36話

「…………」

破壊された室内を見て、シエラは嘆息した。今にも底が抜けそうな床を、徐に踏みしめて中へ進んだ。

昨夜同様、極めて激しい暴風に晒されたかのような室内だ。ベッドはひっくり返り、床板は剥がれ、ドアは引きちぎられたかのように転がっている。昨日は気がつかなかったが、ベッドが1つ足りない。

そして、隣室との壁も不自然に抉り取られていた。

幸いにも、隣室に宿泊客は居なかったようだ。仮に居たとして、目撃者として生存していた可能性は限りなく低い。

シエラがホテルへと戻ったのは、アデナウアーとの話し合いから程なくのことだった。

当然の事だが、ホテルは営業を中止しているようだった。中止したのか中止させられたのかは分からないが、どちらにせよ、客が居なければ商売にならない。派手に破壊された一室を見れば――何せ、外側からならば嫌でも目に付く――、泊まっていた客もチェックアウトしたい気分にもなるだろう。

犯行現場故に立ち入れないかもしれないと考えていたが、意外にもすんなり通された。警察に、ではない。ホテルのオーナーだ。ホテルの入口付近に封鎖線を貼ってはいるものの、警察の姿は既に見えない

立ち入れないという意味では、オーナーにこそ拒まれるかもしれないと考えていた。如何にも仕事が出来そうな中年の男性だったが、彼の目にはシエラに対する恐怖が有った。無理もないが、弁明もしなかった。

部屋の中ほどまで歩くと、声を掛けられた。

「……初めに言っておくが、クラウディア・J・D・ヴァーラスキャーブルの行方は知れない。お前さんが懸念しているように、連れ去られていると見て良いだろう」

 声のした方を向くと、ダミアンが居た。破壊された壁、隣室のベッドに座っている。実のところ、誰かが居ることには気がついていた。それがダミアンかアダーであることにも。ホテルのオーナーがシエラを受け入れたのは、連邦捜査官の口添えが有ったからだだろう。

彼は初対面の印象と変わらず、警察として信用されるかされないかという、ぎりぎりの風体だった。

「何か分かった?」

シエラが問うと、ダミアンは肩を竦めて、

「……この部屋の状況を見て、お前さんは何が分かる?」

試すようにそう言った。

「貴方や警察が調べ尽くした後じゃないの? ……いえ、警察が敵なのだとしたら、いくら調べても無駄じゃない? 証拠は隠滅されてるかも」

「その点については心配するな。事件発生直後と何も変わらない状態で残してある。俺も調べたが、お前さんの意見を聞きたくてそのままにしてる」

 どのように考えれば現場の保存性に関して安心出来るのか。どちらにせよ、現状で出来る事をするしかないため、言及する意味は無い。

「……素人の意見が役に立つとでも?」

「あのエルフはお前さんの連れだっただろう。自分で調べないと納得出来ないんじゃねぇのか? 俺はお前さんの戦闘能力に期待してる。ここで揉めて手放したくねぇんだ」

不快ではあるが、思考を纏めるには役立つ。そもそも、部屋の状況を検分しにきたのだ。促されようが止められようが、どうせ必要なことだ。エルフや、それ並に氣導術に長けた者が居たならば、色々な事が分かるのだろうが――。

「まず、クラウディアを襲ったのは1人ではない。最低でも2人は居た……はず」

「その理由は?」

「壁2つと入口の扉で破壊方法が違う。一人は外壁を破壊して侵入した可能性が高い」

「壁が破壊されたのは戦闘の結果じゃないのか?」

「そうかもしれない。実際、そっちの内壁はそうだと思うわ。だから、襲撃者が1人だった可能性もあると思う。でも、クラウディアは碌に反撃出来なかったと思うのよね。それはこの部屋の破壊跡を見ても分かる」

 暴風に晒されたかのような室内だが、それでも氣功士同士が争った痕跡としては優しい。そもそも、一室だけの被害で済んだ事が異常と言えた。熟練した氣功士同士が争えば、都市を巻き込んだ災害に発展しておかしくない。これは、戦闘時間が極めて短かった事を表していると見て間違いない。

「あの子もエルフだから、実際そこそこ強い。その彼女を短時間の戦闘で碌に反撃させずに倒したのだから、相手は複数か、余程の実力者だったか」

 昨晩戦った黒鎧ほどに強ければ、それは可能だろう。あれ程の実力者が他にも敵として存在する可能性は低いが、もちろん考慮する必要はある。シエラにはまだアスペルマイヤー家の底が見えていない。

「エルフの主武装は弓とか氣導術だろ? 例え敵が格下1人でも、奇襲されたら対応出来ないんじゃないのか」

 氣功士同士の戦闘においても、奇襲の有用性は計り知れない。例え格下であっても格上を打倒しうる。それは間違いない。そして、弓も氣導術も、どちらも本領を発揮するのにタイムラグと適切な距離が存在する。

「弓に秀でてるだけで、近接の格闘に弱いわけじゃない。剣も使えば拳も使う……ってまあ、聞いた話だけれど」

「うん? ……そう言えば、俺もそんな話を聞いたような……いや、訓練所時代の座学か。『エルフ概論』。もう殆ど忘れちまったが、確かにそんな事を書いてたような……」

 ダミアンは首を捻って思考した。シエラのそうした知識は師匠の授業に因るものだったが、軍の訓練所に居ても同じような座学を受けさせられたかもしれない。国が違って教育の質や方向性が変わっても、エルフに対しての基礎教育は恐らく殆ど変わるまい。

実際、エルフにとって標準的な装備は弓なのだから、ダミアンの認識で間違っていないと言えばそうだ。シエラもクラウディアの近接格闘の実力は知らない。戦って圧勝した身としては、そもそも身体の基礎能力が違い過ぎて弱いと言わざるを得ないが。

「まあどっちにしても……」

シエラは一本の棒きれを拾い上げた。破壊された内壁とは反対側の壁際に落ちていたものだ。

「弓で反撃してる。奇襲を受けても、対応は出来たのよ」

「奇襲を受け、しかし弓で反撃出来るくらいの余裕はあった。にも関わらず短期間の間に決着が付いている。1人目が外壁を破壊して侵入、それに対処している間に2人目が扉を壊し、意識を奪った、か」

 あるいはその逆か。

「……まあそんなこと、連邦捜査官殿なら分かってるんでしょうけれど。予想通りの回答で満足?」

「満足だな。俺も可能性の一つとして、同じ事を考えた」

 初めからそれを説明すれば良いだろうに、しかしその結果をのみを聞かされて納得出来たかと考えれば、そうはならないかもしれない。ダミアンの判断はシエラに取って妥当と言えるのだろう。まだ殆ど言葉を交わしていないが、彼はシエラが疑り深いことを察しているのかもしれない。

「敵の1人、あるいは両方が異能力者だと思うか?」

「そうね……」

 破壊された壁の断面に触って、思考する。

「外壁と内壁の有様は妙ね。これだけ派手に壊れているのに、破片が部屋の中へも外へも落ちていない。破壊されたというより、消失したと考えた方がしっくりくる」

 自身の能力を想起したが、明確に異なる点が有った。仮に、シエラの能力で壁の一部を収納したならば、それを見た者は『切り取られた』ように感じるはずだ。断面は滑らかで、初めからそのような構造物だったと誤解する者すら居るかもしれない。

そして例えば、触れた物を分解するような能力でも断面は綺麗に残るだろう。

「あるいは、壁の残骸が残らない方法で破壊された」

今回のそれは、一目見て『破壊された』と形容出来る程に、残った壁の断面はゴツゴツと尖っていた。力任せに引きちぎられたかのようにすら見える。

なので、どちらかと言えば、後者の可能性が高いだろう。

「襲撃者のうち、少なくとも一人は異能力を行使している」

 壁を破壊した能力者だ。同じ異能力を持った人間が同時代に現れた例は無いため、内壁と外壁を破壊した異能力者は同一人物と見て間違いない。

 中心点に向かう円状の力場が有って、壁はそこへ向かって落ちていった。そんな印象を受けた。壁の断面は歪なので、力場は真円という訳ではないだろうが。

「そして、消えたベッド……ベッドが置いていた場所に、妙な抉れ方をしている床が有る。なのに、ベッドも抉れた床の残骸も見当たらない」

シエラはかがんで、床に落ちていた物を摘まみ上げた。

「黒い石……」

光沢を感じさせない真っ黒な石。真珠ほどの大きさで、ゴツゴツしていた。

「外壁の傍にも同じ物が落ちてたわ。内壁の近くにも同じ物が有ったんじゃないかしら」

「ああ。そこに落ちてる」

ダミアンがそれを拾い上げて、こちらに示した。

「重力操作ってやつだな。見たことはねぇが、聞いたことはある。攻撃性能の高い危険な能力だ」

つまり、この真珠ほどの大きさの石は、壁やベッドが圧縮された成れの果てという事だ。

「……あんまり考えたくないけれど、この石のどれかが元クラウディアって事はないでしょうね」

危険な異能力に奇襲を受けたのだ。その可能性はある。だが、殺すためにエルフを奇襲したわけではあるまい。あらゆる目的でエルフを誘拐した歴史は聞いたことがあるが、殺すためにエルフを襲撃した例は聞いたことがなかった。

ともあれ、絶対というわけではない。そう考えると、血の気が僅かばかり引いてくる。

「いや、心配ねぇよ。取り敢えずここでは殺されてねぇな。その石からは血液やら脂やらの臭いがしねぇ。ただのベッドやら壁やらだろうよ」

ダミアンの断定に、眉を顰めた。どうしてそこまで確信的なのか。

「まあそれに限らず、俺には最初から襲撃者が2人だってことも分かってた。こいつが居たからな」

 その時、足元に違和感を覚えた。何かがいる。

昨日の襲撃が有った後だ。周囲に警戒を張っていたにも関わらず気がつかなかった。思わず飛び退きそうになって、その正体に気がついた。

犬だ。

中型の犬がブーツの匂いを嗅いでいる。何時からそこに居たのか、まるで気がつかなかった。足音も、気配すら感じなかった。犬種は良く分からないが、毛並みは良い。

何処かで見たことがある。何処で見たのだったか。

「あの居酒屋で……」

 昨晩、黒鎧に襲撃される前に立ち寄った、ヨナス・カウフマンの経営する居酒屋。その入口の前で見かけた犬だった。

野良犬ではない。かといって飼い犬でもない。

「これは……これが、貴方の異能力ね」

「俺には飼い犬みたいなもんだがな。イグナーツと呼んでやってくれ」

 頭を撫でながら、ダミアンは言った。

「じゃあ、昨日の狼も貴方の……?」

 黒鎧に追い込まれていた時、シエラを助けた巨大な狼だ。誰かしらの異能力だとは気がついていたが、それがダミアンのものだったというのは予想外だった。

 大きさや外見は自在に変化させることも出来るのだろう。

「それは……助かったわ。有難う」

「いや。お前さんなら、あの状況からでも何とかしたんじゃないのか?」

 それは確かに事実だった。シエラにもまだ切り札は有る。狼の助けが無くとも、無事に乗り切れた可能性は高い。だが、もっと酷い傷を負っていただろう。

「でも……もしかして最初から尾けていた?」

 居酒屋の前でイグナーツと遭遇したのも、まさか偶然ではあるまい。シエラを監視していたと考えた方が自然だ。

「まあな」

「なぜ私を?」

「アダーに聞いた。アスペルマイヤーにちょっかい出したんだろ。何か起こると思ってたぜ」

「…………あんたね」

 アスペルマイヤーがそこまで性急に事を運ぶような人間だと知っていたなら、事前に警告してほしかったものだ。いや、知らせては意味がない。ダミアンはそれを知っていてシエラを囮にしたのだ。

仮にも民間の協力者に対してこの仕打ち。目的のためには手段を選ばない性格。捜査官としては優秀なのかもしれないが、彼は連邦捜査官の中でも孤立した存在なのかもしれない。とはいえ、ダミアンに踊らされたことは腹立たしいが、手法自体は好ましく感じていた。

「まあ良いわ。それで、もう検討は付いてるんでしょ?」

 何を、とは言わせない。襲撃者の居場所に付いてだ。ダミアンの異能力、イグナーツの感覚はどうやらとても鋭い。この場所から昨晩の襲撃者の匂いを辿ることなど、容易いだろう。

「襲撃者のうち、1人はな。だから、お前さんを待ってた」

「私を待たずに1人で行けば良かったじゃない。あの狼なら、大抵の氣功士と渡り合えるでしょうに。それに、アダーはどうしたの? あの子もそれなりに戦えるんでしょ?」

「近接格闘なら、ロートルの俺よりよっぽど強いさ」

「だったら……」

「……レオン・ベッカー。お前さんも会ったんだってな。覚えてるだろ?」

 アスペルマイヤー支配下に置かれた市警には珍しい、連邦捜査官に協力している刑事。もちろん覚えている。爽やかで、如何にも正義感の強そうな青年だった。

「早朝、モーテルの扉の前に、首が置かれてた。アダーにはそれ関係で市警の方へ行かせてる」

 シエラは絶句した。


『貴方達に協力していることは誰も知らないはずです。もしばれていたら……』


 ベッカーの言葉が思い起こされた。もしばれていたら。彼はその先を濁したが、殺されるかもしれないという事まで、果たして考えていただろうか。

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