第10話

のたうつ動きは連鎖した。さざなみのように他のずた袋――肉塊へも広がっていく。

気の抜けた、生々しい音が地下室に反響する。肉が石棺を打つ音だ。シエラは顔を顰めた。

肉塊から生えてきたのは、腕だけではない。足もだ。眼も開いた。トマトを潰した時のような音と共に、しかし何倍も鈍い音で。

手足や眼球は数秒置きに引っ込み、また数秒して生えてきた。まるで呼吸のようだった。その場所や角度に規則性は無く、以前とは別の形で生えていた。

それが自立して歩き出しはしなかった。開いた眼からは、意思を感じない。睡眠中のようにゆったりとした動きで宙へ向けられている。そもそも、腕や足の生える方向がバラバラなのだから、仮に手足を使って動こうとしても、それは難しいだろう。

それが魔獣のように襲いかかってくる事を警戒したが、何も起こらない。のたうつだけで完結した存在のようだった。

「これは……」

 なんだ、と問いたい訳では無かった。ただ、思わず言葉にしてしまっただけだ。

だが、クラウディアは一つの答えを示した。

「私が感じた氣導文字の正体はこれだ」

「この肉の塊が……?」

「妙な氣導術式が全身を取り巻いている。吐き気を催すほどに歪で、目をそらしたくなる程に不自然だ」

言われてみれば、嫌な気配はこれらの肉塊から漂ってきているような気がした。ただ、視覚的なインパクトが強すぎて、その感覚も段々薄れてしまっている。

「これ……何だと思う?」

「分からない。分からないが……生物を用いて、氣導術を実験しているように見える。自然にこのようなものは発生し得ない」

 クラウディアは言葉を濁した。その気持ちは良く分かった。エルフにとって他種族であるとはいえ、そのような想像は如何にもおぞましい。

つまり、これが元は人間だったという想像。

「このような事は、人間にとって有り触れた事なのか?」

「有り触れているって訳じゃないけど……」

 何となく責められているような気がして、居心地が悪くなった。

 生物を使った氣導術の実験は、決して珍しいものではない。例えば、氣導術を用いた生体の強化実験。

氣導術で生物や人間を強化出来れば、対魔獣に有用である可能性は高い。基本的に、氣は生きているだけで発生する。閉じた氣穴から漏れ出るものだ。だから、気功の技術は誰にでも使用できる。普遍的な氣導技術品というものは、それを利用する。日常垂れ流されている微弱な氣に反応、作用するのだ。だが、氣穴は容易に開き難い。故に、強力な氣功を習得出来る者は少ない。人口の1割に満たないとされる。

数百年前、世界に王政が溢れていた時代は、そのパーセンテージに悩まされていた。溢れ出る魔獣、他国の軍勢、あるいは封建領主同士の諍い。戦いの趨勢は、氣功や氣導術、あるいは異能力者の数に左右されたと言っても過言では無い。時の権力者達はそのような者達の確保に精を出した。――そして、それは現在でも変わらない。

だが、完成された強化氣導術式を施せば、そんなパーセンテージに悩まされる事は無くなるのだ。誰もが強力な力を手にする事が出来る――強力な軍隊が即席で手に入るならば、それはどれほど魅力的か。

だが、結局の所、そうした実験が結実する事は無かったようだ。完成したそれらは気休め程度にしか作用せず、少なくとも飛躍的な成果は得られなかった。そして、共和制へ移行した近代以降、高まった人権思想から過激な人体実験は姿を消した。他の生物を用いた実験は今も盛んに行われているようだが。

「成る程。人間というものは、本当に争いが好きだな」

 説明を受けたクラウディアの言葉は、やや辛辣だった。そして、シエラにはそれを否定しきれない。己もまた、争いに身を置く者としては。

「欲望が皮を着て歩いているのが、人間らしいわよ。人間としては否定したいところだけれど」

 言って、肩を竦める。

この実験がどのような目的で行われたのかは不明だ。また、実験体が処分されずに安置されている理由も。こうして秘匿されている所から察するに、公には出来ない実験だろう。

「ん……?」

石棺の手前側を見ると、文字が刻まれていた。ネームプレートのように見える。

クラウディアに視線をやると、

「ベルンハルト・バルツァー」

 そのように書かれているらしい。やはり名前だ。規則性を理解していないので、それが男性名なのか女性名なのかは分からない。だが、間違いなくシュヴァーベンで見られる姓名だった。

「これは……」

 この肉塊に与えられた名前なのだろうか。そう考えると、研究者の神経を疑ってしまう。――あるいは、肉塊の元になった人間の名前か、だ。それはあまり考えたくない結論だが、十分に有り得る。

 時計回りに石棺を確認していくと、その全てに名前を確認出来た。

そして、何も乗せられていない石棺。

そこに刻まれていた文字は、クラウディアに翻訳を頼まなくても理解できた。

昨日、先史遺跡で目にしたばかりの文字だったからだ。

「エレオノーラ・アードルング……?」

 それはシモーヌの祖母の名だった。思わず回収した写真を取り出して、名前を確認する。どうやら間違いない。

 何とも言えない心地を覚えて、シエラは目を細めた。

肉塊の正体、その可能性については2つほど推測が可能だった。

1つは、別の生物から人間を目指して作られた物体ということ。

もう1つは、これが元は人間だった可能性だ。実験によって、人間がこのような姿に変貌してしまった。

 知らぬ名ばかりが並んでいたならば、前者の可能性を捨てきれなかった。だが、知っている名が出てきた以上、後者の可能性が限りなく濃厚になってしまった。

 地下室に置かれた石棺は11。写真で確認できた研究員の人数も11。そして、名前の一致。偶然とも考えられるが、果たしてどうか。

 憶測で言うならば、ここに眠っているのは11人の研究員、その成れの果てなのだろう。どういった過程を経てこのような有様に成り果てたのかは分からない。そもそも、彼らは実験を行う立ち位置だった筈だ。

だが、此処にシモーヌの祖母は居ない。何処へ行ったのか。自立して何処かへ歩いて行ったとでもいうのだろうか。

何れにせよ、

「シモーヌの祖母は、死んでいなかった……?」

 このような肉塊となって、なお生きていると表現出来ればの話ではあるが。

 ともあれ、その可能性は出てきた。気味の悪い肉塊に成っていないだけで、死亡していた可能性も十分に高い。ただ、完全に人間のままで生存している可能性は限りなく低い。この石棺に置かれていないだけで、別の何処かで安置されているかもしれない。例えば、この廃墟内に、同じような場所が有るのかも。

「しかし、何十年前の話だと思っているのよ。推測が確かなら、この実験体達は100年以上生きてる計算になるけれど……」

 遺跡で見つけた72年前の写真を思い出す。壮年期で構成されたメンバーだったが、50代の者も居たように思える。人間は120歳まで生き無い――とは言わないが、全員が全員そうではない。実験の影響なのか、あるいは――。

 ふと、クラウディアが首を傾げた。

「それが何か問題なのか?」

「何がって……」

 人間ならば、とうに寿命が尽きている。エルフには実感し難い話かもしれないが。

「そう言えば、クラウディアは何歳なの?」

「92歳だが」

「あ、ああ、そうなんだ。そうよね。そりゃそうよね」

 自分で質問しておいて何だが、何ともリアクションし難い話だった。彼女の見た目は10代の少女そのものなのだから。20歳のシエラなど、エルフで言えばまだ幼児と言ったところだろう。

ともあれ、

「……そろそろ出よう。これが何で有るかは分からないし、分かりようも無い」

 本音を言えば、あまり長居したくは無い。気持ち悪さの問題もあるが、危険性の問題もある。

シエラは、己の好奇心に嘆息した。普段から師匠の教えを守り、必要以上に慎重である事を心がけている。だが、好奇心が勝る場合もある。自信は過信に繋がる。それは明確な弱点だ。何時か、命取りになるとも限らない。

実際、今頃襲撃されていてもおかしくは無い。というより、襲撃を受けていない事がおかしい。襲撃――というよりも、此処を護る者としては、こちらが侵入者な訳だが。クラウディアの話では、隠し通路の仕掛けを解除した事は、既に何者かに伝わっている筈だ。展開した警戒用の氣導術に反応は無いようだが――。

通路を開いた時に感じたが、長年使われた形跡は無かった。既に放棄されているのかもしれない。仕掛けの先には、誰も居ないのかもしれない。そう結論付けるのは早計ではあるし、放棄されているならば、実験体が処分されていないのはおかしな話だ。

何らかの理由で、処分出来なかったものがそのまま残っているのか。かと言って、ただ隠すためだけにこんな場所を用意するだろうか。それこそ実験場内で保管すれば、隠す方も気が楽だっただろうに。

此処に安置された彼らは、貴重な実験材料ではないのだろうか。それとも、やはり既に用済みなのか。

シモーヌはこれを知っているのだろうか? あるいは、やはり彼女こそ、この場所を作った本人なのか。実験に関わっていたのか。それとも、彼女は――。

何もかも分からない事だらけだった。シモーヌに問い正すつもりは無かったが――それは藪蛇だろう――警戒の度合いは強めねばなるまい。分からないということは、それだけで危険だ。

結局、誰の咎めを受けることも無く、シエラ達はこの場を後にした。広場の周辺には、誰の気配を感じることも出来なかった。



   ※  ※



「遺品は全て回収しました。必要上、全て改めさせて頂きましたが」

 シモーヌの家へ到着したシエラは、回収した品をテーブルに広げた。回収時は能力を使って収納したが、直前になって別の袋へ移していた。

 クラウディアには予定通り、外で待機してもらっている。

その意味合いは、今となってはやや異なる。面倒を避ける意味はもちろんだが、万が一の退路を確保してもらうためでもある。ここでシモーヌと戦闘になると考えてはいなかったが――聖堂の件もある。警戒しておくに越した事は無い。外部を包囲される事も十分有り得るため、仮にそうなりそうであれば、外から合図を送ってもらう手筈だった。

報告を終えれば、速やかに都市を出るつもりだ。警戒しているというのも有るが、本来、先を急ぐ旅なのだ。ノイエ・クロッペンベルクに人を待たせている。

「もちろん構わないわよ。本当に有難う。ご苦労様」

 シモーヌは気楽に応えた。何かしらの緊張は見られない。聖堂で襲撃されなかった以上、何かが有るとすればこの場所だと思ったが。やはりシモーヌは無関係なのだろうか。

「写真や本……雑貨類も有りましたね」

 一通りそれらを確認して、彼女は得心したように頷いた。

「成る程、写真の裏や本に名前が書かれている。間違いなく祖母の物のようね」

 写真だけで判断してしまったが、どうやら本にも名前が書かれていたらしい。

心なしか、シモーヌの手が震えているように見えた。

「母も喜ぶわ」

 見ると、彼女は涙を流していた。

親孝行出来た事が、それほどまでに嬉しかったのだろうか。あるいは、祖母という肉親に対しての何かだろうか。シエラに親や親族は居ないため、その辺りの事は良く分からなかった。もちろん、完全に分からないという訳でもない。例えば、親代わりの師匠。それならば想像出来る。ただ、それが血の通じた肉親に対するものと、同じ感情なのかどうかが分からない。

シエラが絶句していると、彼女は涙を拭い、微笑んだ。それは寂しげな笑みで、胸中を推し量る事は出来なかった。

 何となく気まずいが、シエラは口頭で依頼の報告を始めた。途中の行程や先史遺跡の様子等など。本来は報告書を用意すべきなのだろうが、まだ字は書けないのだ。本格的にこちらで仕事を開始する時のために、早く覚えておかなければならない。

 クラウディアの事は暈しておいた。祈念広場や聖堂での事もだ。依頼主に対して誠実さが足りないとも言えるが、リスクを回避するために必要な措置と言えた。

 簡潔なシエラの報告を聞くと、

「報酬よ」

 シモーヌは棚の上に置いて有った木箱から、無造作に紙幣を取り出した。木箱の中には他にも色々な物がはいっていたようだが、つぶさに観察する訳にもいかない。

「……有難うございます」

 あまりにもお金の扱い方が雑な気がした。これだけの大金をあんな場所に保管するとは。必要では有るが、大事な物では無いのかもしれない。このような場所故に、泥棒の心配は無いのだろうが――。

ともあれ、報酬も受け取った。この遺跡へやってきた当初の目的は達成された訳だ。

後はこの場を去るだけだ。

「思い出……」

 写真を見ながら、シモーヌが呟いた。

「思い出というのはとても厄介なものでね」

 いきなり何を言い出すのかと、シエラは訝しんだ。

「厄介……? そんなものですかね」

 未だ20を迎えたばかりだが、シエラにも色々な思い出が有る。思い出したくない事も有れば、思い出すだけで楽しくなるような事も。だが、例え嫌な思い出であっても、それを厄介だと感じたことは無かった。

「良い思い出も、悪い思い出も……実際のところ、それは文字通り善し悪しでしか無い。縛り付けるという意味において、それは同質のものなの」

「良い思い出も自分を縛り付けると?」

「むしろ良い思い出こそ厄介なのよ。ある種の成功体験は、未来において必ずしも有益と限らない」

 その感覚は分からないでも無かった。修行時代、それでよく痛い目に有った。例えば、投げられた手榴弾の効果範囲。火薬量を増減されれば、過去の経験など何の意味も成さなかった。単に師匠の意地が悪いとも言えるが、なるべく初見で判断しないという教訓になった。

「しかし、どれだけ縛り付けられようとも、人は思い出を捨て去る事など出来ない。捨て去ってはいけないのよ。その事に、漸く確信が持てた……」

 シモーヌは立ち上がって、シエラを抱擁した。

「本当に感謝する。有難う」

「は、はあ……」

 熱い抱擁だったが、祈念広場の件も有る。素直に受け止められない。疑われずに接近するための演技だというのは、考えすぎだろうか。

(まあ、見られて困るものだったからと言って、即攻撃っていう訳でも無いでしょうけれど……)

 交渉の余地すら無いとは思えない――というのは、こちらの都合でしかない。だが、シモーヌはそこまで短絡的かつ好戦的な人間だろうか。そうで無い事を祈りたい。いや、そうで無い事を祈るならば、むしろ彼女が無関係で有る事を、か。

シモーヌは身体を離して、笑顔で言った。

「そう言えば、祈念広場にはもう行ったかしら?」

 唐突な問いかけに、シエラは動揺した。

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