23話

「アルベルトさん、入りますよ!」

建物の内部へ入ると、不思議な香りが匂った。決して嫌ではないが、覚えのない香り。どこか甘く、印象としては柔らか。何かしらのアロマを焚いていたのだろうか。数日のあいだ店を閉めていると聞いたので、雑貨に染み付いた香りが混ざり合ったものかもしれない。

カーテンを締め切っているために、内部は薄暗かった。

店舗内は非常に整頓されていた。中央には六角台、壁にはきっちりと棚や台が備えられており、その全てに商品が並んでいるらしかった。埃よけの布が被せられていて、その詳細は分からない。一番奥にはカウンターとレジスター。カウンターの奥にはスペースが有るらしく、扉で区切られている。恐らくは階段が有るのだろう。

「これを作ったのは我が村のエルフだな」

 クラウディアが小声で言った。六角台の布を捲って、中の1つを手に取っていた。エメラルドのように薄く透けた鉱石を加工した、十数センチの彫像だった。その様は正に、緑葉生い茂る大木。大木にはまとわりつくようにして、様々な生き物が付随している。見事な作りで、一見して高い技術で作られたものだと知れた。

「どうして分かるの?」

「同じ物を見た事がある。ファウストゥスという男のエルフだ」

「交易のために作っていた?」

「いや、それはどうだろう。彼にとっては純粋な趣味だった筈だ」

 エルフにも趣味が有るとは驚きだった。だが、考えてみれば当然の話かもしれない。むしろ長命である分、人間よりも多様性に溢れていてもおかしくない。クラウディアにも有るのだろうか。彼女にとっては心外かもしれないが、意外だった。

ともあれ、エルフと交易を行っていたならば、そういう物が店に有ってもおかしくはないだろう。よくよく思い返してみれば、ウラル共和国滞在中にも、『エルフが作成した云々』の品を見かけた覚えはある。あれらも趣味の産物だったのかもしれない。

しかし、作りと鉱石の美しさに比して、値段は妙に安いと言わざるを得ない。一般的な労働者でも無理なく買える価格だった。クラウディアに理由を聞こうと考えたが、止めた。彼女は金銭問題に関して疎いし、そもそも値段を付けたのはここの店主なのだ。

「……行きましょうか」

 カウンターの奥にある扉を開けると、直ぐ目の間に収納棚、右手に窓が2つ有った。収納棚は階段と一体型で、雑貨類の在庫が詰まっているのだろう。

「アルベルトさん、いらっしゃいますか?」

 階段の下から呼び掛け、クラウディアに目を向けると、壁に手を当てていた彼女は首を振った。聞こえていない筈はないのだが、まだ動きは無いようだ。

「拘束されているという訳でもないのよね?」

「そうだな。拘束された様子はなく、ただ壁に背を預けて座っている。呼吸は一定で……」

 ふと気がついたように、一瞬だけ言葉を止めた。

「これはもしかしたら、弱っているのかもしれない。だが、怪我をしている風でもないが」

 シエラは眉を顰めた。状況が見えない。

階段を昇ると、奥にはリビングが見えた。右手の扉はキッチンだろうか。スルーして3階へと足早に進む。3階は細かに区切られた部屋が多く、居住者達の個室だろうと思われた。ホールの右手と左手に部屋が1つずつ、奥にも1つ。

家族ぐるみで誘拐を計画したとは考えづらいが、果たしてどうか。エルフの誘拐という重大事は、いずれ必ず露呈するものだ。捕まれば実行犯は極刑、そうでなければ一生逃げ続ける人生となる。どちらにせよ家族を捨てる事となる。どれだけ金が入ろうが、家族持ちには割の合わない計画の筈だ。家族間に愛が有ればの話だが。あるいは、それほど金に困っていたか。だが、この家から漂う雰囲気に困窮した様子は感じ取れない。

誘拐にアルベルト雑貨店が直接関わっていない可能性もある。その場合でも間接的に――例えば脅されるなどして――関わっている可能性は高い。ここまできたら、何かしらの形で関わっている事を祈るばかりだ。そうであるならば、いくらでも情報を吐かせる手段はある。

階段はそこで途切れていたが、直ぐ傍に屋根裏への梯子が降りていた。

「アルベルトさん?」

クラウディアに確認を取るが、まだ女性が動いた様子は無い。ずっと同じ姿勢で身動ぎしないようだ。本当に生きているのだろうか。

梯子を昇りきる瞬間は無防備になる。避けたい所だが、ともあれクラウディアを信用するならば、上に居るのは普通の人間だ。梯子から頭を出した瞬間に対魔獣用の小銃で撃たれたとしても、シエラの命を奪うには足りないだろう。

 一応は警戒しながら梯子を昇り、屋根裏の床から顔を出して様子を伺った。一番奥に小窓、手前にテーブルが1つ、椅子が2つ、タンスが2つ、色々な物が置かれた大きめの机が1つ、床には花柄のカーペット。部屋の中央、壁に寄せて大きめのベッドが1つ、そこには女性が座っていた。小窓からの光がそれぞれに陰影を作り、いっそ絵画的にも思えた。

ダークブロンドのボブカットに濃い碧眼、黒のボディスに白のブラウスとスカート。

シエラが梯子を登りきると、女性の眼だけがこちらを向いた。厚いメガネの向こうから、ぎょろりとした重たい視線が突き刺さる。酷い顔だった。いや、容姿は優れているが、全体的に生気が無い。それが如実に表れる顔は、酷い暴行を受けた後のように表情が抜け落ちていた。眼の下には厚いクマが現れており、唇は乾燥していた。誰かが家へ侵入してきても、反応する気力が無い程に憔悴していたということか。

「貴女は……?」

 クラウディアが登ってくるのを確認しながら、シエラは訊いた。

「……白々しい。分かりきったことでしょうに。どうせ、アスペルマイヤーの命令で、私を殺しにきたんでしょう」

呟くような調子だった。しかし、耳元で囁かれているようにはっきり聞こえる。地の底から湧き出てくるような声だった。重たく低い、怨嗟で構成された音。小刻みに身体が震えている。怒りで震えているのか、あるいは恐怖で震えているのか。どちらにせよ、普通の状態では無かった。

シエラは女性の正面まで移動した。眼だけをこちらに向けられるのは、どうも居心地が悪い。

「殺しに? ……話が見えませんね。貴女はデニス・アルベルト氏の関係者ですか?」

 シエラの言葉に、女性は探るような目つきでこちらを睨んだ。

「デニスは父よ。貴女達、父さんに用だったの? 殺し屋かと思った」

 その方が良かったと言わんばかりの声音だった。

「殺し屋に狙われるような事をしたんですか? それなら、警察へ行くことをお勧めしますが……」

 いや、その前に病院か。

「警察? 警察なんて……」

 鼻で笑って、勢いよく腕を振った。脱力していたかと思えば、急に力が強くなる。肩に力が入り、呼吸は浅い。クラウディアに探って貰った時の様子とは正反対だ。

「いえ、いい。いいわ。貴女達には関係の無い話しよ。父に用が有ったんでしょう? 残念だったわね。3年前から首都暮らしよ。だから、私もしばらくは会ってない」

「3年前から? では、この店の店主は……」

「私よ。それがなに?」

 その答えに、シエラは首を捻った。

 では、この女性が誘拐の首謀者なのだろうか。とてもそのようには見えない。悪を犯すようには見えない、という事ではない。悪を犯した後に、ここまで神経衰弱状態に陥る理由が分からない。どちらかと言えば被害者のようですらある。

そもそも、アルベルト商店がエルフ誘拐の事件とは全く無関係の可能性も有った。その場合は手掛かりの掴みどころに困り、状況としては悪化する。仮にそうでも、この女性から話を聞くことは無意味ではない。しかし、果たしてこの女性と話を続けて良いものか。明らかに追い詰められているのに、これ以上は酷な気もした。

だが、聞かないわけにもいかない。唯一の手掛かりなのだから。

「ええと……では、エルフとの交易も貴女が?」

 エルフという単語を耳にした途端、女性は眼を見開いた。これまでとは異なる反応だ。苦悩するように頭を抱えたあと、観念したように息を吐いた。

体の震えは止まっていた。

「……エルフに頼まれたの? あの子の様子を見てくるようにって」

 消え入るような声で、そう言った。まるで、それを聞かれるのが最も恐ろしいことであったかのように。

「あの子……?」

何だか、まるで話が噛み合っていないような気がしてきた。こちらの聞きたい事と、あちらの知っていることがまるで違うような――。話の土台そのものが間違っているような、そんな違和感。

 その時、それまではシエラに任せていたクラウディアが前に出てきた。

「あの子とは、セルウィリアのことか? 分からん。お前の魂は悪事を行うようには見えんが……」

 フードを外しながら、クラウディアは言った。魂とは何のことだろうか。

「クラウディア・J・D・ヴァーラスキャーブルだ。頼む。セルウィリアについて知っていることがあれば、教えてもらえないだろうか」

顕になったクラウディアの顔を見て、女性は慄いた。先ほどまでの震えとは異なる、雷を浴びたような震えだった。

「エルフ! それに、クラウディア……貴女が…………?」

過剰な反応だ。先ほどまでは怖れを感じるほどに静かだったが、今にも破裂しそうな緊張に漲っていた。何か後暗いところがなければ、こうはならないだろう。

 シエラは、クラウディアが冷静な事に安堵した。もっと激しく詰め寄るものかと考えていたのだ。そうなった場合、女性の命を守らねばならない。感情的になった氣功士は力の抑えが難しい。一般人などあっという間に肉塊へ変わるだろう。

「ごめんなさい!」

「……なぜ謝る?」

「あなた方からあの子を……セルウィリアを任せて貰えたのに、わ、わ、私はあの子を、守りきれなかった……!」

ベッドから転がるように降りて、許しを請うように縋り付いた。嗚咽まじりの涙がクラウディアの服を濡らす。クラウディアは困惑してシエラに視線を向けた。

シエラはクラウディアの視線を受け、思考を巡らせた。

「……ああ、そういうことか」

「シエラ?」

「つまり、初めからセルウィリアさんは誘拐なんてされていなかった……ということね。きっと、自分から村を出たのではないかしら」

「誘拐……?」

「え…………?」

 屋根裏にクラウディアの呆気に取られた声と、女性の怪訝な声が響いた。

「そして此処へ到着して、今度は本当に誘拐されてしまった。そういうことですね?」

女性に問いかけると、彼女は顔を上げた。涙を浮かべ、悔しげに歯を食いしばり、脱力するように再び俯いた。

「どういう事だ、シエラ」

 問われても、詳細が分かるはずもない。それをこれから訊かねばならないのだ。ただ、そうした可能性は常に考えていた。クラウディアの早とちりで、本当は誘拐など起こっていないのではないかと。軍も連邦警察もエルフの誘拐を知らない、エルフが動き出している様子もない。

シエラは女性をベッドに座らせた。触れて分かったが、体温が低い。理由は分からないが、精神的に異常を期待している者は、大抵そうだと聞いた事があった。

流れ出す涙が止まってしまえば、また身体に震えが戻るのだろうか。詳しい話を聞かねばならない。何れにせよ、誘拐は本当になったわけだ。それも、状況はどちらかというと悪くなった。

探さねばならない。そういう意味では、幸運だったかもしれない。事態に1番詳しい女性が目の前に居るのだ。

「私はグラシエラ・モンドラゴン。貴女の名前は?」

「……アンジェリーナ・アルベルト」

「ではアンジェリーナさん、状況を……」

 その時、クラウディアが肩を叩いた。

「待て、誰か来る」

「え?」

 言われて気づいたが、階下に気配を感じた。足音や気配を巧みに消しているが、隠しきれてはいない。クラウディアが気づいたのは、術を発動させっ放しだったからのようだ。

 アンジェリーナは当初、自分を殺しに来たのかと尋ねた。事情は分からないが、彼女は誰かに狙われる理由を持っているようだ。そして、それはセルウィリアに起因するものであると。ならば、手掛かりがあちらから来てくれた事になるが――。

「いや、敵ではない。味方でもないかもしれないが……」

 やがて、梯子を昇って現れた人物を見て、シエラは得心した。

「……どういう状況です?」

 屋根裏の床から顔だけを覗かせてそう言ったのは、昨晩に協力を取り付けた連邦捜査官の1人、カテリーナ・アダーだった。

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