましたりもする。だけどそういう時は自己解決するわ——」

 なんだろう、〝もてあました身体を自己解決する〟、ってのは女子が言うセリフとしてはとてつもなさ過ぎやしないか。俺の想像力が起動しちまったじゃねえか。無防備にそんな話しを振るなよ。

「だって一時の気の迷いで面倒ごとを背負い込むほどのバカになんてなりたくない。万が一にもわたしが男漁りに精出すようになったらSOS団はどうなるの。まだ作ったばっかりなのに」

「何か適当なお遊びサークルにすればいい。そうすりゃ人も集まるぞ」

「嫌だな……」

 拒絶された。

「そういうのがつまらないからSOS団を作ったのに。わたし自ら萌えキャラになったり謎の転校生も入団させたのに。何も起こらないのは何故なんだろ? あーぁ、そろそろ何かパアッと事件の一つでも起こらないかなぁ」

 こんなに参っているハルヒを見るのも初めてだが、物憂げな表情で物憂いことを言っている様は他の女子の追随を許さない。引き込まれそうになる。笑わなくてもこいつはけっこう見栄えがするんだ。


 その後、午前の授業中のほとんどを、ハルヒは熟睡して過ごした。一度も教師に発見されなかったのは奇跡……いや偶然だろう、やはり。

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