32話

闘いの始まりは様々有る。

対面し、武器を構え、相手を観察する。理想を言うならば、殺し合う前に観察できるならばそれが一番良い。相手の情報は何よりも大切だし、十分に情報を得られているならば、もはや殆ど勝利していると言っても過言ではない。闘いというものは、その結果のみを求めるならば、実際のところとても地味なものだ。

今回の場合は違う。

突発的な闘いだ。少なくとも、シエラにとっては。黒鎧はどうだろうか。闘いを仕掛けてきたのは、シエラを知っていたからだろうか。

――湿地帯での戦闘。これはどちらが有利か。

地面は弱い。ぬかるんでいる。足場が悪いと加速を付けづらい――という事にはならない。

氣の応用で足場の不安定は解消される。熟練した氣功士の戦いは地形を選ばない。水の上に立つことも可能なのだ。湿地帯という特性上、周囲には沼も多い。だが、それを気にする必要はないということだ。

それはつまり、黒鎧も同様ということだ。これが仮に常人同士の闘いならば、その優劣は明白だ。こんな環境では、重い方が不利に決まっている。だが、氣功士にそうした理屈は通用しない。

右へ左へ足を運びながら、互いに間合いを計り、先を制する機を伺う。

では、なぜ黒鎧はこの場所を選んだのか。自身に有利な環境を選んだのだとしたら、その能力は水に関係するものか。何にせよ、有利に働かないならば此処を選ぶ理由はないだろう。

シエラは自身から攻めることはしない。

鎧の強度が分からないからだ。こちらの攻撃が通用しないならば、不用意に仕掛けるのは危険だ。相手を観察し、後の先を狙う。

紫に発光する氣を放つ鎧。そのポテンシャルは極めて高いと容易く想像出来た。

そんな中。

仕掛けたのは黒鎧だった。

待ちきれないとでも言うように、唐突に動き出した。。だが、移動速度自体は遅い。当然だ。あの鎧では動きづらいだろう。

だが、攻撃の速度は恐ろしく早かった。

猛烈な勢いの一撃が振り下ろされた。

それが振り下ろされる前に、シエラは黒鎧の脇を抜けていた。通り抜けざまに剣を全力で鎧に叩きつける。あっさりと弾かれる手応え。しかし、金属同士の衝突で生まれる手応えではない。

一瞬遅れて、大剣が地面を叩きつけた。恐ろしいまでの衝撃と音を周囲に撒き散らしていた。衝突点を中心に、地面が大きく陥没する。同時に、陥没した地面が熱を持ち、沸騰していた。

地面から雨が降ったかのように土と水分が舞い上がり、近くの沼からは間欠泉の如く泥が迸った。

シエラはしっかりと足場を踏みしめ、飛ばされないように身体を固定する。ハリケーンの日に外出したかのようだ。着衣は泥に塗れた。

巨大人型魔獣ベルグリシの一撃よりも、遥かに重い。まともに受ければただでは済まないだろう。

 黒鎧に素早く手を伸ばす。

しかし、電気のような衝撃と共に、その手が弾かれた。

振り向きざまの一撃を後ろに跳んで避ける。大剣の刃先が熱い。風圧がシエラの身体を押して、予想外の飛距離となって地面へ着地した。

十数メートルの距離を開けて、2人は再び対峙する。

舞い上がった泥や土、水分が豪雨のように降り注いだ。

水を含んだ着衣が気持ち悪い。

黒鎧の無機質な威圧感は更に気持ち悪い。

今の攻防で分かったことが3つある。

1つに、トゲの飛び出した歪な鎧は、やはり危険だということ。すれ違いざまに攻撃を加えた際、ジャンパースカートと共に太ももが切れた。

1つに、鎧は恐ろしく硬いこと。巨大人型魔獣の丸太のような身体を、骨ごと両断するシエラの重氣功があっさりと弾かれた。また、その衝撃を受けても微動だにしない。

1つに、あの鎧そのものが異能力であること。武器もまたそうだろう。

シエラの異能力『黒白の櫃』は眼で捉えた物、触れた物を瞬時に異空間へと収納する。一度に収納出来る物の体積に限界は無い。だが、距離には制限がある。具体的には、300平方メートル以内の物質だ。その距離内の範疇に収まるなら、あらゆる物質を収納できた。

だが、例外はある。異能力だ。異能力で出来た物質、異能力により放たれたエネルギー体を収納することは出来ない。そうした物に触れれば、どうしてか反発が起こる。

鎧が異能力ならば、その硬度にも納得がいった。

それは収穫だったが、参った。異能力が利かない状況で黒鎧の戦闘能力を上回なければならない。身体能力に寄与するタイプの異能力は、駆け引きなく、単純に強い。実に厄介だった。

黒鎧が再び動いた。

大剣を叩きつけ、あるいは薙ぎ払い、猛烈な攻勢に出た。一撃一撃は恐ろしく重いが、攻撃は直線的で読み易く、避けるのは容易と言えた。だが、避ける毎に精神的な負荷がのしかかる。一度でもまともに喰らえば、無事で居られる保証がない。

黒鎧も重氣功の使い手だ。中央大陸北部、中西部では軽氣功と並んで氣功士の代名詞とも言える氣功技術なので、それも当然と言えた。しかし、あちらは防御に氣を回すことなく、攻撃にのみ集中することができる。それは大きな違いと言えた。

そして、大剣には高熱が宿っている。先程から避ける毎に、炎で炙られたような熱気を感じていた。

これは黒鎧の異能力ではなく、氣に高熱の性質を宿したのだろう。温度を操作する氣功は熱氣功と呼ばれている。

重氣功と熱氣功の組み合わせ。複合的な氣功の使用は合一氣功と呼ばれていた。技量が必要だが、不可能ではない。重さと熱の組み合わせは、単純な破壊力に直結するために、高レベルの氣功士に好まれていた。本来は巨大魔獣に対抗するための技術だった。

中途半端に回避した状態で手を出せば、回避不能な体勢になるだろう。防御に特化した氣功でやり過ごすことも可能だろうが、動きを止めることは得策とは言えない。

狙うなら、初撃同様にカウンターだ。

シエラは左手を振り、その手に防刃性のグローブを装着した。

黒鎧が踏み込み、上段から勢い良く大剣を振り下ろす。初撃と同じ攻撃。先程は、振り下ろされる前に脇を抜けた。だが、同じ手を使えば、返す刃で切られかねない。

故に、シエラは高熱を纏った重氣功の一撃を、正面から受けた。身体を両断される予感に、内蔵が締め付けられるような感覚を覚える。

グローブを装着した左手を切っ先に添えて、左斜め上方に剣を押し出す。激突の瞬間、人生で最大級の衝撃を感じる。掌から足先まで、大岩に押しつぶされる様な圧迫感が走り抜けた。歯を思い切り食いしばり、そして――。

次の瞬間には、シエラの剣が黒鎧の頭部に直撃していた。

正面から受け流し、ガラ空きになった頭部に剣を叩きつけたのだ。

黒鎧と同じく、重さと熱の合一氣功。ただし、シエラは高熱ではなく、極低温を込めていた。

一見すると効果は無いように見えるが――やはり効果はないのだろう。

大剣を受け、高硬度の鎧に叩きつけたシエラの剣は、しかし刃こぼれ1つない。師匠から譲り受けた名剣だ。尋常の金属ではない。

その剣を持つ手が痺れていた。完全には力を受け流しきれない。何度も出来る方法ではないだろう。

鎧のトゲには気をつけていたつもりだったが、右側面の上腕部に浅い切り傷が付いていた。

斬撃を交わし、また距離を取る。

『……その程度か?』

獣のような太く割れた声が、そのような意味の言葉を発した。あからさまな挑発だ。シエラの心は動かない。本気を出せば消耗が激しく、継戦時間も限られるだろう。

だが、このままではジリ貧であることも確かだ。

短期決戦が望ましい。数度の攻防で、そう判断した。

様子見は終わりだ。

全力を出す。

半身に構え、全身を脱力させる。眼球に痛みを感じるほど、黒鎧に視線を集中させる。

氣の発現には集中力が不可欠だ。特に、氣功の初級者では特に。気が散った状態では氣を練ることは出来ない。それでは氣功の強みを真に活かすことができない。尋常ならざる集中力が身体に非常な能力を与えるのだ。それに慣れ、特に気にしていない時にでも無意識に氣を練れるようになった時、一人前の氣功士と呼べるようになる。

だが、例え一人前の氣功士になったとしても、集中力が不必要というわけではない。

 漂白の階層。シエラの師は、集中の深度をそのように表現していた。

集中の深度が深まると、あらゆるものから色素が失われていく。音も失い、痛みは消し飛ぶ。極限的には対する者以外の姿を見失う。そんな場合でも、周囲の状況に即応する。障害物があれば排し、巻き込みたくない存在が居るならば護る。

実のところ、それで実際の実力が大きく変わるわけではない。変わるのは状況の活かし方だ。そして戦いにおいては、それが生存確率に大きく左右する。

戦いの度にそのような極限集中状態へ没入出来るわけではない。深度は心身の調子に左右される。極限集中状態へ至った経験は、シエラも数える程しかなかった。

この日の没入度は中の上。周囲の物体が輪郭を失い始めていた。悪くない。上出来だ。

深く腰を落とし、引き絞られた弓のようにシエラは跳んだ。

本気を出したシエラの初速は、蒸気機関車の数倍に比する。

爆発音に近い轟音を立てて、2人の剣が打ち合った。

予想通り、この速度でも黒鎧は付いてくる。

正面からならば。

剣を重ねたままでは押し切られる。シエラは直ぐに剣を引き、一度下がると剣で地面を抉りながら右へ跳んだ。2メートル程の高さで波のように泥が舞い上がり、黒鎧に襲いかかる。更に左斜め前方、向きを変えて同じように泥を抉りながら直進する。

黒鎧を中心に、三方向から泥波が押し寄せる。

その泥波に対し、黒鎧は一回転の剣閃を放つ。黒鎧を中心に、水滴を落とした時に出来る水の王冠のような形で泥が押し戻された。

その隙を狙って、シエラは跳んでいた。黒鎧も承知の上だろう。シエラの攻撃で自身の鎧が破られることは無いと確信しているのだ。頭上からの攻撃を阻みもしなかった。再び頭部に剣を叩きつける。高熱の刃だ。

高熱でも兜はやはり、傷一つ付かない。しかし、先ほどとは違い、打った頭部が大きく揺らぐ。全力を出したのだから、当然威力は増している。

それは計算外だったのか、黒鎧の追撃が遅れた。その隙を縫って間合いを取り、黒鎧が空振りした所で再び攻撃を仕掛ける。

高速で相手を翻弄した。攻撃速度は早くても、移動速度ではシエラに分がある。前後上下左右、立体的に位置を掴ませないように動き、すれ違いざまに剣を叩きつける。その衝撃で、黒鎧はバランスを欠いている。

だが、黒鎧もやられっ放しではない。冷静にこちらの動きを分析して、シエラの跳躍に合わせ、剣を叩きつけてくる。

それも計算の内だ。左手を振り、異能力を発動させた。

黒鎧の正面に大量の泥水が現れ、その視界を隠した。走り回っている途中に、沼から回収しておいたものだ。

大剣の一閃が泥水を蒸発させた。だが、黒鎧は大剣を振り切らなかった。シエラに向けて、横薙ぎで対応する。だが、それに合わせてシエラの体が沈み込んだ。地面を叩かれていればシエラは下がっていただろうが、そうはならなかった。動きに対応するために、黒鎧は小振りになっている。

滑り込むように黒鎧の足元へと潜り込み、右の脛当て叩いた。やはり傷は付かないが、黒鎧に片膝を付かせた。

『ぬ……』

 黒鎧は片膝から体を戻しつつ、大剣を振った。

シエラは沈み込んでいた身体を起こしつつ、その場で回転して剣を振るった。

目標に到達したのは、シエラの剣だった。再び黒鎧の頭部に、極低温の剣を叩きつける。黒鎧の身体が大きく揺らいだ。そのまま倒れるかと思ったが、まだ堪えている。

しかし、シエラはその復帰を許さなかった。

もう何度目になるか、高熱の剣が黒鎧の頭部に叩きつけられる。今度こそ黒鎧は地面に倒れた。

この機を逃すまいと、シエラは黒鎧の頸当に左足を、腰当てに右足を置き、頭部に攻撃を加えた。鎧の全身から突き出たトゲを足蹴にする。危険ではあるが、シエラのブーツには厚めの鉄が仕込まれている。

執拗に頭部を狙う。その理由は2つある。

1つは、熱疲労と衝撃による鎧の破壊に期待したためだ。先程からシエラは、攻撃に際して熱氣功の高熱と低温を交互に繰り返していた。

この追撃にしても、黒鎧の頭部を執拗に、低温、高熱、低温、高熱と繰り返して何度も打撃を加えた。

もう1つは、鎧に傷が付かなくとも、衝撃は伝わっている筈だからだ。頭部を狙えば、衝撃に因る脳震盪に期待出来る。

シエラが狙ったその2つの効果は、

「…………っ!」

全く発揮されなかった。

右足に激痛を覚える。トゲだらけの左手で、足を掴まれたのだ。

反射的に左足を離し、右足を掴んでいる黒鎧の左腕を踏みつけるように蹴った。同時に右足を引き抜く。

その瞬間、黒鎧が上体を起こし、大剣を薙ぎ払った。

背筋に悪寒を覚え、その場を飛び退く。だが、右足が欠けては速度が足りない。避けきれず切っ先が腹に触れ、血が噴き出す。辛うじて浅い。少なくとも、激しく動いても内蔵が溢れ出すことはないだろう

深刻なのは右足だ。右足のふくらはぎと脛に、酷い裂傷が出来ている。安静にしていれば数時間で治るだろうが、もちろんそれを待ってくれるはずが無い。

全身に脂汗が伝う。

ゆっくりと起き上がった黒鎧は、大剣をその場で2度振るい、シエラに切っ先を向けた。

『……その程度か?』

シエラは荒れていた息を整え、構え直し、呟いた。

「……これは死ぬかもしれないわね」

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