22話

目覚めると、柔らかな感触に違和感を覚えた。布団の感触ではない何か。

同時、完全な覚醒状態になる。これはもう体に染み付いた習性だ。寝惚けるという概念がシエラには無い。ともあれ、頭がはっきりしているからこそ、違和感の正体にも直ぐに気がついた。

考えるまでもない。鼻の下に金色の頭頂部が見えた。

 糖蜜のような甘い香り、やや高い体温、脇腹辺りに感じる柔らかな感触。

「クラウディア……どうして私のベッドに…………」

 横向きで寝ていたシエラに対し、正面から背中に片腕を回し、可愛らしい寝息を立てていた。半身を起こすと、細い腕が布団に落ちる。丈の長い布を身に纏った姿は、布自体の薄さと彼女のスタイルが相まって、美しさすら感じさせた。寝巻き用と普段着用の区別は一見して分かりづらいが、こちらの方がよりラフだった。

(全く気がつかなかった……)

なんという不覚。何時の間に潜り込まれたのか。自らの不明を恥じるべきか、クラウディアの技量を褒めるべきか。あるいは、クラウディアに害意が無かったからか。寝込みを襲われた事は何度か有るが、気がつかなかった経験はない。

久しぶりの宿。最上の寝床を確保出来たような心地で眠りに付いた。野宿明けはいつもそうだ。

だから、気が緩んでいたのかもしれない。寝巻き用のキャミソールにショーツという姿は、少なくとも襲撃を想定したものではない。襲撃を想定するような状況ではないのだから、それは当然なのだが。

時刻を確認すると、既に8時を回っている。寝過ぎだ。疲れが溜まっていたのか、クラウディアという抱き枕が心地良かったのか。

「クラウディア、起きて」

 頬を撫でると、寝息混じりの艶かしい声が漏れ出た。どんな夢を見ているのだろうか。やがて目を開いて、仰向けになった。ふくよかな胸部が重力に逆らって強調されている。

「……久しぶりにゆっくり寝た気がする」

「人のベッドに潜り込んでおいて、第一声がそれ?」

「おはようシエラ。今日も良い朝だ」

「おはようクラウディア。ゆっくり寝られたようで何よりね」

悪びれる様子も無く、クラウディアは身体を起こして洗面台へ向かった。はぐらかされたのか、エルフにとっては他人のベッドに潜り込むことは普通なのか。だとしても、まだ出会ってから丸1日程度しか経っていないのに、やはり警戒心が薄い気がする。

あるいは、エルフとは警戒心の薄い生き物なのだろうか。どのエルフもこのように人懐っこいのか。そのように考えたが、歴史を鑑みればそれは有り得ないだろう。彼女が友好的に接してくれるのは有難いことなのだが。

ともあれ、シエラも朝の身支度を整えた。顔を洗い、髪を簡単に梳かし、着替えを行う。

化粧は薄く行った。普段から丁寧にする方ではないが、時と場合によって使い分けている。――使い分けろと師匠に教わった。戦闘者であるシエラにとって、本来的には必要無いものだ。だが、社会で生きる上では必要になってくる。

街で人と会う場合は控えめに。パーティーに出席する予定があるならば着飾るだろう。遺跡で野営する場合は当然しないし、何でも屋として人と会う場合もしない。荒くれ者のイメージが有るのだろう。交渉を行う段においての厚化粧は信頼を損なう可能性も高い。弱そうならば足元を見られる。

だが、ふいに不安になる。もう少し着飾った方が良いかもしれない。そう思ったのは、クラウディアが隣に居るからだ。シエラは、幼い頃から生きるか死ぬかの綱渡りを繰り返してきた。そんな自分に、まだ容姿に対する見栄のような感情が残っていたとは意外だった。いや、見栄ではなく気後れかもしれない。エルフが隣に居て自信満々に容姿を誇れるならば、それは余程に甘やかされて育ってきた人間なのだろう。

クラウディアはとっくに身支度を済ませていた。シエラも早い方だが、クラウディアは着飾らない少年のような速度だ。服を着替えただけなので、当然と言えば当然だ。エルフは化粧も必要無いのだ。

「これからどうするんだ?」

「まずは朝食。それから聞き込みね」

 クラウディアの心情的には早く動きたい所だろう。しかし、彼女には悪いが必要な事だ。

カウンターで鍵を預けると共に、カフェの場所を確認した。

ホテルの外へ出ると、陽射しが眼を刺激した。やや冷たい外気が肺に心地良かった。空には雲が多いが、青空も多く覗いているため、雨が降ることは無いかもしれない。だが、天気はどう崩れるか分からない。旅慣れれば、僅かな空気の変化で天気を殆ど完璧に予測出来るらしい。師匠に聞いた話だった。そんな馬鹿なとシエラは思ったが、語る師匠の顔はあくまで真剣だったのを覚えている。未だシエラは外す事が多い。

数分歩いて、路地にあるカフェへと辿り着いた。基本的に中央大陸のカフェはオープンテラスが多く、この国も例外では無かった。席の一つに座り、コーヒー2つと黒パンのサンドイッチ1セットを注文する。

 平日の朝、スーツ姿の男達がのんびりと新聞を広げている。これから遅めの出社なのだろう。あるいは重役か。フードを被ったクラウディアに訝しげな瞳を向けていた。彼女がフードを取れば、別の視線を向けるだろう。

運ばれてきたサンドイッチを、クラウディア用に少し切り分ける。ちまちまと食べるさまは、まるで小動物だ。餌を与えているような感覚を受けたが、そう思っている事を知れば彼女は怒るだろう。

食べながらホテルで貰った地図を広げた。

「此処が私たちの居る地区。都市の南東、外縁ね。1番栄えているのは中央の辺り。役所もこの辺りみたいね。地図からするに、路面電車を使えば30分程度で着くはず。まずは此処を目指しましょう」

「それは何故だ?」

「人間の社会に欠かせないものは、社会に属する人間として必要な義務を果たすこと。まあ色々と端折るけれど、会社を立ち上げた以上は、業務内容を行政に登録する義務があるのよ。色んな情報をね。役所へ行って確認すれば、誰が何処に事務所を構えてエルフと商売していたかが分かるってわけ」

「……そんな簡単に分かってしまうのか」

「実のところ、簡単に情報を取得出来るかどうかは分からない。考えているよりも面倒な手続きが必要かもしれないし、そういう事をした経験が無いから」

 何でも屋という仕事柄、会社から依頼を受ける場合も当然ある。だが、身元を確かめなければならない程に怪しげな所から依頼を受けたことは無かった。

「だから、その時はクラウディア、貴女に交渉してもらう」

「私に?」

「貴女がエルフであることは一目瞭然。取引でトラブルが有ったから、とでも言えば、面倒な書類や手続きが無くても教えてもらえる可能性はかなり高い。エルフに人間の法律は通用しないからね」

「成る程、了解した」

 実際の所、それで上手くいく保証はなかった。だが、エルフを前にして役所の人間が動揺してくれれば儲け物くらいには考えていた。最初の段階で拗れていれば、そこからは運とハッタリが必要になる。

朝食を終えると、2人は近くの路面電車に乗り、都市の中央区へと向かった。クラウディアは路面電車に目を輝かせているように見えた。聞けば、知識としては知っているが、実際に乗るのは初めてなのだとか。そこそこ空いた車内に座り、町並みを眺めながら揺られていく。

町並みというものは、国が同じならば大きく変わるものではない。この都市・オルデンブルクも同じだ。これまでシュヴァーベンで視てきた他の都市に類似している。伝統的な木骨造りの建物。入国当初は物珍しく感じていた景色も、今ではすっかり慣れてしまった。

旧クロッペンベルクもそうだったのだろう。廃墟と化した、あの都市。何でも屋として、そのような廃墟を訪れた際には、折に触れて物悲しさを感じてしまう。心がじっとりと濡れたような感覚。深々と降り積もる雪が、全ての音を消し去ってしまうような、そんな感覚。虚しさとか、恐らくはそういうもの。それが、シエラの何に起因するのかは分からない。いずれ分かる時がくるのだろうか。

 中央区の駅を降りると、周辺にはこれまでと異なる建物が見えた。造形や材質まで異なる、直方体の真新しい建物。西部大陸の影響が強い、無機質な高層建築物だ。とはいえ、西部大陸のそれは100メートルを越す場合もあるらしい。此処のそれらは精々が30メートル後半。それでもかなりの迫力と言えた。人の出入りも多い。何かしらの会社の本部らしい。

クラウディアはそれらの建築物に驚きを隠せないようで、呆然と見上げていた。人間社会へ旅行しに来たことはあっても、このような建築物を間近で視た経験は無いのかもしれない。エルフの技術力があれば、このようなものはいくらでも作れそうな気がするが。

「クラウディア、行くわよ」

何時までも呆けさせておくわけにもいかない。促して、目的地へと向かう。こんな場所で手間取っているわけにはいかないのだ。

だが、結論から言うと、ある部分では手間取ったし、ある部分では手間取らなかった。

まず、役所探しに手間取った。どうせすぐ見つかるだろうと高を括っていたが、とんでもない。これだけで1時間は要した。どうやら、渡された地図は少し古いものだったらしく、区画の細部が異なっていたのだ。そこから色々な人に声をかけて役所を探して、ようやくたどり着いたという次第だ。役所に付いてからは順番待ちで1時間待った。世の中には役所に用事のある人間が多いらしい。

手間取らなかった部分というのは、会社の情報だ。これはすんなりと教えてもらえた。こうした情報は公開する事に価値があるらしい。成る程、そういうものかと理解した。

「中央区外れの商店街、ね」

 アルベルト雑貨店というのが、その会社の名前らしい。デニス・アルベルトという男が店主で、誘拐の首謀者と考えても良さそうだった。

歩いても十数分の距離だ。2人は急ぎ、目的地へと向かった。

向かう途中、クラウディアの顔に緊張が見て取れるのが分かった。

「もうちょっと落ち着いたら?」

「む……。だが、敵の本拠地へと向かうのだろう?」

 敵の本拠地とは、別に間違ってはいないのだろうが、如何にも大仰な物言いだ。

「いくらなんでも、ここにセルウィリアさんは居ないと思うわよ。誘拐犯も居ないでしょ。事前に説明したと思うけど?」

 エルフを誘拐して、商店街の一角に監禁しておくような真似をする筈が無い。速やかに行動するならば、そもそも此処には帰ってきていないはず。それでもそこへ行くのは、何かしらの手がかりがあると期待しているからだ。

「それはそうだが……」

 焦る気持ちは分からないでもない。セルウィリアが攫われてから、既に1週間程が経過している。誘拐犯がそのつもりならば、どうとでも出来るだけの時間だ。既に国外へ出てしまっているかもしれない。だが、だからこそ慎重に手がかりを辿っていかねばならない。攫われて幽閉された姫を奪い返すような状況なら、どれだけ楽だったか。

そうこうしている間に、目的地へと辿り着いた。左右に商店が立ち並ぶ通りだ。古くからの通りなのか、足元の石畳は劣化している。だが、人通りは意外と多い。古くからの名店が揃っているのかもしれない。

道行く人にアルベルト商店の場所を聞くと、直ぐに分かった。商店街中程の、民家1つ分の4階建て。縦に長く、アパートのような外観だ。家と店が一体になっているのだろう。入口に看板が付けられている。しかし、ここ数日は店を閉じているようだ。

1階は店舗部分だろう。ドアの隣には長方形の大きなガラス窓。カーテンで閉じられているため、内部は見えない。2階と3階は居住スペースで、4階は屋根裏だろうか。

普通の商店街、普通の雑貨店だ。とても悪が企てられた本拠地には見えない。正義も悪も只人が行うのであるから、それも当然か。

「……中を探ろう」

 クラウディアが探知系の氣導術を使った。空中に文字を描き、発動。アルベルト商店の壁を伝って、力が奔る。使い方は異なるが、旧クロッペンベルクでシモーヌが使用していたものと同じような術だ。そうした術を使用してセルウィリアを探せ無いのかと尋ねたが、これは不可能らしい。エルフであるクラウディアの力ならば、都市1つを探知することも可能だろう。だが、探知する距離が広いほどに精度が下がる。少なくとも、今のクラウディアには不可能な技術のようだ。

「中に1人居る」

「へえ…………」

 以外だった。絶対に誰も居ないと思っていたのに。あるいは、アルベルト商店は誘拐に無関係だったか。

「屋根裏だな。テーブルが1つ、椅子が2つ、大きめのベッドが1つ、机が1つ、タンスが2つ。床にはカーペット。そいつは座っている。椅子では無くベッドだ。壁にもたれかかっている。だが、リラックスしている風ではない。身長は160センチ前後、女性だな。氣功士ではない。呼吸が深いが、眠っているわけではない」

 そんな事まで分かるのか、と感嘆した。同じように建物の内部を探る場面には何度か立ち会ったが、そこまで詳細な報告を聞いたことは無かった。何処に誰が居るか――それも、性別は分からないし、立っているか座っているか、動いているかくらいしか分からなかった。

しかし、中に居る女性というのは誰なのだろうか。あるいは、店主の縁者だろうか。だとすれば、何か知っているかもしれない。

「どうする、シエラ」

「術は発動したままにしておいて」

 言うと同時に、シエラはドアを大きめにノックした。

「アルベルトさん、いらっしゃいますか?」

 道行く人が何事かと目を向けてくる。それくらいでないと、屋根裏に居る人間には届かないだろう。

 クラウディアに視線を向けると、首を振った。中の女性に動きは無いようだ。聞こえていて無視しているのか、聞こえていないのか、あるいは動けないのか。

シエラはドアを軽く押した。鍵は掛かっていなかったようで、軋んだ音と共に、僅かに開いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る