43話

テーブルには豪勢な料理が並んでいた。

食前酒にオードブル、数種のソーセージにザワークラウト、マッシュポテト、デザート用に数種のケーキ。給仕が台車に乗せた高級酒の数々をテーブルに並べ始めた。メインの料理はこれから運ばれてくるのだろうが、既に金持ちの晩餐会へ呼ばれたという感覚を強くしていた。

 ただ、人数が少ない。招待客はシエラとアダー、それと白衣を着用した謎の男のみだった。晩餐会であるのだから、客数も必然多いのだろうと思っていた。どのような趣旨のパーティーであるかを知らされていなかったため、この結果も想定の1つではあったが。

 指定された服装の時点で、他の客を呼ぶつもりがないことは明らかとも言えた。アダーはスーツだが、シエラはブラウスにジャンパースカートなのだ。いくらなんでもカジュアルに過ぎた。

そもそも、普通のパーティーには成り得ないだろうとも考えていた。戦闘の可能性は高いだろうと。なので、普通に食事が出ていることに驚きを表明すべきかもしれない。

リビング――というよりは、パーティールームだろうか。それにしては少し狭い――それでも十分な広さはある――が、何れにしても来客用の部屋であることは間違いない。上流階級は交流を重んじる。このような部屋は必須なのだろう。ウラルに居た時にも、このような場所に招かれた経験は何度もあった。

テーブルは年月を感じさせる暗めの色で、片側に5人は座れそうだった。雪を零したかのように白い大きな花柄のテーブルクロスは、おそらく特注品なのだろう。両開きの扉が同一の壁、北と南に1つずつ設けられ、どちらからでも出入りが可能だった。部屋の北側には大きな暖炉があり、南側には立派な柱時計が鎮座している。何にせよ、この人数を招くだけにしては、大げさとも言える部屋だった。

アスペルマイヤーはまだ姿を見せていない。

「こんなパーティーが有るって知ってたら、お昼は少なめにしてたんですけれどねえ」

 アダーがぼやくように言った。

この国の人間は、特別な場合を除いて、夕食時に暖かい食べ物を用意したりはしない。基本的にパンやハム、チーズにワインなど、簡単に用意出来るもので済ませる。その代わりに昼食を多く食べるのだ。ウラル生活の長かったシエラには、未だ慣れる事のできない習慣だった。ウラルの食事も独特ではあったのだが。

「……招かれはしたけれど、私たちはパーティーを楽しみに来たわけではないのよ」

敷地内に入ってから常に警戒し、気配を探ってはいたが、こちらへ敵意を向けてくる存在を感知することは出来なかった。ここでシエラとアダーをどうこうするつもりは無いようだが、油断は出来ない。殺しさえしてしまえば、死体の処理や体裁など、あちらはどうとでも出来る可能性が高いからだ。

ともあれ、意外だったのは住み込みの使用人が少ないことだった。シェフが1人に予定管理者のギュンター、専属のメイドが1人。現在、この建物に存在する人員の総計だ。庭の管理や掃除等は、日中の契約のみらしい。建物はそこそこの面積を備えているが、住んでいるのがアスペルマイヤー1人とあっては、そのようなものなのかもしれない。

「貴方はアスペルマイヤー氏と、どう言った関係なんですか?」

アダーは対面の、白衣を着た男に尋ねた。彼はワインを飲みながら、何を考えているか分からない笑みを浮かべる。邸宅の主が不在の中でも、気楽に振舞っているように見えた。アスペルマイヤーとは親しい仲なのだろうか。

 シュヴァーベン人の顔立ちとは、やや異なるように見えた。近いとすれば、ランゴバルト王国の人間だろうか。年齢は30代だろうか。短い髪に痩けた頬、その瞳は薬物中毒者のように爛々と輝いていた。何処となく猛禽類を思わせる凄みを感じた。あるいは、何かしらに掛けるための情熱、執念。なんにせよ、まともな男ではなさそうだ。

氣功士だが、玄関で出会った少女よりも、更に身のこなしが洗練されていない。氣導術師なのだろうが、その中でも研究者タイプなのだろう。

「僕かい? 彼の主治医みたいなものさ。名前はマルチェロ・イルデブランド」

 指を指した先にあるのは、アスペルマイヤーが座るであろう椅子だった。

 シエラは眉を顰めた。

「主治医? 彼は……病気なのですか?」

「病気だねぇ」

 至極あっさりと答える。

「正確には病気みたいなもの、かな。守秘義務があるから詳しくは言えないけれどね、もう長くは持たないだろうね」

「は……?」

「全く、残念なことだよ。もうちょっと持つと思っていた。折角良い被検体だったのに。終わりが近いというのは悲しいねぇ……」

 恐ろしく軽い言葉だった。言葉とは裏腹に、アスペルマイヤーの行く末になど微塵も興味を持っていないかのような――。

いや、それよりも、イルデブランドの語った言葉は重大だ。正確な意味は不明だったが、マンフリート・アスペルマイヤーは近い内に死ぬ。それが事実であるならば、この都市で起きている連続失踪事件は、それ以上の発展を見せないということだ。

朗報なのかどうかは不明だった。アスペルマイヤーが死ねば事件は終わり、捜査は進むだろう。だが、事件の本当のところは不明なままに終わる可能性が高い。動機、手段、共犯者、14年前の事件と今回のそれとの関係性。警察署や新聞社の汚職も有耶無耶になる可能性がある。それはこの都市に住む人間にとって、決して歓迎すべき事態ではないに違いない。

其処まではシエラの知ったことではない。だが、居酒屋の店主、ヨナス・カウフマンの無念を考えれば、それは避けたいという思いもある。全てを白日の下に晒し、犠牲となった者達の無念を晴らしてやりたい。そのような感覚はシエラにもあった。

「……ちょっと待ってください」

 イルデブランドと名乗った医者に対し、静かに返答したのはアダーだった。

「アスペルマイヤー氏が明日をも知れない病気? 冗談でしょう。そんな重大事、噂にならない筈がない」

 大きな丸い眼を細めて、イルデブランドは答えた。

「君は誰かな? まるでこの世の全てを知っているかのような物言いじゃないか。全く大層なことだが、それは君、傲慢というものだよ。世界は謎に満ちている。例えば君は、魔獣がなぜ世界に存在しているのかすら考えたこともないだろう。遥か上空を漂う外殻が果たす役割については? 我々人類の成り立ちや、神の眷属として崇められていた使徒達の正体はどうだね。知らないだろう。知ろうともしないに違いない。それもまた恐るべき傲慢と言えるがね」

 何だか壮大な話になってきた。頭の良い人間が、他人を煙に巻く時に、小難しい話をするような――。話を大きくすればアダーの気を反らせる――とでも考えているかのようだった。

「私は連邦捜査官です。世界がどうとか、そんなこと興味ありません。はっきりさせておきますが、我々はアスペルマイヤー氏に重大な事件についての関与を疑っています。……確かに私が知っていることなんて些細なことでしょう。ですが、彼の体調に怪しいところがあるならば、そんなことを見逃すはずがない」

「ちょっと落ち着いたら?」

 感情的になっているアダーの背中を撫でるように叩いて諌めた。彼女は見逃すはずがないと言ったが、シエラは疑問だった。

 アスペルマイヤーは警察や新聞社に圧力を掛けられる程の力を持っている。その力を持ってすれば、自身の病気を隠蔽することくらいは簡単だろう。

だが、アダーの考えも分からないではなかった。

 政治家も都合が悪くなれば病気を装う。そしてほとぼりが冷めるのを待つのだ。

 アスペルマイヤーも同じだろうとアダーは考えているのだ。自身の情勢を怪しんだアスペルマイヤーは、死亡を装って国外へ逃亡するつもりなのだろうと。確かにその可能性は大いに考えられる。アスペルマイヤーに家族はない。資金さえあれば如何ようにも逃げおおせることが出来るだろう。意外と真面目なところがあるらしいアダーにとっては、許しがたい行為に違いない。

昨日、話をした限りでは、精力的に仕事をこなしている印象を受けた。寿命の近いただの人間に、果たしてあのような挙動が可能であろうか。――いや、実のところ、ただの人間かどうかも不明だったのだ。握手を交わした時、妙な違和感を覚えた。気のせいかもしれない程度の違和感だが、シエラは自身の感覚を信用していた。高度な氣導術を用いて、自身が氣功士であることを隠しているとも考えられる。ただそうすると、アスペルマイヤーは30年に渡って力を隠蔽してきたということになる。行方不明になったアルノー・アスペルマイヤーにもそのような嫌疑が掛かっているため、有り得ない話ではないが――。

ともあれ、アダーの話は一理ある。その上で疑問を呈するとすれば、警察を黙らせるような豪腕を振るってきた人間が、本当にそのような手段を取るかということだ。

イルデブランドが面白そうに口元を歪めた時、部屋の扉が開いた。

「やあ、失礼。お待たせしたかな?」

 アスペルマイヤーだ。

意外なことに、料理の配膳カートを手ずから押しての登場だった。隣にはメイドが控えているが、手を貸す様子は無い。屋敷へ到着した際、ここまでシエラ達を案内したメイドだ。名はヴィルマと言ったか。薄い赤色の長髪を大きなリボンで纏めた、如何にも可愛らしい少女だ。ヴィルマ――何処かで聞いた覚えのある名前だった。ふと思い出す。旧クロッペンベルクで出会ったメイドも、同じ名前ではなかったか。顔も似ている気がする。

「これは親切心で言うのだけれどね、肉料理には手をつけない方がいいよ」

 薄気味悪い笑みを浮かべ、イルデブランドは声を顰めて言った。何とはなしに苛立ちが募る顔だった。

アスペルマイヤーはテーブルの北側、短辺に着席した。ダークグレーのフォーマルスーツで、抜群の着こなしだった。首元には見慣れない種類のネックレスが掛かっていた。真珠ほどの大きさで、一切の光沢を持たない黒い塊。何だか異様な雰囲気を感じ取った。

この部屋に存在する5人が5人とも別々の格好をしているため、何とも纏まりのない空間と言えた。

「……本日はお招きいただきまして……」

 通り一遍の社交辞令を述べようとしたシエラだが、

「堅苦しい挨拶や握手は結構。今日はお二人を友人としてお招きしたので」

 アルカイックスマイルでそれを制された。メイドが縦長のフルートグラスにシャンパーニュを注いで回る。嫋かな流線を描き、絹のようにきめ細かい発泡の液体がグラスを満たした。酵母の香ばしい香りが広がり、グラスの底面から泡が立ち上る。

「それでは、我々の良き出会いに」

プロースト、とそれぞれグラスを掲げた。シャンパーニュにしては甘味が強いが、それでもシャープな切れ味が残り、口の中が洗い流されるようだった。

「改めて、遅くなったことをお詫びしましょう。料理につい力が入ってしまいましてね」

 シエラは眉を顰めた。

「御自分で料理を?」

「ええ、気分転換程度に。まだ半年程度の腕前ですがね」

 半年というと、妻子と別居した辺りか。大変――という程でもないのかもしれない。朝と昼は外で食べれば良いし、夕食の用意は簡単だ。しかし、敵の首魁と目論んでいる男の料理を食べることになるとは思わなかった。

「物心付く前に母を亡くしてましてね。生前、母が得意だったというアイスバインのレシピを参考に作っているのですが、どうも上手くいかない」

 ジャガイモの団子料理にアボカドのスープ、メインは言葉通りにアイスバインだった。豚肉の繊維がほつれるまでたっぷり煮込んだもので、ハーブも聞いているので口当たりが良い。

だが。

(豚肉……か?)

 一瞬、嗅ぎなれない脂の臭みを捉えたように思えた。アスペルマイヤーが不慣れだから、下処理が上手く出来ていないのだろうか。イルデブランドが言ったのは、つまりそういう事なのだろうか?

「お好きな飲み物を申し付け下さい」

 メイドのヴィルマが静かに告げた。各種ワインの他に、ビールも並んでいる。グラスも様々だ。飲み物にあったグラスを使い分けているのだろう。酒の善し悪しは未だ分からないため、適当に注いで貰う。ふと思ったが、ヴィルマも酒は分からないだろうに、何を基準に選んでいるのだろうか。視線を送ると、悪戯がバレた少女のような笑みが帰ってきた。可愛い、抱きたいなどとシエラが思っているなどと、彼女は知る由もないだろう。

イルデブランドの忠告に従うつもりはなかったが、どうしてだか肉料理に手を付ける気にはなれなかったので、スープや他の料理に手を伸ばした。どれも美味いと感じた。チーズやハム、ソーセージ等は、かなり質の高い物を使っていると言えた。自前の精肉工場から卸した物だろうか。

「……それで、今日はどういうつもりで私達を呼んだのですか? まさか、本当に親交を暖めようとしているなんて、そんな事はないでしょう」

 アダーが油断なくアスペルマイヤーへ問い掛けた。あからさまに敵愾心を出すことはしていないが、イルデブランドとのやり取りが有ったためか、声が固い。

アスペルマイヤーは何かを誤魔化すでもなく、質問の意味を考慮するようにワイングラスを回した。

「……御二方は、自身の本質というものをどのようにお考えですか?」

「君はまたそれかい? 飽きないねぇ」

 イルデブランドが、本当に心底どうでも良さそうに言った。アスペルマイヤーはそれに対し、気安く笑う。

本質――確か、ミネルヴァの社長室でも同じ質問をされた。あの時は確か、時間の都合でギュンターに遮られたのだったか。

「本質?」

 意味が分からなかったため、シエラは問い返した。だが、答えは意外な所から帰ってきた。

「ものをそのもの足らしめる何か、のことですよ、シエラさん。人間の本質とは、人間を人間足らしめる、普遍性のある形式のことです」

「お、おお……」

 なんだか感心してしまって、思わずアダーの頭を両手で撫で回してしまった。

 その様子をアスペルマイヤーに微笑ましく見られていたために、何だか腹が立って止めることにした。

「それで、貴方はどうしてそんなものを知りたいんですか?」

「……私は知りたい。人の普遍性というものを。……私には分からないのです。自分というものが、分からない。私の根底に存在する恐るべき怪物が、他の人間にも潜んでいるのか、それを知りたい」

 その声音は、イルデブランドが語った通り、病人と称するに相応しいものだった。死の間際、人生に絶望した男が譫言のように呪いを繰り返しているような、暗い何かがあった。


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ホラーを書いていたため(https://kakuyomu.jp/works/1177354054886794026)、何時も以上に更新が遅れました。ブルーライトカットメガネを導入したら驚く程集中できるようになったので、今後は更新次も早くなるかも(希望的観測)


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