29話

シエラとアダーがモーテルへ戻ったのは、18時を過ぎた頃だった。結局、アスペルマイヤーの元へ行って分かったことは少ない。奴が油断ならない相手である事と、周りが敵だらけであること。どちらも知っておくべきことだが、出来れば知らないままで居たい事実だった。進めば進むほど深みにはまっているような気がする。

「アスペルマイヤーを葬ればそれで終わりなら、今すぐビルごと消滅させてやるのに……」

「氣功士なら、その発言だけで拘束理由に該当しますからね。あと、私まで死刑に成りかねないことはほんっと止めて下さいね」

「はぁ、世知辛いわ……」

 もちろん冗談だ。それが通じるような関係でなければ言わない。

 ともあれ、腰を据えて事件に対するのは、シエラにとっては好ましくない事態だった。

「私にも目的があるからね。人を待たせてるのよ。さっさと解決して、ノイエ・クロッペンベルクへ行かないと」

「え……クラウディアさんに依頼されたから、ここまで来たんじゃないんですか?」

「もちろんそれも有るけれど、そもそもこの国にやってきたのは、親友に会うためなのよ」

「それはこの国の方ですか?」

「いいえ、ウラルの人間よ。薬草学の研究者で、同時に歴史学者でもあるわ。年齢は私達と変わらないんだけれどね。付き合いのある歴史学者から」

「なんか凄そうな人ですね……」

「実際、天才だと思うわ」

 まあ、ベッドの中では普通の女の子なのだが。

そんなこと、もちろん口にはしない。

同性愛に厳しい時代は終わりを告げたが、偏見は未だ多く残る。――だが、そもそも真面目な愛という訳でもない。シエラは無節操ではないが、気に入った女は抱きたくなるし、大抵行為に及んでいる。出来ればアダーとも関係を持ちたい。後腐れなく。

それは、シエラの抱えている問題の1つだった。自覚はあるが、今更どうしようもない。

「帰ったわよ」

モーテルの扉を開けると、奥にクラウディアの姿が見えた。椅子に座っている。彼女は手を上げて、こちらに応えた。

ベッドではアンジェリーナが眠りに付いている。シエラ達が出掛けた時点ではうなされていたが、今ではすっかり落ち着いている。少しでも楽になったのだろうか。

 ふと、柑橘系の香りが鼻をくすぐった。嗅いでいると心身共にリラックスしていくようで、心地良かった。匂いの出どころは何処だろうかと見回したが、特に見当たらない。

「アンジェリーナさん、ずっと寝ていたの?」

「いや、ついさっきまで起きていたんだ。……色々、話してくれたよ」

何だか、含みがあるような言い方だった。それで気がついたが、クラウディアの様子が少し妙だった。基本的に冷静な彼女だが、今は単純に元気がないように見えた。

「……何が有ったの?」

 シエラが問うと、クラウディアは語り始めた。

セルウィリアとアンジェリーナの結婚。エルフ側にはその話が既に通っていること。それを長老の怠慢で知らされていなかったこと。

それらの話を聞いて、シエラは自身の想定した状況にほぼ相違無い事を知った。

「え? でも……攫われたエルフさんって女の方なんですよね。その、つまりそれは……同性愛という事ですか?」

 アダーは驚愕したように眼を見開いている。

「……? そんなに驚くことか?」

 一方、クラウディアは何がそんなにおかしいのか、まるで分からないと言った風情だ。

 確かに、推測出来ていながらも、シエラもまた驚いていた。エルフと人間の恋物語。有り得ない話では無いらしいが、これが同性同士だと話は違った。まるで聞いたこともない。

人間でも同性愛は珍しい。少なくとも、表面上は。同性間の性交渉ですら法律で禁止されている国家もある。以前に居たウラルや、ここシュヴァーベンではそうではないが――(そもそも、そういう国を選んでいるのだ)。シエラは両性愛者だが、自身がマイノリティであることは自覚している。

だが、人間社会の法律に縛られないエルフならば、あるいは人間同士のそれよりも社会的なハードルは低いのかもしれない。クラウディアの反応はそれを如実に表している。

いや。

それだと妙なことがある。エルフの同性愛は禁止されていなければおかしいと。シエラはそう気がついた。

エルフは絶対数が少ない。長生きはするし、全員が氣功士だ。人類が体験している災害の多くに、その命を左右されない。数が少ないのだから、それらに左右されていてはあっという間に絶滅するだろう。

だが、同性愛を禁じないと子供が生まれない。子供が生まれなければ数が減る。いくら長生きでも、直ぐに絶滅してしまうだろう。

その上、エルフは子供を産むと、その寿命は急激に縮む。まるで子供と入れ替わるように死んでしまうのだ。それ故に、エルフは必ず双子以上を産むのだという。増えもせず、減りもしないシステム――だが、ここに同性愛が絡むと事情は変わってくる。

クラウディアにその疑問を投げかけると、彼女は事も無げに応えた。

「いや、エルフは女同士でも子供が出来る。……確か、人間とエルフの間でも、出来た例は有ったはずだ」

「え?」

「ちなみに、男同士でも子供は出来る」

「えぇ……」

 エルフの生態に戦慄を覚えながら、シエラは1つ、肝に命じた。

これまで彼女に手を出さなかったのは、流石にこの状況では不謹慎だと思ったからだ。だが、どんな状況であってもクラウディアに手を出してはいけない。産むにせよ産ませるにせよ、今のシエラにはまだ早い話だった。

「……ともあれ、良かったわね」

 エルフの生体にショックを受けているアダーに話を向けた。そんな状態だったが、彼女はシエラの言わんとしていることを理解したようだ。

「ええ、まあ……」

 これで彼女の懸念事項が1つ解消された。

エルフの誘拐という事件について、国家が情報を統制しているのではないかという懸念だ。これに許可なく触れ、処罰を受ける可能性を恐れていた。だが、セルウィリアとアンジェリーナの仲がエルフに知られているならば、もう何の心配もない。エルフは人間社会に対して何の干渉も行わないだろう。

もっと喜ぶかと思いきや、以外にそうでもない。

「だって、セルウィリアさんは村を追放されたんですよね。追放された後で誘拐されたのだから、エルフはもう関わらない。なら……」

「そうね。セルウィリアさんの件は通常の誘拐事件として対応するしかない。つまり、連邦捜査官ではなくて、オルデンブルク市警の仕事になる」

だが、肝心の警察はエルフの誘拐事件を認めていない。それどころか、被害者の伴侶であるアンジェリーナは軟禁の上、精神的に追い詰められた。

「でもまあ、初めから警察には期待してなかったし……。私のやる事には変わりないわ」

「そういう話じゃ無いでしょう。だって、私たちはもう協力出来ませんよ?」

連邦捜査官の協力が得られないということは、セルウィリアの捜索に関して、気功師としての能力は使えないという事だ。これはかなり不利と言わざるを得ない。仮に、アダーが独断で力の行使を許可したならば、彼女に対する処罰は大きいものになるだろう。

だが、問題ない。そういう話ではないからだ。

「知り合いが連続失踪事件の犠牲者かもしれない。だから、その犯人を追うために協力を取り付けた。それで良いでしょう?」

「え……あ、ああ、確かに!」

シエラとアダーは、セルウィリアの誘拐事件と連続失踪事件の犯人を同一と考えている。つまり、アスペルマイヤーだ。ダミアンが納得するかは分からないが、彼は何も反対しない気がする。むしろ、連続失踪事件の犯人を追うために、現地で氣功士のシエラ達に協力を要請した――という建前が出来るため、彼にとって損は無いだろう。責任を取って処刑されるような事もなくなる。可視化していないエルフの誘拐事件では取れないスタンスだった。そこまで考えて、シエラは違和感に気づき、苦笑した。

クラウディアに目を向けると、彼女は宙を見つめていた。何を考えているのか、何も考えていないのか。エルフという存在は、どんな場面を切り取っても絵になる。出来の良い絵画の如く存在する彼女に、シエラの胸が少しだけ高鳴った。

「……それでクラウディア、あなたはどうするの?」

 それを聞いて、アダーは短く声を漏らした。どうやら思い至ったようだ。

クラウディアは知ってしまった。セルウィリアが村から追放された事を。エルフにとって、掟は絶対と聞いていた。掟の内容は知らないが、村から追放されたエルフに関わる事を、極度に閉鎖的なエルフという文化を束ねる長老が許すだろうか。許しはしないだろう。

知ってしまった以上、クラウディアはエルフの村へ帰らなければならない。

「どうするの?」

再度の問いかけに、クラウディアは呟いた。

「昔……遠い昔の話だ」

 エルフである彼女が昔というからには、相応に隔たれた年代の話なのだろう。

「その年はどうしてか魔獣が多かった……。大人達が妙に緊張していたのを覚えているよ。年少のエルフは村の外へ出ることを禁じられていたな。だが、もう理由なんて覚えてないが、私はどうしてか村の外へ出たんだ。そこで……人間と出会った。人間の女の子だ。見た目はあの頃の私より少し上だった気がする。年齢は私の方がずっと上だったのだろうけれど。……酷い姿だった。魔獣に襲われたんだろう。傷だらけで、息も絶え絶えという感じだった。彼女は私を見て一瞬だけ安堵したが、直ぐに恐怖と警戒心で1杯になっていた。私が人間でないと知ったからだろう。でも、直ぐに彼女は気絶してしまった。私は彼女を看病したよ。人間をエルフの村へは連れていけないから、樹の洞へ隠して……本当に、どうしてあんな場所に居たんだろう。一番近い人間の都市でも歩いて一週間……とても遠くだったのに」

 後悔が混ざっている。長年に渡って熟成された後悔。彼女の声音はそのようなものだった。

「1日経った頃に彼女が眼を覚まして、やはり警戒されたけれども、徐々に心を開いてくれたのだと思う。食料や水も受け取ってくれたし、傷の手当てもさせてくれた。名前だって教えてくれたんだ。リーゼロッテ……未だに忘れることの出来ない名前…………」

 クラウディアはそこで絶句した。言いづらい事なのだろう。

「その子はどうなったの?」

半ば結末を理解しながら、シエラは訊いた。どう考えても良い話で終わりそうな雰囲気ではない。クラウディアは目を細めた。

「……死んだよ。いや、たぶん、きっと死んでしまったのだろうと思う。あれだけ魔獣の跋扈する場所へ追い立てられて、生きていられる筈がない。……そうだ。私の行動は大人達に筒抜けだった。3日目の朝、リーゼロッテへ会いに行くと、一本の矢が私達の間を引き裂いた。他ならぬ我が父の仕業だ。私が止めるのも聞かず、父は獣を追い立てるようにリーゼロッテに矢を放った。その時に見せた彼女の眼は、怒りに染まっていた。それが……今でも忘れられない」

 シエラとアダーは顔を伏せた。痛ましい話だ。遠い昔の記憶、しかし鮮明に覚えてしまっているほどに後悔したのだろう。何度も何度も記憶を繰り返し、どうすれば良かったのか空想を働かせたのだろう。

「あの時、私がどうすべきだったのか分からない。父に矢を向け、強行に反発していれば良かったのだろうか。いや、それが正しいとも思えない。分からない。私には……。だが、何が正しいかで行動を選ぶより、何をしたいかで選ぶ方が意義のある生き方なのだと思う。だから……」

「……決めたのね」

「ああ。追放されても構わない。私はセルウィリアを助けたい」

彼女の言葉には含蓄を感じた。長い年月を生きているだけはある。同時に強い覚悟を秘めた言葉だった。

「……残念でしたね。ノイエ・クロッペンベルクへ行きそびれましたよ」

 クラウディアが村へ帰る。その場合、依頼は取り消しとなるだろう。シエラにはセルウィリアを助ける理由は無くなるし、ノイエ・クロッペンベルクへ急ぐ事が出来る。

「……さて、どうかしらね」

シエラにそのつもりは無かった。例えクラウディアが村へ帰っても、セルウィリアの捜索を続けていただろう。会ったことも無いエルフだが、ここで見捨てては寝覚めが悪い。正義の味方を気取るつもりは無いし、タダ働きも御免だ。捜索を続ければ、面倒にも巻き込まれるだろう。

「損な性格してますね……」

 アダーは微笑みながらそう言った。

その通りなのかもしれない。全く合理的ではないが、凡そ自分という人間はこのようなものだと、諦めが付いている。

「でも……クラウディア、その子は死んでいないかもしれないじゃない。その子、氣功に目覚めていたに違いないわ。魔獣の巣圏内を彷徨いて、ただの子供が30分だって生き残れる筈が無い。それを、一週間掛かる距離でも生き延びてる。だから……きっと生きてる」

ただの希望的観測だ。自分で言っていて白々しい程だ。不愉快に思われても仕方がない。大きなお世話だったのかもしれない。だが、少しでも彼女の心を軽くしたいと思い、シエラはつい口に出していた。

しかし、生きていれば、きっと既に高齢だろう。ならば、追い立てられた瞬間は怒りを覚えても、後になってクラウディアに感謝しただろう。助けられた事を忘れては居ないはずだ。

――クラウディアも、その可能性は考えただろう。だが、甘い憶測に逃げることを、愚直なクラウディアは許さなかった。普通に考えれば死んでいる可能性の方がずっと高いのだから。

だが、それでもクラウディアは微笑んだ。

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