46話

「……お話は以上でございます。重ねて申し上げますが、時間は限られているものとお考え下さい」

 ヴィルマの言葉に、シエラは肩を竦めた。全くその通りだ。そして、それを十二分に理解した上で、彼女は他人の命を交渉に使っている。裏社会では珍しい駆け引きではなかったが、実際にやられると腹立たしい。拷問など反吐が出るが、彼女にそれを実行することで事態解決の近道になるならば、決して躊躇いはしなかっただろう。

 階段に足を掛けた彼女に、からかい混じりで言った。

「ギュンターといい貴女といい、アスペルマイヤーは部下に信用されていないのね」

 アスペルマイヤーの行動に耐えかねた――ということなのだろうか。

「……ギュンターともこのような話を?」

「まあ、貴女ほど積極的な提案でも無かったけれどね」

 顔を上げて、少し声の調子を落としながら、ヴィルマは言った。

「アレを信用してはいけません」

 険のある言葉に、シエラは目を細めた。

「と、言うと?」

「……昨日、ミネルヴァ社で我が主と話した際、貴女はイルゼ・ブロストのブレスレットを掠め取った筈です。そのブレスレットを、アダー捜査官が直近の被害者であるブロストと結びつけたことは、既に存じております」

 一体何処まで把握されているのか。監視されている気配は全く感じなかったが、幾らなんでもここまで行動が筒抜けなのは異常だ。

「そのブレスレットを証拠の1つとするのかもしれませんが……止めておいた方がよろしいでしょう」

「それは……なぜ?」

 少し逡巡したあと、彼女は口を開いた。

「本当は、まだ申し上げないつもりでした。貴女の協力を得られるとは限りませんので。ですので、これは私からの誠意であるとお考え下さい」

 あるいは、ギュンターからシエラへの働きかけがあった以上、無視できないという理由もあるのだろう。

「それはギュンターの策略でございます。貴女はそのブレスレットを掴み取らされたのです。我が主の指紋は幾ら調べても出てきません。出てくるのは貴女の指紋のみ……警察組織が我が主に支配されている以上、そのブレスレットの指紋を調べる機会は無いという考えから生まれた、姑息な作戦でございます。そうなれば、貴女は窮地に陥る筈では?」

 それが事実なら、確かにその通りだ。行方不明者のブレスレットから、シエラの指紋のみが検出される。そうなれば、問答無用で拘束されるだろう。時系列を考えれば疑いは直ぐに晴れるだろう。だが、異能力を悪用したと見做されれば、良くて国外追放だ。

 何より、それがギュンターの罠だったとすれば、より不味いことになるだろう。

 仮にブレスレットから全ての指紋を拭き取っても、被害者の物品がアスペルマイヤー宅から発見されるのだから、何も問題は無いように思える。だが、ギュンターはアダーの動向を把握しているのだ。アダーはブレスレットを持って捜査を行い、被害者の務める装飾品店に確認を取った。アスペルマイヤー宅の家宅捜査が行われ、ブレスレットが発見される前に。

 装飾品店の店長は、アダーが訪れた日時を当然覚えているだろう。家宅捜索前にアダーがそのブレスレットを持っていた事が証明されれば、証拠捏造として裁判では証拠能力を失ってしまう。

 それを起こったのが普通の捜査官ならば、面子のために証拠を取り下げるだけだろう。だが、氣功士である捜査官ならば、そうはならない。ダミアン達は拘束され、資格は剥奪、犯罪者として収監される可能性も有り得る。氣功士への風当たりというものは、凡そそのようなものだった。氣功能力を有する連邦捜査官は、清廉潔白であることが求められるのだ。強引な手法が問題視されるダミアンですら、その辺りの一線は護っている筈だ。ともあれ、そこを護らなかったから14年前は停職処分になったわけだが。

「ご忠告どうも。確かに、これをカードに加えることは賢明ではなさそうね」

 今の話が本当ならば、だが。

「ギュンターよりも、私を信用して頂ければと存じ上げます」

「……それも合わせて、考えておくわ」

 もちろん、現時点でヴィルマを信用するつもりなど、欠片も有りはしなかったが。そもそも、比較で人を信用するなど愚の骨頂なのだから。

 地下室を出て、先程のパーティールームへ向かった。ヴィルマは警戒する様子も無く、悠然とシエラを先導している。密会とも言える現状を、誰にも見つからない自信があるのだろうか。シエラ自身が何度も確認したように、周囲に人の気配が無いことは確かだが。

「今日はもうお帰りになるのがよろしいでしょう。マンフリート様はきっと、起き上がってこられないでしょうし」

「……一応聞いておくけれど、アスペルマイヤーは本当に病気なの? あれはただの病気で済まされるようなものでも無いと思うけれど」

 シエラの問いに、ヴィルマは足を止めて振り返った。

「残念ながら、私には分かりかねます。あの状態を見る限り、確かにそうなのだろうとしか……」

嘘を付いている。そう直感した。

「あの医者が、もう長くはないと言っていたけれど……。それを信じるならば、主を裏切ってまで陥れるような真似はしなくてもいいんじゃない?」

 ただ、待てば良いのだ。死ねば凶行は止まるのだから。警察署長や新聞局長も解放されるだろう。それを待てない理由はなんだ。

「……ただ死ねば、主が裁かれることは無いでしょう。都市を大きな混乱に陥れることは出来ませんが……それでも、少しでも報いを受けさせた上で、この世を去って欲しいというのは……私の我儘でしょうか」

「まあ……納得したわ」

 溢れ出る正義感や道徳心が成す行動だと、ヴィルマは言う。それは尊い覚悟なのかもしれない。だが、それに荷担した者が言うには、些か滑稽に過ぎないだろうか。罰を受けるというならば、彼女自身も相応の報いを受けるべきだろう。連続失踪事件において、彼女が何をしたのかは不明だったが。

ともあれ、言っても仕方のないことではあった。彼女を責めるとしても、状況を正しく見極められてからだ。

「……ちなみに、失踪した人はどうなったの?」

「協力を確約して頂けないならば、申せることではありません」

 シエラは肩を竦めて苦笑した。彼女はセルウィリアを死んだものと思え、と言った。つまりはそういうことなのだろう。問題は、何故、どんな方法で死んだのか、ということだった。協力を確約しなければ話せないような死に様ならば――仮にクラウディアを助け出せたとしても、気の重い話だった。

「ギュンターを呼んでまいります。少々お待ちください。……例の件、お忘れなきよう。協力の意思がお有りなら、モーテル前のオークに丸印を付けて下さい。迎えの者を寄越します」

「協力しなければ?」

「……そうならない事を祈りますよ」

 パーティールームへ到着すると、ヴィルマは踵を返して退室した。小さな背中を見送りながら、その奥底に秘められた真意を見極めようとしたが――当然そんなことが出来るはずも無い。

「あ、シエラさん……お帰りなさい。無事でしたか」

 扉を開けると、アダーが1人でワインを飲んでいた。手持ち無沙汰だったのか、幾つかの料理にも手をつけていたようで、肉料理も少し減っていた。

「何の話だったんですか?」

「……ちょっとね」

 ひらひらと手を振って、曖昧に誤魔化す。

 ヴィルマは氣導術師だ。シエラの知らない方法でこちらの会話を聴いている可能性はある。こちらの動向を逐一把握していたのも彼女の氣導術か――と問われれば、シエラには何とも言い難かった。氣導術は万能ではない。そのような奇跡めいた術式は聞いたこともなかった。ただ、一つの国家には、他国に秘匿される程に練り上げられた術式というものが存在する。限られた者にしか扱えない極めて強力な氣導術だ。それをヴィルマが扱えるとは思えないし、それが対象の動向を把握するようなものかも不明ではある。ともあれ、限られた部屋の盗聴を行う術式は広く知られている。個人情報保護の観点から使用には様々な制限が掛かる。だが、ヴィルマはそんなものを護る世界で生きているわけでは無いだろう。

 こちらの意図を察したのか、アダーはそれ以上を追求してこなかった。

「そっちは何もなかった?」

「ええ。てっきり襲撃でもあるかと期待してたんですけれど……」

 拍子抜け、という感じで呟いた。荒事を好んでいるわけでは無く、事件の進展を期待したのだろう。此処で襲われたならば、一度に全て片付くことは間違いない。勝利出来れば、の話だが。

「帰りましょう。ギュンターが車を回してくれるわ」

「そうですね。……でも私たち、なんで呼ばれたんでしょうね、ほんと」

「…………」

 本質がどうのこうのとアスペルマイヤーは言っていた。その意図を理解することは出来なかったが、彼を知る手掛かりがそこに有るのだとしたら、考えるべきなのかもしれない。

 彼は彼自身の本質を『恐るべき怪物』と評した。その怪物が事件を起こしているのだと、裁判所でそう弁明するつもりなのだろうか。とてもそんな感じでは無かったが――。彼は本質というものに異常な拘りを見せていた。晩餐会へ呼び出した理由がそれだけなのだとすれば、その執念は一体何に起因するのだろうか。

 人は自らの人生に価値を見出さなくてはならない。シエラは師匠にそう教え込まれた。何故だか分からないが、ふとその言葉を思い出した。

 少し待っていると、ヴィルマが2人を呼びにきた。

 入口まで先導され、車へ乗り込み、発進する。入口からヴィルマが意味有りげな視線を送ってきたため、軽く手を振ってそれに応えた。

 しばらく、ギュンターは無言で運転していた。

 ヴィルマの話通りならば、ギュンターは連続失踪事件に関わっているばかりか、こちらの排除を明確に目論んでいることになる。行きの車中で会話したことは、全て嘘だったわけだ。もちろん、初めから信用していたわけではないが。そもそも、彼の傍で一日中仕事をしていて、何も気がつかない筈がない。

「ねえ、ギュンターさん。アスペルマイヤー氏に、本質がどうのっていう話をされたのだけれど……どういう意味か、貴女は分かるかしら」

「……絶望されているのだと思います」

「絶望……それは病気に対して? それとも、他のことかしら。奥さんと別居しているのも、それが原因?」

 どう答えるべきか迷ったのだろう。ギュンターはしばし絶句していた。

「連続失踪事件が起こり始めたと思われるのが半年前。奥さんとの別居も半年前よね。そして、昔から仕えていた使用人の数も大幅に減らした。半年前に何かが有ったとしか思えない。彼はその時に変わってしまったのかしら。いえ、間違いなく変貌している。……半年前、一体何が有ったのか。もし知っているなら、教えて欲しいのだけれど」

 それは、アダーやダミアンが調査して、遂に不明だったことだ。――いや、そもそも不明なことばかりなのだが。ダミアンは解雇された者達の家を訪れて話を聞いたようだが、収穫は無し。解雇理由も曖昧だったようだ。ただ、多額の退職金が出されたため、生活には困っていないらしい。

「……お忘れですか? 私が雇われたのは半年前。仮に主が変わったのだとしても、私が眼にしているのはその後の主です」

 そこで、彼女は少し声を落とした。

「……我が主の胸中を察することなど私には出来ません。何が有ったのかは、私にも不明です。……ですが、色々なことが有ったのでしょう。そしてそれは同情されるべきことなのだと、私は思います。彼にとっては……全てのことが、水たまりの中に映る月を掴もうとするような世界だったのではないかと」

 それはこれまでの彼女が発する声音とは異なり、どうしようもない何かを前にした諦観に溢れていた。

「よく分からないわね。つまり、彼に同情しろと?」

 アダーが言い出しそうなことを、先んじて口走った。とはいえ、彼女が口を開く気配は無かった。先ほどアスペルマイヤーに言いくるめられた事が、尾を引いているのだろう。

「いえ、そうでは有りません。ただ……私は心底、彼に同情していると、そういう部分も確かに有ると。それだけの話です」

 連続失踪事件に関わっているのならば、当然裁かれなければならないと、彼女は続けた。

 それがギュンターの本心だと確信出来たならば、どれだけ良かっただろうか。

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