28話

ミネルヴァ社所有の商業ビル、リンドヴルム・トゥルムを離れて、人が疎らな通りへ抜けた頃、シエラは呟いた。

「この都市で起こってる連続失踪事件って、どういう事件なの?」

「……どうしたんですか、突然。それはエルフの事件とは関係ないと思いますが」

「洗っても落ちない血の臭い……奴に染み付いた血の臭いがどうしても気になる。アスペルマイヤーは屠殺場を巡回したと言ったけれど、本当にそうかしら」

「え、アレってハッタリじゃ無かったんですか?」

 虚を付いた質問で相手の動揺を誘う。質問する材料が無ければそうしただろう。だが、今回はそうではない。

「血の臭いなんて、全然気がつきませんでしたよ……」

 こういうのは経験が物を言う。ダミアンならきっと気が付いただろう。アダーも何れ分かるようになるはずだ。それが幸せな事だとは思えないが。

「ちょっと屠殺場を巡回したくらいで、体臭に同化するレベルまで血の臭いは染み付かない。1人2人を殺したくらいで、自然に染み付くものでもない。大量の血液を浴びて、漸くたどり着いてしまう性質。……あの男が犯人じゃないの?」

 とはいえ、法廷でそんな曖昧な証言が採用される筈も無い。確たる証拠が無ければ、シエラの直感など何の意味も成さない。

「流石にそれは飛躍し過ぎでは? 温厚で知られる人格者の裏の顔……なんて、安っぽい大衆記事じゃないですか」

「なに言ってるのよ。彼がエルフの誘拐犯だとしても同じことじゃない」

「いや、それは確かにそうですけれど……」

「それに、失踪事件は氣功士が絡んだ犯罪で、事実上は連続誘拐事件な訳でしょう? 同じ都市で起こった誘拐なら、結びつけて考える方が自然じゃないかしら」

 氣功士の絡んだ連続失踪事件。これはほぼ間違いなく猟奇連続殺人事件だろう。失踪者と銘打ってはいるものの、彼らの命は間違いなく無い。

「う……でも、エルフを誘拐するというのは、人間を誘拐するのとは意味合いが違うのでは……」

人間がエルフを誘拐する。その意味合いは昔から相場が決まっている。その美しさを蹂躙するための奴隷。あるいは研究材料。

だが、今回の場合は違うかもしれない。

「……失踪者の身体的な共通点は? 性別とか、年齢とか……」

「それが、共通点は無いんですよ」

「え?」

「被害者とみられる失踪者は全部で14人。何れも夜間に誘拐されたとみられています。年齢も性別もばらばら。強いて言えば、35歳以下の人間という事でしょうか。でも、35歳の男性と14歳の少女に共通点なんて有ります?」

 性欲が高じて肉体を求める。そうした類の犯行ならば、普通は若くて美しい女性に限定されるだろう。犯人が男ならば――の話だが。ならば、エルフの誘拐事件と連続失踪事件はやはり無関係だろうか。

例えば犯人がバイセクシャルで、且つ性欲を満たせれば何でも良いという変態ならば、まあ成り立たない事もないだろう。だが、可能性としては低いような気がする。

「殺すこと自体に意味を見出しているなら矛盾はない、か」

 殺すために誘拐しているならば、対象が人間だろうがエルフだろうが関係無いだろう。むしろ、エルフを殺害したい欲求が沸いてもおかしくはない。だが、殺せれば何でも良いのならば、容易に攫う事が出来る子供や老人が狙われていないのは不自然だ。ならば、犯行に及ぶための明確な基準は有るのだろうが――。

「しかし、14人か……多いわね」

「はい。都市の年間失踪者数は平均5人程度。その大半が家出や連絡の不備で見つかっています。ですが、今年は半年で14人。都市を出た形跡も、家出でも無い。はっきり言って異常ですよ」

 怖気を覚えたのか、アダーの体が震えた。失踪にせよ誘拐にせよ、居なくなった者が生きている可能性は有る。だが、この件に関してはそうではない。失踪者は全員が既に死んでいるだろう。口にはしないが、アダーもそう考えているのだろう。氣功士犯罪の数は決して多くはないが、一度起これば被害者の数はとても多い。犯人が異能力者であった場合は特に。新米のアダーは、今になってそれを実感しているのかもしれない。

「……ところで、これ何だと思う?」

 言いながら、シエラは自身の異能力――『黒白の櫃』――を使用した。右手を振って、異空間に収納していた物を手の中に出現させる。その動きは自然且つ高速で、シエラが能力を使用した事は、身近に居たアダーも分からなかっただろう。

「……? ブレスレットに見えますけれど。氣導術の装身具じゃなくて、普通のブレスレットですね。なんだか意外です」

「何が意外なのよ」

「だって、お洒落に興味があるようには見えませんよ」

 それは決して事実ではないが、反論も出来なかった。必要が有れば行うというのは、果たして興味が有ると言えるだろうか。

「このブレスレット、私のじゃ無いの。アスペルマイヤーの物よ」

「まさか、盗ったんですか!?」

「声が大きいわよ」

 昨日のダミアンを思い出した。何となく、彼の苦労が分かる気がした。アダー自身もダミアンから多大なる苦労を請け負っている気はするが。

「握手した時に、ちょっとね。ポケットから覗いてたから、何だろうと思って」

「良く誰にも気づかれませんでしたね……」

 その気になれば、気づかれずに首を落とすことも容易なのだから、この程度は何でもない。

「それで、何でそんな物を盗ったんですか?」

「盗ったなんて、人聞きが悪いわね。連邦警察官の前でそんなことするわけないでしょ。借りたのよ」

「物は言いようじゃないですか。……捜査に必要だからそうしたんですよね?」

それはもちろんそうだ。そうでなければ本当にただ物を盗っただけになる。

「まあ違法捜査ですけれど……」

「堅いこと言わないの。これが重要な物証なら後でこっそり返しておいて、令状が下りたら改めて押収すれば良いのよ」

 こっそり返す。難しい事にも思えるが、シエラにとっては造作もないことだった。

「これ、誰のブレスレットだと思う?」

「それは……アスペルマイヤー氏が持っていた物ならば、彼の物なのでは?」

「女性用のブレスレットよ。彼には入らないわ」

「なら、奥さんの物とか?」

「仕事中に結婚指輪を外す男が、奥さんのブレスレットを持ち歩くかしら。それも、このブレスレットは高級品じゃない。アスペルマイヤーが愛人へ渡すために持ち歩いていた、という線も無いわね」

 金を掛けるというのは誠意の現れと言える。また、地位と名誉を持った人間は体面を重視する。個人的な領分で安物に関わって得をする事が無い。

「うーん、確かに不自然と言えば不自然ですね」

 首を傾げたアダーは、しかし直ぐに間の抜けた声を上げた。

「えーと、つまりそのブレスレットは誘拐された被害者の物だと?」

「それを調べるのよ」

 しかし、わざわざ被害者の物品を持ち歩くリスクを犯すだろうか。普通は有り得ない。それも、ポケットから覗き見えるという杜撰な管理。掴まされた可能性もある。仮にそうだとすれば、アスペルマイヤーは想像以上に厄介な相手だ。

「……思い出したんだけれど、市警はあなた達に協力的じゃなかったわよね」

「ええ、そうですね……」

「アスペルマイヤーがエルフの誘拐に一枚噛んでいる。そして、奴は警察に顔が利く。だからアンジェリーナさんが奴の名前を口にしても、警察は真面目に捜査しなかった。もちろんこれはまだ推測だけれどね。ただ、エルフの誘拐が一連の失踪事件と同一のものなら、彼らが連続失踪事件について協力的で無かったのは、やはり奴の圧力が有ったからではないかしら」

「ああ……やっぱりそう思います? ちょっとまずいですね……」

「まずい?」

「実はですね、私達をこの都市へ呼んだのは、ベッカーさんなんです」

 ベッカーとは、先ほどカフェで会話した刑事だ。非協力的な市警にあって、連邦警察官に協力的な人物。

「……連邦捜査官に協力を要請する手順は分からないけれど、彼はそんな決定権を持った立場じゃ無かったわよね」

むしろ、閑職に追いやられていると自嘲気味に話していた。

「最初は本部に匿名の電話が有ったんです。連続失踪事件を起こしている氣功士が居るって。所属も氏名も明かさずに、それだけを告げて電話は切れたそうです」

「そんな怪しい電話を信用したの?」

 そんな意味の分からない要請を間に受けていたら、イタズラ電話に奔走するのが職務になりはしないだろうか。

「良く分からないんですけれど、都市の名前を聞いたダミアン先輩がやる気になっちゃって」

「それは……改めてオルデンブルクの警察本部へ確認したりはしなかったの?」

「その辺りはちょっと良く分からないんですが……。でもまあ、その日のうちに飛行船でマールブルク州へ飛ぶことに……お陰で私の休みが吹っ飛びましたよ」

「何か予定でも有ったの?」

「家で本を読んだり、ダラダラするだけですけれど……」

「じゃあ別に良いじゃない。休まないと死ぬわけじゃあるまいし」

「ダミアン先輩と同じこと言う……。精神的に死にますよ! 休日の無い人生なんて何の意味があるんですか」

氣功士の身体は一般の人間よりも遥かに強靭だ。魔獣が大発生すれば、その対応に四六時中追われる。部隊から孤立し、水と僅かな食料だけで一週間を生き延びた者の話を聞いた事がある。誰もが一様に同じとは言えないが、少し休みが取れないくらいで文句を付けていては、国家公務員としての氣功士の仕事は務まらない。文字通り命懸けを要求されるのだから。それに耐えられない者は民間へ下る。どちらが良いかと言われれば、どちらが良いとも言えないだろう。民間へ下っても国家は氣功士を管理し続ける。民間の仕事でも氣功の能力を利用するならば、命を賭ける場合だってある。巨人の魔獣・ベルグリシから運送トラックを護衛していたアヤ・コマキという少女もそうだ。

ともあれ、ダミアンのやる気だけで連邦捜査局の貴重な人材を浪費するような真似はしないだろう。本部としては何らかの確信が有ったから2人を派遣した筈だ。それをアダーは把握していないが、果たしてダミアンは知っているのだろうか。

「こっちへ来て、でも警察本部は何故か凄く私たちのことを警戒していて、途方に暮れてたんです」

何だろうか。途方に暮れていたのはアダーだけな気がする。

「そんな時、ベッカーさんが接触してきたんです。曰く、連邦捜査局へ連絡したのは自分だ、曰く、協力したい。自分がそうしている事は一切秘密にしてくれと。かなり切羽詰まった様子でした」

シエラは、周囲を異常に警戒していた彼を思い出した。

「ベッカーさんはこう言いました。オルデンブルク市警は連続失踪事件を解決するつもりがない。署長は捜査チームを解体し、失踪事件の報道はピタリと止んだ。氣功士の関与が疑われるのに、連邦捜査局へ応援を要請しない。何か強力な圧力が掛かっている気がすると」

「……圧力をかけた相手の予想は?」

「市議会のお偉いさんとか、地元の名士か……そう言っていました」

 だが、彼はアスペルマイヤーを除外していた。彼に限って有り得ないとまで言った。この都市にとって、アスペルマイヤーとはそうした存在なのだろう。あまりにも強大な力を持っているが、聖人のような人徳を持ち合わせているために、疑われすらしない人物。

「ベッカーさんは有り得ないと言っていましたし、私も会うまではそんな筈ないだろうと思ってました。でも、シエラさんの話を聞いていると……私も怪しいと思えてきました」

「そして、奴は私達を監視していた節がある。私の名前を知っていたし、私たちが一緒に行動している事に疑問を覚えなかった」

 クラウディアがエルフである事まではバレては居ないだろう。常にフードで顔を隠していたし、名前すら分からない筈だ。だから、奴はあの場で名を口にしなかった。

監視されていたのならば、ベッカーとアダーが共に行動している場面を目撃されていた可能性もある。先ほどのカフェではそのような気配を感じなかったが――監視役が氣功士で、手練ならば気配を誤魔化されていても不思議ではない。

アダーがまずいと言ったのはそれか。連邦捜査官に協力していた事が知れれば、ベッカーは免職されるかもしれない。不当ではあるが、逆らえはしないだろう。

「いえ、それ以上です。何らかの不正を疑った内務調査部の人員が不審死を遂げたそうですから」

「…………」

 まるで無法地帯だ。不用意にアスペルマイヤーの所へ趣いたのは、誤りだったように思えてきた。

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