25話

 クラウディアは俯いた。

やはりそうだったのかと、首を振った。

それ自体は構わない。そうそう有ることではないが、エルフと人間の恋物語は決して非現実的な事ではないからだ。セルウィリアがそう決めたのならば、クラウディアに異議はなかった。

だが、納得のいかない部分も有る。

「恋人……結婚……私は何も聞いていない」

そして、村を去った。何も言わずに、セルウィリアはクラウディアとの決別を果たしたのだ。それがたまらなく悲しく、切なかった。

(……どうしてだ。私達は何でも話し合える仲ではなかったのか。なあ、セルウィリア)

 俯いたクラウディアに対し、アンジェリーナは案じるように言葉を紡いだ。

「セルウィリアはあなたを気にかけていましたよ。貴女に何も言えずに出てきたことを後悔しているようでした。きっと自信が無かったのでしょう。貴女に引き止められれば、躊躇ってしまうと考えたのかもしれません。だからマクシムス氏にも、クラウディアさんだけには話さないようにとお願いしていたようです」

「……結果、誰も知らなかった訳だがな」

長老め、とクラウディアは歯噛みした。知る限り、マクシムスという男は気が長い。年齢のためか、あるいは生来の気質か。しかし、今回のことは気が長いでは済まされない。あるいは、何かしらの考えが有って言わなかったのかもしれない。

(考えようによっては良かったのかもしれないが……)

クラウディアは何も知らなかったがために村を出た。皮肉ではあるが、その先でセルウィリアは本当に攫われていたのだ。そうで無ければ、セルウィリアが攫われた事など知らず、今頃は村で本でも読んで過ごしていただろう。

それは1つ、幸運だった。

だが、不運もある。

エルフからの救援は期待出来なくなったということだ。セルウィリアは追放されたのだ。エルフでありながらエルフでない。攫われたと知らせても、村の人間が関わることをマクシムスは許さないだろう。気は長いし寛容とも言えるが、決まり事を守らない者にまで優しいわけではない。

それはクラウディアにも当てはまるだろう。これまでは事情を知らなかった。だが、今は知ってしまっている。事情を知りつつもセルウィリアを助けたとなれば、クラウディアも何らかの処罰を受ける可能性が有った。最悪、追放されるかもしれない。

 村を追放されてまで親友を救う。己にその気概が有るか。

(有るに決まっている……)

 あと百年も生きれば仕方の無い事と割り切れたかもしれない。だが、今のクラウディアには無理だ。現実主義者であろうと譲れない一線が有るとすれば、それは情というものだろう。

「あの子は助かるでしょうか……」

 宙へ投げるように、アンジェリーナが呟いた。

「助けてみせる」

彼女が今、どういう状況にあるかは分からない。だが、良い環境に置かれているとは決して言えないだろう。まさか殺されてはいないだろうが……。

それらについては、これまで意図的に目を逸らしてきた。徒に不安を増大させる必用は無いと考えたからだ。だが、現実的に考えるならば、そろそろ覚悟を決めておかなければならない。最悪の事態で終わりを迎える時に、あるがままを受け止める準備を。

「それで……アスペルマイヤーというのは何者なのだ?」

 セルウィリアを攫った犯人。シエラ達が調査しているはずだが、あちらはどうなっているだろうか。

「アスペルマイヤー氏は私の大学時代の先輩で……この都市の支配者です」

 支配者などと、凡そ時代錯誤な言い回しだった。冗談にしても上手くない。だが、アンジェリーナは真剣な表情を崩さない。それが冗談でも何でもない、当然の事実を言っているのだと知って、クラウディアは先行きの不安を感じた。



    ※  ※



「アスペルマイヤー氏ですか? もちろん知っていますよ」

「本当ですか?」

 アダーがコーヒーカップを置いて驚いた。シエラも驚いていた。まさか、これほど簡単に容疑者の情報を得られるとは思っていなかったからだ。

 時刻は14時を過ぎた頃。昏倒したアンジェリーナをクラウディアに任せ、2人は情報収集を行っていた。

モーテルを出て2人が向かったのは、市警の庁舎だった。アスペルマイヤーが過去に犯罪を起こしているならば、記録に残っている筈だと考えたからだ。

庁舎は中央区からグリューン・ドラッヘ通りを十数分歩いた場所に有り、近くにはオルデンブルク新聞社も居を構えている。

市警庁舎に到着して、アダーは記録の閲覧を申し出た。だがそれはエルフの誘拐事件ではなく、連続殺人事件の捜査という形だった。理由を問おうとしたが、アダーに眼で制された。今は聞くな、という事だろう。

だが、どうにも市警の警官達は協力的でなく、資料を閲覧するのにたらい回しされた挙句に、不必要とされて許可が降りなかった。念のために、アスペルマイヤーなる人物について彼らに聞いてみたが、誰もが首を振った。過去にそんな犯罪者は居なかった。だから調べる意味がない。その一点張りだった。

あまりにも酷い扱いに、シエラは首を傾げた。アダーもうんざりしているようだったが、これが普通なのだろうか。つまり、連邦警察と地元警察の摩擦。それがこのような形で表れているということか。

地元警察と連邦警察の仲は決して良好とは言えない。縄張り争いというものは何時の時代、どんな場所にでも存在する。特定の事件に関して強力な権限を有する連邦警察に、地元警察は決して良い顔をしない。一方的な支配関係にあるという訳ではないが、本来は立場上対等であるだけに、強い反発心となって現れる。

 しかし、嫌がらせというにはあまりにも酷すぎる。捜査妨害のレベルだった。アダー達が数日前に到着して以来、ずっとこんな調子らしい。連邦警察を通して抗議を入れたようだが、まだ効果が出ていない。

アダーの提案で他を当たる事にしたのは、彼女に協力者の当てが有ったからだ。その協力者に頼めば資料を閲覧出来るかもしれないと。

2人が市警庁舎を出て少し歩くと、脇に車が停まり、声を掛けられた。彼は名をレオン・ベッカーといい、市警の警察官だった。そして、運の良いことに、彼こそがダミアンやアダーの協力者だった。

刈り上げた薄いブロンドに、強い意志を感じる碧眼。年の頃は20代後半だろうか。目鼻立ちは整っており、清潔感のある男だった。

ベッカーは人目を避けて話すことを提案してきた。路地裏のカフェへ別々に入店し、背中合わせで声を潜め、密かに会話を行うという徹底ぶりだ。連邦警察官との接触が同僚にバレるのを、極度に恐れているような行動だった。

ともあれ、アスペルマイヤーについて尋ねたところ、彼はあっさりと答えたのだった。

「この都市では有名人ですよ。知らない者はきっと居ないでしょう」

「何者なんですか?」

「ミネルヴァという企業に聞き覚えは?」

「ええ、まあ。首都でも耳にしますし……」

「そこの社長です。ミネルヴァの本社はこの都市にあるんですよ」

「…………」

 アダーは嘆息し、右手で顔を覆った。気持ちは分かる。いや、完全には分からないが、面倒くさい事になってきた、という気持ちだけは共有出来た。

「あの……それで、アスペルマイヤー氏がどうしたんですか? 事件に関係は……」

 一瞬、息を飲む音が聞こえた。

「彼が容疑者だと? エルフの誘拐事件とやらで?」

「……ベッカーさんはご存知なかったんですか? 取り調べ中にアスペルマイヤーという名は、きっと出たと思うんですが」

「情けない話ですが、私は警察内でも殆ど孤立していますので……。今朝、アンジェリーナ・アルベルト氏の事を貴女にお伝えしたのも、エルフという言葉で『そういえば、そのような取り調べの噂を聞いたな』という程度でして」

 成る程、とアダーは頷いた。

「それで、どうなんですか? 本当にアスペルマイヤー氏が?」

「……すみません。まだ何も掴めていないので」

「ああ、いえ。こちらこそ失礼。……でも、彼だけは有り得ないと思いますよ」

「どうしてですか?」

「代々、地域の発展に貢献してきた一族です。彼自身も10年前に家督を継いでから、企業と都市を更に発展させました。性格も温厚で、虫一匹殺すのに躊躇うほど情に厚いと聞きますね」

「……随分と尊敬されているようですが、氏とはお知り合いなんですか?」

 それまで黙っていたシエラが口を開いた。ベッカーは指で顔を掻いて、

「彼等のようになりなさいと、両親から育てられたんです。親というのは、自分がなれなかった理想を子供に押し付ける。まあ、結局はただの警察官になってしまいましたけれどね。それに、今後は出世の芽もないでしょう」

自嘲気味に答えた。

「あの、先ほども孤立していると言っていましたが、まさか我々に協力したから立場が悪くなったとか……」

アダーが申し訳なさそうに言った。市警の雰囲気を味わってみると、有り得ない話でもないと思えてくる。

「いえ、単に私の力不足ですよ。それに、貴方達に協力していることは誰も知らないはずです。もしばれていたら……」

その先は言わなかったが、適当な理由を付けられて、懲戒解雇も有り得るのかもしれない。不当解雇甚だしいが、もしそうでなくとも、自主退職に迫られるような環境に陥るのだろう。

「……私はそろそろ行きます。あまり長く休憩を取っていると怪しまれるので。資料は閲覧出来るよう、手を回しておきますよ。……それと、必要になるでしょうからこれを」

何かを書き写す動作のあと、紙切れを後ろ手に手渡し、

「お気をつけて」

そう言って、店を出ていった。

姿が見えなくなって、シエラは肩を竦めた。

「彼、信用できるの?」

協力という体でこちらを監視しているのではないかと疑ったが、真面目で誠実そうな男にも見えた。詐欺師は誰だってそう見えるのだろうが。

「少なくとも、有益な情報は頂いています。……アルベルトさんの情報とか」

「ううん……」

 それが怪しいのだとは言わなかった。

アルベルト商店へアダーが訪れた経緯は、既に聞いていた。市警がアンジェリーナに何をしたのかも。情報の出処がベッカーだとは今知ったのだが。ともあれ、ベッカーがアスペルマイヤーとエルフの誘拐事件を結び付けたのは、彼自身がアダーに情報を提供したからに他ならない。

セルウィリアが何者かに誘拐され、アンジェリーナは警察へ駆け込んだ。そこで丸1日以上を不当に拘束され、逆に激しい尋問を受けたのだ。精神を病み、虚言癖のある女と決めつけられ、エルフが誘拐されたなどと社会不安を煽るようなことを言わないよう促された。彼女が憔悴し、警察に恐怖を覚えていたのはそのためだった。

しかし、なぜそのような事が行われたのかは分からない。警察や軍にエルフの誘拐事件が伝わっていないのは、これまでの経緯で明らかだ。だが、アンジェリーナがエルフとの交易を行っていたアルベルト一族だということは、少し調べれば直ぐに分かるはずだった。その彼女の意見を無視するばかりか、虚言と断定するのは如何にも不自然だった。

この都市の警察は無能なのかとも考えたが――。

「レオン・ベッカーは口を濁したけれど、アンジェリーナさんは取り調べ中、アスペルマイヤーの名を口にしたはず」

 にも関わらず、アスペルマイヤーに対する捜査が行われず、アンジェリーナの虚言で事が済んでしまったのならば、可能性はいくつか考えられる。

その中で最も最悪なのは、

「権力者であるアスペルマイヤーと警察が繋がっているなら、事件の揉み消しに掛かったという推測が立つ」

「……まだ決めつけるのは早いです」

 立場は違えど、警察と連邦警察が共有する理念は同じ筈だ。新米のアダーは、警察の腐敗を信じたくないのだろう。ダミアンならば何と言うだろうか。

「……ともかく、会ってみるしかなさそうね」

「アスペルマイヤー氏にですか? 有名な企業みたいですし、まずは電話でアポを取らないと。ええと、電話番号は……」

「さっき手渡された紙、ね」

 折りたたまれた紙切れを開くと、株式会社ミネルヴァの電話番号が書かれていた。

シエラがベッカーを怪しいと感じたのはこういう所だ。行動を操作されている気がする。アダーはベッカーから情報をもらってアルベルト商店へやってきた。そこに何らかの意図が無かったとは言い切れない。そもそも彼が、本当に協力者として動いているという保証が無いからだ。

疑い過ぎても身動きが取れなくなるので、結局は動くしかないのだが。

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