第14話
未舗装の道路を軍用車が進んでいる。運転はアデナウアー大尉が行い、後部座席にはシエラとクラウディアが乗っていた。最近は屋根付きの車も多いが、今回のそれはそうでは無かった。開いた屋根から吹き込んでくる風が心地よかった。
クラウディアは今にも眠りそうだった。此処に至るまでゆっくりする機会が無かったからだろう。当初は鉄塔で休ませてもらう予定だったが、取りやめた。車で休めば良い、というのはクラウディアの言だ。少しでも早く行動したいのだろう。
決して心地良いドライブとは言えないが、軍用車は悪路に強い。振動は抑えられている方なのだろう。これくらいの振動ならば、却って眠気を誘うのかもしれない。
シエラが腕を引き寄せると、素直に寄りかかってきた。赤子のような体温と柔らかさを感じた。
「モンドラゴンさんは、どうしてこのような旅を?」
走り始めて十数分、沈黙に耐えかねて――という訳では無いだろうが、アデナウアー大尉はふいに話を向けてきた。
「一つ所に納まれない性分なもので」
慣れた質問だったので、シエラは無難に返答した。
「本当にそれだけですか?」
あまり突っ込まれたくない話題だったので無難な返答をしたのに、気にせず突っ込まれてしまった。
「ああ、失礼。無用な詮索とは知りつつも、気になってしまったもので」
「私もー……気になるー」
「何しろ、貴女はヒスパニア人でしょう? それなのに身分証明はウラル共和国のものだ。実に興味深い」
確かにその通りだ。だが、
「…………ん?」
幻聴だろうか。大尉の言葉に割り込んで、聞きなれない者の言葉を聞いた気がした。気が抜けた、間延びした、だるーんとした少女のような声。
一瞬遅れて、それがクラウディアのものだと気がついた。
「え? なんで急にキャラ変わってるの?」
「私もシエラの話、聞きたいー……ぐーすーむにゃむにゃ」
「あ、寝てるの。それ寝言なんだ」
半分は夢の世界に片足を突っ込んでいるようだ。もしかしたら、素のクラウディアとはこのような少女なのかもしれない。
大尉の苦笑に苦笑で答え、彼女の頭を撫でながら会話を続けた。
「……亡命したんですよ。ヒスパニアで色々有ったので」
それは適切な説明では無かった。
「亡命とは穏やかじゃない。何が有ったんです?」
意外と会話好きなのだろうか。シエラは何とか嘆息を堪えた。
「これは尋問ですか?」
「まさか、私は軍人ですよ。ただの世間話です。そもそも問題が有るのなら、貴女は入国出来ていない。答えたくないなら無理にとは……」
「いえ、お気になさらず」
敢えて語る意味は無いが――送ってもらう恩義もある。少しくらいならば身の上話をしても良いだろう。今更、漏れて困る情報でもない。それに、クラウディアも聞きたがっている。本当に聞こえているのかどうかは分からないが。
「……くだらない話ですよ。端的に言えば、譲れないものが有ったから……という事なんでしょうけれど」
「譲れないもの……」
「私にとって、それは友人でした。彼女のために反抗し、結果的に私は何もかもを失った」
「それは何歳頃に?」
「10代前半だったでしょうか」
「……若いですね。辛かった事でしょう」
「ええ、まあ……。でも、10代前半の何もかもなんて、たかが知れてます。だからでしょうね。今もこうして元気にやっていけてる」
最後の方は、殆ど呟きに近かった。シエラは過去に想いを馳せていた。たかが知れていると言いながらも、それは聖域だった。決して誰にも犯すことの出来ない慙愧の階。一歩上がろうと下ろうと、最早どうしようも無い。客観的に判断すれば、たかが知れているからこそ此処で生きている。だが、あの出来事が無ければ今の自分は決して存在しなかった。後悔と引き換えに手に入れた現在を、救いようのない事に気に入っている。
「ともあれ、色々有った結果、当然のように私は軍を追われました。まあ正確に言えば、処刑されようとしていた所を助け出された訳ですが」
「助ける……つまり、政治的な圧力で処刑は取り止められたと?」
車の前輪が大きな石を捉えたのか、車体と共に大きく車が跳ねた。何事かと思ったが、どうやら整備された道への段差だったようだ。先ほどよりも振動は遥かに少なく、快適だった。なだらかな起伏は変わらない。丘陵地帯を抜けるのは何時だろうか。
「いえ。私に御偉方を喜ばせるような価値は有りませんでしたよ。過去、同じように軍を追われた先輩です」
すると、大尉は顔を顰めた。
「……テロリストですか?」
成程、軍人に話す内容としては望ましくないのかもしれない。だが、違う。テロリストでは無い。
「彼女に政治的な思想は有りませんでした。まあ、そうして無事に助け出された私は戦いの師と巡り合い、16の時にウラルへ亡命したんです」
正確に語れば亡命とも異なる。あれは不法入国だった。
「ウラルへ渡って、何でも屋を初めて、奇跡的に王族との繋がりを得て……現在に至るという訳です」
「成程……若いのに難しい人生を送っている」
「そうですかね」
そうかもしれない。だが、シエラにとっては、あのまま何事も起こらず、ヒスパニア軍へ所属し続ける未来の方が簡単では無かっただろう。軍人など、今では考えられない。
ヒスパニアでは、シエラは死んだ事になっている。処刑執行のミスは隠蔽されたのだ。それはシエラにとって都合の良い話ではあったが、当初は物悲しい気分に襲われたものだ。
ふと、道の左側、何処までも続いているかのような草原に、動物の姿を捉えた。数百メートルは向こうだろうか。鹿のような形状で、だがもっと大きい。4頭で群れを作り、こちらを見ている。
「……魔獣ですね」
シエラが言うと、アデナウアー大尉もそちらへ眼を向けた。
「本当だ。はぐれかな」
大きさ、形状から考えて3級丙種、あるいは乙種だろう。大した事の無い魔獣だが、一般人には脅威だ。
魔獣の巣圏外にも、魔獣は当然現れる。魔獣の多寡で巣とそれ以外を区別しているだけなのだ。実際のところ、巣を定義する要素に厳密なルールは存在しなかった。
「対処しましょうか?」
警察、司法機関、あるいは軍属で無い限り、気功能力を治めていても、公共の場でそれを使用することは出来ない。だが、公的な専門機関に所属する者の許可さえあれば、一般社会圏内でも気功の能力を駆使出来る。
少数の3級魔獣に緊急性は殆ど無い。とはいえ、万が一という事も有り得る。シエラは対処すべきだと考えたが……、
「いえ、放置で構わないでしょう。警邏隊が対処しますよ」
他ならぬシュヴァーベン軍人が言うならば、判断に従うべきだろう。
――と、クラウディアが突然眼を見開き、身体を起こした。
「おっと……クラウディア、どうかした?」
あの3級魔獣に反応したのだろうか。
「ん……いや、何だか向こうの方から、嫌な感じが……」
「嫌な感じ……?」」
だが、3級魔獣には眼もくれず、進行方向右手、1時の方角、遥か向こうに視線をやった。
その方向には何も無い。これまでと同じ丘陵地帯の広がっている。旧クロッペンベルクを南北で分けていた川が少し先に見えて、その向こう側には草原と申し訳程度の木々。遺棄されたらしき建造物の残骸。更に遠くには数匹の鳥が。
進行方向は高めの丘だ。遠くまで確認する事は出来ない。シエラ達の乗る車も、少しすると傾斜に差し掛かる。登りきれば、もっと多くが分かるのだろうが――。
「嫌な感じって?」
「魔獣の気配」
「あの鹿みたいなやつじゃなくて?」
「もっと強い」
シエラの身体越しから車体に手を掛けて、クラウディアは車外へ身を乗り出した。先ほどの緩々な気配は微塵も感じさせない。
その切迫した様子に、シエラは身構えた。エルフの感覚は鋭い。尋常ではない何かを感じ取ったのだと言うならば、それを疑うべきでは無い。
「アデナウアー大尉、あの丘の向こうには何が?」
まさか魔獣の巣が有るという事はあるまい。
「……何も。強いて言えば、このまま進むと、直ぐに都市間を結ぶ幹線道路へ合流します。……正確には元幹線道路ですが。かなり前に諸々の事情から一般には放棄されたものです。今は主に軍関係者や、許可を得た運送会社が使用していますが」
彼もまた不穏な空気を感じ取ったのか、少し緊張しているようだった。淡々と説明してはいるが、やや早口になっていた。
「いや、待て。シエラ、あれは魔獣だ」
「え?」
クラウディアが指したのは、遥か先の空中だった。初めは鳥かと思ったが、言われると確かに不自然だ。距離にも因るが、尋常のサイズではない。あるいは人より大きい。
そして、車は丘の稜線を越えた。
「む……」
「なに……?」
「アレは……」
3人は絶句した。
絶句の内容はそれぞれ異なったものだったが、それを互いに知る術は無い。
その時、無線機からノイズ混じりの音が。ノイズは酷く、明らかに正常の動作では無いと知れた。
『こちら――ザザザ――返す、こちらコン――ザザ――ニム少尉! 至急――――ザザザザザザ』
何を言っているのか、殆ど聞き取れない。切迫している様子だけは伝わってくるのだが。
シエラ達が見ている光景に関係するのは間違いない。情報は欲しいが、この通信状況では不可能だろう。
「シエラ、アレは……」
「不味いわね……」
それを見ながら、シエラとクラウディアは座席の上に立ち、体制を整えた。不安定な車内ではあるが、どうという事は無い。
「こちらマティアス・アデナウアー大尉。君はコンラート少尉だな? 詳しい状況を。どうぞ」
『了――ザ――魔獣は――ザザザ―――襲撃! 部隊――ザザ――壊滅――ザザザザ』
聞き取れない。アデナウアー大尉の嘆息が聞こえた。
「おかしい。どうしてこんなにノイズが……それに、壊滅と聞こえたが…………」
彼はレシーバーを放り投げ、目視でそれを――状況を確認した。既にそれが見えている。故に、無駄な時間を使っている暇は無い。
丘の上から見えたもの。それは剣を持った3匹の巨大な人型魔獣と、宙を舞う灰色の鳥型魔獣――8匹は確認できる。そして、それに追われる大型の搬送トラック。人型魔獣はトラックとほぼ同速らしく、十数メートル後方を付かず離れず追走していた。
「何だあの魔獣は……? 見たことが無いぞ」
「…………!」
アデナウアー大尉が知らないそれを、しかしシエラは知っていた。驚きに息を呑む。
巨大人型魔獣はパッコミエッレ・ベルグリシ。身の丈は15メートルあろうか。右腕は不自然に盛り上がっていた。左腕の二倍はあるだろう。体長程もある巨大な剣を右腕に携えている。
鳥型魔獣はハルマー・ヴェズルフェルニル。フクロウに似た瞳を持ち、尾は体長の半分程もある。
「かなりの大物か? コンラートが居ながらも部隊が壊滅したという事は、そうなのだろうが……くそ、分からん」
トラックの荷台の上には人が。矢継ぎ早に行われるヴェズルフェルニルの急降下攻撃を、剣でいなしている。更に、ベルグルシへの警戒も怠っていない。かなりの手練だ。雇われの警護隊員といった所か。だが、何時まで持つか。
丘を越えた先は盆地のように、広範に渡って凹んでいた。かなり先まで見晴らしの良い景色が続いている。マティアス大尉の言葉通り、合流する幹線道路が直ぐ先に見える。
西から東へ幹線道路へ向かっているのがシエラ達。南から北へ幹線道路を行くのがトラックと魔獣。
巨大なベルグルシのために、距離感が狂う。このまま進めば、数分後には接敵するだろうか。あるいは追いかける形になるか。どちらにせよ、すべき事に変わりは無い。
「我々で対処します。お二人共、ご協力頂いても?」
「もちろん」
シエラが肯定すると、クラウディアもまた頷いた。
「大尉、作戦は?」
「先行して下さい。援護します」
慣れていない者同士での連携は危険だ。妥当な判断だろう。
「では、適宜合わせましょう」
言い終わると、シエラは車から飛び出した。
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