47話

「……分からねえな。何でヴィルマってメイドはそんな提案をしやがったんだ」

 シエラ達の報告を訊いたダミアンは、渋い顔をして呟いた。

 疲れているのだろう。何せ、ノイエ・クロッペンベルクでの用事を済ませた後、休みなく引き返してきたのだ。現在時刻は深夜12時を回ったところ。昨日の18時過ぎに此処を立ち、用事を済ませたのが22時。軽い食事を取り、宿を取ってこちらのモーテルへ連絡を入れてきた彼に、直ぐの帰宅を促したのはアダーだった。蒸気機関車の最終運行時間をとうに過ぎていたため、そこから自分の足で帰ってきたというわけだ。距離にして凡そ40km。本来ならば大した距離ではない。しかし、一日を締めくくる運動量として鑑みるならば、それは決して楽な行程でも無かっただろう。

「都市を護りたい……理由の根幹はそんなものらしいけれどね」

「それを信じるのか?」

「まさか。これまで十数人もの失踪に加担しておいて、虫が良すぎるわよ」

 ヴィルマとの会話を、シエラは漏らさず全て伝えていた。ヴィルマはそれを話すことを禁じなかった――というのは、半分詭弁だ。ダミアンとアダーではなく、自分たちの側へ付くことを要求してきた人間が、それを了承する筈もない。本来ならば。だからこそ怪しい、という話だ。重大な話をしておきながら、シエラに何の誓約も設けず屋敷から返すなど、有り得ないと言える。それでは情報だけこちらへ与えただけのようなものだ。何かしらの裏があって、シエラがダミアン達へその情報を流すことまで計算に入れた上で、彼女らは動いているのだろう。そうでなければ、あまりにも杜撰な計画と言えた。なので、何らかの作為が無ければ、むしろ不自然だ。不自然過ぎて悪意しか感じない。

「……情報の信憑性はともかく、協力体制を築くことは無駄じゃないかもしれないけれど……」

「それって、もう私達の協力はしないってことですか?」

 アダーは、捨てられた兎のような瞳でこちらを見てきた。

「何言ってるの。もしそうなら、こんな話はしないわよ」

 連邦捜査官に向かって、『これから違法なことをやります』などと宣言するのは、凡そ愚か者のすることだ。クラウディアを助けるどころの話ではなくなるだろう。

 何よりも、ヴィルマを信用出来ない以上、ダミアン達との繋がりは重要だった。協力の報酬にクラウディアの返還を提示されたが、これは全く確実ではない。現時点でダミアン達との繋がりを立つのは不利益の方が大きい。

 詰まるところ、ヴィルマを騙す。潜入捜査のようなものと言えた。

「だから、あなた達に許可をもらわなければいけない。ヴィルマ達へ協力することをね」

「それはもちろん構わんが……」

「なにか問題でも?」

「その食肉工場は俺も目を付けてた場所だ。ベッカーに応援要請されてから、俺だって色々調べてたからな。アスペルマイヤーはこの一ヶ月、件の食肉工場へ足繁く通ってやがる。あるいは、もっと前からなんだろうがな」

「え? 私、初耳なんですけど」

 アダーがキョトンとして呟いたが、ダミアンは無視していた。

「だから、そこに何かが有るってのは間違いないんだろうが……」

「何が言いたいのよ」

 ダミアンはそこで、何故か言い淀んだ。そして、

「単純に、お前さんが危険だろ。潜入を依頼された食肉工場とやらで、あの黒鎧みたいな奴が2人も3人も待ち構えてたらどうするつもりだ」

 果たして、それが本当に言いたかったことなのだろうか。

 ともあれダミアンは、この提案がヴィルマの罠である可能性を疑っているのだ。その可能性はゼロでは無い。甘く見積もっても半々と言ったところか。例え罠でなくとも、ヴィルマが自身の意図する通りにこちらを動かそうとしていることは間違い無い。

「……実際、貴方はどう思う?」

「何がだ」

「黒鎧みたいな氣功士が、たかが企業家に雇い入れられる筈がない」

 今の時代、氣功士は軍に所属しておらずとも、国家の所有物に等しい。シエラのような流れ者の存在は極めて稀と言える。その中で『高い実力を持つ』氣功士の存在となれば、ゼロに近い割合だ。

 今日の朝、アデナウアー大尉に託した黒鎧に対する調査。早くも報告を受け取ったフェルザー少尉に寄れば、数十年まで遡ってもそのような能力者が軍に在籍した存在は認められなかったという。

 つまり、黒鎧はゼロに近い割合の存在、ということだ。アデナウアーの調査報告がそのまま事実というわけでも無いが、奇跡に近い確率を2度も突破し、そのような実力者を雇い入れることが、果たして可能か。

「……お前さんが言いたいことは分かるよ。アスペルマイヤーの背後に、強力な組織やら政治家やらが居るかもしれないってことだろ」

 実のところ、ゼロに近い割合を突破する方法はある。マフィアやテロ組織は、国家の把握していない氣功士を保有しているからだ。氣功に目覚めた人間を国家より早く回収したり、誘拐したり――そういう仕事を担当する部門が存在する。

 高い金を払えば、そうした組織から人員を融通することは可能だろう。もちろん、それには様々なリスクが伴う。

「まあ、居るだろうな。何の目的かは知らねぇが、アスペルマイヤー家に肩入れしてる誰かが居る。それは間違いねぇ」

 極端に考えれば、アスペルマイヤーが雇い入れている氣功士の大半が、そうした組織からの供給である可能性もある。ダミアンの持ち出してきた氣功士のリストで確認したところ、ヴィルマやギュンターの経歴に不審な点は無かった。だが、それが捏造されていない保証は無いのだ。

「だがな、それを考えるのは後の話だ。今は目の前の敵に集中しろ。そうじゃないと、本当に何も掴め無いまま翻弄されて終わりだぞ」

 どんな事情があっても、黒鎧が2人存在することは事実だ。今はそれのみを考えて対策を立てなくては――というダミアンの主張は理解出来る。

「逃げるだけの策……というか、切り札くらいならあるわよ」

 絶対の自信を持っているわけではないが、何人居ようが相手の隙を付けることは間違いない。結果として色々と問題を引き起こしてしまうかもしれないが――それは生き延びてから考えれば良いことだ。

「ま、それなら良いんだが……」

「なによ。歯切れが悪いわね」

「どんなに強くても、油断すりゃ死ぬぞ。それは理解してるだろうな」

 シエラは苦笑した。どうやら、彼なりに心配してくれているようだ。当初抱いたイメージと異なり、折に触れて人情味溢れる気遣いを見せてくる。

「……大丈夫よ。その辺りは修行自体、師匠に叩き込まれてるから。食事やお風呂や寝ている最中にも気を抜かないよう、定期的に襲撃されたりしてたし……朝起きたら魔獣の巣のど真ん中に放置されていたこともあるわ」

「……お前の師匠おかしいだろ」

「…………」

 それはシエラ自身が強く理解していることではあったが、何処かで師匠に聞かれているような気がしたため、決して肯定など出来ない言葉だった。

 ともあれ、行動方針は決まった。後はこちらの意思をヴィルマへ伝えるだけだ。方法は決まっている。返答がイエスならば、モーテル前の木に丸印を刻め、という指示だった。

 あとは臨機応変に対応するしかない。ヴィルマの意図を正確に推測することは難しい。分からないことが多すぎるため、仕方のないことではある。最たるものが、黒鎧のような実力者の存在だった。様々なリスクを突破して強大な戦力を保有しておきながら、やっていることが連続失踪事件の隠蔽なのだ。釣り合いが取れておらず、不自然に感じた。何か、別の目的や意図があるような、そんな気がしてならない。

 だから、考えておかねばならない。あらゆる状況に即応出来るよう。

 失踪したエルフ、セルウィリアは既に死んだ。ヴィルマはそう言った。死んでいないと嘘を付くならまだしも、死んでいると嘘を付く理由は無いように思える。だから、ほぼ間違いなく死んでいるのだろう。他の失踪者もまた、死んでいると見て間違い無い。

 クラウディアがそうならないように、最善を尽くさなければならない。出会って数日の付き合いだが、彼女を見捨てるような行動だけは取りたくなかった。

 セルウィリアの死を、アンジェリーナ・アルベルトへどうやって報告するかも――気の重い話だった。



    ※  ※



「ここを訪れるのも、久しぶりだな……」

 懐かしげに呟いて、ダミアンは煙草を踏み潰した。

 時刻は朝の7時。深夜の話し合いから数時間が経っていた。仮眠を取ったダミアン達は、眼を覚ますとそれぞれに行動を開始していた。シエラはヴィルマからの連絡待ちでモーテルに留まった。アダーにはアスペルマイヤー邸の監視と調査を命じた。仮にクラウディアの生死が今日にでも決まるならば、アスペルマイヤー本人に何かしらの動きがある筈だからだ。誘拐した被害者達をどうしているのかは不明だったが、ヴィルマの発言から、その生死には彼による何らかの意思が働いていることは明らかだった。

 日が昇って随分と時間が経つが、湿気を伴った朝の冷たい空気が心地よかった。

 オルデンブルク南東部郊外、なだらかな山を背に広がる住宅地。その家は広い敷地を塀で囲って存在していた。人の気配は無い。聞いた通りならば、数年前から廃屋となっている。にも関わらず、寂れた気配は無い。どうやら定期的に清掃や手入れを行っているらしい。建物の殆ど傷んでおらず、窓ガラスの1つも割れてはいない。ホームレスの類も、此処をねぐらにしようとは考えないだろう。

 この家は旧アスペルマイヤー邸。現当主であるマンフリート・アスペルマイヤーが邸宅を移すまでは、何度も改築を繰り返しながら歴史を維持してきたらしい建物だった。

 都市としての基礎を築いた入植時、数十年はこの場所が都市の中心部だったのだ――と言っていたのは誰だったか。もう14年も昔の話だ。覚えていない。過去はどうあれ、既にこの場所は都市のメインストリームから外れて久しい。数少ない住宅が点在しているだけだった。都市開拓初期に活躍し、歴史を重ねてきた他の有力者達の家も、既に無い。何時の頃から、一軒、また一軒と姿を消していった。没落だったり引越しだったりと事情は様々だろうが、それでもアスペルマイヤー家がこの場所に拘り続けたのには、どんな理由があるのだろうか。

 固く閉ざされた門扉を飛び越した。事前にイグナーツを先行させ、敷地内に誰も居ないことは確認済みだ。同時に、尾行の類も付いていない――筈だ。こちらの感覚を欺ける程の異能力者が存在することは確定している。油断はならない。

 この場所を訪れたのは、もちろん何らかの発見を期待したからだ。しかし、令状が降りるはずもなく、持ち主であるマンフリートの許可を取れる筈も無い。なので、ダミアンはマンフリートの妻に許可を得たのだ。そのために昨日はノイエ・クロッペンベルクまで足を運んだのだ。厳密に言えば、妻に許可を取っても法的に無意味だ。持ち主である夫に抗議されれば、ダミアンの立場は少し不味いことになるだろう。それに関しては、避けようの無いことだ。問題になる前に、マンフリートを潰すしかない。妻に許可を得たのは、もし夫に不信感を抱いているならば、彼女の存在が少しは防波堤になるかもしれないと計算したからだ。

「鍵は……これか」

 耳に障る音を立てて、立派な玄関が開いた。鍵を預かってきたから良かったものの、無ければ強引に開けるしか無かった。

 ――実際、妻は夫に不信を抱いていた。それも、ただの不信ではない。

 彼女は言った。『半年前から、夫はまるで別人のように変貌してしまった』のだと。

 表面上は優しい何時もの夫だったが、そのパーソナリティが絶対的に別人だったと。

 それが別居の契機になったようだ。彼女に付き添ってオルデンブルクを離れた執事――以前、ダミアンを取り押さえた男だ――は、長年アスペルマイヤー家に仕えた男だった。その彼もまた、マンフリートを別人のように感じていたという。この執事ならばもっと色々なことを知っているかもしれないと思ったが、頑として口を割らなかった。

 実のところ、このような証言は初めてではない。捜査を始めて間もなく、数人から同様の証言を得ていた。主な出処は、半年前に解雇されたアスペルマイヤー邸の使用人達だ。当初は解雇から出た恨み節かと思っていたが、その解雇自体が連続失踪事件の起こり始めた時期と連動していた。決して無視出来るものではない。また、証言をした使用人は、何れも長くアスペルマイヤー邸に仕えた者達だった。普通の者なら見逃すような些細な変化も、敏感に感じ取っていた――ということだろう。

 半年前、アスペルマイヤーを別人に変えるような何かが有った。それまで仕えていた使用人は解雇され、ヴィルマやギュンターを雇い入れた。

 そして、連続失踪事件は半年前から始まった。ヴィルマやギュンター、黒鎧等の氣功士を手足として隠蔽や実行に加担させた。あるいは、マンフリートの主治医という男もそうなのだろう。妻や執事に確認を取ったが、ヴィルマ達の存在は知らなかった。直ぐに集めることが出来ないような人員が、同時期に、即座に集まったという話になる。シエラの懸念通り、背後に何らかのバックアップが存在するとみて間違いない。これはアスペルマイヤーの犯行を白日の下に晒すことで、明らかになるかもしれない。

 エントランスから2階へ上がり、長い廊下を一直線に目的地へと進む。広い廃屋だが清掃に手抜かりはないようで、明日からでも住めそうなくらいには清潔さを保っている。これもアスペルマイヤーの人徳というものかもしれない。高価な調度品や、壁に飾られた絵画もそのままだ。14年前に訪れた印象そのままで、妙な錯覚を覚えそうになる。

 ――一体、何がアスペルマイヤーを変えたのか。アダーやシエラの話に因れば、死期が近いらしい。死期を悟って凶行に及んだのだろうか。妻は夫の体調に付いて何も語らなかったし、執事も言及しなかった。彼らは知らないと見るべきだろう。

 ともあれ、アスペルマイヤーに起こった変化と連続失踪事件を結びつけることを、ダミアンは飛躍していると思わなかった。

 実際、ヴィルマという使用人の証言に因れば、犯行は確定的である。

 一方で、14年前の連続失踪事件。

 当時、ダミアンは現当主の父、ルーカス・アスペルマイヤーに狙いを絞って調査していた。結果的にギャングの仕業として処理されたわけだが、ルーカスが何かを隠していたのは明らかだった。警察署長のアルムガルド、新聞社代表のへーバルト、この2名と結託して、連続失踪事件の何かを隠蔽した――というのが当時のダミアンが考えていたことだった。2年間の停職と、復職後の上層部からの監視に因って、何かを嗅ぎ回るなど不可能になってしまったのだが。自由に動けるようになったと思えば、既にルーカスは自殺していたというわけだ。

 ヴィルマの話に因れば、彼女はアルムガルド、へーバルト両名の要請でシエラに渡りを付けた。殆ど自明ではあったが、両名はやはりマンフリートを助力していたのだ。ならば、まず間違いなく14年前にも同じことをしていただろう。

 そして、その秘密が此処に有るかもしれない。14年前に起きた連続失踪事件の謎が。

 色々と確信的な可能性が頭に浮かぶものの、何処かちぐはぐで掴みどころがない。決定的な何かを見逃していると感じていた。

 当時なにが起きたかを解き明かすことが、今回の事件を知る手掛かりになるだろうと、ダミアンは考えていた。

 目的の場所、ルーカス・アスペルマイヤーの私室だった場所へ辿り付き、おもむろに扉を開いた。



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殺し屋と少女が出てくる短編書いていたので、よろしければどうぞ→(https://kakuyomu.jp/works/1177354054887321301

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