27話
シエラが投げかけた質問に、アダーが息を呑む音が聞こえた。いきなり切り込むとは思っていなかったのかもしれない。だが、目の前の男に絡め手は通用しないように思えた。少なくとも、言葉の駆け引きにおいてはこちらより上だろう。
本当にアスペルマイヤーが事態に関わっているならば、突然の切り出しに何らかのボロを出してもおかしくない。シエラは彼が質問の意味を飲み込む瞬間を見逃すまいと、意識を集中した。
だが。
「…………」
アスペルマイヤーは唇に人差し指の腹を当て、しばし考えて、
「アンジェリーナ・アルベルト……誰だったかな」
白を切っているのかと思ったが、あまりにも間抜けな反応だった。全く知らないという事は有り得ないはずなので、単純に思い出せないのだろうか。
「あー……」
彼は、困ったように秘書――ギュンターに視線をやると、彼女は落ち着いた様子で答えた。
「アルベルト雑貨店の店主です。お忘れですか?」
「ああ……いや、もちろん覚えているとも。忘れるはずがない。失礼、少し疲れていましてね。そう、高校時代の後輩だ。卒業後も親しくさせてもらっているよ。変な意味では有りませんよ。純粋に、良き商売相手としてね」
「…………」
微妙だった。これが演技だったならば、相当な演技派と言わざるを得ない。この若さで国家有数の企業を率いているのだから、胆力も相応に化物じみているだろうことは想像に難くない。腹芸にも秀でているだろう。身体的な反応から矛盾を見出す事は、やはり不可能かもしれない。
「それで、アンジェリーナ君がどうしました?」
そこで、漸くアダーが復帰した。
「……あの、ええその、なんというか……アルベルト氏がエルフとの交易を行っていることもご存知ですよね?」
「……ええ、もちろん。それが何か?」
「実はですね……その、彼女と親しくしていたエルフを、あなたに攫われたと言っているんです」
「……ふっ、はは!」
アスペルマイヤーは口元に手を当て、失笑を隠そうとした。
「いや、失礼。あまりに突拍子もない話だったので」
「ええ、そうですよね。いえ、こちらこそ……なんというか、失礼しました。きっと何かの間違いでしょう」
「もちろんです。大体、そんな事をして私には何のメリットも無い。エルフや社会を敵に回すほど、愚かでは居られない立場ですからね」
「実のところ、アンジェリーナ氏の精神は非常に不安定なんです。何らかの妄言なのでしょうけれど、形だけでも捜査しておかなければ……と、思いまして」
次第に落ち着いてきたのか、思ってもいないことを述べているにも関わらず、アダーの口調は滑らかだ。当初は『大丈夫かこいつ』くらいの不安を覚えたし、自身も己の能力を信じているようには思えなかったが、中々どうして問題ないように思える。
「しかし、エルフが攫われたというのは問題だ。大事になるのだろうか……」
彼は窓に目を向けて、嘆息した。
この部屋の窓――というよりも、窓に当たる壁は一面ガラス張りで、都市の光景が一望出来る。都市で最も高い場所にあるため、視界を遮るものが何もない。まるで支配者の城だった。
「いや、既に大事ですね。エルフがこの都市で攫われたというならば、それは一大事だ。この都市を愛する者の一員として、何よりアスペルマイヤー家の当主として、私も出来る限りの協力をさせて頂きますよ」
これが演技だとすれば、面の皮が厚いのにも程がある。
「……有難うございます。必要が有れば、是非」
やはりまだ緊張しているのか、アダーはテーブルの下で手を固く握り締めていた。表情も硬い。握り締めたその手に、シエラがそっと手を重ねると、彼女は僅かに顔を綻ばせた。
「それでは、形式的な質問にお付き合いください。3日前の午後は何をされていましたか?」
「3日前……そうですね、あの日は州都ラメリタで、対魔獣戦における障碍者支援の会合を……」
シエラは質問に応じるアスペルマイヤーを注視していた。だが、受け答えに不審な点は見受けられない。物腰も柔らかで、知的な雰囲気を感じさせた。高級なスーツや革靴を着用しているが、嫌味になるほど着飾っているわけではない。装飾品も最低限で、指輪すらしていない。腕時計もスマートなもので、そうと知らなければ高級品に見えない。噂通りの人物なのだろう。それは理解できた。
だが、シエラはこの男に対して、なにかしらの形容し切れない危うさ、薄っぺらさを感じていた。何かが妙だと告げていた。
それに繋がる不審な点を挙げれば、アンジェリーナについて尋ねた時の間抜けな反応か。
あの時、秘書のギュンターが助け舟を出さなければ、彼はアンジェリーナを思い出していただろうか。古くは何世代も前から共に都市を支えてきた名家の、商売相手として親しくしていたという人物を、果たして一瞬でも忘れるものだろうか。それに、様子がおかしいと聞かされながら、アンジェリーナを心配する素振りもみせない。
ギュンターに視線をやると、彼女は微笑みで答えた。この女も妙と言えば妙だった。年齢の割に落ち着いている。幼い頃から過酷な訓練を課されるが故に、氣功士には顕著な特徴だった。断定出来るが氣功士だろう。ホールで握手して気が付いたが、そこそこに使う。大企業の社長が気功師の護衛を雇う事は珍しくない話だったが、秘書がそれを兼ねるという話は聞いたことが無い。どちらの仕事を優先しても、どちらかが疎かになるだろう。アスペルマイヤーも重要な部分でコストカットする愚か者ではあるまい。人が良く、争いを好まない温和な人物という話だったが、それと危機意識が低い事は同じではないだろう。
もう1人の秘書は良く分からない。普通の男に見えたが、果たしてどうか。
「ええと、それではですね……」
形式的な質問が終わったのか、アダーはシエラに視線を送ってきた。他に何か質問は無いかと促しているのだ。
シエラはテーブルに乗り出して、匂いを嗅ぐ素振りを見せた。
「……なんだか、血の匂いがするんですよね。どうしてですか?」
シエラの指摘に、アダーは顔を硬直させた。だが、当の本人は涼しい顔だった。
「午前中は屠殺場を巡回していましてね。そのせいでしょう」
「なるほど。社長業というのも大変ですね」
「ええ。体の良い雑用係のようなものですからね。色々な場所を回らないといけない。ですが、トップが働かない組織は何れ衰退します。……まあここだけの話、もう少しくらい休んでも良いんじゃないかと思っているのですがね」
腕を広げ、アルカイック・スマイルを浮かべた。誠実を具現したような瞳だった。若くして大成した者にありがちな奢りはない。その笑みは突き抜けて自然で、他社のパーソナルスペースを容易く踏破する。不信を抱いているシエラには、だからこそ薄ら寒さを感じさせた。
「だから奥様とは別居を?」
捜査とは関係の無い、気分を害されても仕方の無い質問だった。だが、やはり彼は気にした様子を見せない。答える必要は無いと突っぱねられるかと思ったが、彼は笑みを浮かべたまま快く答えた。
「いえ、まあ……それも関係が有るのでしょうね。結局のところ、私の責任である事に変わりはないのですから」
「奥様を今もまだ愛している?」
「もちろん、世界で2番目に。1番目は息子だ。……まだ別れては居ませんが、彼女がそうしたいなら私は精一杯の援助を行うつもりですよ」
「それはご立派ですね。では……」
「おっと。私の個人的な情報ばかり話すのは公正じゃない。次は貴女に、私が質問しても?」
大人しく質問に答えていたのは、それが狙いだったか。テーブルの下で、アダーが不安がるように太ももを叩いてきたが、問題ないと視線を返した。
「もちろん。しかし、私は大した人生を送っていません。面白いことなど話せませんよ」
「いえ、別に堅苦しくお考えになる必要は無い。とても単純なことです」
気がついたが、ギュンターも思わぬ展開に困惑しているように見えた。
「貴女は自分の本質について、どのように考えていますか?」
「……? それが質問ですか?」
「ええ、単純でしょう?」
単純ではあるが、良く分からない。何より、質問の意図が読めない。そんな事を知って一体何になるというのか。そもそも、本質というのは一体何を意味する言葉だったか。
「社長。そろそろ……」
ギュンターが時計を確認しながら話に割り込んできた。
「ん……この後に何か有ったかな」
「お忘れですか? へーバルト氏が……」
「ああ。ああ、そうだったな」
アスペルマイヤーは残念そうに言った。
「申し訳ないが、時間のようだ。一応確認しますが、警察署で聴取を受ける必要は無いということですね?」
「ええ、現時点では」
「それは良かった。捜査には協力するつもりなので、用が有れば何時でも呼んでください。なんなら、次は私が警察署へ行きますよ」
「……はい。ご協力有難うございました」
どちらともなく、2人は握手を交わした。その瞬間、気がついた事があったので、シエラはとある行動を取った。この部屋にいる誰もがそれに気がつかなかった。
2人はギュンターの案内で退出した。付いてくるのかと思ったが、1階まで随行することなく、エレベーターホールで別れた。
しばらく無言だったが、エレベーターが中程まで達した所で、アダーが口を開いた。
「収穫無し……という事で良いんですかね」
「どうかしら。噂の本物をこの眼で確かめることが出来たのは、収穫と言えないかしら?」
そもそも、収穫など初めから期待していなかったのだから、それで良いのだ。アダーは違うかもしれないが、シエラは自分が敵対する可能性の高い人間を、この眼で確かめたかった。だから、会えただけで十分な収穫だ。
それに、収穫はそれだけではない。
「それで、アダーはどう思ったの? 彼はどう見えた?」
「うーん……正直、良く分かりません。表面上は誠実そうな人に見えましたが……」
それは全くその通りだった。外見だけ見れば、彼は温和で誠実なビジネスマンに過ぎないだろう。
「……アスペルマイヤーがセルウィリアさんに手を出していないと仮定するなら、どうして彼はエルフが攫われたと思ったのかしら」
「え?」
あの時、アダーの『彼女と親しくしていたエルフを、あなたに攫われたと言っているんです』という言葉に対して、アスペルマイヤーはエルフが攫われた事を前提とした発言を行った。
「それは、私がそう言ったから…………?」
「でも、あなたはこうも言ったでしょう? アンジェリーナさんは精神的に不安定で妄言なのだろう、とも」
アダーの言葉にはあやふやな部分が有った。アスペルマイヤーが攫ったという部分が妄言なのか、アンジェリーナの発言全てが妄言なのか、これではどちらなのか分からない。にも関わらず、彼はエルフの誘拐を前提として話を進めた。
「うーん……どちらともとれる質問ならば、単に勘違いしたのでは?」
その可能性は大いに有り得る。だが、何となくだが、その勘違いは街中で噂される彼の人物像と合わない気がした。
「彼が誘拐の首謀者ならば、話は簡単なんだけれどね」
「でも、それならそれで、エルフの誘拐なんて無い、という立場を取ると思いますが」
結局、可能性ならば何とでも言えるという話だった。
だが、アスペルマイヤーの情報網は、旅行者同然のシエラという存在を把握している程に広い。彼が仮に善良な市民だったとしても、エルフの誘拐騒ぎなど起こっていない事など、当たり前のように把握している筈だ。政治家とすら繋がっている彼には、それが可能だった。同じ理由で、エルフの誘拐騒ぎが起こっていたとしても、それを把握することはまた可能だろう。
であるにも関わらず、彼はそのような発言を行わなかった。アダーとシエラの情報を知っている事を仄めかした彼が、そうしなかったのだ。この点について、シエラは何らかの作為を感じ取った。
(あるいは昨夜、アダーが恐れたのと同じ理由で、政府機関から口止めされているのかもしれない。それなら分からないでもないけれど……)
断定は出来ないが、シエラの中で彼に対する心証は真っ黒だった。
エレベーターが1階へ到着し、2人はロビーを歩いた。時刻は17時を過ぎた頃。終業を迎えたのか、多数の労働者が吐き出されるように出口を抜ける。その流れに乗って、2人も建物を出た。このビルの最上階を陣取る人間が犯罪者である可能性を信じる人間は、果たしてこの中に居るだろうか。きっと居ないのだろう。
彼がもし黒だった場合――果たして、この都市はどう変わってしまうのだろうか。どのように変わるにせよ、シエラには関係の無い話だったが。
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