20話
居酒屋の扉を開けると、目の前に階段が有った。階段の隣、一階は従業員スペースらしく、調理場等が垣間見えた。
客席は2階らしい。出迎えた店員に案内され、テーブル席に座った。
店内は静かだった。客は少なく、控えめなBGMが流れている。
クラウディアにはフードを被せていた。エルフだと周りに知られれば、少し面倒な事になるかもしれない。
ほっと一息付いていると、カウンターに座っていた男が、鋭い目付きでこちらを見た。気付いていない振りをして無視する。ゴタゴタに巻き込まれるのは御免だ。
若い男の店員が注文を取りに来た。クラウディアの分も併せて、適当に注文する。とにかく暖かい物を食べたい気分だった。夕食時には冷たい食事が基本のシュヴァーベン人だが、全てがそうというわけではない。少なくとも、店ではちゃんと提供される。
酒は注文しなかった。飲みたい気分では無かったし、疲れが有ったからだ。
「どうせ殆ど食べないのに、退屈じゃないの?」
他人の食事にただ付き合うだけの時間など、退屈極まりない。少なくとも、シエラはそう思っていた。
「シエラと一緒なら退屈じゃない」
「そう? なら良いけれど」
退屈だろうと決めつけたい訳では無いし、退屈していないならばそれで良い。
「明日からの事なんだけれど、予定通りで良いわね?」
「ああ。この都市に居る可能性が高いんだろう? なら、反対する理由は無い」
「あくまでも可能性だけれどね」
クラウディアは友人のセルウィリアを探している。セルウィリア――彼女は何者かに攫われたという。エルフを誘拐するのは昔から人間と相場が決まっている。何も手がかりの無いクラウディアは、だからこそ人間社会へと降りてきた。
「セルウィリアっていう娘は、人間の商人との交易に参加していたんでしょう? なら、そこで眼を付けられた可能性は高い」
例えばだが、怪しい人間がエルフの村の近くを彷徨いていたとなれば、問題にならない筈がない。エルフの村は隠匿されている。情報によっても、物理的にも。エルフと人間が友好的でなかった時代の名残だ。
そして、基本的にエルフは村を出ない。つまり、人間に眼を付けられる可能性は限りなく低い。クラウディアの村が魔獣の巣圏内に有るならば、尚更だ。
「攫われる数日前から、セルウィリアは村を出ていた。セルウィリアの姿を見ないのは、交易の時だけだ。だから今回もそうだったんだろう」
その交易の最中、誰かに攫われた。商人は氣功士ではない。ならば、商人が誰かを雇ったのだろう。クラウディアはそう考えている。
「初めにそれを言いだしたのは誰なの?」
記憶を辿る限り、クラウディアはその情報を誰かから聞いたと言っていた。ならば、今頃はクラウディアの無断外出や宝石持ち出し騒動も含めて、かなりの騒ぎになっている筈だ。攫われたセルウィリアの件については、捜索隊や外交ルートも併せて考えれば、人間社会に与える影響もかなり大きい。その辺りはアデナウアーからの連絡待ちだ。
「交易には4人が参加していた。正確には覚えていないが、たぶんそれくらいだったはず。村へ戻った彼らの声が聴こえたんだ。『セルウィリアが居なくなった。きっと攫われたんだ』とな」
その後すぐに、クラウディアは慌てて村を飛び出した。
「ふーん……」
唇を人差し指で押さえながら、シエラは唸った。
「どうした?」
「いや、なんでも」
もちろん何でもない訳では無い。クラウディアの証言はあまりに不確か過ぎる。セルウィリアが居なくなったのは確からしいが、実際に攫われたかどうかは確定していない。シエラの中で、一つの可能性が浮上してきていた。
ともあれ、するべき事は変わらない訳だが。
何にせよ、この都市にその商人の拠点がある可能性は高い。魔獣の巣圏内、あるいはエルフの村から最も近いのがこの都市だからだ。少なくとも、地図上ではそうなっている。
「……明日は聞き込みね。疲れているでしょうし、今日はゆっくり休みましょう」
その時。
「お嬢さん方、少し良いかな」
低い声の男が話しかけてきた。入店時にカウンターから鋭い眼を向けてきた男だ。年齢は40代の半ばか、後半。よろよろのワイシャツを着崩して、口には煙草。無精髭が目立つ、何ともだらしない風体だった。と、言うよりも胡散臭い。一見して厳つい風貌であるのも、胡散臭さに一役買っている。
だが、只者では無い。密かに警戒度を上げる。近付いた事で分かったが、この男はそれなりに強い。恐らく氣功士だろう。
「良くないわね」
「まあそう言うなよ」
許可も出していないのに着席された。推しの強い男だ。シエラは眉を潜めた。クラウディアが嫌がるかと思ったが、平然としている。
「俺はダミアン・ハンマーシュミット。連邦警察の捜査官だ」
手帳を見せながら、男は言った。
「連邦警察?」
連邦警察とは、その名の通りシュヴァーベンの警察組織だ。捜査官の大半が氣功士で構成されている。職務は多岐に渡るが、最も分かりやすいものが、氣功士犯罪の取締だ。
しかし、ならばこの都市では今、尋常では無い事件が起こっているのだろうか。氣功士犯罪はその性質上、多くの死傷者を出してしまう事もある、恐るべき重犯罪だ。
しかし、面倒な事になった。シエラは内心歯噛みした。
「私たちに何の用?」
「お前さん、この国の人間じゃ無いだろう」
「不法入国者だとでも言うつもり? なんなら、旅券でも見せましょうか」
「いや、結構だ。俺の仕事じゃないもんでね」
「じゃあ、なんで声を掛けたの? 食事くらいゆっくりさせて欲しいんだけれど」
「そっちのフードを被った方だよ。何か気になるんだよな。何を隠してる」
顔を隠すという行為、怪しいのは否定しない。成る程、彼が何かしらの事件を追っているならば、それは捜査の一環だ。
クラウディアに目線で問われ、シエラは頷いた。おもむろにフードを外す。
「驚いた。エルフか」
ダミアンは目を見開いて言った。それはそうだろう。エルフなど、普通に生きていれば出会うことも無い。
「……もう良いか?」
「ああ。すまなかったな」
意外にも、彼は素直に謝罪した。
「しかし、何故エルフがこんな所に?」
「あなたに……」
関係が有るか、反射的にそう言おうとして、シエラは気がついた。仮にセルウィリアの件が人間社会で問題になっていたとして、連邦警察がそれを知らない――などという事が有りうるだろうか。仮にダミアンが知っていたとすれば、クラウディアを視て今のような反応はしないだろう。少なくとも、ダミアンは知らないのだ。
エルフを誘拐したのは氣功士だ。氣功士が犯罪に絡むならば、連邦警察が出張らない筈が無い。いや、そうで無くとも――例えば、誘拐犯が一般人でも――連邦警察が捜査に当たるだろう。エルフとの関係を拗らせないために、事件を早急に解決する必要があるならば、国家は全力で捜査に当たらせる筈だ。
アデナウアー大尉からの返答も鈍かった。あるいは、エルフの村はセルウィリアの失踪事件を人間社会に通達していない可能性が浮上してきた。だとすれば、それは何のためだろうか。
「あなたに、なんだ?」
「……ちょっと待って」
最初に想定した通り、面倒な事になる。
ここで彼に話をすれば、果たして協力を得られるだろうか。前提条件として、それは厳しい。彼には彼の仕事が有って此処に居る。普段は首都に居る連邦警察官が、事件のために趣いた。それを放り出し、本当かどうか分からない話のためにエルフの捜索を行う、それは有り得ない。話すだけ時間の無駄ならば、話さない方が建設的だ。
むしろ、情報を与えることで動きにくくなる可能性すら有った。誘拐されたエルフの捜索を一般人が行う。それも、その一般人は氣功士。シエラから見ても、社会的混乱に繋がりかねない状況と言えた。警察に任せる案件として、一時的な拘束を余儀なくされるかもしれない。拘束こそされなかったが、アデナウアー大尉とてこちらを手放したわけでは無いだろう。
「気になるな。話してもらおうか」
「……もし、嫌だと言ったら?」
「署で一晩過ごせば、口も緩くなるだろうさ」
「特に何も罪を犯していない人間を、地方警察署に?」
「出来ないと思うか?」
シエラはわざとらしく嘆息した。馬鹿馬鹿しい……が、この男は本当にやりそうな気がした。目的の無い旅ならばともかく、今は時間が惜しい。どちらにせよ拘束の危険性があるならば、素直に話してしまった方が得策か。実際の所、交渉の余地は有ると見ている。
「黒パンにジャガイモのスープ、シュペッツェレ(チーズやベーコンを混ぜたパスタ)です」
ウェイターが注文した料理の一部と、クラウディア用の小皿を運んできた。
シエラがダミアンに視線を送ると、彼は肩を竦めた。
「待つさ。食い終わるまで」
待たなくて良いから消えて欲しい。口に出さなかったのは、もう半ば勘弁しているからだ。
クラウディアに料理を取り分けていると、新しい客が階段を上がってきた。女性だ。
その女性はこちらに目を向けると、あっ、と声を上げた。そして、呆れたような表情を浮かべ、足早にこちらへ向かってきた。
「先輩、また市民の方に絡んでるんですか?」
「人聞きの悪いことを言うな。これも立派な捜査だ」
女性はダミアンを先輩と呼んだ。という事は、彼女も連邦捜査官か。
「すみません。この人、態度悪かったでしょう? 代わりに謝ります」
「お前な……」
遠慮の無い物言い、見た目は大人びているが、年若いのかもしれない。とはいえ、シエラとそれほど変わる訳では無いだろうが。
「カテリーナ・アダー。連邦捜査官です。まだ新米ですが……」
ショートの金髪に澄み渡った碧眼、ぴっちりとしたスーツに身を包んだ、如何にもフレッシュな装いの女性だった。新米と言ったが、この清潔感あふれる女性も、何時の日かダミアンのようになってしまうのだろうか。
「私はグラシエラ・モンドラゴンよ。そっちはクラウディア」
「俺には自己紹介しなかっただろ……」
アダーと握手しながら、聞こえてきた恨み節を流す。クラウディアは取り分けた黒パンやパスタをちまちまと食べていた。
「それで先輩、何が有ったんです?」
「別に、何もねえよ」
あからさまに顔を背けてダミアンは言った。何だか2人が親子のように見えてきた。行為を咎める娘と、不貞腐れる父親。
「それより、遅かったじゃねえか。挨拶は済んだのか。資料の閲覧交渉はどうなった」
「それが……どうにも協力的じゃなくて。いえ、もちろん閲覧は可能です。でも、何というか、その……」
「地元警察なんてそんなもんだ。最初は腹も立つが、そのうち慣れる」
「そんなものですかね……」
心の底からうんざりとした様子で、アダーは嘆いた。だが、頭を振って気を取り直したのか、こちらに笑顔を向けてきた。
「こちらの話なので、お気になさらず。ええと、それで貴女方は?」
「異国の旅行者とエルフだ」
あなたの先輩に聞けばいい。そう言うより早く、ダミアンが答えていた。
「エルフ……?」
アダーの視線が注がれると、クラウディアは躊躇い無くフードを外し、また戻した。シエラは無遠慮な注目をクラウディアに浴びせる事を嫌ったが、彼女自身はそんな事は気にしないのかもしれない。
「本当にエルフ……先輩、私、初めて見ましたよ! 凄い綺麗ですね、本で書いてた事は本当だったんだ……」
「うるせえぞ。もっと周りに気を配れ」
何のためにフードを被っているか分からないかと、顎をしゃくった。
「あ……失礼しました」
咳払いして、深呼吸。
「あの、所で、どうしてエルフがこんな所に……?」
シエラは失笑してしまった。ダミアンも肩を竦める。
「……それを今、聞いてたんだよ。お前が邪魔しやがったんだ」
「うっ……」
なんというか、間の悪い女性だった。だが、親しみ易い。こういう人間は嫌いではない。
「……まあ、事情は話すから、取り敢えず先に食べて良いかしら?」
「す、すみません。どうぞ、ごゆっくり」
アダーは申し訳なさそうに俯いた。
ようやく食事に取り掛かれそうだった。まだ冷めていない。久しぶりのちゃんとした――少なくとも、シエラの中では――食事だ。シモーヌの所でも、結局は暖かい食事にありつけなかった。
「あの、先輩」
「なんだ?」
「私も食べて良いですか? お腹すいちゃって」
「……好きにしろ。俺はもう食った」
そのやり取りを見て、思わず笑みが溢れた。案外、そう悪くないコンビなのかもしれない。
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