24話
アダーという連邦捜査官は、するりと梯子を昇りきった。スーツを着こなしきれていない感じは強いが、動きは軽やかだった。黄色の強いブロンドがさらりと揺れ、澄み渡った碧眼が視線を巡らせる。まだ一応は警戒していたのか、P38と呼称される拳銃を右手に構えていた。連邦警察採用拳銃だ。
「あ、あの……誰ですか?」
アンジェリーナは身構えた。
「連邦捜査官よ」
「警察……!」
警察に余程嫌な思い出でもあるのだろうか。
それを見て、アダーは拳銃をヒップホルスターへ収め、胸元から手帳を取り出した。
「カテリーナ・アダー。連邦捜査官です。ご心配なく、アルベルトさん。警察署では酷い目にあったようですが、私は州警察とは無関係ですので」
どうやら彼女は、こちらが知らない情報を知っているようだ。
半信半疑なのか、アンジェリーナはシエラに視線をやった。シエラは頷いて、
「一応は信頼出来る人だと思いますよ。貴女の力になってくれるでしょう」
「私の力に……?」
一応、という部分にアダーは憮然としたが、アンジェリーナが警戒を薄めたのを見て安堵していた。
「ところでシエラさん、今の状況は? 誘拐の件についてはどうなりましたか?」
「ああ、それは……」
シエラはアダーに、これまでの経緯を軽く説明した。それを受けたアダーは苦い顔をして、嘆息した。
「喜んで良いのやら、反応に困りますね」
「まあ、少なくとも貴女的には良かったんじゃない? エルフと国家が秘密裏に動いている……なんて事が無くなった訳だし」
アダーは肩を竦めた。釈然としない部分があるのだろう。真面目なタイプだ。ともあれ、それも当然かもしれない。シエラ達の行動如何に因っては、相棒のダミアンが物理的に危ないのだから。
「ともあれ、早速アンジェリーナさんに詳しい話を……」
しかし、言いかけたアダーは言葉を止め、シエラに耳打ちした。
「あの……すみませんが、シエラさんにお願いしてもよろしいですか?」
「え? なんでよ」
専門家が来たのならば、快く任せてしまおうと思っていたのだが。
「恥を忍んで率直に言いますが、私の聴取能力はまだお粗末なものです。それに、彼女はまだ私を警戒している様子。貴女に頼んだ方が話が早いのではないかと」
シエラは戸惑った。昨日は『自分達に任せておけば良い』というくらいのことを言っていたのに、今更どうしたというのか。
「うーん……。それって、無責任じゃない? 理屈は分かるけれど、道理に合わないっていうか…………」
新人だから――などという言い訳は通らない。市民も犯罪者もそんな事は考慮してくれないだろう。何より、ならばこそ成長の機会なのだからこれを逃す手はない。それに、ダミアンがこの事を知れば、アダーはかなり怒られるだろう。何のための連邦捜査官なのか、分かったものではない、と。
「う……やっぱり駄目ですかね」
潤みを帯びた上目遣い。何だろうか、なんとなく保護欲を掻き立てられる反応だ。計算でやっているならば悪い女だ。
「いや、駄目って事は無いけれど……」
考えてみれば、ダミアンの言動から考えて、碌にいろはを教えぬままにアダーを放り出している可能性は高い。だとすれば不憫と言えない事はない。それに、効率が良いというアダーの言い分にも一理有る。
「……じゃあ、基本は私が聞くから、気になった事があれば言ってみるって感じで……」
「有難うございます!」
手を握られて大変に感謝された。利益のみを考えるならば、恩を売っておいて損は無い相手だ。そう納得する事にした。
こそこそとしたやり取り、アンジェリーナはさぞ怪訝に思っている事だろうと思ったが、呆と宙に視線を巡らせていた。
「アンジェリーナさん?」
「……え? あ、はい…………?」
呼びかけに対する反応も鈍い。忘れていたわけではないが、彼女は衰弱状態にあるのだ。身体の震えも戻っていた。
「……これから色々お聞きする事になりますが、少し休まれますか?」
「いえ。……いえ、とても休めなど……」
だが、その身体がふらりと揺れた。
「……大丈夫ですか?」
咄嗟に抱えたその身体からは、全く力を感じなかった。これは不味い。限界だ。聴取どころではない。
「大丈夫……です。私は、あの子を……私のセルウィリア…………」
全霊を振り絞って声を出しているのだろう。これ程に必死な声を、シエラは聞いたことが無かった。
「……安心してください。我々に任せて。必ず救ってみせますから。だから、今はしっかりと休んでください」
シエラが言うと、アンジェリーナは殆ど呟くような声を漏らした。
「アスペルマイヤー……きっと、彼があの子を…………」
そして、完全に眠りへ落ちた。アダーの言うとおり、彼女はシエラに対しては警戒心がやや薄いのだろう。しかしそれが今回はアダとなった。アンジェリーナの体調を慮れば、決してアダとも言えないが。ずっと緊張状態にあった彼女の精神は既に限界を迎えていた。緊張の糸が少しでも緩めば、崩れるように意識は落ちる。そういう事だろう。
「アスペルマイヤー……。一体何者かしら」
詳しい話をこの場で聞けなかったのは残念だが、事態は大きく前進したと言える。アスペルマイヤー。有力な容疑者だ。
※ ※
「……う……ん…………」
薄暗いモーテルの一室で、クラウディアは椅子に座って彼女を観察していた。彼女――アンジェリーナは、折に触れて呻くように声を上げていた。あるいは、悪夢を見ているのかもしれない。
部屋にはクラウディアとアンジェリーナの2人しか居ない。
あの後、クラウディア達はアンジェリーナを運び出していた。アダーのモーテルにだ。本来ならば病院が適切なのかもしれないが、殺し屋に狙われているならば、一般人が多く集まる公的機関は望ましくない。警察の協力を得られるならば選択の余地は有っただろうが、アンジェリーナが警察を嫌っている理由が判明したために見送られた。
アルベルト商店からモーテルへと運び出すまでの間にも、彼女は眼を覚まさなかった。普通の睡眠ならば目覚めてもおかしくは無いだろうが、あるいは気絶に近いのだろう。
ベッドに寝かせてからは、熱病に浮かされたようにうなされ始めた。さして暑い訳でもないのに寝汗が酷く、体温はむしろ低下していた。やはり病院へ――とも考えたが、そこでクラウディアが氣導術を行使した。
結果、うなされ方は軽くなり、汗も止まった。体温も通常状態に戻っていた。
昂ぶった神経を鎮めるための術だ。直接的に副交感神経に働きかけ、乱れた脳内分泌物を整えるための術――では無い《・・・・》。クラウディアを始めとして、エルフは大抵が読書を愛する。人間の神経学や解剖学にも詳しく、人間とエルフのそれらに殆ど違いがない事は理解している。その知識から言って、神経に直接働きかけるような術は、余程に洗練された術師でない限り危険だ。さじ加減1つで、呼吸中枢すら停止してしまう可能性がある。
だから、アンジェリーナが安眠出来るような術を使用した。具体的には、匂いを再現したのだ。匂い――匂いの元となる成分を。子供を寝かしつけたり、眠れない時に使用するハーブの精油。幼い頃、クラウディアも母親に使ってもらっていた。エルフに受け継がれてきた伝統的な術だった。
その効果はアンジェリーナだけで無く、クラウディアにも作用している。アルベルト商店へ侵入した時から、クラウディアは激しく動揺していたのだ。表面上は大人しくしていたが、事実は違った。だから、術の効果圏内に留まっているのは意図してのことだった。
時刻は既に18時を回っている。シエラとアダーはまだ帰ってこない。
2人はアスペルマイヤーなる人物の調査へ向かった。アンジェリーナの護衛と介護を両方こなせるクラウディアは此処に残った。それから数時間、クラウディアはずっとアンジェリーナを看ていた。
実際には答えの出ない思考を繰り返していたのだが。
どうしてセルウィリアはアンジェリーナの元へ行くことになったのか。
そして、どうしてそれを自分に言わなかったのか。
そのような事をずっと考えていた。実際の所、答えは殆ど出たようなものだった。だが、アンジェリーナが起きないと、答え合わせが出来ない。だからずっと思考を続けることになる。だが、堂々巡りの思考は――術の作用も有るだろうが――むしろクラウディアに冷静さを与えていた。
「う……」
その時、アンジェリーナが上半身を起こした。
「ここ……は……?」
「目を覚ましたか」
未だ完全に覚醒していないのか、呆と視線を彷徨わせている。睡眠を取ったためか、初めて見た時よりも顔色は良くなっている。だが、目の下のクマは相変わらず濃い。
「あなたは……」
「眠る前の事は覚えているか? 覚えていると助かるのだがな」
「え? ……ええ、はい。覚えて……います」
まだ頭が混乱しているのかもしれない。完全に目覚めればそれも無くなるのだろうが、それを焦らせても仕方がない。
「アダーという連邦警察は覚えているな。そいつが借りているモーテルだよ、此処は。お前を護るためには、ここが1番向いているらしい」
他人事のように言ったが、クラウディアもそう考えていた。
「他のお2人は……」
「気にする必用は無い。もう直ぐ帰ってくるだろう」
「そうですか……」
うなだれ、大きく息を吐いた。
何か言葉を掛けるべきだろうか。だとして、その内容はどうすべきか。彼女達に何が起きたかを聞くべきなのだろうが、彼女の精神的負担を考慮すれば、もう少し様子を見るべきなのかもしれない。とは言っても、あまり悠長に事を構えている余裕もない。
その時、アンジェリーナが薄く微笑んだ。
「セルウィリアが言っていたのを思い出しました。クラウディアさんは真面目だから、会話するのにコツが要るって」
どうやらある程度、こちらの事を知っているようだった。
「私とは話しづらいか?」
「いえ。同じエルフだからでしょうか。何処かセルウィリアと雰囲気が似てて、少し安心します」
「それなら良い。しかし会話にコツ、か……私は気にしたこともなかったが……」
シエラはどう思っているのだろうか。話しづらいと感じているだろうか。そうだとすれば、嫌だ。改めねばならない。
「あの……」
「なんだ?」
アンジェリーナはやや躊躇して、己を奮い立たせるように言葉を発した。
「怒っていますか? 私のこと…………」
「怒る? なぜだ」
「私は……セルウィリアをエルフの方々から任されました。あなた方はもう関係のないことだと仰るかもしれませんが、少なくとも私はそう思っています。それに、クラウディアさんはあの子と親しかったでしょう? ……あの子を危険に晒してしまって、だから…………」
それはアンジェリーナが恐れていることの1つだったのだろう。先ほど、アルベルト雑貨店の屋根裏で、赦しを請うように跪いた姿を忘れてはいない。
「怒ってなどいない。責めるつもりもない。お前にはどうしようもなかったことだ」
エルフには現実主義者が多い。頭が良いために、非論理的な行動に意味を見出さないのだ。彼女がセルウィリアを攫った犯人であるならば激怒しただろう。だが、そうでは無かった。自身の勘違いで誰かに当たるような無様を晒すつもりはない。
「…………そうですか」
嘆息して、アンジェリーナは顔を伏せた。彼女は責めたれられたかったのかもしれない。セルウィリアを護れなかった罪を、誰かに裁いて欲しいのかも。
「……聞いても良いか?」
切り出しても大丈夫かもしれない。そう思った。此処まで会話した限り、数時間前の極限状態からは脱しているように見えた。ならば、確認しておかなければならないことがある。
「私は当初、お前か、あるいはそれに類する誰かがセルウィリアを誘拐したと考えていた。人間の商人――お前との取引先で姿を消し、取引から帰宅したエルフ達もそのように騒ぎ立てていたからだ。だが、セルウィリアは自身の判断でお前に付いて行ったという。それも、エルフとは話し合ったかのような口振りだ。もちろん私は知らない。これはどういう事だ?」
これまでの全て――衰弱していたことや証言は嘘で、セルウィリアの捜索に掛かった者達を罠に嵌めるための演技である可能性もある。シエラはそう言っていたが、クラウディアにはアンジェリーナが嘘を付いていないことが分かる。だから、その可能性は考えなくても良い。
クラウディアの言葉を聞いた彼女は、困惑したようだった。
「私が誘拐だなんて、そんな……。それに、あなた方が知らない筈も……私は同意の上で彼女を連れ出しました。確かに、取引先で他の方々に挨拶もせず出てしまった事は無礼に当たるのでしょうが、それもセルウィリアが急かしたからで……。マクシムス氏にもお話を通して有るはずですが」」
「長老に……? 長老はなんと?」
「意思を尊重する、と。但し、セルウィリアは二度と村へ戻れないと」
村へ戻れない。それを聞いて、クラウディアは己の推測を確信に変えた。
「では、お前とセルウィリアは……」
「恋人でした。私達は結婚するつもりだったのです」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます