間章 ~鮮烈~

第13話

 暖かい空気を切りながら、2つの人影が疾走している。速度は尋常の人では無く、4輪駆動車に比して倍以上。

共に女性だ。

1人は20前後の女性。名をシエラと言った。はっきりとした目鼻立ちに張り付いた無表情が印象的だった。肩まで伸びた髪の色は黒で、女性としてはやや高めの身長に、スラリとした肢体。白のブラウスに茶色のジャンパースカート、紺色の薄い外套を着用していた。左手で担いだ革のザックが、高速移動で激しく揺れている。腰のベルトには剣が――師より授かったグラディウス――収まっていた。

もう1人も20前後の女性。名をクラウディアと言った。エルフだ。見た目通りの年齢では無い。驚く程に整った容姿に、人間離れして均整の取れた肢体。輝くようなロングの金髪、切れ長の瞳。胸元の開いたドレスワンピースに、煌びやかなネックレス。今はフード付きのコートで、その美しさの全てを包み隠していた。右肩にベルトを通し、矢筒を背負っている。

旧クロッペンベルクを後にして、それ程の時間は経過していない。だが、2人が進んだ距離は相当なものだった。シモーヌの依頼で先史遺跡へ趣いた時とは異なり、魔獣の姿はあまり見受けられないからだ。大胆に進むことが可能なのだ。魔獣は巣の外縁部へ行く程に、その数を減らす。

「クラウディア、大丈夫?」

 シエラが心配の言葉を投げかけたのは、彼女の疲れが目に見えたからだ。

「問題ない」

「直ぐに目的地へ着くから、そこで少し休みましょう」

丘陵地帯に終わりは見えない。だが、魔獣の巣は何れ抜ける。今がその時だ。そして、そこは当座の目的地でも有った。

 鉄の塔が見えた。古ぼけてはいるが、朽ちてはいない。3階建てぐらいの高さで、シンプルな円柱構造だった。上部は鐘楼のような空間が開いているが、もちろん鐘は無い。足元には数台の軍用車が有った。

これは魔獣の巣を警戒するため、各地に設けられた監視鉄塔だ。魔獣の移動や大発生に備え、常に軍人が駐留している。また、ある種の検問所でもあった。

これが見えたという事は、危険領域からの脱出を意味する。これより先は人間の領域だ。もちろん、魔獣が存在しないという事では無い。だが、魔獣の巣圏内に比べれば、遥かに少ない。そして安全だ。

クラウディアに促して、速度を緩める。鉄塔の数十メートル手前で徒歩に変わった。こちらの姿は既に確認されているだろう。視線を感じる。敵対意思が無いことを示さなければ、攻撃されても文句は言えない。立ち止まって両手を上げる。数度振ってから鉄塔へと歩き出した。

鉄塔の足元まで近寄ると、入口の鉄扉が開いた。一人の男が徐ろに姿を見せる。その後ろにも人影が見えたが、出てきたのはその男一人だった。

 年齢は30代の半ばか。これと言って特徴の無い、有り触れた軍人だ。敢えて言うならば、特徴が成さすぎる。それが特徴か。シュヴァーベンの軍人は規律に厳しい。軍隊という組織はどんな国家でもそういうものだが、この国のそれは特に厳しいという。そんなシュヴァーベン軍人を体現したかのような男に見えた。整えられた短髪、皺1つない軍服。歩く歩調すら訓練通りと言った様子に見えた。そうした軍人の皮が彼を覆い隠して、無個性を演出しているのだろう。

シエラは男に侮れないものを感じていた。動作を観察すれば、実力の大凡は測り知れる。だが、目前の男は判然としない。感覚が全く働かなかった。強いのか弱いのか、それが分からない。

「私はマティアス・アデナウアー。階級は大尉です」

 意表を突かれた心地になったのは、声と物腰が柔らかだったからだ。岩石のような硬さを予想していたのだが。

アデナウアーと名乗った男は大尉のようだ。本来ならば、こんな場所で監視任務に付くような階級では無い。氣功士部隊の特殊性に因るのかもしれない。シエラも故郷では軍属だった。だが、内情のあれこれを知る機会は無かった。

「……グラシエラ・モンドラゴン」

 差し出された手を握り返す。ゴツゴツした戦闘者の手だ。相当に鍛えこまれているのは間違いない。

「ええ、書類が回ってきています」

 言いながら、彼は手に持った書類に目を落とした。魔獣の巣圏内へと入る際、同じ様に監視鉄塔を抜けてきたのだ。その時に提出した書類だ。役所で1枚、写しを2枚。

この場所を当座の目的地としていたのは、巣を抜ける際の地点にこの場所を選んだからだ。基本的に、指定された場所以外からは巣を抜ける事が出来ない。

「回収業をされているのですね。……それと、そちらの方は? 巣の中へ入ったのは、あなた1人だった筈ですが」

 向けられた視線は、流石に軍人と言った所か。穏やかな視線の中に、譲らない厳しさを秘めている。書類に虚偽の情報が含まれていたならば、それは様々な法律に抵触する。

「少し、面倒な事情が。……クラウディア」

 シエラが促すと、クラウディアは前へ踏み出した。フードを下ろすと、アデナウアー大尉は目を見開いた。その美しさに見惚れた――というだけではあるまい。尖った耳。エルフ。人間との種族間に在る事情を知っているならば、この場所を素通りさせる訳にはいかない。そうした職業意識だろう。

「エルフがどうして……?」

戸惑いながら、シエラに困惑の視線を送ってきた。シエラも肩をすくめて、

「いえ、私も全ての事情を把握している訳では無いんですけれどね」

前置きしてから、己とクラウディアの事情を説明した。クラウディアの友人が人間に攫われたらしいということ、それを助けるために村を飛び出してきたこと。その途中でシエラと出会い、共に行動することを決めた事。

旧クロッペンベルクで出会った奇妙な氣導術士、シモーヌ・ブラウンに関しての情報は一切伏せた。本人は明言しなかったが、シエラには隠れ住んでいるようにも思えたからだ。

全てを聞き終えると、アデナウアー大尉は難しい顔をした。

「それは……大変な話ですね…………」

「と、言うと?」

「ご存知でしょうが、そのような事態……つまり、人間がエルフを攫う、これは当然ながら条約に反します。それも、少なくない数の条約に抵触するでしょう」

人間社会とエルフの間には様々な種類の条約が結ばれている。王政時代――数百年前まで、両種族は敵対関係にあった。エルフを支配する事は、人間にとって様々なメリットをもたらすとされていたのだ。当然、エルフは抵抗する。侵攻する人間を、エルフは容赦なく殺害した。これらの侵攻は、その大半が人間の敗北だったと言われている。ともあれ、長い歴史の中で、両種族間の緊張は高まり続けた。

その緊張は条約によって、そしてそれ以降に流れた歳月によって緩和された。条件付きではあるが、今では互いに大使を置くまでに回復している。もちろん、積極的な交流が行われているわけでは無いが。

「ですが、モンドラゴンさん。何というか……失礼ながら、どうも現実感に乏しい。それは本当の話なのですか?」

「もちろんだ」

 アデナウアー大尉の疑問に、クラウディアが即答した。何処となくムッとしている気がした。大尉から再び困惑の視線を送られ、シエラは苦笑した。

「つまり、大尉はご存知無いと」

「……残念ながら」

「いえ、まあ、大尉の疑問も最もです。私もそうですから。だから、出来れば此処で確かめたいと思っていたんです。事態が本当に深刻なのかどうかを。クラウディアの勘違いであれば、それはそれで良いと思っていますが……まずはそれを確かめたい。もちろん、有事の際にはそれ以上の情報も」

エルフとの関係が拗れる。大抵の政治家はこれを恐れる。故に、エルフが人間に攫われたのだとしたら、警察組織は慌ただしくなるだろう。混乱を避けるため、箝口令は敷かれている筈だ。アデナウアー大尉が知らなくても無理は無い。だが、クラウディアの存在を理由に、情報を引き出せるかもしれない。

「私に取り次ぎをしろと? 政治家に?」

国家として対応されているならば、それは2人で闇雲に動き回るより、遥かに能率的だ。出来るならば一枚噛みたい。そのような算段だ。

「……私は一介の軍人ですよ。政治家とのパイプなど有りません。それに、国家が我々に対して情報を与えないと決めたなら、当然それを知り得ません。いえ、知ってはならないのです」

「……そうでしょうね」

 クラウディアが息を呑む気配が伝わってきた。手掛かりを掴める、そう期待していたのだろう。

「ですが、何も大尉に直接政治家へ掛け合えと言っている訳ではありません。貴方は知らなくても、貴方の上官ならば、何か知っているかも」

 アデナウアー大尉は絶句した。それも当然だろう。不確定な情報を元に、上官へ掛け合いたくなど無いだろう。

「……同じエルフなのですから、首都に駐留しているエルフの大使か……あるいは一度村へ戻っては如何がですか?」

 そして、そのように提案してきた。

「それは出来ない」

だが、クラウディアは即座に提案を切り捨てた。実のところ、それはシエラが既に提案し、断られた事だった。

大使の下へ向かうのは、単純に時間が掛かりすぎる。捜索の時間に費やしたい。

 村へ帰る場合でも、やはり時間の問題が持ち上がってくる。クラウディア曰く、攫われたのは間違いないのだから、敢えて確かめる必要は無いとの事だが――それは短慮に過ぎる。本当に攫われたのだとしたら、一度村へ帰って、協力して事に当たるべきなのだ。

それをしないのは、恐れているからではないかと思った。つまり、クラウディアは無断で村を飛び出したばかりか、貴重な財産を持ち出した。それはエルフにとって深刻な罪ではなかろうか。ただ怒られるのを恐れているだけ――という可能性もあるが。どちらにせよ、手ぶらでは帰れない。それが例え帰郷であっても。そう考えているのかもしれない。

クラウディアの強固な意思に絶句し、アデナウアー大尉はしばし迷った。そして、観念したようにクラウディアへ言葉を投げた。

「……攫われた方の名前は?」

「……セルウィリア。セルウィリア・アンブロシウス・クレメンティア・ヴァーラスキャーブル」

「数分お待ちください」

そう言い残して、彼は足早に鉄塔へ戻っていった。

「そう言えば、エルフの大使と面識は有るの?」

鉄塔の向こう側――人間社会に囚われている友に想いを馳せていたのだろう。クラウディアの反応は一瞬遅れた。

「数十年前に会ったきりだ。幼い頃だったので、私はあまり覚えていないが……」

記憶の糸を辿るように、クラウディアは宙に眼を向けた。彼女の語る『幼い頃』とは、具体的にどの程度の年齢を指すのだろう。人間の5倍生きるエルフの感覚は分からない。

「うん。皆から尊敬されていたのだと思う。そんな空気が有った……気がする。私も彼女が好きだったよ。また逢いたいと思っている」

「へえ……でも数十年前に会ったきりという事は、全然帰ってきてないって事よね? 故郷が恋しくなったりしないのかしら」

「人間に比べれば、エルフは気が長いからな。言ってみれば、たった数十年だ」

 時間感覚のスケールが異なれば、そのような認識になるのだろうか。

(でもまあ、恋しくなるとか以前の問題な気もするけれどね)

 数十年も人間社会で暮らしてしまえば、馴染みきってしまう気がする。それは悪いことではないだろうし、人間側としてもやりやすいのだろうが、エルフとしてはどうだろう。エルフは条約を結んでも、技術の流出を認めることはしなかった。人間社会に情が移れば、肩入れしてしまう恐れは高いと思われる。

どれほど硬い心情を持っていても、変心は避けがたい。恒久的な信頼は盲信に等しい。だが、それはあくまで人間の話であって、エルフはそうで無いのかもしれない。

会話中に数分経ったのか、アデナウアー大尉が再び鉄扉の向こう側からやってきた。

「待たせましたね」

 その表情から察するに、あまり色好い返事は貰えそうに無かった。

「どうでしたか?」

「……何とも。まあ、こうしたものは直ぐに答えを出せる問題では有りませんし、掛かる手続きを考えれば相当時間を頂かないと……。取り敢えず、私の上官は何も知らないようですが」

「……貴方への心証を悪くしてしまいましたかね?」

「いえ、お気になさらず。この程度で怒る方ではありませんよ」

 複雑化した組織の弊害か。何をすれども独断では動けず、時間が掛かる。

「まあ、ここで何もかも分かるなんてのは、甘い考えだったわね。……それで、もし何か分かったら情報は提供して貰える?」

「それは保証しましょう。ですが、行き先が分からない事には……」

「私達は、取り敢えずノイエ・クロッペンベルクを目指しています。しばらくそこで滞在しているでしょうし、こちらから連絡しますよ」

「それは助かります。そして、1つ提案が」

「提案?」

「これから、近くの都市まで車で送りましょう」

 シエラは眉を顰めた。

「それは……有難い。ですが、何故です?」

 上手い話には裏がある。つい裏があるかと疑ってしまうシエラは、疑問を呈してしまった。彼は出会ったばかりの軍人。幾らなんでも、企みの働く余地は無いだろう。実のところ、軍人と言うだけでシエラの心象は最悪だったりするのだが、一先ずそれは忘れることにした。

幸い、大尉に気を悪くした様子は見られなかった。

「もう交代の時間で、これから基地へ戻る予定だったんです。なので、ついでですよ」

「……成る程。何処まで送っていただけるんですか?」

「都市アウトリテート。……ノイエ・クロッペンベルクへ向かうならば、恐らく御2人が先ず向かうであろう場所です」

 地図を思い返して、納得する。アウトリテートには列車が通っている。徒歩の旅もそろそろ飽きた――という訳では無いが、先を急ぐならば使わない手は無い。シモーヌの依頼をこなし、懐も温まった。

「是非よろしくお願いします」

「乗り心地の悪いキューベルですが、ご勘弁を」

 アデナウアー大尉は笑顔で答えた。

その笑顔に裏は無い。だが、彼は監視役だろう。

 彼――あるいは彼の上司もそうだろうが、エルフが人間に攫われたという情報が正しいならば、これは色々な観点から放置出来ない。そのような状態で、クラウディアを野放しにしてはおけない。手元に置いておきたい――あるいは常に位置を把握しておきたい。仮に何も無かった場合でも、エルフを人間社会内で野放しにしておく訳にはいかない。やはり監視、あるいは監督が必要だろう。本音を言えば拘束したいのだろうが、それでは角が立つ。彼らにしてみれば、これが精一杯の落としどころなのだろう。

 ともあれ、シエラ達はアウトリテートを目指して出発したのだった。

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