第3話 魔人解放②

 王座の間から私室へと繋がる大理石の廊下に、ミリアの足音がこつこつと響く。

 余計や絵画や調度品を排したその廊下は人ひとりが通るには少し広すぎるほどで、いつも独特の開放感を彼女にもたらす。等間隔に設置された窓から差し込む暖かな陽光が、過度の緊張で強張った身体を優しくほぐしてくれるようだった。


 一人の王から、一人の少女へ。その身にのしかかる重責から一時、解き放たれたミリアは、年相応の柔らかな表情を浮かべながら、ほう、と小さなため息を漏らした。


「お疲れみたいね」


 不意に、苦笑交じりの声がミリアの耳に届く。声のした方へ視線を向けると、和装に身を包んだ一人の少女が、廊下の壁に背中を預け、こちらを見つめていた。

 揺るがぬ自信を感じさせる、少し吊り上った大きな瞳。身長はミリアよりもやや低くく、手足もほっそりとしているのだが、それだけに大きな胸のふくらみが余計に目立つ。

 長い灰色のツインテールを揺らしながら、彼女はゆっくりとミリアの傍に歩み寄り、歩調を合わせてすぐ隣に並んだ。


「どうだったの、会議」

「いつも通りです。彼らに任せていては、進むものも進みません」

「ありゃりゃ。王女様っていうのは大変ね」

「次はあなたも参加してみますか、ライコウ」

「遠慮します。なにせ、あたしは精霊ですから」


 肩をすくめ、大げさに首を横に振るライコウ。

 一見すると普通の少女に見える彼女だが、その額にはどこか稲妻を想起させる精霊紋が浮かび上がっている。この精霊紋は人間でいう指紋のようなもので、同じ紋を持つ精霊は一人として存在しないという。


「そうですか。では、別の仕事をお願いしましょう」

「あたしに頼むの? 珍しいね」

「あなたは腕は立ちますが、少々、大ざっぱなところがありますから。デリケートな仕事は頼めません」

「うわ~、本人の前でそれ言っちゃうんだ。まぁ、いいけど。で、どんな仕事?」

「私の護衛です。これから少々、危険な場所へ行きますので」

「ふ~ん。どこか知らないけど、そんなに危険なら別の人に行かせたら? なんなら、あたしが一人で行ってこようか」

「そういうわけにはいきません。これは、王としての私の役目ですから」

「役目ねぇ……。それで、結局どこなの?」

「この城の地下牢です」


 その答えは予想していなかったのか、ライコウが目をぱちくりさせる。


「そんなとこに何の用?」

「会って協力を求めたい人がいます。詳しいことは行きながら話しますから、少し待っていてください」


 ライコウを部屋の外に置いて私室に入ると、ミリアは暑苦しいローブを脱ぎ捨て、邪魔にならないよう髪をせっせとまとめる。そして、護身用の剣を手に取ると、最後にベッドの脇に飾られた一枚の絵画に目を向けた。

 そこに描かれているのは父と、そして、彼の親友であり、王国騎士団最強と呼ばれた騎士。かつてこの国を支えた二人は、今や天上の人となっている。

 彼と直接会うのも10年ぶりか――大きな不安、そしてわずかな期待を胸中に抱き、ミリアは絵画から視線を引きはがすと部屋を出た。


「お待たせしました。行きましょうか」

「いいけどさ、やっぱ地下牢って汚い? なんか臭そうでやだなぁ」

「あなたの部屋ほど清潔ではないでしょうが、そこは我慢してください」

「うわ、それ嫌味?」


 城中のメイドがライコウの部屋がいつも散らかっていると嘆いていたが、どうやら本人にも自覚があったらしい。眉を八の字にするライコウに向けてミリアはくすりと微笑み、一足先に歩き出した。ライコウも早足で後に続く。


「あたし、地下牢って行ったことないけど、犯罪者が全部そこにいるの?」

「いえ、刑務所は別にあります。この城の地下牢は、かつて他国の間者や捕虜を拷問するために使われていました」

「人間って、そういう野蛮なの大好きだよね。あたしたちにはちょっと理解できないなぁ」

「私は人間ですが、私も理解しかねます。それに、先王が法律で拷問を禁じたため、今は行われていません。今の地下牢は、ただ一人の人間を幽閉しておくために存在しているのです」

「なにそれ。その人、一体何をしちゃったの? 国家転覆を企てたとか?」


 一瞬の間があった後、ミリアは言いにくそうに答える。


「彼は……何もしていません。ただ、存在そのものが罪とされました」

「……ますます意味がわからないんだけど」

「説明するより、実際に会ってもらった方が早いでしょう。もうすぐです」


 一度、城の外に出て、北東の方角へ歩を進める。石畳の道をしばらく進むと、地下牢へと続く階段が見えてきた。牢の番人を務める兵士からカンテラを受け取り、一列になって階段を下りて行く。一段下るごとに、ライコウの表情は険しさを増した。


「ここ、嫌な匂いがする……」

「そうでしょうね」


 予想通りの反応だった。だが、彼女の言う嫌な匂いとは、想像していたものとは別のものだろう。

 長い階段がようやく終わり、二人は人がようやく一人通れる程度の狭い道を歩く。すると、遠くから何かを殴りつけるような鈍い音が断続的に聞こえて来た。

 まさか――自然と、ミリアの歩調が速くなる。


「あ、ちょっと!」


 背後にいたライコウは慌てて呼び止めたものの、ミリアの足が止まることはなかった。

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