30話

 運ばれてきたオニオンスープに口を付けた。オニオンの甘味とブイヨンの旨みが口中に広がる。スープに浸された黒パンは、汁気をしっかりと吸って口当たりが良い。上に掛けられたチーズからは、微かにハーブの香りを感じた。唐突に、ウラルで食べた焼きチーズが恋しくなった。特徴的な歯応えがあるそれは味が薄く、当初はゴムを食べているようで苦手だったが、様々な種類のベリーを和えればそこそこに美味しい。ウラル滞在期間は4年ほどだったが、好物と言えない物でも恋しくなる、それくらいの期間だったのだろう。

シエラは昨日訪れたパブに、1人で訪れていた。アダーやダミアンと出会った場所だ。時刻は21時を過ぎている。陽は漸く沈み始め、オレンジ色の光が闇を引き連れてやってきた。

人の入りはそれほどでもない。狭くはない店内で、テーブル席に座れるほどだ。寂れているという感じではないが、流行っているというわけでもない。料理は美味しいと感じたが、それだけでは集客に足りないのか。

切迫した状況であっても腹は減る。むしろ、そうした状況だからこそ食事を怠ってはいけないのだ。エネルギー不足は気功師の力を削ぐ。師匠との訓練時代、魔獣の巣に置き去りにされた経験則に基づけばそうなる。

アダーは引き続き、モーテルでアンジェリーナを警護している。もう暫くは、誰かがアンジェリーナの傍に付いてやらなければならない。立場上、それはアダーの役目になってしまうのだろう。ダミアンと情報交換したかったが、戻ってはこなかった。仕事熱心なことだ。

クラウディアはホテルで休んでいる。セルウィリアを助けるという決意が翻ることはないだろうが、それでも必要なものがある。考える時間だ。強固な意思で下された決断でも、迷いは生まれる。迷いは自己非難を生む。それ故に、あらゆる非難から自らを護るための論理を構築せねばならない。剥き出しの心は自らの疑心で簡単に壊れてしまう。

シエラの4倍は生きているクラウディアに対し、その辺りの心配は無用だろうか。――だが、年齢はあまり関係ないかも知れない。師匠は鋼鉄のような人間だったが、年齢がそれを形作ったとも思えない。それよりも歳上だからといって、誰にでもそのような強さを求めるのは無理がある。

 ホテルへ帰ったら、少し優しくしよう。シエラは何とはなしにそう決めた。気の利いた事は言えない。だから態度で示すべきだ。

「お待たせ。ヴルストと付け合せだ」

注文した品を、体付きの良い男が持ってきた。5本の焼きソーセージと、薄切りにした大量のじゃがいもが乗っている。肉の香りとハーブ、スパイスの香りが食欲をそそった。

ソーセージの一本を口に運ぶと、予想以上の旨みを感じた。肉汁の量は少ないが、とても味わい深い。シュヴァーベンの料理も少しずつ慣れてきたが、こちらの料理は味の濃い物が多い。

料理を運んできた男は直ぐに立ち去らず、どうしてかシエラを見守っていた。

「…………?」

彼はテーブル席の空いた椅子へと、おもむろに座った。

「何か私に?」

特に気にしてなかったが、男は給仕係という風体ではなかった。40代前半だろうか。身につけているのは油汚れの酷いコック服。そこまで大きい店という訳でもないため、調理員兼オーナーという立ち位置なのかもしれない。更に言うならば、格闘家のような体付きだった。背丈は平均より高く、盛り上がった筋肉がコック服を圧迫していた。街で見かければ、彼が居酒屋の店員だとは思わないだろう。

柔和な表情を浮かべてはいたが、何処か寂しげにも感じた。

「お客さん、連続失踪事件を調べてるんだろう?」

「どうしてそれを?」

―― 『私には仲間が多い』 ――

アスペルマイヤーの言葉を思い出した。警察やマスコミ、軍や議員などを指して言っているのかと思っていたが、民間人にも協力者が多いという事だろうか。周囲に目をやると、客は既にシエラ1人だった。それも意図的か。

だが、違った。

「俺は店主のヨナス・カウフマン。あんたのことはダミアンさんに聞いた。民間の協力員だとか。この国の人間ではないのに、感謝する」

「ああ……」

得心しつつも、全てが腑に落ちた訳ではなかった。無関係の居酒屋店主に、あの男が軽々しく捜査情報を話すだろうか。それとも、ダミアンという男は想像以上に口の軽い男なのだろうか。

いや。無関係ではないからか。

シエラは名乗りつつ訊いてみた。

「では、貴方の御家族も失踪を?」

「うん? 聞いてないのか。俺の娘も失踪したんだよ。だから昨日は捜査官……ダミアン氏に色々と話をさせてもらった。ああ、気にせず食べてくれ」

 口調はぶっきらぼうだが、何処か優しさのようなものを感じさせた。もちろん、こちらは客だ。何を遠慮することもなく、会話中だろうと食べる。

「それは……心中お察しします」

そこで、シエラは気がついた。

「カウフマンさん、貴方は氣功士では?」

 氣功士という人種は、他人の発する氣を、多かれ少なかれ感じ取る事が出来る。戦闘中の者ならば明確に分かるが、平常時には対面しなければ気がつかない事も多い。

「ああ、元軍人だ。14年前に年齢もあって退役したがね。だから、この店を始めた時期もそれくらいに……いや、もうちょっと後だな」

 氣功は小児期に目覚めやすい。もちろん、個人差はある。幼児期に目覚める者も居れば、少ないながらも成人以降の場合も有り得る。そして、どんな年齢で目覚めようとも共通点がある。氣功に目覚めた者は、基本的に全て軍属になるということだ。シエラも小児期の数年を訓練所で過ごした。

 氣功士としてのピークは40代手前。普通はその時点で退役となる。その後の人生は様々だ。カウフマンのように居酒屋を経営する者も居て不思議は無い。衰えても氣功の能力は健在のため、有事の際は協力を求められる事となるが――。

ともあれ、彼が氣功士ならば、見た目通りの年齢ではあるまい。氣功士は若い時代が長いのだ。寿命も人間の平均よりほんの少し長い。シエラは20歳だが、あと20年は若さを維持するだろう。そこから徐々に老ける。シエラの師匠は高齢だったが、やはり同年の老人より遥かに若々しかった。アダーの年齢は見た目通りだろうが、ダミアンの年齢もまた、見た目より上だろう。

40代前半に見えるカウフマンも、14年前に退役したということから、既に50代の半ばの可能性もある。

「第2の人生というわけですか。しかし、よく居酒屋を始めようと言う気になりましたね」

「実は、小さい頃からの夢だったんだよ。料理が好きでな。氣功に目覚めなければ、料理人にでもなっていたんだろうなあ……」

 40まで軍人だった人間が別の職業に就く。並大抵の覚悟では勤まらない。国家に所属する氣功士の年収は、それ以降の人生を遊んで暮らせるようなものではない。その代わりに退役直後から年金が入る。贅沢をしなければ、取り合えず暮らせるだけの収入が保証されるのだ。

故に、起業して失敗すれば、その負債を返す術は――ない訳でないが、危険を伴う。

「よく奥さんが許しましたね」

 シエラが言うと、カウフマンは一瞬だけ目を伏せた。

「いや……実は、あの事件の後に離婚したんだよ。16年前に起きたファキロース州の魔獣大発生が収束するまでに2年掛かって……俺も発生直後から向こうへ出向して2年。随分家へ帰らなくてな。で、14年前の連続失踪事件だ。ようやく任期が終わるって時に、娘が居なくなった。家へ帰るのにも少し時間が掛かって……それが気に入らなかったんだろうな。それだけじゃないんだろうが……まあ、随分罵倒されたもんだが」

「…………14年前?」

食べる手が止まる。聞き間違えたのかと思った。思わず呟いていたが、シエラの言葉を相槌だと思ったのか、カウフマンは頷いた。

「もうそんなになるんだなあ……昨日も思ったけれどよ、まだ実感湧かなくてなあ。ダミアンさんも随分老けたもんだ。まあ、それは俺も同じだろうが」

「ダミアンとも……昔に会っていたんですね」

「ああ。14年前の事件はあの人が担当だったんだ。事件が解決した今でも、継続して細かい所まで再捜査してくれる……有難いことだ。犯人が捕まったとはいえ、あの事件にはまだ不透明な所が多い。……それを知りたい気持ちもあり、知りたくない気持ちもあり。……だがよ、娘はもう生きちゃいねぇだろうが……遺体が見つからないんじゃあ、どうしても期待しちまうからな」

 平静を装いながら、シエラは彼の言葉を聞いていた。幸い、シエラの表情筋は日頃からあまり仕事をしない。師匠からは欠点だと言われたが、利用価値が有るのならばそうとも言い切れないと考えていた。

「……実は14年前の事件について、私は詳しくないんです。よろしければ、少しお話を伺っても?」

 カウフマンは瞬きをして不思議がったが、直ぐに頷いた。

「まあ、あんたはこの辺の人間じゃ……いや、そもそもこの国の人間じゃなかったな。知らなくても当たり前か。とは言っても、俺も話せるのは自分の周りで起きたことだけなんだが……」

カウフマンの説明はお世辞にも上手とは言えなかった。それも仕方ないだろう。被害者の家族といえど、捜査状況を詳らかにされる訳ではないのだから。それに、忘れ難い事件とはいえ、実際には忘れたい事件に違いない。だが、その口調は淡々としていた。そうなるまでに、一体どれほどの月日を耐え、どれほどの感情を置き去りにしてきたのだろうか。

まず前提として、14年前に連続失踪事件が起こった。被害者数は10数人だか20数人だか、正確な数は彼も覚えていない。被害者の年齢や性別は無関係で、無差別だった。

結果だけ言えば、犯人はめでたく逮捕された。事件を解決したのは連邦捜査官ではなく、市警だったらしい。つまり、事件は氣功士に因る犯罪ではなかった。少なくとも、表向きはそうなっている。

犯人は地元の不良組織を束ねるリーダーとその幹部。誘拐し、売り払う。つまりは人身売買だった。被害者の持ち物がリーダーの自宅倉庫から見つかり、それが証拠となった。証拠を突きつけられ、犯人達は自白したらしい。

被害者を買った人間は不明、犯人達の証言は曖昧で、実際のところ犯人が捕まったところで何が解決したとも言い難い。主犯はギャングのリーダーとされたが、これも定かではない。ところが裁判は異例のスピード判決で、犯人の男達には終身刑が言い渡された。

そして、判決の一週間後に、主犯格とされたリーダーは独房で自殺した。

「ギャングのリーダーが自殺したって聞いて、正直なところ腹が立ったな。どうせ自殺するなら俺が殺してやりたかった。しばらくはそう思ってたよ」

「……そのリーダーはどうして自殺したんでしょうか」

「さあな。知りたくもねえ」

吐き捨てるように言った後で、彼は頭を振った。

「いや……当時はそうじゃなかった。警察に説明を求めたさ。刑務所の看守に話を聞きに行ったりもしたよ。だが、追い詰められた犯人が自殺を考えることなんて、良くあることなんだってよ。良くあることってお前、そんな説明が有るか?」

 遠い所を見ていたカウフマンの瞳に、熱がこもり始め――次第に口調も荒くなる。

「こっちは何もかも納得いかねえんだ。良くあることで済まされてたまるか。じゃあ娘は何処へ行ったんだよ! それも良くあることだってのか? メラニーだけじゃねぇ、他に10何人も居なくなってんだよ。それだってのに1人も見つからねえ! この能無しの警察共が! アルムガルドの糞野郎め!」

 その剣幕に、階段を上がってきた数人の客が慌てて引き返していった。

 白熱した言葉と共に拳が振り上げられ、テーブルへ勢いよく叩きつけられ――。

しかし、拳はテーブルをすり抜けた。

その奇怪な現象に、カウフマンの怒りが沈静化した。頭から氷水を被せられたように硬直し、目を見開いている。

「すみません。でも、テーブルや床が壊れると、何かと困るでしょう?」

シエラは事も無げに言った。拳をすり抜けさせたのはシエラだからだ。正確には、能力でテーブルを一瞬だけ収納して、拳が通過した瞬間に戻した。

感情に支配された氣功士の拳は抑制が利かない。テーブルや床が破壊されてもシエラの懐は痛まない。だが、自分との会話の結果でそうなったのならば、少しは責任を感じないでもない。

「……いや、こちらこそ悪かった。ついつい熱くなっちまって。あの事件のことで、まだこんなに怒りが沸いてくるなんて……」

心底申し訳なさそうに彼は項垂れた。初めは淡々とした口調で如何にも冷静だったが、流れる月日に感情の全てを置いてくることは、やはり簡単ではないのだろう。そうなると、ダミアンの聞き方は余程に上手かったのだろう。ダミアンが了解していた事項は多いのだろうが、それでもカウフマンから当時のことを再び聞き出すならば、眠っていた感情に触れない筈がないのだから。

「アルムガルドとは、誰です?」

「ああ……署長だよ。警察署長。もう十数年も市警のトップに君臨してやがる。元々は氣功士で、俺の先輩だった。昔は良くしてもらったが、今となっちゃあな……」

事件当時、余程のことが有ったのだろうか。沈静化した怒りが再び再燃を見せたが、辛うじて堪えたようだ。

頬を叩いて、カウフマンは一息付いた。激昂した後の余韻か、室内の温度までも冷めたように感じられた。

そして、空気を変えるためだろうか。努めて笑顔で、彼はこう言った。

「そういやあ、あんたはアスペルマイヤー家って知ってるか? オルデンブルクの名家だ。現当主も頑張っちゃいるが、俺に言わせりゃまだまだってところだな。先代当主のルーカスって男が本当に立派な人で、この店を開けたのも、その人のお陰と言って過言じゃない。もう亡くなって久しいが……彼の息子の1人も、失踪事件の被害者なんだよ。それなのに、彼は……」

またアスペルマイヤーか。口元まで出掛かった言葉を堪えて、シエラはすっかり手を付ける気を無くしたソーセージを、しかし無理矢理口に入れて咀嚼した。

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