2章 屠殺人アスペルマイヤー

18話 2章・プロローグ

 シュヴァーベン共和国はキルヒェハイゼン州・アウトバーン沿いのガストホーフ。1階がバーとレストランで、2階と3階が客室になっていた。

時刻は21時を回っているが、ガストホーフ内のバーには殆ど人が居ない。宿泊客しか利用しないためだ。朝や昼は軽食も出すため、アウトバーンを走行する利用客でそこそこ賑わう店だった。

季節は冬。店内の暖炉には火がくべられており、内外の温度差で窓には結露が出来ていた。

店内には3人が存在した。カウンターに座る20代前半の女性客、テーブルに陣取る初老の男性客、調理とバーマンを兼ねた店員。店主はガストホーフ内に自宅を構えており、既に休んでいた。

静かな店内。2階の扉が開く音すら聴こえる。その音に、それぞれが僅かながら反応を見せる。廊下を歩き、階段を降りる音がして、1人の男がバーに顔を出した。つい先ほどチェックインした男だ。20代後半、あるいは30代前半。しかし、妙に歳を重ねたような雰囲気があった。

「いらっしゃい」

店員が声を掛けると、男は手を上げてそれに応えた。店内を見渡すと、カウンター席へと足を運ぶ。

 女に一礼して、2つ隣の椅子に手を掛けた。

「隣に座りなさいよ。退屈してたの」

 女が言うと、男は硬直した。困惑しているようだった。やがて女の隣に腰を下ろし、微笑んだ。

女はグラスのティフィン――紅茶のリキュール――を揺らした。もう既に程良く酔っている。酒は弱い方では無かったが、強いという訳でもない。

「退屈ですか」

「そうね。せめて音楽でも流れていたら良いのに」

 男の問いに対して、女はバーマンに返した。彼は殆ど分からないくらいに頭を下げ、少し長めに瞬きした。

「レコードは壊れているもので」

「いつ直るの? 今夜中だと嬉しいんだけれど」

「店主の機嫌次第と言ったところでしょうか」

 女性は肩を竦めた。世知辛いのは何処も同じだと呟いた。

「何になさいますか?」

 バーマンに問われて、男はしばし黙考した。

「恥ずかしい話ですが、酒は詳しくないもので」

「あら、バーに来てお酒を飲まないなんて、そんなの有る? 全く飲めないのかしら」

「そんな事はないのですが……これまで飲む機会が無かったもので。こういう場所も慣れていなくて」

「へえ、そんな風には見えないのに」

「と、言うと?」

「商社務めに見えたから。それもエリート」

「……そうかもしれませんね」

 少しズレた男の返答に、女は笑った。

「何それ、自分のことなのに」

 男が照れたように頭をかくと、バーマンがグラスを前に置いた。

「アウェイク・ヴァイツェンです。飲み易いかと」

白ビールを清涼飲料水で割った酒だ。アルコール度数は低く、誰にでも親しまれる飲み物だった。

男はそれを、恐る恐る口に含んだ。

「……確かに飲みやすい」

女がグラスを男に向かって掲げた。男は意味が分からず首を傾げたが、同じようにする事を求められているのだと察して、動きを合わせた。女がグラスを口に運ぶと、男もそうした。

「酒、か……」

 男の視線はグラスに注がれていたが、酒を視ている訳ではない。呟いた声には昔日の悔恨が含まれているようにも思えた。

「……本当に慣れてないのね」

 苦笑して、女は呟いた。

「え?」

「女性を口説きたいなら、名前くらい訊かないと」

「いや、私は……」

「良いから。訊いて。言っておくけれど、先に自分から名乗るのよ?」

 男は困り果てたように首を振った。だが、観念したかのように肩を竦め、

「……私はアスペルマイヤー。貴女の名前は?」

「苗字だけ?」

 その問いに、アスペルマイヤーと名乗った男は微笑んだ。釣られて女も微笑み、

「良いわ。じゃあ私はリーバーでお願い。改めて、乾杯」

 再びグラスを合わせた。そういう意味があるのか、とアスペルマイヤーが呟いて、リーパーが笑った。

「貴女のものですか? 変わった形の赤い車」

 ガストホーフ外、駐車場の方向へ眼を向けた。それに答え、女は親指と人差し指で豆粒程の丸を作った。

「ええ、可愛いでしょ。ダンゴムシって呼ばれてるのよ」

「珍しい……のでしょうね。少なくとも、道中あんな車は見なかった」

「去年発売されたし、ディーラーも貴方みたいな人には進めないんじゃない?」

「私みたい、とは?」

「ああ、つまり、ああいうのは男性的じゃないし……。ごめんなさい、気を悪くしないでね」

「いえ、仰る通りだ。私も……なんて言ったかな、あの車。黒くて、流線型で……とにかく格好良かった。私は何時か、ああいう車に乗りたかった」

 昔を懐かしむような瞳をカウンターに落とした。その瞳には一言では言い表せない何かが有ったが、女がそれに気が付くことはなかった。

「高級車? 名前は知らないけれど、父が持っているわね。実は、表に停めてある車も父に与えられた物なのよ」

「裕福な家庭ですね」

「あなたもそうじゃないの? 分かるわよ、育ちが良さそうだもの」

「ええ、まあ……」

 男は目を細めた。

「貴方の車は?」

「もちろん、自分で用意したものですよ」

「男の人って、そういう所に拘りが有るわよね。高級車に乗りたいなら、買ってもらえば良いのに」

 女の言葉を、男は鼻で笑った。

プライドを傷つけただろうか。初対面なのに、言い過ぎたかもしれない。女はそう思った。一言多いのが自分の欠点なのだと、周りからは良く言われている。気をつけようとしてはいるが、中々直らない。

 だが、幸い男は気にしなかったようだ。

「与えられるだけでは一人前に成れないと、良く言われたものです」

「なら、貴方はもう一人前?」

「どうでしょう。少なくとも、重ねた年齢だけ成長してるのでしょうが、実際の所、私自身はあの時のままずっと…………」

 男は絶句した。流石の女も、それを追求することはしなかった。

「……じゃあ、いつか乗りたいんだ? 高級車に」

代わりに、話を戻す。

「もちろん。何れは必ず。まあ、次は貴女の車にするでしょうが」

 男の物言いに引っ掛かるものを覚えたが、あまり気にはしなかった。酒が初めてというこの男は、もしかしたら既に酔っているのかもしれない。あるいは、酔ってはいなくとも、初めての感覚に戸惑っているのかも。

 それからしばし、男と女は会話を重ねた。とは言っても、会話は一方通行。女からの質問が全てだった。仕事は何をしているのか、なぜこのガストホーフへ立ち寄ったのか、出身地は何処か、趣味は何か――取り留めのない、当たり障りのない質問。だが、その全てに男は曖昧な答えを返した。曰く、それは言えない、良く分からない、さてどうだったか等など。妙な男だと、女は思った。

「何それ。貴方、それじゃあ何も分からないじゃないの」

しかし、腹は立たなかった。酒が入っているためだ。男の控えめな口調に腹が立ち難かった、というのもあるかもしれない。悪く言えば根暗な男なのだろう。ギムナジウムで抑圧され、ワンダーフォーゲルに馴染めなかったタイプだ。

「ええ、何も分からないんです」

 だが、男は大真面目にそう返した。それがおかしかったのか、女はまた笑った。バーマンはそれを見て、そろそろ酒を出すのは止めたほうが良いかと考えていた。

「私は私の事が何一つ分からない。……結局のところ、人は己の本質からは逃れられないのかもしれません」

「本質?」

「『人間における最大の悲劇は、本質よりも先に存在してしまった事に因る』と語る学者も居ます。しかし、果たして本当にそうでしょうか。人にはそれぞれ生まれ持った本質があって、結局はその通りにしか生きられないのでは?」

「良く分からないんだけど、それって逃げなくちゃいけないものなの? だって自分でしょ? 逃げる意味が無いじゃない」

 それは至極当然なことのようであった。少なくとも、女はそう考えていた。

「では、望まざる本質を持ち合わせてしまった人間はどうすれば? 貴女の言う通り、逃げる意味など無いのかもしれない。それでも逃げ出したい人間はどうすれば良いのでしょうか」

 急に饒舌になって、女は戸惑った。男の触れてはならない部分を刺激してしまっただろうか。

「ええと……つまりアレなの? 貴方は逃げたいの?」

「そうかもしれません。いえ、きっとそうなのでしょう。でも、逃げるだけでは問題は解決しないことも知っています」

「……難しい問題ね」

「ええ、全く」

男は納得したようだが、女にしてみれば、それは適当な相槌だった。だが、話の内容が分からないだけで、別に男を気に入っていない訳ではない。女はむしろ、このような男を好いていた。根暗な男が、ではない。真面目な男を、だ。

「まあ、なんか良く分からないけれど、元気出したら? そういう問題は一旦置いといて、人生楽しむのも良いんじゃないかしら」

「人生を楽しむ、とは?」

 それも良く分からないと言わんばかりに首を傾げた。まるで修道士のようだ。彼らのような人種がこんな場所に居るはずも無いが。

「自分の楽しいと思うことをすれば良いのよ」

「楽しいと思うこと……」

「有るでしょ? 1つや2つくらい」

「ええ、もちろん……。ですが、それは……私は……私はそれこそを…………」

 男は苦悩しているように見えた。女は、母が亡くなった時に見せた父の顔を思い出していた。楽しみの話をしているのに、どうしてそのような顔をするのか。

「難しい?」

「そうですね。でも、抗い難い。私はきっと、今日もそうしてしまうのでしょう」

今日も、と男は言った。こんな場所で、日常的に行えるような趣味。それは何だろうか。

「それは本当に楽しいことなのかしら? そうは見えないけれど」

「そう……それもまた、私には分からないのです」

 男の瞳には明確な絶望が現れていた。同時に愉悦の光も浮かび上がり、複雑な感情が絡み合う。本人すらその感情を正確に把握出来ていないようでもあった。

「じゃあ、もっと直接的に楽しい事しましょうよ」

「直接的に?」

「例えば私と……」

 女は男の膝に手をやって、ゆっくりと太ももを撫でた。唇は僅かに男の鎖骨に触れた。

「どうかしら?」

 流石に男にも、それの意味する事は分かったようだ。男は女の手を優しく握った。

「それでは、私の部屋でお話しませんか? もう少しお互いのことを知ってからでも、遅くはないでしょう」

「……良いわよ。楽しませてもらえるんでしょうね」

「もちろん」

先ほどまで話をしていた時とは打って変わって、男の態度は妙に堂々としているように見えた。

 会計を済ませ、2人は階段を上がった。半ばまで進んだ時、男は急に、

「ああ、そうだ。先に2階へ上がっていてもらえませんか?」

「どうしたの?」

「バーに忘れ物をしました」

 何か忘れるような物を、男は持っていただろうか。だが、男の有無を言わさぬ瞳に気圧されて、女は思わず頷いた。まあ、別に初めから付いていくつもりも無かったが。

女は2階へ上がると、廊下を中程まで歩いて、適当な壁に背中を預けた。ふ――と溜め息を付く。酔っている。拍動はやや早く、頭にまで響いた。顔はやや熱く、深呼吸が心地よかった。背中を預けた壁から、僅かな揺れを感じた。それに、何か骨の軋んだような音まで聴こえる。

少しすると、男が戻ってきた。忘れ物を取りに行っただけにしては、少し遅くは無いだろうか。

「お待たせしました」

「忘れ物って?」

「ええ、これです」

男が手に持っていたのは2つのグラスと、一本のワインだった。女は手を叩いた。中々気が利く男だと感じた。呑み足りないという訳では無いが、有って困るものでは無い。

ボトルを渡された時、男が着用しているシャツの袖に、赤いシミが滲んでいるのを見つけた。こんなシミ、先ほどは有っただろうか。

「私の部屋はこちらです」

男が鍵を開け、女を中に入れた。

2人が部屋に入り、扉が占められた。少しの間、中からは談笑が漏れ出ていた。最初よりも、遥かに互いの距離を詰めているように感じられた。あるいは、この一夜を終えても、二人の関係は続いていくのでは無いか。そう思えるような雰囲気を感じる。



曇った声が聞こえた。



蛙が踏み潰されたような、生々しい音。

それから長く続いた静寂。

床を叩く音、硬い何かが折れる音。滴り落ちる液体の音。骨の軋んだような音。

閉じられた扉の隙間から、赤い液体が滲み出て、そして――。



   ※  ※



荒野に挟まれたアウトバーンを、1人の男が歩いていた。他には誰も居ない。通り過ぎる車も無く、ただ黙々と歩き続けていた。

男は決して軽装では無かったが、本来は車で移動すべき距離を徒歩で移動しようとしているならば、それは自殺行為だった。季節は冬、時間は早朝。何時から歩き続けているのか。この地方、雪こそ滅多に降るものではないが、日が沈んでいる現在の気温は低い。にも関わらず、男はダークグレーのコートを纏っている以外に、持ち物が有るようには見えなかった。コートの中には財布くらい入っているのかもしれないが、この状況でそれが役に立つとは思えない。

通りかかる車を期待しているのだろうか。

アウトバーンは車のために布設されたものだ。いずれ必ず通り掛かるだろう。とはいえ、時刻は5時を過ぎた頃。車が活発に移動し始めるまで、まだ時間が掛かる。

だが、男が振り返った。

流れる空気の変質、微細な振動音、それらを捉えたか。

一台のカーゴトラックが背後からやってきた。荷台には幌が掛かっている。男は道路の真ん中に立ち、腕を頭の上で何度も交差した。トラックは徐々に速度を落とし、やがて停まった。

「どうした、あんた」

 気の良さそうな中年男性が、運転席から顔を出した。

「実は、車が故障してしまいまして……」

「ああ……かなり前に停まってた車、あんたのか。そりゃまた、難儀なこった」

 男は頷いて、申し訳なさそうに言った。

「よろしければ、近場の街まで送って頂けませんか?」

 運転手は快く了承した。男にとって運が良かったのは、運転手が気さくな人物だったことだろう。

 男が助手席に収まると、トラックは再び走り始めた。

「助かります」

「気にすんな」

運転手は男に対して脅威を覚えていなかった。見た感じ、普通の男だったからだ。体格も筋肉量も自分の方が上――という自信が運転手にはあり、事実その通りだった。とはいえ、コートの下に武器を隠し持っている可能性も有るため、体格は意味を成さないかもしれない。だが、その可能性に目をつぶるだけの裏付けはある。男からも少し見えているだろうが、運転席側の扉に散弾銃を立てかけている。害意があっても実行を躊躇う程の暴力だ。

男が氣功士の可能性はもちろんあったが、その場合は諦めるしかない。乗車拒否していても、必ず追いつかれて痛い目に合わされるだろう。

運転手はラジオ機器のツマミを操作して、放送の受信を始めた。早朝に働く労働者向けの放送だ。州によっては無い所も多いが、経験上この辺りならば受信出来る事を運転手は知っていた。主にニュースだけの味気ない番組だが、眠気は抑えられる。

「それにしても……あんな車、初めてみたぜ。何処かで流行ってるのか?」

「いえ、私も良くは知らないんですよ。父から与えられただけなので。なんでも、ダンゴムシなんて呼ばれてるみたいですよ」

 男が言うと、運転手は口笛を吹いた。

「金持ちの坊ちゃんか。そりゃ羨ましいことで」

 坊ちゃんという年齢でもなかったが、中年の男性から見れば、男くらいの年齢でもそのように見えてしまう。

「羨ましい……ですか?」

 心底分からないという風に、男は首を傾げた。

「おうよ。本人は分からないかもしれねぇが、恵まれてるぜ、あんた」

「それは、四肢を切断されて、施設へ送られるような家庭の子供でも?」

 運転手は男の妙な言い分に絶句した。

「なんだそりゃ。あんたの話しじゃねえよな? どう見ても腕と足は有るぜ?」

「ええ、ですから、つまり……そういう例も有るのでは? という話で」

「ああ、そりゃあ……有るかもしれねぇが。まあ裕福でもそんな恐ろしい家庭なら、そりゃあ恵まれちゃあいねぇだろうが」

「ふむ……」

 運転手の答えに満足したのかしていないのか。曖昧なリアクションで男は何事かを考え始めた。何を考えているかは分からない。今の受け答えで、何か想起させるようなことが有ったのだろうか。

その時、男のコートがズレて、首元が見えた。

「あんた、妙なネックレスしてるな。宝石には見えないが……」

 真珠のようにも見える。それくらいの大きさの何かがネックレス状――数は少ないが――に連なっていた。だが、真珠では無い。一切の光沢を感じさせない、黒い塊。表面はゴツゴツしており、研磨されていない石に似ていた。

「ああ、これは家宝の模造品なんです」

「模造品?」

「本物は兄が持っていましてね。そちらは宝石で出来ていますよ」

「するってぇと、あんたは次男か、3男か?」

「ええ、まあ」

「俺にもまだ小せぇけど、ガキが居てよ。今、2人目が嫁の腹ん中だ」

「それは……おめでとうございます」

 運転手は頭を掻いた。

「やっぱり兄弟が居ねぇと寂しいんじゃねぇかってな。自分のガキの頃思い出して、あん時は兄や弟が鬱陶しく感じる時期もあったが、今は良かったと思ってる」

「寂しく……ええ、その感覚は分かります。私もずっと寂しかった……」

「ずっと?」

「もう長いこと会っていませんので」

 そう言った男の顔は、何処か決意に満ちたものであった。

「実は、久しぶりに会いに行くんですよ」

「そいつぁ……まあ、詮索はしねぇよ。金持ちの家には、金持ちなりの苦労が有るんだろうな」

そこで、運転手は膝を打った。

「そういやぁ、まだ自己紹介してなかったな。俺はデニス・グートハイル。よろしくな」

「私は……アスペルマイヤーです」

 名前を名乗らなかった男に運転手は訝しんだが、やはり事情があるのだろうと無視した。

「アスペルマイヤー……? うちの社長と姓が同じだな」

「社長?」

 男の目が鋭く光ったが、運転手は気がつかなかった。

「いやまあ、俺も顔は知らないんだけどな。でっかい会社だからなぁ。でもよ、俺の所属する会社はミネルヴァ運送っつって、子会社なんだよ。親会社の社長がアスペルマイヤー……っつったと思うんだが。まさかあんた、関係者だったりするのか?」

「いえ、まさか。別のアスペルマイヤーですよ」

 男は気楽な様子で微笑んだ。

その時、ラジオで一つのニュースが流れた。


『一昨日未明、キルヒェハイゼン州とリューベック州の境いのガストホーフで、従業員と宿泊客、併せて4人が失踪した事件の続報が入りました。モーテルの一室には大量の血痕が残されており、警察は4人が事件に巻き込まれたものとして……』


 

「物騒な話だな。何処のガストホーフだ……?」

「もしかしたら、私が通ってきた道に有ったのかも……。恐ろしい」

 言いながら、男はラジオのチャンネルを弄って、別の番組を探した。

「失礼、あまり暗い話は聞きたくないのでね」

 だが、今の時間帯では他の番組はやっていないのだろう。幾ら探しても見つからない。男は少し時間を掛けて探したが、結果は変わらなかった。仕方なく元の番組へ戻した時には、既に先ほどのニュースは終わっていた。

「まあ、仕方ねえ」

 男が肩を竦めたのを見て、運転手はそう言った。周波数を弄るのを止めなかったのは、どうせ他の番組などやっていない事を知っていたからだ。

しかし、4人が同時に失踪する事件――もしかしたら、気功士による犯罪かもしれない。もう少しニュースを聞いていれば、詳しいことが分かったかもしれないが。

窓枠に肘を付いて、男は外の景色を眺めた。コートの裾が垂れ下がり、白いシャツの袖が見えた。その袖に、赤いものが見えたような気がした。まるで血のような何か。垂れ下がったコートの裾を直してしまったため、直ぐに見えなくなってしまった。

運転手の脳裏に、嫌な想像が過る。背筋が少し冷たくなった。

男はふと、思い出したように呟いた。

「ところで、貴方は自分の本質について、どのように考えておられますか?」

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