35話 後編

2人は自然公園まで移動していた。警察署のある中央区から少し外れた場所だ。時刻は9時を過ぎている。

脚の傷は殆ど塞がっているため、気にせず歩いた。訓練次第で、痛みは無視することが出来る。それは決して良い事ではないのだろう。少なくとも、ウラルの友人はそう言っていた。死ぬまで闘い抜くためには必要なスキルなのだが。

自然公園の敷地面積は10ha程度で、一面に広がる芝生や木々が目に優しい。道によって色々と区画分けされ、噴水のあるエリアや球技等の運動が出来るエリアも有った。休日は家族連れの散歩やジョギングの周回、球技チームの練習等も行われているようだ。

平日の朝という事もあり、人の気配は少ない。居るとしても老人くらいだ。あとは野良犬くらいか。

それでも、2人は隠れるようにして人目の付かない場所を選び、ベンチに座った。人前で出来る話ではない。此処へ来る途中でも、特に言葉を交わしては居なかった。

「どんな手を使ったんです? 昨日の様子だと、とても直ぐに出してくれるような雰囲気ではなかったんですが」

 取り敢えず、シエラから話を切り出した。

ゲーベル警部補の顔を思い出す。あの男の態度には腹も立つが、行動は間違っていなかったと言える。嫌疑の掛かった氣功士を、碌な取り調べもしないまま手放すだろうか。そもそも留置所に放置されていた状況が異質だったとも言えるが。

「フェルザーからの報告を聞く限り、シエラさんの身柄を自由にする事は出来ないかもしれないと、私も思っていたんですが……」

アデナウアーは、自身も困惑した様子で言った。

「私が行くと、直ぐに貴女を連れて出て行ってくれと……」

「…………」

何とも妙な話だった。では、なぜシエラを拘束したのか。任意同行だった以上、体面上はシエラの意思で出て行ける状況だった。だが、実際のところはそうで無いと分かっていたから、有無を言わせず留置所に放り込んだのではなかったか。ゲーベル警部補の性格が思った以上に歪んでおり、ただの嫌がらせで一晩拘束された――という可能性も有るが、そんな無意味な理由では無かったと信じたい。

「何か裏が有るのでしょうが……だからこそ聞かねばならない。何が有ったんですか、シエラさん。エルフの誘拐事件だけで、ここまでややこしい状況になっているとは思えませんが」

エルフの誘拐事件――セルウィリアの誘拐事件だ。彼はまだ、昨日一日で進捗した――あるいは追い込まれたシエラの状況を知らない。

セルウィリアが駆け落ちし、村から絶縁された後に誘拐されたこと。

 この都市で起こっている連続失踪事件や、それ絡みでシエラが連邦捜査官と協力関係にあること。

都市の有力者、アスペルマイヤーに掛かっている様々な嫌疑――。

 シエラは一瞬だけ迷った。

アスペルマイヤー家が持つ力は、軍にも及ぶものだろうか。ゲーベル警部補がシエラを手放したのも、軍がアスペルマイヤーと癒着していたと仮定すれば納得がいく。言いがかりに近い妄想だったが。

州軍全体に力を及ぼす事は不可能だろうが、力を及ぼせられる何者か、あるいは何者か達を軍へ所属させる事は可能だろう。その者達が軍内部で発言権を得ていれば、自動的に軍全体の行動に影響を及ぼすことは想像出来る。

だが軍人を、まして氣功士を私兵のように操作することは不可能だろう。だが、その軍人自体がアスペルマイヤーが軍へ送り込んだ私兵だった場合は話が別だ。詰まるところ、アデナウアーがそうした存在かどうかが問題なのだが――。

アデナウアーを信用して良いものだろうか。

こちらは大怪我を負い、クラウディアの行方は知れない。もうこれ以上は失敗できない。

一瞬だけ迷い、シエラは全てを話すことにした。今のところ、シエラは情報という観点で周回遅れ甚だしい。こちらの理解している状況が漏れた所で、何も痛いところはない。

 シエラは要点を抑えて手短に話した。それでもそこそこに時間を要したが、大事なところは抜けていなかったと思う。

「連続失踪事件、14年前の連続失踪事件、そして黒い鎧の襲撃者……たった一日でどれだけ厄介事に巻き込まれているんですか」

「いや、私が悪いんじゃありませんし……」

 アデナウアーは肩を竦めた。実際のところ、これが避けられない事態だったかどうかは不明だ。もう少し慎重に事を進めていれば避けられたかもしれないが、それは結果論に過ぎない。

「しかしアスペルマイヤー家、か……本当なら、それは厄介ですね」

 アデナウアーはそう呟いた。額に皺を寄せ、難しそうに眼を細めている。

「やっぱり有名なんですね、アスペルマイヤー家」

「この州に住んでいれば、嫌でも耳に入ってきますよ。まあ、アスペルマイヤー家の評判ならば、それを嫌だと思う者は殆ど居ないでしょうが」

「人気者、か……」

「多くの慈善事業……特に孤児院や養護施設に多額の寄付金を収めていますから。口さがない者は偽善と言うでしょうが、私の見方は違います。むしろ習慣化した防衛意識なのでは、と」

「防衛意識?」

「あるいは市民への迎合」

「……散々な言いようですが、アデナウアー大尉はアスペルマイヤー家を嫌っている?」

「ああ、いえ……歴史を調べるのが好きなもので。私は歴史学者になりたかったのですよ。……ともあれ、彼らが行ってきた様々な慈善事業は非常に尊いものですし、彼ら自身も誇りを持っているでしょう。ですが、その始まりはきっと先ほど上げたような動機だっただろうと」


 ――代々、地域の発展に貢献してきた一族です――


市警の協力者、レオン・ベッカーの言葉を思い出した。代々、地域の発展に貢献。それはどれくらい前からの事なのだろうか。アデナウアーに問うと、彼は当然のように応えた。

「この都市の始まりからですよ。250年ほど前、この地域から魔獣の巣が移動し、人々は入植を開始しました。その一団にアスペルマイヤー家は居たという話です。王政が崩壊して以降、彼らは旧王都……現首都で医者を生業として生活してましたが、迫害に耐えられず、逃げ出すように首都から遠く離れたマールブルク州へ移動したのだと」

「迫害……されるような立場だったんですか? いったい何をすればそんなことに……」

「処刑です。アスペルマイヤー家は代々、処刑人の一族でした。だから、彼らは何もしていません。むしろ必要な仕事をしていただけです。ですが、処刑人というのは……やはり、人々からは悪い感情で迎えられる職業なので……」

 彼は敢えて言わなかったのかもしれないが、王政終期には様々な形で理不尽な処刑が相次いだだろう。処刑人は命令されただけだが、実行したことで恨みを買う事も珍しくあるまい。

 首都からマールブルク州の間には、1つ別の州が存在する。魔獣の巣が移動した空白地帯への入植は、十分に遠い場所と言えるだろう。遠く離れたマールブルク州へ入植しても、彼らは不安だったに違いない。だって、いつ過去が追いかけてくるかもしれないのだから。アスペルマイヤー家が地域の発展へ積極的に貢献したのは、そのためだろう。彼らが人々に尽くすのは、不安の裏返しだったと言えるわけだ。

 我々アスペルマイヤー家はあなた方にこれだけ尽くしました。だからどうか、我々を受け入れてください。

そうした迎合意識が慈善事業の始まりだったとして、誰がそれを偽善と言えよう。

もちろん、250年経った現在では、人々に尽くすという意味合いも変化しているだろう。詰まるところ、それが習慣化した防衛意識ということか。

何百年も前に縛られていた職業、それを気にするものなど今更居ない。それでもアスペルマイヤー家が人々に尽くすのは、単純にノブレス・オブリージュ、あるいは世間一般に謳われるほどの博愛精神か。

「アスペルマイヤー家は多くの政治家や企業団体と繋がりを持った有力者です。その力関係は微妙なところですが、政治家に圧力を掛ける事だって出来る。だから、市警に対するなど造作もないでしょう。ですが……」

「信じられない?」

「仰る通りです。裏の顔を持っていたのかもしれない、慈善事業に隠れて、自分達に都合の良いような政治の舵取りをしていたのかもしれない。ですが、あのアスペルマイヤー家に限って、まさかそんな……」

 それはレオン・ベッカーも言っていたことだった。オルデンブルクでの、あるいはマールブルク州でのアスペルマイヤー家に対する信頼は絶大と言えた。

「……お願いが有るんですが」

 シエラが言うと、アデナウアーは苦笑した。

「……アスペルマイヤー家の内偵なら無理ですよ。私は警察でも探偵でもありませんから」

 もちろん、そんなことを頼むつもりは無い。幾らなんでも彼に取ってはそれを行う理由が無い。それに、その行為が問題行動であるとして処罰される可能性を否定できないのだ。

「アルムガルド氏……市警の署長ですが、氣功士だそうで、かつては軍属だったとか。軍属時代の素行とか、彼に関する黒い噂とか、そういうものを知りたいです」

 警察がアスペルマイヤーと繋がっているならば、その大元は署長のアルムガルドと見て間違いない。14年前の連続失踪事件の時には既に、彼は署長だったようだ。シエラの感覚から言えば、その解決には疑問が残る。今回の連続失踪事件にアスペルマイヤー家が関わっていたとして、では過去のそれに関わっていなかったと考えるのは無理が有る。仮にそうであれば、当時から既にアスペルマイヤー家と警察が繋がっていたと考えて良いだろう。警察署長を調べる価値は十分に有った。

「私が入隊した時には既に退役間近でしたから、名前くらいしか知りませんが……それくらいなら大丈夫でしょう。ただ、あまり期待しないでくださいよ」

「もちろん。それと、黒鎧についてですが……」

「そのような能力を持った氣功士が、現在、あるいはかつて軍に所属していたかを調べて欲しい……ですか? 私では軍規に触れますので、憲兵の知り合いに頼んでおきましょう」

異能力者の能力に関しては機密事項になる。無断で探りを入れることは、国家に所属する身としては危険だろう。憲兵は軍隊内部の秩序維持を目的とした兵科だった。氣功士犯罪の場合でも、連邦警察の介入を嫌うと聞いた覚えがある。黒鎧の件をダミアンやアダーに任せても良いが、縄張り争いで揉める可能性が有るならば、それは避けたい。

 黒鎧が、今も軍に所属しているとは考えられない。だが、一度でも軍に所属したならば、その記録が残っている筈だ。退役後の所在や精神健康管理をちゃんと受けているならば居場所を特定したも同然。姿を晦ましているならば、氣功士犯罪として連邦警察が追っている案件なので、時間は掛かるだろうがじわじわと追い詰めていけばいい。

シエラにとって、黒鎧の正体を突き止めることに意味は無い。目の前に現れれば闘い、現れなければ無視しておけば良い。だが、相手の動揺を誘える情報を持っているかいないかは、闘いの明暗を左右する可能性が高い。

「それでは、私はこの辺りで……何か分かれば直ぐに連絡しますよ」

「私が言えた義理では有りませんが、アデナウアー大尉も十分に気をつけて」

 アスペルマイヤー家の力が軍隊に及んでいないとも限らない。

「貴女も気をつけて。またお会いしましょう」

握手を交わし、アデナウアーは自然公園から足早に去っていった。

シエラも歩き出した。ダミアンやアダーの元へ行くべきだろうが、その前にホテルへと寄りたかった。本当にクラウディアは居なくなってしまったのか。それを確かめたい。もしかしたら、襲撃があった為に、何処かへ身を隠しているだけかもしれない。

だから、アデナウアーにはクラウディアの件について、少しだけ時間を貰えるように伝えておいた。

エルフが人間社会で何らかの事件に巻き込まれた場合、駐留している大使へ報告する義務がある。それは、人間とエルフの衝突を避けるために必要なことだった。事態が判明しているのにも関わらず報告が遅れれば、エルフの不信感は強まるだろう。

アデナウアーは難色を示したが、シエラを信用したのか、別の思惑があるのか、何にせよ一日の猶予を貰えた。

ホテルへ戻れば、クラウディアが待っている。淡い期待を抱いて歩き出すシエラの後ろを、一匹の犬がひっそりと追いかけていた。

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