第16話 (間章・終)
「改めて見ると……やっぱり大きいわね、この剣」
地面に突き刺さった大剣を仰ぎ見て、嘆息した。
魔獣という言葉から連想されるに相応しく、嫌な感覚を受ける。この大剣はベルグリシの一部――剣自体がベルグリシの身体から生成されたものだと教えてくれたのは、誰だったか。差は有れども、どの個体も一様に同じ大剣を所持しているのには、そのような理由がある。実際に見た訳では無いので本当のところは分からないが、肥大した右腕が剣と化して抜け落ち、新たな右腕が生えてくるのだとか。長さも大きさも、その際に大きく変化する。全く意味が分からなかったが、魔獣とはそのようなものだ。攻撃的なベルグリシの特性を如実に表しているのか、刃自体は鈍く、叩き潰す前提の作りなのだという。
思えば、魔獣・ベルグリシをじっくりと観察する機会はこれまで無かった。そもそも殺す以外の前提で魔獣を観察する意味が無いために――少なくともシエラには――それ以外の目的で観察するという発想が無かった。
とはいえ、学術的な目的で観察している訳では無い。この大剣は先ほどの戦いで、トラック上の少女が撃ち落したものだ。
どのような方法を用いたのかは推測が出来ている。
『
「……大した威力ね」
どうやら、少女の実力を侮っていたようだ。
ベルグリシの大剣は傷だらけだった。あらゆる方向から絶え間なく剣撃を受けたかのようだ。
剣技の実態は、実際の所そのようなものらしい。一瞬の間に幾度も切りつける。正確に言えば、切りつけるのは一度だけだが、放たれる刃は数十倍、数百倍になるという。
高速で回転するプロペラに、金属の棒を突っ込んだようなものだ。
無数の刃が生みだす輝きと、速度が生みだす竜に似た空気の慟哭。故に哭耀鮮塵。極めれば千を超える刃を同時に生み出せるとか。
超人的な技と言えた。そして、その代償は大きい。
技を放った少女は昏倒していた。生命ごと放つかのような剣技なのだろう。軽く見たところ、命に別状は無いようだが――シエラには何とも言えなかった。
「フラウ・モンドラゴン」
振り返ると、そこにはアデナウアー大尉が立っていた。とまれ、こちらへ歩いて来ているのは気がついていたが。
「そろそろ出発しましょう」
「もう良いんですか?」
「ええ。そもそも私の管轄ではありませんからね。警邏の者達に任せますよ」
事態が収束してから、既に数十分が経過していた。何時の間にか通信が復活しており、アデナウアー大尉が基地へと報告、数名の氣功士から構成された部隊が駆けつけていた。更に、壊滅が疑われていた警邏隊も、動ける者を動員してこちらへ合流していた。トラックの周辺には複数台の軍用車と十数人の軍人が集まっている。全員が氣功士というわけでは無いだろうが――結果として如何にも物々しくなってしまったが、事態の重要性を鑑みればそれも当然と言えた。
何せ、魔獣が瞬間移動したのだ。真実は異なるのかもしれないが、少なくともそうとしか考えられない事態が起こった。尋常ではない。軍は一体、これをどのように結論づけるのだろうか。簡単ではあるが、シエラもまた尋問されていた。知っている事は話したが、瞬間移動らしき現象については何も言えなかった。
何れまた、連邦警察辺りから詳しく聴取されるのだろう。
クラウディアは車で寝ていた。やはり、相当疲れているようだ。今回の戦いではとても助けられた。後で労ってやらねば。
「あの子はどうです?」
昏倒しているトラック護衛者の少女。ここを去れば、もう会う機会は無いだろう。
「先ほど眼を覚ましましたよ」
「無事だったんですね」
「優秀な軍医が居りますので。応急処置が済めば医療施設へ連れて行く事になると思いますが」
それに反対する訳では無い。ただ、彼女の奮闘に敬意を評したかったし、せめて名前くらいは聞いておきたかった。
「話をしても?」
「……まだ満足に会話も出来ない状態ですが」
言いながら、アデナウアー大尉はトラックへ向かって歩きだした。
トラックの周辺に展開している軍人には2種類あった。緊張感のある者と、そうで無い者。緊張感のある者は、実際にあれらの魔獣と交戦した者達だろう。だが、緊張感の無い者達を咎める気にはなれなかった。
魔獣は突然現れた。瞬間移動したかのように。
そのように言われて、実際にそれを信じる者がどれくらい居るだろうか。目の当たりにしたシエラとて、未だに半信半疑なのだから。全く訳の分からない状況だった。
トラックの横側には社名が書かれていた。これまで意識しなかったのは、どうせ読めないからだ。運転手と目が合うと、40代半ばの彼は気さくに手を挙げてきた。余程の恐怖だったのだろう。当初は放心状態だったが、今は少し回復したようだ。
通り過ぎて、トラックの前方に張られている大きなテントへと向かった。
マティアスに案内されテントへ入ると、そこには2人居た。
1人は簡易ベッドに寝かされた少女。
もう1人は椅子に座った軍人だ。少女を診ている事から察するに、彼が軍医なのだろう。
軍服がアデナウアー大尉の物と大きく異なる。基本的な色調や雰囲気は似ているが、コートとして仕立てられている。襟章や肩章は彼のものと似ているようで異なる。襟章の台布は灰色で、星が多かった。
「アーリンゲ中佐。面会です」
敬礼してそのように告げると、その軍人は如何にも面倒くさそうにこちらを見て、軽く敬礼を返した。
「……君か」
それはアデナウアー大尉に対する言葉のように思えたが、実際は違った。立ち上がり、シエラを不躾に見回した。
「異国の気功使い。グラシエラ・モンドラゴン。大した活躍だったそうじゃないか」
生まれて一度もセットした事の無さそうな巻き毛、痩けた頬、気だるげな瞳、長身痩躯。まるで彼こそが病人のようでもあった。
「あの……」
失礼と言えば失礼な態度だ。これがアデナウアー大尉の言う優秀な軍医なのだろうか。困惑して彼を見ると、苦笑して非礼を詫びた。
「フリッツ・アーリング中佐。こんな方だが、悪い人ではありませんよ」
「こんな方とはなんだ、マティアス。相変わらず失礼な奴だ。それに……ふん、お前の報告で怪我人が居るからと来てみれば、拍子抜けだ」
「居たでしょ、怪我人」
「軽い擦り傷に打撲、こんなものは怪我とは言わん。もう治した。倒れたのは衰弱だ。限界を超える氣を放出したな。実際危険だが、安静にしていれば問題無い。ある種の薬草や食物を正しく摂取すれば、治りも早かろうよ」
コンラートの方へ行っていれば良かったと、愚痴を零した。コンラートが誰かは分からないが、聞き覚えはあった。ベルグリシに壊滅させられた部隊の誰かだったか。
「私は面会に来たんですが」
棚上げにされても困るので、改めて意思を伝えた。
「うん? ああ、そうだったな。少しだけならば構わんぞ。さっきも言ったが、衰弱している。あまり無理はさせるな」
「…………どうも」
礼を言いながら、立ち塞がるアーリング中佐を押しのけた。なんというか、如何にも尊大な男だった。この手の人種とはなるべく会話しないに限る。
シエラは椅子に座って、少女の手を握った。体温が低い。相当弱っている。蒼白になった肌の色はしかし、少女の可憐を彩っているようにも見えた。
眼は半分開いて居るが、虚ろな調子だった。起きているのか寝ているのか。まだ会話するのは厳しいかもしれない。だが、ゆらりとこちらに視線を向けた。そして、懸命に声を絞り出した。
「有難う……ございます……」
それが何に対しての礼だったのかは分からない。だが、気持ちは十分伝わった。
「良いのよ。それより、大丈夫?」
「…………はい」
とても大丈夫そうには見えない。今にも気を失ってしまいそうだった。
「私はまだ未熟ですので……師匠からは……使うなと。厳命されていたのですが…………」
哭耀鮮塵について言っているのだろう。出来れば詳しく聞きたい所だが、グッと堪えた。今はその時では無い。
「私はグラシエラ・モンドラゴン。ノイエ・クロッペンベルクを目指しているから……また機会があれば会いましょう」
「……アヤ・コマキです。ええ、また……いつか……いつ……か…………」
言葉は途切れ途切れになり、手からは力が失われた。今はゆっくり休ませてあげよう。
「彼女は何処へ運ばれるんですか?」
アデナウアー大尉に聞いたが、彼は知らないようだ。アーリング中佐へ視線を向けると、
「私が基地の医務室へ運ぶ」
貴方が診るんですか、という言葉を辛うじて呑み込んだ。正直、フリッツに対する印象は悪い。だが実際、腕は確かなようだ。軽い擦り傷や打撲は、氣功士ならば数時間で完治する。だが、アヤのように氣を使い切ってしまえばそうはいかない。常人以下の生命活動を強いられる事になり、少しの傷でも致命的に成りかねない。その場合、他人に己の氣を分け与える等の方法で治療を行うのだが、これは特別な才能が居る。フリッツはそれを持ち合っている。
だが、いくら高い治癒技術を持っていると理解しても、この尊大な男に患者を任せる事の抵抗感は拭えない。
シエラの不信に気がついたのか、マティアスは首を振って微笑んだ。心配するなという事だろうが、極めて不安である。
するとマティアスは、
「先ほど零して居ましたが、コンラート隊へは行かないんですか? あちらには怪我人も多いようですが」
「あっちはあっちで対処出来ている。繰り返すが、此処へ来たのはお前の要請があったからだ。……拍子抜けとは言ったが、私を呼んだお前の判断は正しかったよ。この娘の状態に最も適切な治療を施せるのは私だ」
「彼女はもう大丈夫なんでしょう。搬送は別の者に任せて、あちらへ行っても問題無いのでは?」
すると、アーリング中佐は鼻を鳴らした。
「知っているだろう。私の患者だ。一度関わったなら生命を賭けて最後まで診る」
意外に誠実なのかもしれない。コンラート隊の方へ行けば良かったというのは、単純な嫌味なのかも。アデナウアー大尉の視線に、シエラは肩を竦めた。
※ ※
「では、出発しましょうか」
エンジンが掛かり、軍用車が動き出す。思わぬトラブルに巻き込まれたが、再度アウトリテートへ向けて出発だ。
クラウディアはシエラの肩にもたれ掛かり、寝息を立てている。
「今回の件で、またお話を伺う事になるでしょうが……」
それが連邦警察に因るものなのか、軍に因るものかは明言を避けた。1つの政治なのだろう。悠長な事だと思えるのは、シエラが根無し草だからだろうか。
「別に構いませんが、私達は何時も同じ場所に居る訳ではありませんよ」
「ええ、ですから、宿を移動するたびに連絡を頂きたいのです」
これはお願いだろうか。もちろん違うだろう。体裁を保っただけの命令に等しい。無視する事は可能だろうが、軍から追われる事になる。大げさではなく、ここで拘束されていないのは奇跡だった。シエラは半ばそれを覚悟していた。それ程の異常事態が起こったのだから。拘束されなかったのは、アデナウアーの厚意に因るところが大きいだろう。今はそれに感謝した。こんな場所で拘束されたならば、クラウディアは確実に脱走するだろう。
「それで、連絡先は?」
「こちらへ」
予め用意してあったのだろう。番号の書かれたメモを渡してきた。
それを受け取りながら、シエラは嘆息した。
旧クロッペンベルクで感じた、『目的地へ辿り着けるのだろうか』という不安。それが現実のものになってしまっているようで嫌だった。本当に輪を掛けて面倒な事になっている。
魔獣が瞬間移動した。それ以外にも問題はある。実際の所、こちらの方が問題としては大きいかも知れない。
ベルグリシとヴェズルフェルニル。
あれらはウラル地方の魔獣だ。シエラが対処方法を心得ていたのは、実際何度も処理した経験があるからだ。
まさかこんな場所で再び対峙することになるとは思わなかった。
「いったい、何が起こっているのかしらね……」
魔獣絡みで言えば、普通見られない現象が起これば、それは不吉の予兆だ。それも、これまでに聞いたことの無い現象。今頃、マールブルク州軍は大騒ぎになっているだろう。マティアスも平静を装ってはいるが、その内心は果たしてどうか。
行き先には青空が広がっている。夕方に近い時間帯だが、日没にはまだ遠い。だが、シエラの眼には、どす黒く渦巻いたイナゴの群れが空を埋め尽くすように――。
「……考え過ぎか」
何があろうとも関係無い。己に出来る事には限界が有るし、必要とあらば限界を出し尽くす。それがシエラの方法であるし、ただそれだけの事だった。
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