TWIN TREE

琴野 音

第1話 彼女のために


景色のほとんどが白。

口から漏れ出す息も白。

真っ白な世界に囲まれた今日という日は、天気予報のキリッとしたお姉さんが言うほど寒くはなく、逆に身体の芯は温度を上げた。


緊張、収まんないな。


待ち合わせの場所はこの地方で最も栄えている大きな駅。たくさんの路線が交差する旅の出発点のような場所だ。空を埋め尽くすほど高い駅ビル達は、どれも綺麗な衣装を着飾っているみたいでその姿を主張している。

改札からほんの少し離れた広場には巨大な円形の花壇がある。彼女とは、そこに十三時集合と約束した。

いまは十二時。気が急いていたのか、まだまだ余裕がある。今のうちにトイレにでも行っておこうか。

そんな事を考えていた矢先。


「あっ.....」

「え?」


ポカンと口を開けるその女の子は、いま一番会いたかった彼女。上杉さんだった。

待ち合わせ目前で、すれ違うように鉢合わせた。なんでいるんだ?

ボーイッシュなイメージのある上杉さんだが、今日は珍しく髪は巻いてる。それが何だか大人っぽくてドキドキしてしまう。


「.........」

「せ、雪舟くん...」


しまった。見蕩れていて黙ってしまった。

彼女もまさかこんなところで出くわす何て思っていなかったのか、笑顔がぎこちない。それに、少し鼻が赤い。一時間も早くに来てまさか待たせるなんて思っていなかった。いったい何時からいるんだろう。かなり待たせてしまったのか.....。


「もしかして.....」

「ち、違うの! 今来たとこだから!」

「あ、そう.....」


いま来たのか。良かった。.....本当か?


「じゃあ、お昼食べに行こうか」

「うん! あ、お店予約してるからもうちょっと時間潰そっか。どこか行きたい?」


予約.....予約か。本当は男の俺がした方がよかったのかな。次からは気をつけないと。

行きたい場所と言っても、正直どこでもいい。上杉さんと二人ならどこでも。そんな事、恥ずかしくて言えたもんじゃないけど。


「どこでもいい」

「じゃあ、そこの本屋さんで時間潰そっか!」


素っ気なく聞こえないか心配だったが、彼女は気に止める様子もなく目の前の書店に向かって歩き出した。

すぐ後を付いていきながら書店に入った俺は、読み終えた文庫本の事を思い出して店内入口付近の新刊棚で続きが出ていないかチェックする。

うん。どうやらまだ出ていないみたいだ。人気のあるミステリー小説なので、平積みにされていないはずはないからな。

ふと、彼女が隣にいないことに気が付いた。近くにはいるだろうけど、デートで別行動はダメだったかもしれない。

棚の間をいくつか覗いていくと、女性向け雑誌の前で足を止めている上杉さんを発見した。どこか真剣な表情で、一冊の面陳された雑誌を凝視している。気になる商品でも見つけたのか。でも、中を見ようとはしない。

放っておくわけにもいかず、広くない道で立ち読みしている女性陣の横をすり抜けた俺は、彼女に声をかけながらその雑誌を確認した。


「それ、読まないの?」

「雪舟くん! いや、いいのいいの! ほら、ほかの場所いこ?」

「あ、あぁ」


背中を押されて来た道を逆走する。タイトルはなんて書いてあったかな。『カクヨ.....』駄目だ。ちゃんと見えなかった。

上杉さんの慌てた感じからすると、あまり男性が読んでいいものじゃないのだろう。ここは詮索せずに素直に従うのが吉か。

それから、二人で占いの本や世界の犬種大図鑑などを見て時間を潰した。天秤座の俺はピンクのリボンをつければ運気アップと書いてあった。俺でも似合うのあるのか? なんてな。

彼女は心底楽しそうで、二人で一つの本を読むこんなデートも悪くないんだなと密かに満足させてもらった。

本屋から出た時にはちょうどいい時間になっていて、上杉さんは上機嫌に身体を伸ばしながら鼻歌を歌っている。


「さて、そろそろ行こっか! あそこに見えるお店だよ!」

「ん、行こう」


視界には入るが交差点を跨いだところにあるイタリアンを指差した上杉さんは、俺の手を引いて強く足を踏み出した。


これは.....。


自然と繋いだけど、彼女と手を繋ぐのは初めてですごく緊張した。きっと、少し前を歩くキミは気付いてないんだろうな。

なんとなく、少しだけ手に力を込めてみた。

さて、今のところ問題ない。気掛かりなのは、コレをどう渡すかだ。

右手に掴んだ紙袋。できるなら、彼女が一番嬉しいタイミングで渡したい。その瞬間がわかるだろうか。

俺の手を引く上杉さんは一度もこちらを振り向く事なく、あっという間に店の前に来た。そのお洒落な木製の扉に手を掛け、入店の鈴を鳴らした。


レッドカーペットに出迎えられた二人は、シワ一つない漆黒のベストを着た青年に案内され、窓際の一番奥の席に腰を下ろした。

店内は、白い家具が多かったが明すぎることも無く、まったりと過ごせるような雰囲気が感じられた。内装のことはよくわからないが、きちんと手入れされた観葉植物を見ると何となく落ち着く。

上杉さんは悩みに悩んだ末、海老と帆立の海鮮パスタを、俺は彼女が泣く泣く諦めたしらすと明太子の和風パスタを注文する。

お互いに水を口にしてテーブルに置いた。


「.....」

「.....」


会話が、始まらない。

さっきまで気楽に話していたのだけど、いざ向き合うと何を話せばいいのかわからない。

何か話さないとと思えば思うほど、口から出るのは重い空気。話題が出てこない。いつも彼女から話しかけてもらっていたのを今になって気付いた。何でもいいから話題を.....。

そんな俺の口から出たのは、突拍子もない一言だった。


「.........琴里」

「.............え、えぇ!? いまなんて...?」

「いや、『琴里』っていい名前だなって」


何を言っているんだ俺は.....。


「あ、そう。うん。気に入ってるんだ。みんなからは琴里(小鳥)じゃなくて、上杉ばっかり弄られるんだけどね。お前は杉の上の方だよななんて。ほんとやかましい! って感じだよね! はははッ!」


少し驚かせてしまったが、彼女も話題が出てこなかったからかしっかり返してくれた。それは正直に嬉しかったのだが。

でも、そうか。背が高いことで、周りからはそんな事を言われてきたのか。こんな可愛らしい女の子に向かってよく言えたもんだ。

自虐ネタのように語る上杉さんはもう受け止めているのか、それとも諦めてしまったのか。俺には、彼女をそんな気持ちにさせた人達が気に入らない。


「そんなことないのにな」


無意識に声が低くなってしまった。

怖かったかもしれないと慌てて上杉さんの顔を確かめると、彼女はコップ口元に持っていったまま時を止めていた。外では鼻だけが赤かったのに、いまは頬までピンク色に染まっている。

なんだ? 大丈夫なのか?


「ぅぐっ、雪舟くんもいい名前だよね! なんか日本人って感じだし、格好いいと思うの! へへっ、なんか店の中暑いね!」


なんだ、暑かったのか。そういえば店に入ってからどちらもコートを脱いでいなかったな。うん。暑い。

俺がコートを脱いで背もたれに掛けると、彼女も同じようにコートを脱いだ。

彼女の服装がいつもと違う。チラッと見えた膝。スカート.....いや、ワンピースか。髪の毛もそれに合わせて巻いてるんだな。タートルネック似合いすぎだろ。可愛いな。

.....ん? 顔が赤くなったか? もしかして口から出てたのか。いやそんなはずは......。

話の途中だったので黙っているわけにもいかず、再び名前トークに戻してみた。


「この名前、昔の水墨画家から取ったらしい。母さんが好きなんだ」

「.....へぇ、渋いね」

「俺はどんな絵かも知らないんだけどな」

「.....うん」


会話が途切れてしまった。ちょっとつまらなかったかな。また失敗だ。

小さな後悔を心の奥に仕舞おうとしていると、今度は上杉さんのほうから口を開いた。


「ねぇ、雪舟くんにお願いがあるんだけど.....」

「なに?」

「私のことも、名前で呼んでほしいな」


額から冷や汗を感じる。上杉さんは少し不安げな表情だ。

名前。下の名前で呼ぶってことか。確かに、彼女は俺のことを「雪舟くん」と呼ぶ。こちらだけ苗字なのは変なのかもしれない。

名前で呼ぶだけ。それだけなのに、なかなか喉から出てこない。簡単な事なのに、身体が抵抗する。女性を名前で呼ぶのは、妹くらいしかいないせいだ。

一度唾液を飲み込んで、少し大きめに息を吸った。

い、言うぞ。


「こ.........琴里」

「は、はぃ.....」


そのか細くて消え入りそうな声に、心臓がいきなり暴れだした。その衝撃なのか、俺の頭はカクンと下を向いた。


.....駄目だ。顔が見れない。


誰か助けてくれ。そう念じていたら、タイミングよくウェイターが料理を運んできた。正直助かったのだが、上す.....琴里は、少し微妙な顔をしている。

会話を断ち切ってもらったおかげで、強ばった身体は少しだけ落ち着いた。食事にして仕切り直そう。手を合わせて、パスタを口に運ぶ。

数あるパスタの中から選び抜かれた目の前のコイツは、予想を遥かに越える絶品で、ここが隠れた名店であることを教えてくれた。

いま気になるのは、琴里がずっとこちらを観察するように見ている事だ。食べにくい。とは言えず、俺は口の中の物を飲み込んで彼女と目を合わせた。


「ん.....」

「え?」

「ほら、食べなよ」


俺はフォークに巻き付けたパスタを琴里の口元に運び、食べるのを待った。

なんだ? 欲しかったんじゃないのか?


「っ!! あ、あ〜ん!」


パクッと食いついた彼女を見ていると、みぞれとの食事を思い出す。アイツもよく人のものが欲しい時にじっと見つめてきて黙ってたっけ。毎回それをするもんだから、最近では先に小皿に移すことが多いけど、俺の手から食べるの妹の顔はいつも無邪気な子犬のような笑顔で面白かった。

美味しそうで何よりだ。

ウェイターが水を運んで来てくれて、それで喉を潤す。とりあえず一旦落ち着いて食べよう。でも、また琴里がウェイターを睨んでいる。研修プレートが気になるのか?

それからは特に話すことなく、食事を楽しんだ。




イタリアンで食欲を満たした二人は、次に水族館に行くことに決めていた。このシーズンだけ設置される二本の巨大なクリスマスツリー。通称『twin tree』を見るためだ。他にも、この市が誇る見事なイルミネーションや、水族館×クリスマス限定ケーキなどが販売されるなど、イベント特典が盛り沢山らしい。

電車で一駅だけど、俺たちは歩いていくことに決めた。少しでも二人きりになりたい。そう思ったからだ。

俺は琴里の手を握り、水族館の方へ歩きだそうとした。


「 せっ、雪舟くん!?」


琴里は繋がった手を指差して動揺している。こちらから繋がれると思っていなかったのだろう。

でも、俺だって恥ずかしいんだからな。


「さっきも繋いだから」

「そうだっけ! あ、そうだったかも!! あはは! 変な感じだね。なんか緊張しちゃうな!」


そうやって照れて、笑いながら顔を隠すキミは何でそんなに可愛く見えるんだ。

そんなことをされると余計に緊張する。

それでも離さずに、俺たちは歩き出した。今度はちゃんと、お互いが意識した手。暖かくて柔らかい感触に手袋をしていなくてよかったと思った。

あんまり意識し過ぎても手汗が出てしまいそうで、俺は彼女の方をできるだけ見ないように、賑やかな景色眺めていた。

彼女の手がほんの少し力が入ったのを感じて、俺はありがとうと言う代わりに、包み込むように繋ぎ直した。


水族館の琴里は少し上の空で、どのコーナーでも水槽の一点を見つめていた。どうしたんだと聞いても、ビックリしたように「あ、何でもない」と答える。もしかしてかなり集中して見るタイプなのかもしれない。

楽しくないわけではないと思う。移動中は目元を緩ませて俺の手をフニフニとしていたからだ。それを見ていたくて、恥ずかしいのを我慢して繋いでいたのもある。


でも、プレゼントを渡すのは失敗だった。

水族館を出る時には日も沈み、温度も落ちていたのでニット帽を渡すには丁度いいと思ったのだ。

少しだけ格好つけたくて、彼女が手にしたニット帽を取って被せてあげた。それが余りにもぎこちなくて、位置の調整に時間がかかった。そして、終いには照れて彼女の顔をうまく見れなくなるという。

世界のイケメン達は平然とこういう事が出来てしまうのかな。俺にはハードルが高かった。



水族館から出た広場には、大きな二つのツリーに迎えられた。その美しく圧倒的な存在感を直に感じてしまうと、琴里がこれを見せたかった訳を理解してしまう。

一番上には大きな星の代わりにイルカがいた。向かい合って、何だかハートに見える。なんて事を口走ったら流石に引かれるかな。

きっと彼女も喜んでいるのだろう。そう思って、俺は琴里の笑顔を見ようとした。


でも、彼女は笑顔ではない。

真剣な、そして、どこか不安そうな、申し訳なさそうな。色んな感情がごちゃ混ぜの顔。


「…雪舟くん、ごめんね」


何、その顔。

ドキッとした。なんの脈略もないけど一瞬、フラれるのかと思った。そんな顔に見えたのだ。

無意識に俺の口は微かに震え、出てきた言葉は短く「何だ?」だけだった。


「今日、パスタの味も、見た魚のことも何にも覚えてない」

「.........え?」

「.....雪舟くんと一緒にいるってだけで嬉しくて。あの、その...」


電飾の灯が彼女を照らし、明確に表情を浮き彫りにする。モジモジと言葉を重ねる恥ずかしそうな琴里。完全に勘違いだった。

意味の無い早とちりに動揺する俺は、緊張で余裕がなかったのだ。

でも、琴里は何であんな顔を?

彼女は続けた。俺に、何かを伝えようとしている。


「このツリー見たかったの。大きな木が二本だなんて私達みたいだなって勝手に思ってて...」



彼女が両手の人差し指を上げて、小さなツリーを二本立てた。

そっか.....。



「一緒に見にこれて良かった。雪舟くん、ありがとう」

「琴里…」



俺の声を聞いて、彼女は少し早口になる。



「よ、世の中のツリーも全部二本ずつならいいのにね!ほ、ほら、いくら大勢の人にキレーって見上げられてたって一人じゃ寂しいでしょ?!ツリーだってきっとそう!」

「琴里」



わかった。わかったから.....。



「一緒に並んでくれる人がいるって幸せなことだなぁ...って、やだ!なんか私、へ、変だね! あ、ぁあ、暑いね!」

「琴里」


そう言ってパタパタと両手で扇ぎ始めた彼女の手を掴んだ。

驚いた顔。それはそうだろう。こんな事をしている俺自身が驚いているのだから。

ゆっくりと、優しく抱き寄せた。


俺は話すのが得意じゃない。それは甘えかもしれない。でも、気持ちを伝えたかった。


目を伏せる琴里の口から熱い息を感じる。彼女の緊張がこちらまで流れ込んでくるみたいで。



俺は琴里にキスをした。



大丈夫だ。

そんなに頑張って伝えようとしなくてもいい。

ちゃんと伝わってる。

俺はちゃんと琴里の事を好きなんだ。

大好きなんだ。



下手くそなキスに想いを込めた。

唇を離して目に映った彼女の顔は、とても幸せそうな笑顔だった。

今言えなかった言葉は、ゆっくりと時間をかけて伝えよう。

だから、もう少しだけ。腕の中にいて欲しい。





帰ると決めて歩き出した俺たちは、どちらとも無く繋ぐ手の指を絡ませた。

それが嬉しかったのか、琴里はキュッキュッと二回。軽く握った。


なるほど、『ス・キ』かな。


どうしてわかったかと言うと、彼女が握る時に口も動いていたからだ。

お返しに俺も二回。キュッキュッと握った。もちろん口元には出さない。

すると、琴里はクリスマスツリー顔負けのキラキラの笑顔を全開にして俺の顔を見た。


「ねぇ、雪舟くん」

「なに?」

「駅についたらプレゼント受け取って欲しいんだけどね.....あのね」

「うん」

「.....ペアルック、大丈夫な人?」

「うーん......」


ペアルックか。俺があげたニット帽を被ってくれればもうペアルックになるのだけど.....ん? もしかして.....。

俺は慌てて、しかしバレないように、鞄の中に持参したニット帽を奥に押し込んだ。


「.....スカートじゃなければ」


焦って意味のわからないギャグを言ってしまった。琴里も不思議そうに見てくるし、本当に最後まで締まらないな。

そして、琴里は最後に一言だけ囁いた。




コインロッカーに着いた俺は彼女からプレゼントをもらった。大きな紙袋二つも。

予想通りニット帽が入っていたけど、まさか同じブランドだとは思わなかった同じ店じゃないよな?

多すぎるけど、プレゼントは嬉しい。


でも、いま俺にはするべき事がある。


「.......っ!」


彼女のリクエスト通り、キスをした。

驚かせたくて、少し強引だったかもしれない。でも、今度はうまく出来た。気がする。

目をパチくりさせる彼女の手を握って、用意していた言葉を口にする。


「家まで、送るよ」


琴里。今度はこっちから攻めるからな。

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TWIN TREE 琴野 音 @siru69

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