39話

 オルデンブルク北東外縁部、山の麓、小高い丘にそれは有った。

ミネルヴァ運送のある南東外縁部からは、路面電車等を乗り継いで1時間の距離。だが、シエラ達の所要時間は数分の1だった。自らの足で都市外を疾走したからだ。公的権力を持つ連邦捜査官の職権乱用――とも言い難い。今は何よりも時間が惜しいのだ。

「ここです。見ての通りの場所ですが……」

 申し訳なさそうにアヤ・コマキは言った。

 簡素な掘っ立て小屋。剥き出しの木造建築。補修の跡が至るところに見られるが、基本的には年代物といった印象だ。雨風を凌ぐ効果は持つだろうが、決して快適ではないだろう。

 元々は狩猟小屋だったようだ。放置されていたそれを、持ち主から借用しているらしい。

「あなた、こんな場所に住んでるの?」

 シュヴァーベンのような先進的な国家では、かなり珍しい光景と言えた。それも、彼女は氣功士だ。いくらでも良い場所へ落ち着くことは出来るだろうに。

「いえ、ここに住んでいるのは師匠だけなんです。こっちの方が落ち着くとかで」

変わり者なんです、とアヤは続けた。アヤ自身はミネルヴァ運送の氣功士待機所――つまり、ナータン・リーツマンを捕獲した場所に間借りしているらしい。幼い連れがもう1人居るらしく、環境的に此処は相応しくないと判断したようだ。

 小屋の扉が開いた。

「あ、師匠」

 出てきたのは異様な風体の男だった。少なくとも、シエラにとっては。素肌に一枚の布を着用し、腰の辺りを帯で結んでいた。ズボンは丈の長いキュロットスカートのようにも見えるが、もちろんスカートではないのだろう。靴は薄っぺらく足の殆どが剥き出しで、何やら草のようなものを編みこんで作られていた。口元に咥えられた中央大陸産の紙巻き煙草が、いっそ異様な雰囲気を漂わせていた。

シエラが知る倭国の衣装は少ない。アヤの着用している着物なら分かるし、彼女の可愛らしさを引き立てるのに一役買っている――その着物ですら既に時代遅れと聞いた覚えもある。だが、男のそれはボロ切れのようで、不審人物が看板を背負っているようにしか見えなかった。氣功士の性質上、決して不潔ではないのだろうが、そういう問題ではない。

痩身で背は170センチそこそこと、シエラとあまり変わらない。頬は痩け、石炭のように胡乱な瞳が油断なく周囲を警戒している。腰に差した刀が鮮烈な印象を放っていた。

「この格好、倭国では普通なの?」

 アヤに小声で問うと、彼女は頭を振った。

「こんな格好、今時は師匠だけです。変わり者なので」

 変わり者で済む格好だろうか。

だが、強い。

一目見た瞬間、それだけは分かった。

「アヤ、これは何だ」

静かだが、良く通る低音が空気を裂いた。

「師匠、こちらは何でも屋のグラシエラ・モンドラゴンさんと、連邦捜査官のダミアン・ハンマーシュミットさん。そして両手両足を手錠で縛られ、大きな犬に縄で括りつけられているのが犯罪者で元同僚のナータン・リーツマンさんです」

縄で縛られたリーツマンを見て、男は静かに失笑した。分からないでもない。大の男が犬の背に縄で括りつけられている様は、些か滑稽だった。

「俺が聞いているのは、彼らを此処へ連れてきた理由だ」

 詰問のような口調に、アヤは若干身を縮こまらせた。シエラは彼女に代わり、事情を説明する。まあ、それが筋というものだろう。

事件のあらましは簡潔に。此処へ至った経緯は詳細に。

リーツマン捕獲の後に現れたアヤは、慇懃すぎるほど丁寧に、重ねてシエラに礼を述べた。地面に座り、深々と頭を下げた時は驚いたが、どうも倭国式の作法らしい。妙な国だと思ってしまった。

ともあれ、彼女はこの猟師小屋で尋問してはどうかと提案してきたのだ。以前に助けてもらった礼をしたいのだと。ダミアンのモーテルは敵に場所が割れている。提案は渡りに船と言えた。そうして素早く此処まで移動してきたという訳だ。

――アヤとその師匠が敵である可能性はまだ捨てていないが、仮にそうであっても手がかりになるならば飛び込んで損は無いと考えていた。ともあれ、敵である可能性は極めて低いだろうが。

説明をしながら、シエラはふと不安を覚えた。

アヤはこの場所を提案してきた。だが、此処に住んでいるのはアヤではなく、その師匠なのだ。師匠の住む場所を差し出すなど、シエラからしてみれば正気の沙汰ではない。自分を処刑するための刃物を、自ら研いでいるようなものだ。

しかし、彼の反応はどうも違った。説明を聞き終えると、男は面倒くさそうに煙を吐いて、

「連続失踪事件……か。面倒事は御免だが…………」

ふむ、とシエラに眼をやった。

「アヤが命を助けられた事は聞いている。グラシエラ・モンドラゴン殿。この網元 忠保、師として改めて御礼申し上げる」

「はぁ……」

アヤと同様に地面に座って頭を下げた男に、思わず出たのは生返事。アミモト・タダヤスと名乗った彼だったが、倭国の姓名は中央大陸の大半とは順番が逆だ。アミモト・タダヤスなのか、タダヤス・アミモトなのか、果たしてどちらだろうか。そんなどうでも良い事を考えてしまった。

「小屋は好きに使ってくれ。死体でもなんでも転がしてもらって構わんよ。どうせ俺しか寝泊りしない場所だ。誰も気にしない」

死体を転がすつもりは無いし、転がっていたら少しは気にした方が良いのではなかろうか。アヤを見ると、上品で無邪気な笑みがそこには有った。シエラの役に立てたことが嬉しいのだろう。

師は弟子の行動に何ら不満を覚えていないようだった。奇妙な師弟関係に思えたが、倭国ではこれが普通なのだろうか。それとも、この2人が特殊なだけか。

小屋へ通される時に気がついたが、真新しい補修後も見られる。タダヤスが自分で補修したのだろうか。

タダヤスの隣を通り過ぎる時、シエラにだけ耳打ちされた。

「奥に座っている女は無視しろ。相手をしても仕方がない」

女が居るのかと、訝しんだ。寝泊りは自分だけだと言っていた筈だが――。そもそもなぜ耳打ちする必要が有るのだろうか。

 小屋の内部は、予想通りの粗雑さだった。広さは16平方メートル程度で、窓は突き上げ戸。床は木材が剥き出しで、カーペットも敷かれていない。小屋の隅には蒸留酒の空き瓶がいくつも転がっている。

 壁も床も天井も、どこかしら腐り落ちそうな部分が有りそうに思える。当然だが照明器具はなく、昼間でも薄暗い。明かりは蝋燭で補っているようだ。

内装は椅子とテーブルが1つずつ、何故か座り心地の良さそうな真新しいソファだけが奥に設えられていた。タダヤスのベッド替わりだろうか。

そのソファには女が座っていた。タダヤスが無視しろと言ったのは、彼女のことだろうか。

凡そ生気を感じない程に白い肌、白に近いロングの金髪、桃色の唇と磨かれた翡翠のような瞳が印象的だった。まるでエルフの如き美女だった。だが、エルフではない。造形は人間のそれだ。シュヴァーベン人ではないと直感したが、では何処の人間かと言われれば、はっきりしない。てっきり倭国の女が居るのかと思ったので意外だった。

その女は、興味深げにシエラへ視線を飛ばした。家主に無視しろと言われた手前、どう返したものかと逡巡したものの、軽く手を上げて答えるに止めた。ダミアンは女性に見向きもしない。

妙だと思った。シエラは基本的に、美女ならば大抵は食指を伸ばしたくなる。だが、その女に関しては、全くそんな気が起こらないのだ。むしろ関わりたくないとすら思える何かが有った。

「この椅子を借りて良いか?」

ダミアンがタダヤスに問うと、彼はぞんざいに手を振ってそれに答えた。好きにしろ、ということなのだろう。タダヤスは入り口付近の壁に背中を預け、アヤはイグナーツを撫でていた。その犬は中身が目の前に居るおっさんだぞ、と警告を考えたが、ダミアンが反応しないところを見ると、常時感覚が繋がっている訳ではないのかもしれない。

リーツマンの縄を外し、乱暴に椅子へ座らせる。抵抗の様子は無い。出来ないのだ。シエラから受けたダメージが回復していないし、手錠は氣功士専用の氣導術具だった。牢屋で使用されていたものより強力ではないが、深刻なダメージを負った氣功士にならば効果的に作用する。

「さて……これから尋問が始まるわけだが、覚悟は出来たか?」

 その顔には似合わず、ダミアンの口からは淡々とした調子の声が漏れた。リーツマンの返答はなかった。睨みつけるようにダミアンを見ている。その瞳に映るのは焦燥か、あるいは絶望か。少なくとも余裕や腹芸とは無縁の表情だった。自らの未来が既に閉ざされてしまった事を、正確に理解しているのだろう。

しかし、リーツマンは絞り出すように反論した。

「何に対する、尋問だ……」

 シエラとダミアンは目を細めた。

「しらばっくれてるんじゃねぇ。昨日のオランジェホテル襲撃事件の犯人はてめぇだろうが。そんで、お前以外にもう1人居ただろうが。そいつが誰かを言え!」

「何の話か分から……」

言葉を遮るように、ダミアンの拳がリーツマンの頬を殴打した。普通ならば完全な違法行為だが、氣功士に対する場合のみ、このように前時代的な方法も許容される傾向にあった。犯罪の容疑を掛けられた氣功士に対する社会的立場は微妙なものだ。品行方正に生きていればそれなりに優遇されるし、そうでなければ命の価値は暴落する。疑わしいだけで殺せ、と声高に叫ぶ団体も珍しくない。あまりにも理不尽だが、それはそのまま常人が受けてきた歴史の結果でもあった。納得が出来るかと言えば、それはまた別の話だが。

ダミアンはイグナーツを親指で指した。何かを言おうとして唖然としたのは、アヤが我関せずと物凄い勢いで自分の能力を触り倒していたからだ。軽く咳払いをして口を開いた。

「あの犬はイグナーツ……俺の異能力だ。ホテルからお前の気配と臭いを辿った。言い逃れは出来ねぇぜ」

口中を切ったのか、リーツマンは血液を吐き出した。自身の住居に対する暴挙に、しかしタダヤスは気にもしていない様子だった。

「……証拠は有るのか。お前の能力はお前にしか分からないだろうが。そんなものが証拠になるか……!」

ダミアンのような異能力を持つ者は少ないだろうが、まさか司法も彼らの言葉を無条件に信じはしないだろう。彼のイグナーツが得た気配や匂いだけでは、証拠として十分に機能しないに違いない。もちろんそれはまともな弁護士が付けば、の話だが。氣功士に対する人権派の弁護士という存在も、少ないながらも決して居ない訳では無いが――。

「軍で習ったことを忘れちまったようだから言っておいてやるがな、氣功士ってのは容疑が掛かった段階で全個人情報の開示が義務付けられてるんだよ。俺らに隠してぇ秘密なんて存在しないに等しいんだ。お前が黙ってても、明日か明後日にはケツの穴の奥まで調べられるさ」

氣功士の弁護を積極的に行う弁護士が居ないのは、それが理由だった。ほんの少し疑わしいだけでも強制的に拘束され、徹底的に調べあげられる。黙秘権を行使しても拷問に近い尋問を耐えられる者は少ない。裁判まで持って行かれるような事例では、ほぼ勝ち目が無いのだ。

「弁護士が必要なら早めに言っておけ。当てがないなら用意はしてやるよ」

 返答はない。ただ、大きく身震いした。事ここに至っては、リーツマンも弁護士など意味がないと理解しているらしい。

例え弁護士を望んだとしても、こんな辺鄙な場所へ到着するまでには時間が掛かるだろう。リーツマンもそれを理解している。だから、アヤの提案は望外だったと言える。警察署より、ダミアンのモーテルより、この場所は遥かに辺鄙だ。リーツマンを精神的に追い詰めるには格好の場所と言えた。

「アスペルマイヤーがお前を護るつもりがあるなら、頼まれなくても優秀な弁護士を付けてくれるだろうよ。まあ、無駄に終わるだろうがな」

 氣功士の裁判は首都の連邦裁判所で行われる。アスペルマイヤーでも、その権力は及ばないだろう。

 その言葉に、リーツマンは目を見張った。

「アスペルマイヤー……? アスペルマイヤーって、あのアスペルマイヤーか?」

あからさまな動揺に、ダミアンは口元を僅かに釣り上げた。そして、無造作にリーツマンの顔を再度殴打した。

「まだしらばっくれるつもりか? お前の依頼人だろうが。お前は昨日、アスペルマイヤーに依頼されてホテルを襲撃した。違うか?」

「……違う、いや、分からない、俺は、そんな、アスペルマイヤーが……」

「何が違うってんだ、あぁ!? なら何でさっきは逃げようとした! 何もしてねぇ奴が、連邦捜査官に攻撃を加える必要なんてねぇだろうが!」

俯きかけたリーツマンの髪を掴み、無理矢理持ち上げ、怒声を張った。裏稼業の人間が失敗した人間を拷問しているようにも見える。

「クソ……クソが…………」

追い詰めるには時間が必要だ。これから同じような問答を何度も繰り返し、肉体的、精神的に追い詰めて自白を促す。だが、それでは遅い。リーツマンに時間を掛けている暇は無い。彼を起訴に持ち込むかどうかなど、本当はどうでも良いのだ。 仮にリーツマンを起訴しても、アスペルマイヤーは当然のように彼を見捨てるだろう。そして、アスペルマイヤーは彼との繋がりを残しては居ない筈だ。本命はアスペルマイヤー。奴を逃してしまえば、何にもならない。そして、時間を掛ければ掛ける程、クラウディアの生存確率は減っていく。出来ることは無いだろうかと、シエラは内心焦っていた。

リーツマンは罪を逃れられない。ダミアンの言う通り、遅かれ早かれ全て調べあげられる。であるのに、自白を拒む理由があるとすれば、報復を恐れているからだろう。

視線に気が付いたダミアンは、軽く手を挙げてシエラを制す。

「なあ、氣功士犯罪は内容がどうあれ基本的に重罪だが、お前がここで洗いざらい自白すれば、俺が検察官に口を聞いてやるよ。アスペルマイヤーからも護ってやる」

ダミアンの口調が、突然柔らかなものに変わった。こうした感情のスイッチは尋問の基本的なテクニックだが、まさか一人で役割をこなそうとするとは思わなかった。あまり効果的とは思えないが――。

「それだけじゃねぇ。考えても見ろ。お前の協力でアスペルマイヤーが氣功士犯罪に関わった証拠が見つかれば、お前は大幅に減刑されてもおかしくねぇ」

ダミアンの狙いはそこに有った。リーツマンからアスペルマイヤーが事件に関わったという何かを引き出す。彼の住居や銀行口座の流れを調べ尽くしても、その証拠は決して見つからないだろう。だから、なるべく多くを、彼自身の口から引き出す事が肝要だった。

そして、それは上手く言った。ダミアンの提案に、リーツマンは漸く折れたようだった。

「俺は……何も知らない……。ただ、金をくれるっていうから命令されたままに動いただけだ」

「何時から、何度くらいだ」

「……半年くらい前から……何度かは正確には思い出せないが、10回は下らないと思う」

「依頼のために接触してきた奴が居ただろう。そいつの事を話せ」

「依頼主の顔も名前も知らない。ただ、顔を隠した奴が……背丈から言えば女だと思うが、依頼主の代理だとかで指示を寄越してくるんだよ。金と指定の場所を告げて、そこへ行くと実行役の奴が居て、そいつの指示通りに動いた。……何時も同じ奴だ」

「そいつのことを話せ。詳しくだ」

そこで、リーツマンは言葉を切った。しばし苦悶するように考えた後、

「分からない……」

 ダミアンがリーツマンの顔面を殴打した。プァッと間の抜けた音が口から漏れ、鼻血が噴出する。

「分から……ない……本当だ、分からないんだ。仕事をする時はいつも同じ野郎だが……、いつも……その……」

 言い淀んだリーツマンに、再び拳を入れようとして、

「待て、待ってくれ。言ってもどうせ信じないだろうと思ったから……」

「信じるか信じないかはお前が決めることじゃねぇ。さっさと言え」

「そいつは……いつも黒い鎧を着てた」

シエラとダミアンは、瞠目して顔を見合わせた。

ホテルの襲撃事件とシエラの戦闘は同時刻に行われた筈だ。当然、クラウディアとシエラを襲った黒鎧は別々の人間という事になる。

「あんな化物が他にも居るっていうの……」

昨夜の戦闘を思い出し、シエラはうんざりしたような心地になった。


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