41話
「面白いことが分かりましたよ!」
快活な瞳を見開いて、カテリーナ・アダーは開口一番そう言った。
シエラとダミアンはモーテルへと戻っていた。容疑者は殺害され、その犯人は速やかに逃走となったため、あの小屋へ留まる理由が無くなったためだ。人間の頭が破裂したというのに、タダヤスは眉一つ動かさなかった。本当に死体と共に枕を並べても気にしないのだろうか。
頭が破裂したリーツマンの死体は、シエラの能力で持ち運んでいた。後で然るべき場所へ送らなければならない。このようにして死体を運ぶことは初めてでは無いため、今更抵抗感など無かった。
しかし、分からなかった。なぜ居場所がバレたのか。尾行されていたとして、それは何時からだろうか。シエラが気がつかないレベルで尾行されていたとなると、やはり相応の実力者ということになるだろうが――。傲慢なわけではなく、単純な事実として、自分程に戦闘能力が高い氣功士はそう居るものではない。単純に尾行されていたわけではなく、もっと別の方法で位置を特定されたと考えるのが自然かもしれない。
狙撃の際、氣導術で位置を特定されはしたが、それ以前にそれが行われた形跡はない。
また、あの場に居た倭国の人間に内通者が居るとも思えない。タダヤスがシエラ達の来訪を知ることは出来なかっただろう。ならば、アヤが怪しい――が、実のところ再開してからずっと警戒しており、観察していた。その結果、アヤに不審な点は見られなかったのだ。あの妙な金髪の女性は得体が知れなかったが、どうしてだか彼女がそうすることはないだろうという、根拠のない確信があった。まるでこの世界に居ながらにして、この世界に存在しないような、そんな妙な感覚がついて離れない。まるで異質な存在を眼にしているような、それはこれまで体験したことのない不可思議なもので――。
アスペルマイヤーには協力者が多い。都市中に潜んだその協力者の情報を総合して、居場所を絞り込まれてしまったのかもしれない。
壁時計の音が、一定のリズムを刻んでいた。
部屋はダミアンのそれを使用している。アダーの部屋ではアンジェリーナが安静にしていた。回復したとはいえ、未だ衰弱している。その彼女を護衛していたのは――護衛の必要性は不明だったが――昨晩シエラを捕縛したパトリック・フェルザー少尉だった。軍属であるフェルザー少尉だが、任務の性質上、連邦捜査官であるダミアンの協力要請には従う義務がある。彼は今も隣室で護衛の任務に掛かっていた。
しかし、アダーの部屋とは違って、煙草臭い部屋だった。見ると、灰皿には吸殻が山のように積まれている。氣功士が喫煙を習慣化するには、一般人よりも苦痛を伴う。回復力が遥かに優れているためだ。その苦痛に耐えてまで喫煙する意義を、シエラには見いだせなかった。
「本当に面白ぇんだろうな。面白くなかったら局長に掛け合って一ヶ月減給にするぞ」
ダミアンが疑わしげに睨んだ。恐ろしく理不尽な言い分だった。ふと思い出す。この間も同じような事を言っていた気がする。居酒屋で初めて出会った時だ。あるいはこれも彼なりの冗談なのかもしれないが、シエラにはそう思えなかった。目の間で成す術なく容疑者を殺害されて、気が立っているのかもしれない。
「……面白い! ……かもしれないことが分かりましたよ!」
「言い直しても遅ぇよ阿呆」
「ちょっと、言い過ぎじゃない? この間も言ったと思うけれど、あんまり後輩を虐めるのは良くないわよ」
シエラが諌めると、ダミアンは舌打ちした。
「何でお前が庇うんだよ」
「私は可愛い女子の味方だからよ」
「可愛くねぇ女子は敵なのか?」
「知らないの? 可愛くない女子なんていないわよ」
ダミアンは肩を竦めた。煙草を咥え、たっぷりと肺に煙を吸い込み、同量のそれを口からアダーへ向けて吐き出した。煙に巻かれ、涙目になりながらアダーは咳き込んだ。
「呆れたわね。まるで子供の八つ当たりじゃない」
シエラの抗議をダミアンは鼻で笑い飛ばした。
「うぅ……もうお家帰りたいです」
アダーは涙目でシエラにもたれかかってきた。優しい言葉を掛け続ければベッドに連れ込めるかもしれない――などと邪なことを考えずには居られないくらいには整った容貌を持つ彼女だったが、最大限の自制を働かせる。
「それで一週間くらい休暇を取って自堕落にすごしたい……」
「…………」
案外堪えていないのかもしれない。お互いにとって冗談の範疇であるという了解が取れているのか。人間関係の距離はお互いにしか分からない。シエラと師匠の関係も傍から見れば異常だっただろう。厳しい訓練を重ねて一人前の戦士となる氣功士が見ても、ただ殺しに掛かっているようにしか見えなかったかもしれない。
「……それで、何が分かったの?」
アダーは確か、レオン・ベッカー殺害の件で警察署へ趣いていた筈だ。それに関して分かったことがあるならば、ダミアンは決して怒りはしないだろう。
「あ、いえ、ベッカーさんの方は殆ど何も分かりませんでした」
「……よし、局長に電話してくるからちょっと待ってろ」
「いや待ってください取り敢えず報告を全部聞いてからにしてください!」
アダーは襟を正して踵を揃えた。
「まずベッカーさんの方ですが……」
常よりも神妙に見えるのは、報告に緊張しているというわけではあるまい。彼女は深呼吸し、唇を引き締め、一度だけ大きく瞬きした。
「首以外の箇所は飲食店外側のゴミ箱内で発見されました。遺体は数箇所に切断されていたので、確認に手間取りましたが……。殺害現場は自宅と判明しました。バスルームに多量の血痕が確認されましたので。しかし、犯人に繋がる証拠は今のところ確認出来ていません」
アスペルマイヤー絡みの事件なので、例え証拠が出たとしても握りつぶされてしまうかもしれないが。
それを受けて、ダミアンは淡々と言葉を紡いだ。
「殺害方法は」
「鋭利な刃物に因る切断、それに伴う出血多量。ノコギリ等で強引に切り出した感じでもないので、氣功士の仕業でしょう」
「死亡推定時刻は?」
「検死の結果と死斑の状態から、今日の0時から未明にかけて、と推測されました。切断時に多量の出血があったと想定されるので、断定は出来ません。もう少し時間をかければ詳しいことが分かるかもしれませんが……」
「そうか」
素っ気なく言っているように見えたが、吐き出した煙には、重々しい何かが含まれているように思えた。ダミアンなりにベッカーの死に責任を感じているのだろう。先ほどの言動もそうだが、彼は努めて偽悪的なだけで、決して嫌な人間ではない。そう言えば、捜査中も煙草を吸っていなかったということを思い出す。
「……それで? それが面白いことってわけじゃねぇんだろ」
少なくとも、愉快な話ではない。何も判明していないに等しいのだから。
「はい。ブレスレットの持ち主が分かりました」
それは昨日、シエラがマンフリート・アスペルマイヤーのポケットから盗んだものだった。指紋を残さないように、アダーは布越しでそれを持っていた。こうしたところは如何にも捜査官らしいと言えた。盗んだ際、シエラはブレスレットに触れてしまっている。迂闊と言えたが、些細な問題でもあった。シエラの指紋は入国時に採取されているため、要らぬ容疑が掛かる可能性は十分にある。だが、シエラにとってはクラウディアさえ無事ならばそれで良いのだ。それさえ満たされていれば、後はどうとでもなるだろう。
ベッカーの件で進展を見いだせなかったアダーは、取り敢えずブレスレットから連続失踪事件の捜査へアプローチを試みたらしい。
そして、それは直ぐに功を奏した。警察に出された捜索願のリストに、該当しそうな人物が存在したからだ。
「持ち主はイルゼ・ブロスト。24歳女性でオルデンブルク東部在住、同地区装飾品店に勤務」
「どうしてそれがイルゼ・ブロストのもんだと分かった。捜索願が出された装飾品店社員なんて、偶然の一致かもしれねぇだろ」
「これが彼女の自作だったからです。お店の店長が覚えていました。どうやらデザイナーを目指していたようですね。世界に2つとなく、決して売りに出されるものではないと」
少し考える風にしていたダミアンだったが、やがて口の端を歪めて笑い、
「ふん、上出来だ。良くやった」
乱暴にアダーの頭を撫で回した。
「痛っ痛っ! やめてくださいよ先輩、鬱陶しいですよ!」
子供扱いされたことが不満なのか、アダーは頭に置かれた手を乱暴に振り払った。だが、照れてもいるのか、少し耳が赤かった。褒められることなど滅多にないのかもしれない。
「じゃあ一度、そのブレスレットを奴に返してこないといけないわね」
ブレスレットが彼女のものだったからといって、これを元に家宅捜索の令状が降りるわけではない。アスペルマイヤーが確実にそれを持っているという状況を作らなければ、裁判では違法捜査として証拠能力を失うだろう。
また、問題は他にもあった。
「ブレスレットが無くなったことには奴も気が付いている筈。容易に返しに行ける状況じゃないとは思うけれど……」
少なくとも、自宅へ侵入することは難しいだろう。かなりの広さを持つ邸宅だと聞いているが、それだけに雇われの護衛が複数居てもおかしくはない。あの黒鎧が2人以上居るとなると、見つからずに侵入できる自信はない。なので、明日にでもアポイントを取って、再び会社へ出向くことになるだろう。
首尾よくアスペルマイヤーにブレスレットを掴ませることが出来ても、それで全てが上手くいくわけではない。
ブレスレットの紛失にアスペルマイヤーが気付いていない筈はないから、今の段階でかなりの焦りを抱いているだろう。被害者の物品を持ち歩いている程に迂闊な彼なだけに、何処かに他の被害者の物品も保管している可能性は十分にある。だが、足が付くことを恐れて、今頃は全てを隠滅しているかもしれない。
状況としては全く難しいと言えた。今頃はクラウディアすら処理されているかもしれないのだ。
「その辺は心配いらねぇだろ。全く心配しないのも用心が足りねぇってもんだが……。まあ、お前さんがブレスレットを盗んだのが昨日の昼。襲撃があってエルフの女が攫われたのが深夜の出来事だ。警戒しているなら、ブレスレットを紛失したその日の深夜に、エルフを誘拐するような真似をするか? 奴には自信があるんだよ。ブレスレット一つ程度じゃ自分の優位は揺らがねぇっていうな」
確かにその通りかも知れない。だが、それならばブレスレットの証拠能力など初めから無いに等しく、行動は無意味だったことになる。
「いや、少なくとも局長や知り合いの政治家を説得する材料にはなるさ。その材料を補強するために、俺は今から、とある場所へ行く。お前らは取り敢えず、ブレスレットを奴に返す算段を付けておけ」
「とある場所……? それはどこへ……」
その時、シエラの鋭敏な感覚が一つの気配を感じ取った。
「……誰か来たわよ」
襲撃犯というわけではない。モーテルの前に車が止まったのだ。時刻は夕方を過ぎた頃。誰が来てもおかしくはないだろうが、シエラには足音の気配に覚えがあった。
ダミアンとアダーが玄関を向いた。彼らも気が付いたようだ。目配せして、アダーは物陰に隠れ、シエラは部屋の中央に。ダミアンが扉の傍で待機した。
足音はダミアンの玄関前で止まり、規則正しく3度、扉を叩いた。他の気配は無い。無いように思える。あの黒鎧のような実力者ならば、気配を完璧に隠しきることも可能だろうが――。
再度目配せして、全身に緊張を漲らせる。
ダミアンがゆっくりと扉を開いた。
そこに居た人物は、にっこりと微笑んで恭しく一礼した。
「失礼致します。本日はマンフリート・アスペルマイヤーの使者として、貴殿らを晩餐会へお迎えにあがりました」
それはミネルヴァ社長秘書のフレーゲル・ギュンター。顔を上げた時に、三つ編みの赤毛が左右に揺れた。分厚い眼鏡の向こうから覗く切れ長の瞳が、妙に挑戦的だった。
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