第11話

辛うじて動揺を押さえ込み、肩を竦めた。

「そう言えば……帰ってくる時に、広場と聖堂を見つけました。祈念広場というのは、あれの事ですか」

 何のためのものか分からなかったと、シエラは嘯いた。文字が読めないため、1人では判別出来なかった事は確かだ。

「とても綺麗な広場で、明らかに都市が壊滅された後に建設された物のようでしたが……あれはシモーヌさんが?」

「うん? どうしてそう思うのかしら」

「魔獣避けの気配を感じたもので。こんな場所ですから、他に思い当たりませんし」

 シモーヌは成る程、と頷いた。そして、首を振った。

「私が此処へ移り住んだ時には既に有ったものだよ。私も、誰がそうしたのかは知らない。規模から考えて、州の計画だと思うんだけれど……」

 普通に考えれば確かにそうだ。ただ、やはり場所が問題だ。誰にも訪れないような場所に、祈念広場を作って何の意味があるのか。

「……そうなんですか。いえ、結界の感じが似ていたもので、シモーヌさんが建設に携わっているのかと」

 シエラが言うと、シモーヌはやや驚いたように目を開いた。

「『感じ』で違いが分かる?」

「ええ、まあ。私のような人間は、例えば見えない敵に対処しなければならない事も有りますから。気配を消して襲いかかってくる敵でも、空気の揺らぎでそれを察知しなければならない。それが出来るならば、空間に張り巡らされた微妙な空気の違いも分かるのではないかと」

 シモーヌは顎に手を当てて苦笑した。

「分かるような、分からないような話ね」

「何と伝えれば良いのか。……私も感覚的にしか分かっていないので」

「しかし、それは君の天稟なのだろうね。そこまでの感覚、普通では無いわよ」

 賞賛されても、シエラは否定するしかない。何故ならば、氣導術こそ正しく才能だからだ。感覚がどうこういうのであれば、彼らこそ賞賛されるべきなのだ。シエラも自信が無いわけではなかった。だが、クラウディアと行動を共にした事で、改めて自惚れを自制した。抜きん出た感覚というのは、ああいう事を言うのだろう。

「……ああ、ごめんね。話を戻そう」

 シモーヌは少し考えて、

「私の術式は、祖母のノートが元になっているから。州軍に属していた祖母の技術が受け継がれていても、不思議では無いわね。まあ、全く同じという訳では無いだろうけれど」

 シエラは、少し言葉を探した。

「……シモーヌさんは、元軍属では無いのですか?」

「ええ。それが何か?」

「……いえ、意外です。市井に在って、これだけの実力を身に付けるなんて」

「それは、君もそうなんじゃないの?」

 全くその通りだった。そもそも、本来ならば異能力者が生国を離れる事など許されないのだから。シエラは敢えてそれに返答せず、別の言葉で答えた。

「お祖母様も、本当に優秀だったのですね。軍の技術に寄与しているなんて」

 シエラが言うと、シモーヌの表情が綻んだ。

「まあともあれ、出来れば、都市を出る前に祈りを捧げて欲しい。せっかく作られたのに、誰も訪れないからね」

 首肯したが、シエラは無神論者だった。想定された祈りを捧げられる自信は無い。だが、祈りは気持ちだと教わった。それを忘れれば人間では無いと。信じるものが有るとすれば、そうした道義だった。シモーヌの提案に、敢えて逆らうことも無いだろう。

「シモーヌさん、もう1つの報酬ですが……」

 分かっている、とシモーヌは頷いた。暖炉前のロッキングチェアから、とある物を持ってきて、シエラに示した。

「確認した限りでは、間違い無いね。良いリアクションしてたよ。しかし、大した偶然よね。いくら近くに落ちていたとはいえ……」

「仕事が早いですね」

「君ほどでは無いさ。それに、まだ終わってはいない。これから作るんだから」

「……私は直ぐにでも立つつもりですが、後はお願いしても?」

 シモーヌは首を傾げた。

「もちろん構わないけれど……どうせ、一日二日では流石に出来ないだろうし。でも、今日くらい泊まっていけば良いのに。お金以外の礼もしたい」

「実は……友を待たせておりまして」

「ああ。ノイエ・クロッペンベルクだったかしら」

 覚えていたか、とシエラは内心で舌打ちした。

 帰還してからこれまでに、シモーヌから不穏な気配を感じる事は出来なかった。喜ばしい事ではあるが、疑いはまだ晴れていない。警戒を解きたくない――あまりこちらの情報を渡したくはないのだ。杞憂ならば彼女にとって酷い話ではあるが、後悔は先に立たない事を、シエラは知っている。

「此処へは回収業としての好奇心から立ち寄っただけ……とは言いましたっけ? まあ、本来は急いた方が良い旅なのです。……ああ、いえ、依頼に関しては助かっていますよ。お金は必要でしたから」

 すると、シモーヌは微笑んだ。

「酔狂な事だ。まあ、私の依頼が役に立ったなら喜ばしいよ」

 それ以上は言及しなかったが、金品を漁りに訪れた事はバレているかもしれない。

「せめて食料くらいは用意しよう。君達の足ならば、補給無しでも十分次の都市へ到着出来るだろうけれど……」

 違和感を覚えた。問い正そうとしたが、次の瞬間に吹き飛んでしまった。

「…………!」

 下に誰か居る。つまり、地下だ。急に気配が現れたような感覚。

 思わず椅子から立ち上がる。

何もない空間から突然現れた――というよりは、普通に歩いていて、シエラの感覚範囲内へ踏み入ったような感じだ。一体、それはどんな大きさの地下室だろうか。一昨日に泊めてもらった時には、地下へ入る事は無かった。だが、感覚が確かならば、このテラスハウスの一室には不釣合いな大きさに違いない。あるいは、上階よりも遥かに大きい。

悪い予感が当たったか? だが、シモーヌに目立った変化は無い。どれほど隠しても、殺気立った気配は消せないものだ。だが、それが無い。

まさか、勘違いでこちらから攻撃する訳にもいかない。そうで無ければ攻撃するという意味でもあるが、如何せん判断出来ない。シモーヌという女性は、どうも読み難い。シエラが出会ったどの人間よりも複雑な背景を持っていそうで――その辺りで微妙な判断が出来なくなっていた。

何かを隠している事は明白なのに、それが何か分からない。出会った当初に感じた不審と、現在の不審が結びついているかどうか。それが問題だ。それが彼女にとって、こちらを攻撃するに値する問題なのかも分からない。やはり聖堂への侵入は悪手だった。彼女の問題については踏み込まないつもりだったのに、結果的にそうなっている可能性を作ってしまった。だからこそ行動を決められない。

シエラの視線を察して、彼女は笑った。

「丁度良い。紹介しましょう」

 あくまでも気楽な調子で言うと、階段の上から地下へと呼びかけた。

 少し間が有って、等間隔で床を叩く音が聞こえる。階段を登る足音だ。直ぐにその主が姿を現した。

「お呼びですか、先生」

 女性だった。淡々とした声。

 歳は20より少し上。ボブショートの金髪、切れ長の碧眼が印象的だった。だが、何よりも特徴的だったのは、メイド服を着用していた事か。こんな場所には不釣り合いに過ぎる。

彼女はシエラを見て、足を一歩引いた。エプロン部分がふわりと揺れる。それは見ず知らずの人間に対する恐怖ではない。臨戦態勢だ。だが、直ぐにそれは解かれた。

「あの……先生、ではこちらの方が?」

 どういう反応をすれば良いのか迷ったのだろう。シエラも同様だったが、安心もしていた。敵意は無い。用意されていた伏兵ではない。

「そう。依頼を頼んでいたグラシエラ・モンドラゴン氏よ」

「帰還された時に仰って頂ければ、おもてなし致しましたのに」

「いや、忙しそうだったからね」

 咎めの言葉は、気遣いの言葉で封殺された。彼女は嘆息して、

「私はヴィルマと申します。こちらでは……まあ見た通り、お手伝いのような事をさせて頂いております」

 深く一礼した。そのしっかりとした動作からは、何処となく軍人を連想させられた。

「仲良くしてあげてね、シエラ」

 お互いに紹介されたので、シエラは握手を求めた。特に不審な動きも無く、笑顔で応対される。こういう時には、シエラも後ろめたさを覚えるのだった。

シモーヌの事を先生と呼んだが、一体どういう関係なのだろうか。主とメイドの雇用関係には見えないが。

「ちょっと用意してもらいたい物が有るのよ」

 指示を出されると、ヴィルマは再び階下へ消えた。食料を用意させるためだろう。

「一昨日は物資の調達に出ていてね」

「……驚きました」

「それはごめんなさい。敢えて言う必要も無いと思ったのよ」

 確かにそれはそうだが、如何にも心臓に悪い。

今の話では、様々な生活必要品を入手を行っているのはヴィルマのようだ。だが果たして、それはどんな方法だろうか。

「……君は私の事情について、何も聞いてこないね」

 笑いながら、シモーヌはそう言った。それは、何とも答えづらい質問だった。

「気にならないの? どうしてこんな場所に住んでいるのかとか、私は何者なのか、とか」

「いえ……まあそれは、人それぞれなので。詮索されるのも、気分を害されるかな、と」

 言葉を濁して答えたが、シモーヌの眼は納得していなかった。シエラは嘆息して付け加える。

「……余計な事に首を突っ込むのは、一種の賭けだと教わりましたので。特に……得体の知れない人間のそれは危険だと」

「ふふ、正直ね。賭け事は弱いのかしら?」

「負けた事はありません。賭け事はやりませんから。運任せというのは、どうにも好きになれないので」

 それを聞くと、彼女はどうしてだか喜色を浮かべた。どうしてそこで嬉しそうになるのか、どうにも分からなかった。

「君は警戒しっ放しだったわね。依頼を受ける前も、依頼を終えて帰ってきた後も。でも、君が私に対して抱いている尽くは、あるいは正解かもしれないけれど、やはり間違っていると言わせてもらうよ」

 意図を掴み兼ねていると、更に付け加えた。

「私が君に危害を加える事は無い、という事よ。別れの時くらいは、まあちょっとくらい、油断した顔を見せてくれても良いんじゃないかしら?」

 しかし、それは――。

「油断させるために言っている訳じゃ無いわよ」

 思考を先回りされて、シエラは苦笑した。

「そう、その感じ。凄く良いじゃない。肩の力を抜かないと、生き辛いわよ。まだ若いんだから」

 シモーヌはシエラの手を握り、微笑んだ。少し年上なだけで何を言っているのかと、シエラも笑ってしまった。

 手を握り返したところで、ヴィルマが戻ってきた。その手には袋が。一昨日のように、手軽なサンドイッチを用意してくれたようだ。

シエラは嘆息した。このまま何事もなく、別れを迎えられそうだ。シモーヌが聖堂地下の件に関与していたのかしていなかったのか、それは分からない。関わるつもりもないので、揉め事なくこの場を去ることが出来れば、真相はどうでも良いのだ。

「ああ、そうだ、彼ならば知っているかもしれない」

 思い出した――と言う様子で、シモーヌが言った。そして、その続きはどうしてか耳元で囁かれた。

「聖堂の事を知りたければ、ノイエ・クロッペンベルクのアーダルベルト・グリルパルツァーという人物を訪ねてみると良い。私は何も知らないけれども、彼ならばきっと詳しく教えてくれるだろうさ」

 一体、急に何を言い出すのだろうか。聖堂の事を知りたいだなどと言った覚えはない。興味が有ると勘違いされたか、あるいは思惑が有るのか。

 返答に困っていると、

「……秘密のお話ですか。聞いちゃダメですよ、シエラさん。先生の言う事は大抵が碌でもないんですから」

 ヴィルマが口を尖らせた。

「おや、嫉妬しているのかね、ヴィルマ君。後で相手をして上げるから、大人しくしていなさい」

「違いますから……」

 顔を赤くして抗弁するが、本当にどんな関係なのか。何時もこのようにからかわれているならば、何とも不憫ではある。

「まあ、また何時でも来て欲しい。歓迎するよ」

「道中お気を付けて。ジークフリートの加護が有りますように」

 それは一体なんだったか。聞いた覚えはあるが、思い出せない。ヴィルマが信じる土着の神だろうか。

 2人と再度握手を交わし、僅かばかりの抱擁。

結局、最後まで良く分からない人間で、何とも気疲れしてしまった。怪しいところだらけだし、故にあまり心を許したく無い人物ではあるが――。

「ええ。また、何れ」

 再開の約束くらいは、交わしても良いだろう。



    ※  ※



 シエラが去った後を、シモーヌは何とも言えない表情で見つめていた。それは過去の記憶を辿るような瞳で、茫漠たる原野を彷徨う旅人のようでもあった。

「お茶でも淹れますか?」

 その後ろ姿に、ヴィルマは声をかける。主は稀にこのような表情をする。事情を鑑みれば、それは仕方がない事なのだろう。ヴィルマとしては、彼女にそうで在って欲しくは無かった。

「ああ……いや、準備はどうなったの?」

「何時でも始められます」

 踵を合わせて、直立不動。思わず畏まって答えてしまうのは、軍人だった時の癖が抜けないからだ。

 中断していた実験の再開だ。今日はシエラが泊まるだろうと予想していたので、明日以降になるかと思っていたが――。

「折角だし、そちらを先に済ませようかしら。何だか、頑張らなきゃーって、思ったのよね」

 2人は地下へと降りていった。

 階段を降りた先には、倉庫が広がっている。一部は区切られ、冷蔵庫の機能を果たす空間だ。調達してきた物資のうち、半分はここで保管している。棚には生活物資等が置かれ、ワインセラーも有る。ちょっとしたキッチンも設えられている。一々上がるのが面倒なのだ。

セラーに寝かせているワイン瓶の1つ――97年物――を動かして、壁の奥に触れた。氣を送ると、壁がスライドして扉が現れる。一々このような動作を行わないと先に進めないというのは、何とも面倒だった。

扉の先には、倉庫と同じくらいの空間が。机が2つに、多くの棚。棚には様々な実験器具が保管されていた。奥にはまた扉が有る。

その扉の先に用がある。

そこは実験室だったが、一見すると手術室のようでもあった。細長い台に、術野を照らすためのライト。用意された様々な器具。

室内も清潔に保たれている。それはヴィルマが汚れを嫌うからであって、実験の目的のためには不潔でも何ら問題無い。事実、シモーヌは気にしていない。

白衣とマスク、帽子を着用し、簡単な準備が完了した。

台の上には、とあるものが乗っていた。

それは大きな肉塊だった。ただの肉塊では無い。氣導術の実験で生み出された、変異物体だ。この肉塊も、元々はこのような姿では無かった。

「今日こそは成功するでしょうか」

「難しいね。……実のところ、アイディアはもう随分前から打ち止めなんだよ。同じことを繰り返して、それで何か閃かないかと期待している所でね」

「存じております」

 シモーヌは笑った。笑わなければ、やっていけないのだろう。ヴィルマは出会って以来、ずっと彼女の正気を疑っていた。決定的に狂ってはいないが、かと言って正気と断定するのは難しかった。ただ、例え狂気に支配されたとしても、案外普段と変わりないかもしれない。才能に狂気は付き物だからだ。

だが、それ故に、主を理解出来ているとは言い難い。出会ってから2年、掴み所が無い。それでも、ヴィルマは彼女を信頼していた。それは彼女に対する罪の意識が根底にあるのかもしれない。もちろん、それだけでは無いと信じているが。

「さあ、始めようか」

 握られたメスが、肉塊を切り刻んでいく。もはや何百、何千と繰り返した動作だけに、淀みは無い。

 流れ出る鮮烈な血液と、肉を切り刻む音。溢れ出る異臭と呻き声。

それに対して、最早何を感じる事も無い。異常に対して慣れきっている。己もまた、もう正気では無いのかもしれない。救いようも無く、才能だけが無い。それでも、額の汗を拭いながら、肉塊から伸びる何かをへし折るのだ。目的のために、最早止まることは出来ない。

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