42話

 車はオルデンブルク北西部の郊外へと向かっていた。

シュターゲン区と呼ばれるそこは、都市の中でも景観が良く、富裕層に人気の場所だった。シュヴァーベン中部の山地から流れるテレマン川はオルデンブルクの都市を東西で分割しており、その支流の畔に家が建設されていた。家々の間隔は郊外らしく広い。南部郊外に多い農家や北東部郊外に多く見られる畜産家のそれとは異なり、富裕層らしく庭の手入れまで行き届いた豪邸揃いだった。

左手のなだらかな丘には古城を利用したホテルが人気を博していた。数百年前、王国期中期のものらしい。この場所がオルデンブルクとして開拓される遥か昔に、当時の地方領主がこの地に建造した城の名残とされている。

 車中には運転手のフレーゲル・ギュンター、後部座席にはシエラとアダーがいた。

ダミアンの姿はない。

晩餐会への招待ということだったが、彼は辞退していた。敵の喉元へ迫るチャンスではあったが、虎穴へ飛び込むに等しい行為。アスペルマイヤーの思惑は不明だが、全員で訪れる必要もない。

それに、ダミアンは他に調査したい場所があるようだ。彼曰く、ベッカー以外にも協力者は存在している。その関係で彼はノイエ・クロッペンベルクへの汽車に乗った。マンフリート・アスペルマイヤーの妻、現在は別居中の彼女に話を聞くために。

アダーはその協力者の存在を知らなかったようで、少しだけむくれていた。分かってはいたが、ダミアンの秘密主義は徹底していた。こちらを都合良く動かしたいという目論見があるのか、あるいは別の理由があるのか。不明ではあるが、捜査の素人であるシエラにはどちらでも良いことだった。

晩餐会ということだったが、そう大げさなものでもないらしい。故に、シエラとアダーの格好は普段通りのものだった。

車内には重苦しい空気が立ち込めていた。晩餐会へ招待しておきながら、ギュンターからは何一つ納得のいく説明がなかったからだ。ともあれ好機を逃す手はない。一先ずは誘いに乗ることにした。

例えアスペルマイヤーが間抜けであっても、シエラ達が彼を疑っていることくらいは分かっている筈だ。それに、ブレスレットの件もある。彼は今、最大限に様々な事柄を警戒して当然といえた。で、あるのに、連邦捜査官を晩餐会へ招待する。意図は不明だが、彼の絶対的な自信が垣間見れた。こちらがどう動こうとも、自分の優位は揺らがないと思っているのだ。

目的地まで半分を過ぎた頃、シエラが口を開いた。

「……なんでヤングなの? 西部大陸の高級車なんて使わなくても、シュヴァーベンにはカルニッツがあるでしょうに」

 西部大陸・ウベルタ合衆国最大の高級車メーカー、ヤング・モーターカー・カンパニー。世界各国に多くの愛用者を持つため、別にアスペルマイヤーが愛用していてもおかしくはないのだが。全体を鮮やかな赤色で着色した車体、運転席から前輪にかけての洗練された流線型、全体的にややゴテゴテしているような印象を受けるが、なるほど、如何にも高級車らしい作りだった。

「詳しくは存じ上げませんが、やはりただの趣味でしょう。車は男の浪漫だとかなんとか……正直、私には分かりかねます」

 その疑問にアダーが同調した。

「私も分かりませんねえ。捜査官の先輩が、奥さんに内緒で高級車買ってたんですよ。それで奥さんが激怒しちゃって、納車当日に即返納してました。それで喧嘩になって1週間くらい家を追い出されてましたよ」

「それはまた別の話じゃないの……?」

 高級品を無断で購入すれば、その種類が何であろうとも喧嘩にはなるだろう。

 車に関する拘りは全く理解出来なかったが、自身のそれに置き換えるならば、まあそういうものだろうと納得は出来る。シエラも旅先での記念として、土産物を収集する癖があった。興味のある物から全く興味のない物まで様々で、中には呪われそうな様相をしたフクロウの置物や、アンモニア臭の強い飴などもあった。話のネタにはなるので、一応は能力で保管しているが、他人が聞けば無駄なことをしていると感じるだろう。

ともあれ、車の話題はどうでもいい。口を開く切っ掛けが欲しかっただけだ。

「何が狙いなのか、そろそろ話してもらってもいいんじゃないかしら」

運転手、フレーゲル・ギュンターへ向かって、シエラは探りを入れた。

「人聞きの悪いことを仰らないでください。先程も申しましたが、社長はあなた方にお話を伺いたいと……」

「意趣返しかしら」

「まさか。そんな意地の悪い方ではありませんよ。ただ……」

 運転に集中しているため、ギュンターの表情は分からない。だが、その声音は心底うんざりしているように思えた。

「好奇心が強いと申しますか、遊びが過ぎると申しますか。振り回される我々にとってはいい迷惑です」

意外だった。まさかそのように批判的な言葉が出るとは。この都市へ到着して、初めて聞いたアスペルマイヤー批判かもしれない。

「ギュンターさんにとっては、彼は魅力的な人物では無い?」

 会社のみならず、邸宅においても客人の送迎を担当する彼女は、よほどマンフリート・アスペルマイヤーに心酔しているのだと思っていた。

「魅力的な人物かどうかは……正直分かりません。給料が良いからこの仕事をしているだけで。私はこの都市の出身ではないので、社長に付きまとう神話には興味がありませんね」

 実際に言葉通りなのかは判断が付かなかった。というのも、彼女が失踪事件に関与している可能性は高いからだ。彼女自身も氣功士であるため、その容疑を外すことは出来ない。

富裕層の人間が、軍を退役した氣功士を護衛として雇うことは珍しくない。だから、ギュンターが氣功士であるからといって、それが事件に関与している決定的な条件には成り得ない。が、立場的にも極めて怪しいと言うほかないだろう。

それだけでなく、彼の周囲に存在する全ての氣功士に容疑は掛かる。書類上はフレーゲル・ギュンターや邸内の使用人、運送会社の護衛関連など、数名程度しか登録されていない。彼ら全てを敵とみなして行動した方がよいだろう。

ギュンターがアスペルマイヤーに対して個人的な興味を持っていないのは事実かもしれないが、給料が良いから従っているとしても不思議ではない。

「あなたは、いつからミネルヴァ社で仕事をしているのかしら」

「……半年ほど前からですね」

「それ以前は何処に?」

 その質問に、ギュンターは笑った。

「今度は私に尋問ですか?」

 シエラが目配せすると、アダーは素早く手帳を取り出していた。手帳には、事前に調査していたギュンターの記録が書かれていた。

「そうじゃないわよ。ただ、貴女って美人でしょ。今度ゆっくり食事でもどうかなって。誘う女の過去くらい、知っておきたいじゃない」

「は……?」

 予想外の言葉だったのか、間抜けな声を発したのはアダーだった。ギュンターは少し戸惑ったようで、

「それは……私を口説いているんですか?」

「そのつもりだけれど」

先ほどとは別の沈黙が車内を満たした。シエラ以外の2人は呆気に取られていた。何だこの空気は、と両手を広げて疑問を呈す。

「あの……実は少し気になってたんですけれど、シエラさんってそういう趣味の……」

 遠慮がちに尋ねたアダーに、シエラは顔を近づけた。必要以上に近い距離で、彼女は怯えるように窓際へ退がる。

「……誰でも良いってわけじゃないからね」

「そ、そうですか」

 動揺したのか、顔を赤くしたアダーが胸をなで下ろした。誰でも良いわけではないため、アダーも守備範囲内だという事実は、敢えて黙っておいた。

「残念ですけれど、今は恋人を作るつもりがないんです」

「あらそう、残念。……で、ミネルヴァで仕事する前は何を?」

「……やっぱり尋問じゃないんですか?」

「まさか。ただの好奇心よ」

「……まあ良いでしょう。知られて困ることでもありませんし」

 埓があかないと思ったのか、ギュンターは嘆息した。

「出身は南部のアルヌルフィング州、安全領域のロッテンバウアー出身。5歳で氣功に目覚め、軍学校へ。一昨年に訓練課程を終えると直ぐに除隊して首都のローレライで一年間料理学校へ通う……ものの、結局向いてないと判断して、氣功士としての仕事を探し始めたんです」

 それから流れに流れてマールブルク州はオルデンブルクまで辿り着いたと。

「なるほど。シュヴァーベンは南部とか東部に安全領域が多いんだっけ?」

 聞きながら横目でアダーを見ると、微かに頷いた。調べた経歴と矛盾は無いようだ。だが、どうも用意した答えをそのまま読み上げているだけのようにも聞こえる。

「一概には言えませんが、安全領域が南部や東部に集中しているのは事実のようですね。……ここだって何時呑み込まれるか分からないのに、こんなに発展させてどうするつもりでしょうか」

 安全領域とは、その名の通り魔獣の存在しない地域への呼称だった。魔獣の巣が半径100km圏内に無く、小規模な魔獣の生存も確認されず、且つ今後数百年に渡ってその傾向が維持されるであろうとされる場所。巣は各地に大小様々存在し、移動する。そしてその移動には周期と法則性がある。予測が付くということだ。70年前の旧クロッペンベルクのような例外もあるため、予測も完全というわけではないが。

魔獣の巣が一度も存在しなかった地域は絶対安全領域と呼ばれ、基本的に国の首都はこのような場所へ置かれる。大企業の本社もだ。そうした場所は地価が高いため、本社を構えると箔が付く。故に、ミネルヴァ社のような大企業が辺境の都市に本社を構えていることは、異例とも言えた。普通は企業が大きくなれば、本社を絶対安全領域へ移すのだ。

「人が住む限り、都市は発展するものよ。それに、魔獣以外にも驚異はあるでしょ。氣功士に因る連続失踪事件とか」

「それは私を揺さぶっているつもりですか? 失礼ながら、あなた方の事情はある程度を把握しております。今は連続失踪事件を追っているのだとか。昨日お話頂いた行方不明のエルフもその犠牲者ですか? 何にせよ、その件であなた方が我々を疑っていることは承知致しておりますよ」

 その言葉に反応したのは、アダーだった。

「その情報網はなんなのですかね」

「アスペルマイヤーには仲間が多い。社長がそう申し上げた筈ですが?」

「だから我々を監視するような真似が許されると? 連邦捜査官を舐めすぎでは?」

 アダーの静かな怒りに、シエラは驚いた。何処となくふわっとした性格だと思っていたが、双眸に宿る光は鋭い。真面目なのだろう。レオン・ベッカーを殺害した当事者かもしれない女が、何を気にする風でもなく嘯いていることに我慢ならないのだ。

「気に障ったのなら申し訳ありません。言葉通りの意味で、他意はありませんので。あなた方の監視も社長の命令であって、私の意志ではありませんので」

 淡々と返答するギュンターだったが、とんでもないことをさらっと口にしていた。何の後暗いところも無い男が、果たしてリスクの高い連邦捜査官の監視など命じるだろうか。アスペルマイヤーの重大な犯罪性を暗に肯定しているとも取れる。

「……そう。で、実際はどうなの? かなり多くの氣功士が関わっていると思うのだけれど、あなたもその一人? 社長の命令なら何でもやるという口ぶりだけれど」

 この事件は既にアスペルマイヤー一人をどうこうして終わり、という話では無くなってきている。シエラを襲った黒鎧、クラウディアを拉致した黒鎧、ベッカーを殺害して首を晒した者、リーツマンを狙撃した者と氣導術の観測手。そして、ギュンターもまた氣功士だ。考えられるだけでこれだけの氣功士が関与している。氣功士に因る重大な組織犯罪だ。もはやテロにも等しい。

「私は違いますよ。そして……実際のところ、社長が私の知らない間に何をしているかは分かりません。だから、社長が連続失踪事件を主導しているとしても、一応は否定させて頂きますが、結果的にどうなろうが私の知るところではありませんね」

現実主義者的な物言いだった。彼女も氣功士であるのだから、軍で十分な訓練を受けているのだから、それも当然かもしれない。だが、事態を冷静に俯瞰し過ぎているような気がした。

「それは、私たちに協力してくれるということ?」

「場合によっては。有益な情報を掴めれば、お伝えします」

 アダーと顔を見合わせる。願ってもない話だが、シエラはギュンターを全く信用していなかった。まず間違いなく敵と見做している。だが、これが彼女からの駆け引きであるならば、逆に利用できる可能性は十分にある。

「……分かったわ。でも、無理しないでね。あなたにとっては仮の話だけれども、アスペルマイヤーは危険な男よ」

「肝に銘じておきます。……優しいですね、貴女は」

程なくして、やや黒ずんだ赤い門の前で停車した。車二台分ほどの大きさで、女性一人で開けるには苦労しそうな重厚さを感じた。もちろんギュンターは氣功士なので、それを苦にすることはない。手馴れた様子で門を開け、玄関前まで走らせる。

 意外なことに、アスペルマイヤーの邸宅は区画でも地味な場所にあった。敷地面積も10アール程だろうか。周辺の邸宅と差異を感じさせないものだった。邸宅の作りは新古典主義を彷彿とさせるもので、高級感に溢れてはいるものの、なんというか普通の豪邸といった風情だ。手入れされた広い庭と花壇が、色彩豊かに空間を彩っている。

普通の豪邸とは言っても、普通に豪邸なのだから邸宅の広さも相当なものだろう。二階建ての邸宅にはいくつもの窓が見受けられ、どれだけの部屋数があるのかは不明だった。

「こちらへどうぞ」

 濃い色合いの玄関扉に手を掛け、開ける。

「ようこそいらっしゃいました」

 待ち構えていたのだろう。一人のメイドが恭しく礼をした。薄い赤色の長髪を大きなリボンで纏めた、如何にも可愛らしい少女だった。見た瞬間、この少女もまた氣功士だと知った。全体の微妙な立ち居振る舞いからは、近接戦闘の未熟が見て取れる。氣導術師だろう。

リーツマンが狙撃された際に、重要な役割を果たしただろう観測手が想起された。

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