38話
「対象を確認した。情報通り、あの建物だ」
倉庫のような建物だった。実際のところ、倉庫を改修したのかもしれない。
それはミネルヴァ運送に所属する氣功士の待機所だった。古びた外観のレンガ造りだが、中は寛げるような造りになっているのだろう。企業にとって、氣功士は貴重な財産だ。決して粗末には扱えるものではない。
ダミアンはイグナーツを先行させ、扉や窓の隙間から内部を伺っていた。シエラに加勢した時とは異なり、今のイグナーツは中型犬サイズだ。その気配を感じ取る事は、注視していても至難だった。目視は出来ても、幽鬼のように疑わしい。そして、音を一切立てずにあらゆる場所へ忍び込む。能力としての特性なのだろう。連邦捜査官の能力としては極めて優秀と言えた。
シエラは顔写真入りのリストに眼を通していた。ミネルヴァ運送に所属する氣功士のリストだ。来訪のアポは事前に取っており、事業所の所長より直接手渡された。流石は企業の一所長を任されているだけあって、氣功士を前にしても堂々たる振る舞いだった。
ダミアンは首都に保管されているリストに目を通していたため、この場所にどんな氣功士が居るか、ということは既に把握しているようだ。とはいえ、シエラのような流れの氣功士も存在する。そうした事情で国家が保有するリストとの齟齬が発生する場合も――滅多にあることではないが、無くはない。
今回もそうだった。
ダミアンのリストよりも、ミネルヴァ運送の方が一名多い。
名前はアヤ・コマキ。倭国の少女。間違いなく、2日前に出会った彼女だろう。激しい衰弱で州軍基地へと運ばれたが、容態はどうだろうか。
ダミアンは事件との関係性を胡乱に呟いたが、何とも言えないので特に返答しなかった。2日前の出来事を説明しても良いが、今は時間が無い。
とはいえ、アヤ・コマキが敵である可能性は――無いとはいえない。強大な剣技・哭耀鮮塵を使用する流派、一心流は各国に傭兵を派遣している。派遣される者達の実力は高く、その依頼料に反して依頼が途切れることは無いという。
例えば、アスペルマイヤーの――彼の名義でなくとも――依頼で派遣された人材がアヤ・コマキに連なる人間という可能性はある。自身も言っていたが、彼女は未だ未熟だ。傭兵として一心流の名を背負うような実力にはない――と、シエラは考える。その未熟な彼女が倭国から遠く離れたシュヴァーベンはマールブルク州に居る理由。彼女の師匠に当たるような人間と共に来訪したのではないか。詰まるところ、その人物がアスペルマイヤーに雇われている可能性は高く、そうだった場合、アヤ・コマキは師匠に反抗しないだろうと思われた。
「中に居るのは例の男だけ?」
「そうだ。昼間っから酒飲んでやがる」
呑気なもんだと吐き捨てて、ダミアンはイグナーツを建物の裏手へ回らせた。挟撃、あるいは遊撃か。裏口へ逃げられれば面倒だ。
ダミアンは強大な戦闘能力を保有するイグナーツを自在に操作する。このような場合は、見えない場所に配置した方が効果的なのだろう。
戦闘が起こるかもしれないということで、所長協力のもと一般職員の退避が始まっていた。事務関係の社員と運転手、氣功士である対象が別の建物に詰めていたことは幸いだった。退避の流れを対象に悟られれば、少し面倒なことになっていただろう。対象が運送の警護へ付いていないことも幸運だった。
対象――ナータン・リーツマンは38歳の男性。20代の初めに軍を退役し、様々な職を転々として、今はミネルヴァ運送に落ち着いている。軍を去った理由は不明だが、そうした若者の氣功士は少なくない。氣功士軍人は、率先して魔獣の処理に当たらなければならない。それは氣功士であっても危険な仕事であり、精神的な負担も大きい。嫌気が差し、普通の人間が付くような仕事を選ぶ気持ち、憧れはシエラにも理解出来る。
だが、そうした若い氣功士の殆どが、結局は氣功の能力を使う仕事に落ち着く。彼らは幼い頃から氣功士としての修練を積み、それ以外の社会を知らずに育った人種なのだ。常識の異なる社会へ馴染むのは容易なことではない。
また、危険な仕事ほど金銭的な身入りが良いという理由もある。とはいえ、危険過ぎる軍の仕事へは戻りたくない。そうして、企業等へ氣功士としての自分を売り込まざるを得ない。
そのようにして得る仕事の1つに、長距離運送トラックの警護がある。
基本的に公道であるアウトバーンは安全な移動経路となっている。何百年も前の王国時代ならばまだしも、近代に至って魔獣の巣は、その大小を問わず全てが把握されている。常時移動型の魔獣に対しては、魔獣避けの氣導装置を敷設することで安全性を確保していた。
運送会社も公道のアウトバーンを使用すれば護衛を雇う意味は無い。しかし、彼らは公道を使用しない。大小様々な魔獣の巣を避けるために、公道は基本的に遠回りとなっている。それでは貨物の配送に時間が掛かる。
だから、企業は私道を使う。様々な企業が投資し、彼ら自身によって運営される私道を。
安全性の観点から、当初は難色を示す国家も有っただろう。だが、実際に運営が始まってみれば、彼らもその有用性を認めるしかなかった。今では経済を円滑に回す利点が有るとして、大抵の国家では私道に対して補助金を出している。
この私道は軍の氣功士による巡回も成されているため、安全性は高いと言える。だが、実際に魔獣から襲われれば、助けが来るまで持ちこたえられる可能性は低い。だから彼らは警護を雇う。そのような私道に現れるはぐれ魔獣は低級で数も少ないため、警護の氣功士も安全に対処出来るというわけだ。2日前に起こった出来事は、だから本当に異例だったと言える。
入口の鉄扉に手を掛け、ダミアンは言った。
「正直言って、お前さん相当キレてるだろ」
「……さあ、どうかしら」
「ビリビリとさっきから圧力がすげぇんだよ。どうせ抵抗してくるだろうが、くれぐれも殺すなよ。イグナーツも居るんだ。適当に逃げたところを捕まえりゃいい」
ストレスが溜まっているのは確かだ。戦闘でボロボロにされ、同行者は攫われた。これで冷静を保てるほどに達観してはいない。
「殺すわけないでしょ。折角の手がかりなのに」
「……なら良いがな」
ダミアンが言うには、リーツマンは入口に設置されているソファに座って酒を飲んでいるらしい。扉を開ければ、即対面というわけだ。
ゆっくりと扉を開けて、何気ない調子で2人は中へと入った。
外観と違って、中はやはり綺麗だった。そうと知らなければ、やや高級なアパートのようにも見える。正面には2階への階段が伸びており、いくつも部屋がありそうだった。もしかして、社員寮のような役割を持つのかもしれない。広いエントランスの一角には絨毯が敷かれ、応接室のようにソファやテーブル、大時計が設えられている。
そのソファに、リーツマンは座っていた。何というか、荒れた男だった。
ダミアンの言うように、ウイスキーの入ったグラスを傾けている。ボトルは既に半分ほどが減っていた。手入れのされていないボサボサの髪に無精髭。会社員のようにスーツを着用していたが、あまりにもくたびれていて、全く別の服にも見えた。無精ではダミアンを凌駕していた。スーツの下にはいくつか武器を隠し持っているようだが、果たして正しく使えるのだろうか。
彼の左手には通路が伸びており、裏口へ通じていると思われた。
入ってきたシエラとダミアンを見て、彼は怪訝に眉を顰めた。そして、グラスを置いて立ち上がる。警戒反応。それはやましいところが有るからかもしれない。
途中でシエラは止まり、ダミアンは懐から連邦捜査官手帳を出した。
彼の警戒心は、ダミアンが見せた手帳で驚愕に変わった。
「ナータン・リーツマンだな。お前を……あー、諸々の容疑で逮捕する。頼むから逮捕状がどうとか間抜けなこと言ってくれるなよ」
ダミアンが有無を言わさず、裏口の通路側から近付いた。リーツマンの腕を取ろうとしたところで、彼は手を引いた。軍用ナイフの一閃が彼の袖口を切り裂いたからだ。外見に比して、中々鮮やかな手並みだ。
体勢を崩したダミアンに蹴りが入り、数メートルを後退させられる。
その隙にリーツマンは走り出した。裏口ではなく、こちら側へ。
シエラがゆるりとそれを遮る。リーツマンは2本目のナイフを左手に持ち、シエラに襲いかかる。一瞬、その表情が虚を付かれたように引きつった。シエラの顔に見覚えがあったのか。少なくとも、自分が襲ったエルフの相方であることくらいは理解出来た筈だ。
どのように対処するか迷ったのだろう、リーツマンの歩調に乱れが生じた。だが、直ぐに腹を決めたのか、左のナイフをシエラの顔面目掛けて投擲した。だが、これは悪手だ。
尋常の勝負ならば牽制にはなったかもしれない。だが、これは尋常の勝負ではない。
高速で飛来するナイフを、その場で回転しながら掴み取り、流れるような動きでふわりと投げ返した。
投擲したナイフが瞬時にそのまま返ってくるとは思わなかったのか、彼は眼を見開いてタタラを踏んだ。辛うじてナイフを受け止める。
その隙だらけの脇腹に。
「ごッ……!?」
シエラは無造作に蹴りを入れていた。
蹴り飛ばされたリーツマンは砲弾のように倉庫の壁をぶち破り、外へとはじき出された。粉塵が彼と壁材に纏わりついて軌跡を描く。
あまりの衝撃に受身も取れなかったらしい。地面を転がりながら、うつ伏せに倒れ伏す。内蔵を損傷したのか、咳き込んで吐血していた。感心なことに、武器は手放していない。
シエラは彼の頭を無造作に片手で掴んだ。そして、力任せに眼が合うように持ち上げていく。シエラの瞳に何を見たのか、リーツマンの全身は一瞬で汗に覆われた。親指と中指で両こめかみを強烈に圧迫され、そのまま破砕されかねないという切迫感に、リーツマンは軍用ナイフを手放す。シエラの腕を掴んで、懇願するように数度タップした。
シエラはそれに応じず、今度はゆっくりと時間を掛けて彼の頭を地面へと倒していく。成す術無く腹ばいに寝かされたリーツマンは、緩まないこめかみの圧迫感に痙攣するほど舌を大きく突き出していた。シエラとリーツマンとでは、氣功士としての練度が違い過ぎる。尋常の勝負になる筈もない。
「おい、殺すなよ!」
ダミアンが切迫したように言った。シエラはそれに、片手を上げて答える。
「もちろん殺さない。だが、分かるか? お前の立場が。犯罪を犯して捕まった氣功士の未来が」
リーツマンの耳元で、シエラはそっと呟いた。
「事態は色々と複雑で、お前から情報を得るのに手段を選んでいる余裕はない。どんな選択をしようとお前は後悔することになるが、精々五体が満足である未来を選べ。私からの暴力行為がただの先触れに過ぎないことを、きちんと理解出来た事を期待する」
全身が痙攣を始めたので、シエラは力を緩めた。
力なく投げ出された右腕の関節を締め、無理やり立たせる。憔悴しているのか、初めは立つことすらままならなかった。
「取り敢えず、どうする?」
警察署へは連れていけない。アスペルマイヤーの支配下にある場所では、秘密裏に処理されてしまう恐れがある。あのレオン・ベッカーのように。
「……俺のモーテルへ連れて行くしかねぇだろ。まあ、そこでも安全とは言えねぇが」
「連邦捜査官を襲うほど、アスペルマイヤーは強気なのかしら」
「いや……だが、こういう手合いは『開城機関』に関わっている可能性もある。あいつらは相手が誰だろうと関係ねぇからな」
「アスペルマイヤーが? それともリーツマンが? そんな感じでも無いけれどね。開城機関の連中はもっと……なんていうか、時代錯誤でしょう」
シエラはとある人間を思い浮かべていた。
「こいつらがメンバーだとは言ってねぇよ。資金提供くらいはしてるかもしれねぇってことだ。その関係で、アスペルマイヤーの私兵に開城機関の連中も関わっているかもしれねぇ。連邦捜査官の命なら、あいつらはいくらでも欲しがるだろうよ。それに、エルフを誘拐だなんて、如何にも奴らのやりそうなことだろう」
確かにその通りかもしれない。
開城機関とは、氣功士のみで構成されたテロ組織の名称だ。王を頂き王に尽くす。彼らの敵は現世界の秩序体制そのものだ。転覆を図り、王政の復権を目指している。時代に取り残された哀れな亡霊と呼ぶ者も居る。
その動機が氣功士の失墜した地位の回復という側面もあり、氣功士ならば活動の全てを否定しづらくもある。
社会に適応するうえで、氣功士に課せられた様々な制約は、実際のところ不満を生んでいる。それでも、誰もが開城機関の思想に大きく賛成しないのは、彼らが氣功士以外の人命を極度に軽んじているからに他ならない。
まだ憔悴しているが、リーツマンは立てる程に回復したようだ。彼を促して、ダミアンのモーテルへと向かうべく、歩き出す。
そこで、声を掛けられた。
「もしかして、グラシエラ・モンドラゴンさんですか?」
前方に現れた氣功士に呼びかけられた。望外の喜びを言葉に滲ませて、その音はやや弾んでいた。潤い、張りのある声。調子は違うが、聞き覚えのある声。
アヤ・コマキ。2日前の騒動から、どうやら既に回復していたようだ。
彼女は敵だろうか。それとも、アスペルマイヤーとは無関係だろうか。無関係であることを願って、シエラは彼女に向かって微笑んだ。
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