33話

熱疲労に因る鎧の破壊に対して、その効果を本当に期待していたわけではなかった。あの鎧は異能力で出来ているのだ。通常の金属と同じに計れない。それで根を上げるならば、こちらの武器が先だろう。それでもそうしたのは、万が一の効果に期待したからだ。衝撃に強い代わりに、熱には弱いかもしれない。実際のところ、黒鎧の強度に対する選択肢は少ないため、僅かな可能性でも試す価値は有ると考えていた。

こちらの攻撃にまるで堪えていないのはショックだった。鎧の能力なのだろう。耐性が有る。内部に衝撃を通さないというのは、だから予想して然るべきだった。

更にショックなのは、攻撃を予想出来なかったことだ。地味な攻撃方法で、予備動作が無いために全く気が付かなかった。実に愚かしい。手甲も黒鎧の異能力なのだから、掌側にトゲを生み出す事など造作も無い。そんなことに気が付かないほど、奴に焦らされていたということか。

『…………ぬぅ……』

黒鎧がよろけた。

完全に利いていない訳でも無いらしい。あれほど激しく叩いたのだから、そうでなければ困る。

安堵しつつも、しかしこちらが有利になるわけでもない。損傷の度合いとしてはこちらの方が遥かに深刻だ。

自身の損傷を素早く分析する。

黒鎧のトゲが、攻撃の度にあちらこちらに軽度の裂傷を生んでいた。腹部にはやや深めの切り傷。だが、内蔵を心配する程では無い。これらは軽傷と言えた。氣功士ならば数時間で傷も無くなるだろう。右足の傷は深刻だった。膝から踵に掛けて、ブーツごとズタズタになっている。ブーツ内の感触は、深い水溜りに足を突っ込んでいるようだった。

もう素早い動きは出来ない。足で踏ん張れないため、敵の攻撃も捌けないだろう。もはや敗北は確定的と言えた。

「ここで私が負けを認めれば、見逃してくれたりするのかしら?」

 本気で言っている訳ではない。ただの時間稼ぎだ。黒鎧がこちらを見逃すなど、有り得ないことだ。向けられる尋常ではない殺気がそれを物語っている。

時間を稼げばどうなるか。

実際に場所を確かめた訳では無いが、オルデンブルクの近くには州軍の基地がある。多数の氣功士がそこに詰めている筈だ。また、オルデンブルクにも、数名の氣功士が駐留しているだろう。

自身を過大評価する訳ではないが、このレベルの戦闘は遠方の氣功士に状況を伝えるのに十分だ。氣功師でなくとも、都市の最外縁部に住む者ならば、戦闘の振動を感じ取っているかもしれない。

異常を察知した軍は既に動き出しているに違いない。ある程度の時間を稼げれば、事態に介入してくるはずだ。そうなれば、ドサクサに紛れて逃げることが出来る。黒鎧に手の内を見せることなく、だ。それは極めて重要なことだった。

もちろん、会話に乗ってくればの話だ。

『……まだ有るだろう。全力で戦え。私をもっと楽しませろ』

どうあっても戦闘は続行するという強い意思を感じた。シエラは眉を顰めた。戦いは楽しい。それは否定しない。だが、楽しみのために戦うというのは理解できなかった。戦闘狂か。

「随分と買い被ってくれるわね。私の情報を何処で仕入れたの? もしかして雇い主はアスペルマイヤー……」

『お前がベアトリス・モンドラゴンの血縁者ならば、この程度で終わるはずがない』

「…………」

唐突にその名を出されて、シエラは絶句した。

ベアトリス・モンドラゴン。

師匠の名だ。

なるほど、師匠に因縁を持つ敵か。道理で強いわけだ。師とどんな因縁が有るかは分からないが、ベアトリス・モンドラゴンという化物と対峙して生き延びただけでも賞賛に値する。

ともあれ、随分と買い被ってくれたものだ。右足が自由ではない現状、もはや勝ち目はない。

今は逃げることを考えなければ。

色々と事情を聞きたいがために生け捕りを狙っていたが、殺すつもりでやらないと痛い目を見る。それが良く分かった。右足一本で済んだのは奇跡と言えよう。生け捕りにするならば、次の機会に。次の機会が有るかどうかは、まだ確定してはいないが――。

「……一応聞いておくけれど、師匠とはどんな関係?」

 その問いに、黒鎧は答えなかった。話は終わりということか。時間を引き伸ばせない。軍の介入を待つ時間は恐らくあるまい。

黒鎧は先程から切っ先をこちらへ向けている。

突きの構え――少し意外だった。あの大剣に似合うのは、己の全身ごと叩きつけるような攻撃だと思い込んでいたからだ。しかし、重さの理に縛られない氣功士である。どんな重量物であろうと無関係ならば、その攻撃方法に拘る意味は無い。

しかし、シエラの脳裏に、ある出来事が思い返された。額の当たりがチリチリと軋む。

 シエラは無事だった左足で、咄嗟に跳んでいた。

その予感は当たった。

シエラが直前まで居た場所が、半径数メートルに渡って、抉り取られたかのように消失した。

ショーケース破壊した攻撃だ。散氣功で氣を飛ばしたのだ。事前に見ていなければ直撃していたかもしれない。

破壊の奔流に吹き飛ばされながらも、何とか着地を決めた。右足を使えないので、着地というより接地だったが。膝を付き、地面に手すら付いていた。

しかし、逃走に必要な準備は整った。相手に違和感を抱かせることなく。

だが。

空気の軋むような圧力が全身を襲った。黒鎧は何かをする気だ。決定的な何かを。

 視線はずっと黒鎧へ向いている。体勢を崩したシエラを追撃するでもなく、上段に大剣を構え、地面を踏み締めている。一見、何が変わったわけでもない。

いや、黒鎧を覆っている紫色の氣が、その量を増した気がした。それは徐々に背面へと凝集していき――。

 その紫色の氣が、背面から勢いよく噴出した。

早い。

と感じる間もなく。

爆発的な速度で一足跳びに間合いを詰められ、恐るべき勢いで大剣が振り下ろされる。

「…………っっっっ!」

 両手でグラディウスを保持し、大剣に合わせる。その瞬間、シエラがこれまでの人生で感じた中でも最大級の衝撃が身体を奔った。両腕から背骨、骨盤、大腿骨が軒並み破壊されたような錯覚を覚えた。衝撃は地面を伝わり、再び泥を巻き上げた。

防御が間に合ったのは奇跡的と言えた。少なくとも、それは無意識的な行動だった。

実際のところ、防御しきれてはいない。黒鎧の攻撃に拮抗状態を作れていない。押し込まれた大剣はグラディウスを押して、シエラの鎖骨下に食い込んでいた。

そうした攻撃に曝されても、シエラの愛剣には刃こぼれ1つ無い。

不幸中の幸いか、危機的状況に右足の痛みは吹っ飛んでいた。

だが、踏ん張れない。力が全く入らないのだ。右膝が折りたたまれ、ふくらはぎの傷口から血液が噴出する。それを気にかける暇が無い程に危機的な状況だった。このままでは鎖骨から両断されてしまう。

戦いにおいて、シエラが死を意識するのは初めてではない。ウラルで大量の巨大人型魔獣ベルグリシの猛攻に遭った時には、本当に死ぬかと思った。だが、今回のそれは、これまでの人生で最大級のものだった。

何も出来なければ数秒後に死ぬだろう。そして、このままでは何も出来ない。

心の奥底で、死を許容する意識が生まれようとしていた。

シエラの剣を押し切ろうと黒鎧が力を籠めたその時。

『…………!』

巨大な何かが黒鎧に激突し、吹き飛ばした。

それに釣られ、シエラも地面を転がる。

(なに……なにが起きた? 助かった?)

右足を庇いながらも、慌てて体勢を整える。

黒鎧が吹き飛んだ方向に目を向けると、数十メートル先に異様な動物が居た。

狼――のように見えた。鋭い眼光に厚いブラウンの毛並み、その下には盛り上がった筋肉。

体長20メートルを超える狼だ。剣歯虎のように凶悪な上顎犬歯が――実に一メートルはあるだろう――発達している。

黒鎧はその巨大な口に挟まれていた。先ほど激突した時に攫ったのだろう。

だが、狼の顎力と鋭い歯をもってしても、黒鎧は堪えないようだ。狼は頭を振って、黒鎧を地面に叩きつけた。左前足を器用に使い、口と足で黒鎧を左右に引いた。獲物の肉を強引に引きちぎるような動作だが、実際にそうしているのだろう。

「魔獣……かしら」

 息を切らしながら呟く。

どう考えても魔獣だが、それでも疑問符が付いた。

これ程に強大な魔獣が、軍の警戒網を振り切って都市の近くへ出現していること。強さの等級で言えば、二級甲種を下るまい。

そして、シエラを助けたこと。

結果的に黒鎧を狙っただけの可能性もあるが、そんなことが有り得るだろうか。普通は狙うならば弱った方だろう。

相手は獣ではなく魔獣。尋常の思考形態を当て嵌めることは出来ない。だが、それにしても不合理に思えた。だからシエラに肩入れしたという方が不合理とも言えるが――。

ともあれ、シエラは退却準備を始めた。

まだ危機を脱してはいない。黒鎧が狼に気を取られている今が好機だ。

狼の魔獣は強大な力を持っているだろう。だが、黒鎧には及ばない。シエラもまた、万全ならば戦って負ける気はしなかった。狼は直ぐに敗れるだろう。

音を立てないようにゆっくりと地面に右膝を付いた。狼を刺激したくない。矛先がこちらに向かえば、黒鎧と同時に相手をしなければならない。そうなれば、ひとたまりも無いだろう。

左足を後ろに下げ、左手を伸ばして地面に手を付く。

愛剣のグラディウスを地面に刺し、右手に槍を出現させた。簡素な作りで、形状は馬上槍に近く、持ち手から先が円錐状になっている。だが、一般的な馬上槍よりも少し短く、遥かに太い。

槍を投擲するように身体を捻って止める。

その時、仰向けの体勢から黒鎧の大剣が薙ぎ払われ、狼の前足が吹き飛んだ。

狼の敗北だ。

 前足とほぼ同時に、巨大な頭部も吹き飛ばされる。

その巨体に見合った血液や内蔵を撒き散らかす――という事にはならなかった。

 シエラにとって、そして黒鎧にとっても予想外だっただろう。

足と頭を失った狼は緩やかに消滅を始めた。気体のような何かを身体から燻らせ、地面に倒れ伏す。

2人共にその正体を理解した。魔獣ではない。あの狼は誰かの異能力だ。

その事実を思考しつつも置き去りにして、シエラの身体は動いていた。

黒鎧が上半身を起こしたその時。

 シエラが触れた湿地帯の地面。

向こう300平方メートルのそれが、消失していた。

シエラの能力は触れた物を収納する事が出来る。触れた物に隣接した物は考慮されない。だが、何を持って『隣接する』と判断しているのかはシエラにも曖昧だった。今回の場合、木や沼は隣接に含まれず、地面を失って落下を始めた。だが、土中の生物や虫、石、岩は含まれているかもしれない。

大地に現れた、深さ300メートルの巨大な落とし穴。

黒鎧は落下を始めた。

狼も落下を始めたが、その体は殆ど消えかけていた。

シエラの異能力がどういった物か、これまでの戦闘で黒鎧は感づいているだろう。あるいは、最初から知っていたかもしれない。師匠とシエラの関係性すら知っている程だ。だから、正面から堂々とこれを行えば、何らかの対策を講じられる可能性が有った。

その懸念は狼の介入に因って解消した。

今、黒鎧はこれまでの戦闘で最も無防備な姿を晒している。

その黒鎧目掛けて。

シエラは槍を投擲した。右手、右腕、右肩に集中した氣を爆発させ、砲弾のように槍を放った。師匠が「ウラカーン暴風の爪」と名付けた氣功技術だ。シエラが最大の攻撃力を発揮するための切り札と言えた。腕に掛かる負担が強いため、あまり多様は出来ない。

その槍は吸い込まれるように黒鎧へ直進し、数十メートルの距離を0.1秒以下で0にした。

激突の瞬間、黒鎧が大剣の腹で槍を受けるのを見た。どうやら大剣が砕けたらしいのも、それでも鎧を貫通することは叶わなかったことも。だが、それで倒そうと考えていたわけではない。押し込めれば良いのだ。

遥か下方へと落ちてくれればいいのだ。

ただ落とすだけでは駄目だ。あの氣の噴出を応用すれば、落下という状況を脱されてしまうかもしれない。素直に落ちてくれれば良いが、きっとそうはならない。

だから、こうした。

狙い通り、黒鎧は凄まじい勢いで落下し、数秒後に激突音が聞こえた。

それを見計らって。

地面に蓋をした。

収納した大量の土を、そのまま元へ戻したのだ。

直下300メートルの位置に黒鎧を閉じ込めた。

まだ死んではいないだろう。

何も出来なければ黒鎧は死ぬが――それはないだろうとシエラは感じていた。ここで死ぬような相手ではあるまい。

だから、シエラは右半身を庇うように、急いでその場を離れた。

生き延びた実感を覚えると、途端に痛みが強くなってきた。こういう時に、自分は何をやっているのかと泣きたくなる時がある。柔らかいベッドが恋しかった。

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