34話

 民家が見えてくると、少しだけ安堵した。

すっかり夜目に慣れてはいたが、窓から漏れ出る人工的な灯りが恋しかった。弱気になっている訳ではない。これは恐らく、本能的な感覚だ。どれだけ慣れようが、人は暗闇を恐れる。暗闇と共に生きる者は、既に人ではないだろう。

照明器具を使用しても良かったのだが、用心のためにそれはしなかった。黒鎧が追ってきているならば、わざわざ目印をぶら下げて歩く必要はあるまい。こんな時にこそ使いたい物品が有るには有る。懐中電灯だ。金属製の棒で、先端にはガラスが付いており、発光する。ウラルの王族から下賜された氣導技術品だ。携帯性と持続性に優れている。電池を使用した物ならばそうはいかない。まだ油を使用したカンテラ類の方が携帯性に優れているだろう。

暗闇の中、右半身の重症を押して戻ってくるのは、思いのほか骨だった。行きは数分だったのに、半時間は掛かっている。『ウラカーン』を使用した右腕は筋断裂と内出血を起こし、黒ずんでいた。右ふくらはぎからの出血は止まっていたが、強く動かせばまた傷口が開くだろう。道中、簡単な手当は済ませていた。簡単と言うより、簡素と言うべきかも知れない。単に包帯を巻いただけだ。これだけズタズタになれば縫うことも出来ず、常人なら致命傷足りえたかもしれない。

氣功士の傷は直ぐに癒える。とはいえ、このレベルの怪我ならば、やはりそれなりの時間を要する。特に右脚は半日以上掛かるだろう。

今は歩くだけでもままならない。満身創痍と言えた。

そのため、無事な左手には棒が握られていた。杖のように地面を突いて歩く。2メートル近く有るそれは、本来は棒術の武器だった。左半身だけを使い、器用にバランスを取って戻ってきたのだ。

日が変わろうとする時刻。都市に入って、誰ともすれ違わなかったのは幸運と言えた。車道を避けて路地を通ったのも理由だろう。誰かとすれ違えば、こんな状態のシエラを見て騒がない筈がない。

低層集合住宅が並ぶ複雑な路地でも、シエラは迷わなかった。それくらいの感覚が無ければ、あの戦闘現場から帰ってくることは出来なかっただろう。

結局、あの黒鎧は何者だったのだろうか。こちらを襲ってきたのだから、何かしらの意図が有ってしかるべきだ。たまたま眼に付いたから襲ったなどと、そんな質の悪いチンピラのような氣功士が居るはずはない――と思いたい。そうで無ければ、早めに見つけ出して、何としてでも始末しなければならない。治安維持機構に所属していないシエラですらそう思う。無差別に暴れまわる狂戦士ならば、もはや一種の災害として数えて良いだろう。

ともあれ、黒鎧は狂人などではない。シエラはそう思う。

そして、黒鎧が連続失踪事件の犯人だったかというと、それは違う気がする。ただの直感だが、そんなタイプではない。主犯ではないだろう、という意味だ。関わりが有るだろうことは間違いない。そうで無ければ襲われる謂れが無い。過去から掘り起こせばシエラを襲う理由を持った者はそれなりに出てくるだろうが、シエラの居場所は知られていない筈だ。

師匠の名を出していた事も気になった。師匠との因縁を持つためにシエラを襲ったという線はもちろん有る。だが、偶然とするにはタイミングが良すぎた。連続失踪事件との関わりを持つ者が、たまたま師匠と因縁を持つ者だったと考えた方が自然だ。それも偶然が過ぎると言わざるを得ないが。

考え事をしている間に、ホテルの近くまでたどり着いていた。ここまで来れば、流石に一安心と言えるだろう。

ベッドに寝転んでゆっくりしたい。

クラウディアに傷の手当をしてもらおう。エルフの氣導術はもっぱらそのような方面に寄っていると聞いたことがある。即完治とまではいかずとも、傷の治りは更に早くなるだろう。いつまた襲われるとも限らないのだ。出来れば常に万全の状態でいたい。

「…………」

 それは叶わないかもしれないと思った。

ホテル周辺に人の気配を多数感じたからだ。

待ち伏せか。一瞬そう思ったが、戦闘態勢にある人間の気配ではない。

 建物の壁を盾にして様子を伺い、数十メートル先の様子を伺った。

何やら、人だかりが出来ている。決して多くはないが、少なくもない。だが、こんな時間帯に出歩いているということを考えていると、異常事態と言えた。

更に目を凝らすと、その中心に居るであろう者達の正体が知れた。統一された服装、ワイシャツにズボン、上下共にグレー。特徴的な帽子――つばは前側のみ、前側のサイドがやや高く、トップは平坦で、後ろに傾斜していた――を被っていた。

警察だった。

十数人の警察が慌ただしく動いている様子が見て取れた。

「一体、何が起きてる?」

 呟きながら、ホテルへと近づく。この場を離れて様子を見るべきだ――という嫌な予感が働いた。だが、そういう訳にもいかない。あそこにはクラウディアが居るのだ。

近づくにつれ、状況は更にはっきりした。

ホテルが壊れている。

正確に言えば、シエラとクラウディアの宿泊している一室の壁が破壊されている。地上からでも部屋の上半分が丸見えになっていた。

警官はその捜査に当たっているのだろう。人だかりは見物客か。

「そうか……」

気づいて、自身の愚かさに歯噛みした。

黒鎧の狙いは何だったか。

誘導だ。

シエラとクラウディアの分断こそが、その目的だったのだ。ここでも戦闘が有ったに違いない。

ホテルの入口付近には、不安げな従業員達の姿があった。身体を抱えるように腕を組んでいるのは、寒さのせいではあるまい。

興味深げにホテルを見ていた老夫婦が、地面を打つ棒の音に気づいたのか、シエラに視線を向けた。その有り様に驚いたのか、老婦が夫に身体を寄せた。

他の人間達も、やがてシエラの存在に気がついた。誰もが驚き、後ずさった。

やがて、警官の一人がシエラに気付いた。

 人が入らないように、封鎖線を張っていた警官だ。

「君、その傷はどうした!」

 あまりの驚きに、声が裏返っていた。だが、直ぐに冷静さを取り戻したようだ。ホルスターから銃を取り出し、シエラに向けた。アダーも使用していたP38だ。

「そこで止まりなさい……止まれ!」

無理もない。今のシエラは異様な雰囲気を放っていた。警察には慣れた感覚。荒事の雰囲気。

血まみれでズタズタの格好をした異国人。反面、慌てた様子はない。左手には武器に成りうる長大な棒が握られている。この世の中には、重傷でも油断のならない人種が存在する。その一つが氣功士だ。警官はシエラが氣功士である可能性に直ぐ気付いただろう。

シエラには詳しい事情が分からない。だが、警察がホテルの壁を破った犯人を探していたと仮定すれば、そんな事が出来るのは氣功士だろう。今のシエラは犯人だと疑われても仕方のない状態にある。重傷を負っているからこそ、むしろそれが際立つのだ。

「何が有ったの?」

 シエラはそれを無視して、銃を向けてきた警官を問い詰めた。

「クラウディアはどこ」

「お前が氣功士ならば、ゆっくりとその場で這い蹲れ! 少しでも動いたら公務執行妨害を適用する!」

「…………」

 氣功士に対する反応としてはこんなものだろうか。

 騒ぎを聞きつけた他の警官達は、素早くそれに対応した。シエラに銃を向ける者、住民を下がらせる者、周囲を警戒する者――反応は様々だが、よく訓練された対応に感心すら覚える。この都市の警官は優秀なのかもしれない。内部は腐敗しているようだが。

 這い蹲れという命令、シエラはそれを無視した。棒を地面へ強めに付いて、左足で跳び上がる。

埓があかない。

普段はこのような無茶をしない。今は正直、焦りが強い。

十数メートル跳躍し、ボロボロになった壁に足を掛けて中へ乗り込んだ。右脚に負荷を掛けないよう、棒を器用に使って回転しながら勢いを殺した。

室内には6人の警官が居た。

その全員が、中に突入したシエラに銃を向けた。下の騒ぎは伝わっていたのだろう。――いや、1人は銃を向けてきていない。1人だけ服装の異なる男が居た。アデナウアー大尉と同じような服装。軍人か。

軍服を着た赤毛の男は、銃の代わりに厳しい目を向けていた。非難されているようにも感じる。氣功士だろう。

シエラは手を上げ、敵対意思がないことを示した。

その上で、やはり聞きたいことは1つだった。

「クラウディアはどこ?」

部屋は暴風に晒されたかのように荒れていた。ベッドはひっくり返り、床は剥がれている部分もある。扉は既にその用を成していない有り様だった。

1人の警官が全員に銃を下ろすように言って、前に進み出た。この場での決定権を握っているのは、どうやら彼のようだ。

「では、お前が宿泊名簿に載っていたグラシエラ・モンドラゴンか? こんな時間に、何処で何をしていた。それにその格好……」

「質問をしているのはこっちなんだけれどね」

「質問が許されると思うか? 立場を弁えろ。お前は本件の最重要容疑者だ」

「容疑者? 自分が宿泊しているホテルを破壊したとでも? 冗談でしょ。それより、クラウディアはどこ?」

 再度の問いに答えたのは、

「此処には誰も居ませんでしたよ。我々が到着したのも今しがたなので、殆ど何も分かっていないのが現状です」

 軍人の男だった。二十代の前半――氣功士の年齢は見た目で分からないが――で、如何にも真面目そうな顔をしている。腰には長剣を差している。彼の主武装なのだろう。

「フェルザー少尉、少し黙っていて貰えるかな」

 そう言ったのは、リーダーの男だった。くすんだブロンドで、目付きが悪い。

「ゲーベル警部補……しかし彼女は怪我をしています。事件の被害者かも」

 ゲーベルと呼ばれた男は舌打ちした。彼が氣功士に対して良い印象を持っていないのは明らかだ。いや、あるいは縄張り意識か。氣功士犯罪は連邦警察の領分だが、彼らの到着には基本的に時間が掛かる。それまで、地元警察は軍属の氣功士に協力を仰ぎ、現場を保全したり被害の拡大を防ぐように努める。そのような目的の――別の目的もあるが――軍属氣功士が、都市には数人置かれていた。フェルザー少尉もその1人だろう。そしてやはり、大抵の場合は地元警察に好かれていない。

「そんなわけないだろう。大方、その女がクラウディアとかいう女に危害を加えようとして戦闘が発生、ホテルの壁を破壊して暴れまわったに決まっている」

「それこそ『そんなわけない』よ。根拠の無い妄想を披露するのが警察の仕事なのかしら?」

「じゃあその怪我はなんだ。見たところ古傷という訳でもなさそうだが、何処で遊んだらそんな怪我が出来る。俺のガキの頃だってもっと大人しかったがな」

「貴方の子供時代の話なんて聞いてないわよ」

 言いながら、シエラは目を細めた。黒鎧との戦闘を正直に話すわけにはいかない。人間の社会領域で、氣功士が自由に能力を発揮することは禁じられている。シエラに比は無かったとはいえ、それを証明することは難しい。それに、ホテル破壊容疑に関してのアリバイにならない。最悪、様々な方面で取り調べられて、時間だけが無駄に過ぎるという可能性も高い。だが、今ここで話をしておかないと、後々になって面倒なことになる可能性もある。

「……とにかく、私はこの件と無関係よ。クラウディアのことだって、私は本当に心配してる。だから……」

「はっ、どうだか! 彼女はどうした? 殺したのか!」

「…………

 思わず殴りそうになった。

 態度があからさまに妙だ。犯罪現場に居合わせた氣功士に対する警官の態度としては――あるいは標準的かもしれないが、いくらなんでも思考が非論理的に過ぎる。疑って掛かっているというより、シエラを犯人にしたいような口ぶりだ。

警官にはアスペルマイヤーの息が掛かっているとみて、まず間違いない。ならば、ゲーベル警部補は全て承知の上でシエラを拘束しようとしているのだろうか。

シエラは落ち着くために、一度深呼吸した。

「氣功士犯罪の捜査権は連邦警察に委ねられる筈でしょう。今、この都市には連邦警察が居る。なんで知ってるかって? 私は彼らに協力しているから。疑うなら調べてみればいい。……彼らを無視しても良いわけ?」

 仮に、ダミアンやアダーが此処に居たとして、果たしてシエラの味方に成りうるだろうか。中々怪しい線だったが、無碍にはしないだろう。

「この都市は俺達の都市だ。俺達が護る」

「縄張り争いが仕事なの?」

「勿論違う。それに半分は冗談だ。あからさまな容疑者を放置するほど俺達は無能ではないんでね」

「私は連邦警察官と協力関係に有ると……」

「ここはシュヴァーベンだ。どうやらお前の国では、疑わしい人間の言葉を信じる宗教でも流行っているようだが、この国ではそうじゃない」

何時もならこの程度の煽りには腹も立たないだろう。だが、今は色々と万全の状態ではない。何より腹立たしいのが、敗走直後ということだ。生死のかかった戦いならば、生きているだけで勝ちというのが信条だ。だが、やはり敗北したというのは戦士としてやりきれない何かを感じていた。

苛立ちが頂点に達しそうだった。

「私は今、余裕が無い。痛い目を見たくなければ……」

 脅しの言葉がシエラの口から出た瞬間、

「それ以上は言わない方が賢明でしょう」

抜き身の長剣をシエラの背中に押し当て、氣功士が言った。

「自己紹介がまだでしたね。私はパトリック・フェルザー。階級は少尉。駐在氣功士の1人です。……貴方には黙秘権がある。供述は法定であなたに……」

フェルザーと名乗った氣功士がお決まりの言葉を言い終えた後、小声で耳打ちした。

「貴女のことはアデナウアー大尉から聞いています。悪いようにはしませんから、どうかここは大人しく」

 安心材料を与えられたためか、シエラの心は急速に冷めていった。

「……分かったわ。好きにして」

差し出した両手に、手錠を嵌められた。ゲーベル警部補の手によるものだったという事だけが、少しだけ苛立ちを再燃させた。手錠を引きちぎりたくなった。

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