第2話 魔人解放①
トランシア王国のちょうど中心に位置するトランシア城。その王座の間で行われている会議は紛糾していた。
大理石で作られた長方形の長机を挟み、四人の男性が渋い顔を突き合わせている。彼らの間に漂う空気は、お世辞にも穏やかとは言い難い。
「このところの魔物の出現回数は、過去の例を見ても常軌を逸しておる。国民の安全を守るためにも、兵力の増強は不可欠といえましょう。すぐに手を打つべきかと」
机上に両肘を乗せ、組んだ手で顎を支える白眉の老紳士が、鋭い視線を対面の二人へ飛ばす。手足は枯れ木のように細く、腰も曲がっているが、その目に宿る意志の光は老いとは無縁であった。
「承服しかねる。アブラム殿は、現状を理解していないようですな。国境付近に駐留するアルマギカ兵の数は今も増え続けております。いつ、本格的な侵攻が始まっても不思議ではありませんぞ」
アブラム公爵の対面に座るゲルハルト公爵が、のけぞるようにして大げさに肩をすくめる。二メートルを超す彼の巨漢と、重厚な鉄鎧を支える椅子が、みしりと悲鳴を上げた。
「国境の状況が芳しくないことはもちろん、承知しておる。しかし、まずは国内の守りを固めることが先決。そう思われぬか、クスタ公爵?」
「いやはや、まったくもってその通りでございます」
病的に青白い肌を持つひょろりと痩せた優男、クスタ公爵が、にやにやと薄笑いを浮かべながらアブラム公爵の隣で相槌を打つ。だが、ゲルハルト公爵がじろりと睨みをきかせると、すぐに表情を消した。
王座の間に重苦しい沈黙が下りる。
「皆さん、一度落ち着きませんか? このままではらちがあきません」
その沈黙を破ったのは、ゲルハルト公爵の隣に座る、金髪碧眼の若い男。
国中の女性の羨望の眼差しと、男性の嫉妬の視線を一身に集めるダリル公爵は、その整い過ぎた作りの顔をわずかに崩し、柔和な笑みを浮かべる。
重苦しかった場の空気が、わずかに弛緩した。
「そうは申されるが、もはや猶予はありますまい。こうしている間にも、次の魔物が現れるかもしれませんぞ。それとも、ダリル殿には何か秘策がおありかな?」
「そう睨まないでください、アブラム殿。確かに兵力の増強は必要ですが、ゲルハルト殿がおっしゃる通り、今、国境の兵を動かすことは危険です。こうなれば、騎士科の優秀な学生たちを戦力として投入することも検討すべきでは?」
「学生など、まだひよっこではないか。実戦で役に立つとは思えぬ」
「では、傭兵を募るというのは? 国内外から腕に覚えのある者が集まるでしょう」
「国防をよそ者に任せることなどできぬわ」
吐き捨てるような物言いに、困ったように苦笑するダリル公爵。
再び沈黙が王座の間を満たし、会議はいよいよ行き詰りつつあった。
「各々方の意見はよくわかりました」
その時。うんざりするほど淀んだ空気を、凛とした声が引き裂く。四人の視線は、上座に腰掛ける一人の少女に吸い寄せられた。
「どうなさるおつもりですかな?」
「国境の兵は動かしません」
アブラム公爵の問いに、トランシア王国を治める若干16歳の女王、ミリア・A(アルヴァン)・トランシアは、間髪入れずそう答える。
腰まで届く長い金髪に、すっと通った鼻筋と、潤いを帯びた薄い唇。長い睫の下にある翡翠の双眸には、見る者を圧倒する不思議な迫力があった。
「アルマギカ帝国の動向がわかるまでは、迂闊なことはできません。ダリル公爵の提案については今後、検討の余地があるでしょう」
「お聞き届け頂き光栄です、陛下」
口元に微笑を刻み、首を垂れるダリル公爵。
アブラム公爵は不愉快そうに眉をひそめる。
「しかし、その程度で魔物を防げるとは到底、思えませんな」
「何を言うか。王国騎士団は建国以来、数多の魔物を討ち滅ぼしてきた。今、国内にいる兵だけでも十分に対応できる」
「では、10年前のことをどう説明するつもりですかな。王国騎士団は魔神に対抗できず、実に兵力の半分を失った。あやつが自ら退いてくれなければ、今頃、我が国は滅亡していたやもしれぬ。ゲルハルト殿は、今の王国騎士団があの魔神を討てるとでも?」
「それは……」
ゲルハルト公爵が苦々しい顔で声を詰まらせる。クスタ公爵は我が意を得たりと言わんばかりに大きくうなずいていた。
「アブラム公爵の懸念はもっともです。そこで、私に一つ考えがあります」
「と、いいますと?」
「彼の力を借りるのです」
瞬間、王座の間に並々ならぬ緊張が走る。
その言葉の意味するところを、四人はすぐに理解していた。
「ご、ご冗談を! あのような化け物を野に放てば、一体なにをしでかすか!」
クスタ公爵が立ち上がり、震える声で叫ぶ。その顔はすっかり青ざめ、額から噴き出した冷や汗が頬を伝って机にこぼれ落ちた。
「確かに、彼は大きな戦力となるでしょうが……」
「危険が大きすぎる。扱いを間違えば、あるいは魔物以上の脅威になりかねんぞ」
「それも承知の上です」
ダリル公爵とゲルハルト公爵もそろって難色を示したが、ミリアは譲らない。確固たる決意を感じさせるその表情に、二人は顔を見合わせて唸る。
ただ一人、沈黙を保っていたアブラム公爵が、ゆっくりと口を開いた。
「彼を扱いきれる自信がある、そういうことですかな?」
試すような視線が、ミリアの全身に絡みつく。ミリアは臆さず、それを正面から受け止めた。少しでも目を逸らせば迷いが生まれ、そこからたちまちつけこまれてしまうだろう。
大蛇に全身をゆっくりと締めつけられていくような、そんな怖気を味わいながら、ミリアは「ええ」とうなずく。
より濃密な緊張感が空気を圧迫し、その場にいる誰もがしばし、呼吸を止めた。
「いいでしょう」
やがて、アブラム公爵が小さく首肯する。
「陛下がそこまでおっしゃるのであれば、反対はいたしますまい。しかし、もし彼が我々に牙をむくような事態になった場合……」
「その時は、より相応しい者がこの玉座につくことになるでしょう」
「そうならないことを、心から願っておりますぞ」
ありがとう、とそっけなく応じて席を立つと、ミリアは王座の間を後にする。
残された四人の公爵は、互いの思惑を読み取ろうとでもするように、無言で視線を交錯させた。
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