第9話

建物の内部はさっぱりとしていた。石造りではあるが、重苦しい雰囲気は無い。最近になって人が立ち入った形跡も見られなかった。埃が積もっている。

何者かを埋葬しているようには見えない。柩が見当たらないのだ。どちらかと言えば、此処は聖堂なのかもしれない。

奥には段差が有り、その上には祭壇が有った。広い訳では無いが、決して狭く無い空間にそれだけ。高さは1.5階分、広さは一般家庭のリビングくらいはあろうか。ミサを行えば、十数人は収容出来るだろう。

そんな空間に、祭壇だけが存在していた。椅子も無い。アナロイも無ければ当然イコンも無い。ミサのために巡礼者を迎え入れる設備が無い。

祭壇の上部には4枚の窓が有って、斜光は十分だった。だからこその寂しさを感じてしまう。

「ここは一体、何の目的で……」

 意義は分かるが、意味が分からない。誰のために存在しているというのか。慰霊の意義は有ろうが、これではただのハリボテだ。

祭壇には復活の象徴である十字架を抱えた偶像が。デミウルゴス教――神に使える使徒の筆頭・ピエトロを表したものだ。最もメジャーな像と言えた。ならば、この聖堂の守護聖人は聖ピエトロなのだろう。だが、像の他にそれを示す物は何も無かった。

「どう? クラウディア」

「なんだか……下の方から文字がどんどん沸き上がってくる」

「下……地下が有る……?」

 嫌な感じとは――異様な氣導文字とは一体どういう事か。

それを確かめるためには、地下へ入り込まなければならない(クラウディアの言を信じるならば)。

しゃがみこんで石造りの床を叩くが、空洞になっているかどうかは今ひとつ判別出来なかった。

床をぶちぬく事は容易い。だが、祈念広場も聖堂も、誰かの善意で作られたものだろう。破壊活動には抵抗を覚えた。

(地下が有るのならば、降りる手段は当然ある。別の場所から地下へ通じているのか、隠し扉が有るのか……真っ直ぐに考えるなら、祭壇に何かしらの仕掛けがあるのでしょうけれど)

 考えていると、

「シエラ。その十字の飾り……氣導装置だ」

 クラウディアが唐突に言った。

「十字架が……?」

 隠し扉の入口を操作する装置なのだろうか。

像が握っている十字架を掴んだ。観察しても氣導文字が彫り込んであるようには見えない。あるいは、内部に仕込んであるのか。

氣を送ると、十字架が発光を始めた。

連動したのだろう。同時、床に光が走る。一瞬で幾何学模様が描き出された。

大岩を擦るような重い音が室内に響き、床の中央、2平方メートル分が両側へと開いた。

地下への階段が出現したのだ。

何とも大仰な仕掛けだったが、驚きには値しない。このような仕掛けは、決して珍しくは無いのだ。真っ先に仕掛けを疑ったのは、そのためだ。とはいえ、仕掛けが分かっても、誰にでも動かすことが出来るという訳でも無さそうだったが。装置を発動させるために発した氣の総量は、常人を遥かに超えていた。

普遍化された氣導装置には、吸氣機能が付いている。通常、常人は氣を能動的に発する事が出来ない。この機能は、つまり氣を受動的に吸い取る機能だ。それで日常生活に支障を来す事は無い。氣は装置内部で必要量に増幅される。吸い取られる量は極僅かだ。だが、十字架に施された氣導装置にそうした措置は無い。当然だが、誰にでも起動出来ては困るという事だ。

裏を返せば、常人で無いならば難しく無いという事だ。そう考えれば、この仕掛けは単純過ぎるとも言えた。

(隠し通したいならば、常人よりも氣功を修めた者の筈なんだけれど。何だか中途半端ね)

地下への階段は、凡そ3階分くらいだろうか。階段は石造りで、劣化していない。それ所か、作られたばかりのようだ。普段使われていないからだろう。

辛うじて光が届くその先に、階段の終着点が見えた。扉なのかどうかは分からないが、金属製の壁にも見える。

一歩降りて、足を止める。クラウディアの語る『嫌な』というニュアンスを漸く理解出来た気がした。殺気とか害意とかそういうものでは無い。やはり、近寄りたくないという単純な忌避感。凄惨な光景であったり、悪臭であったり、甲高い金属音であったり――そうしたものに似ている。あるいは、魔獣避けの氣導装置に晒された魔獣はこれに似た状態に晒されているのかもしれない。

それは微かなもので、それに気づくことが出来るのは極一部の人間だけかもしれない。

「どうする?」

 先へ進むのが嫌ならば、待っていても良い。シエラはそう思ったが、クラウディアは首を振った。

「少し慣れてきた」

 美しい顔を少し歪めていたが、存外に平気そうだった。強がりでは無いだろう。問題ないと判断し、どんどん降りていく。

「え……なにこれ、穴が開いてる」

 階段を少し降りると、両隣の壁が幾つもくり抜かれているのが分かった。掌よりも、やや小さい。円筒形のようだ。

中に何か入っている。何やら見覚えのあるシルエットだ。思い切って、試しに1つ取り出してみた。

「これは……ワインの瓶じゃないの」

 ワインを地下で保存するのは良くある事だが、こんな場所で保存する意味が分からない。まさか、そのためにこんな仕掛けを作ったとでも言うのだろうか。

「これ全部……?」

穴の数は全部で数十。次々に確認したが、全て中からワインの瓶が出てきた。年代は新旧入り混じり、記載された世界歴から考えると、100年以上前の物も存在した。新旧と言っても、新しい物でも十数年前に遡る。ラベルの文字から察するに、全てシュヴァーベンで製造された物のようだ。

酒の事は詳しく無いが、あまり古い物はもう呑めないのではないかと考えられた。あるいは、収集家の間では価値有る物なのかもしれない。

(まあ、世の中には変人がたくさん居るものね)

 これが仮にシモーヌの作ったものであるとするならば、何とも悪趣味な話だった。ただの人間だとは思っていなかったが――。祈念広場を作り、聖堂を作り、その下にワインセラーを作るなど。あるいは誰かが作った祈念広場に便乗しただけなのか。

最悪なのは、これが原因でシモーヌと敵対してしまうかもしれない可能性だった。次点で、この都市に潜伏しているかもしれない別の誰かを敵に回す事か。どちらでも対処出来る自信は有ったが、その場合にシモーヌを殺してしまうのは心苦しい。出来るならば円満に依頼を終えたいものだった。

 下まで行き着くと、行き止まりだった。上から見えたものは、どうやらただの壁だったようだ。

「本当にただのワインセラー……?」

そんな筈は無い。第一、今も感じる嫌な感覚はどう説明出来るのか。

また隠し扉でも有るのだろうかと金属壁を触ってみるが、ひんやりとした感触が帰ってくるだけで、何も起こらない。

何か有るとすれば、当然この先だろう。ここだけ金属製の壁というのは、如何にも不自然だ。最悪、破壊すれば進めるのかもしれないが――。

クラウディアに眼をやると、彼女は何かしら考えている風に見えた。

「何処かに氣導装置でもないかしら? 流石に、これで終わりっていうのは……」

 その根拠は『嫌な感じがする』というだけのものではある。普段のシエラなら無視して引き返したかもしれないが、今回はクラウディアの感覚が有る。氣導文字を感じ取った彼女の証言は無視出来るものでは無かった。

「恐らく、何処かにある。少し待ってくれ。調べてみる」

 その答えに、シエラは首を傾げた。

「十字架は直ぐ分かったのに、分からない物も有るの?」

 何かを探るように集中し始めたので、もしかしたら話しかけない方が良かったのかもしれない。

「仕掛け自体が単純だと、感じ取りにくくなる。上の仕掛けは複雑だったために、常に半分起動しているような状態だった。そういう物は氣導文字を感じ取る事が出来るから分かる」

 しかし、返答が有ったので気にせず会話を続ける事にした。

「上の装置がそれほど複雑だとも思えなかったけれど……」

「私にもそう思えた。だから不思議だった。だが……もしかすると、あれは此処だけで完結しているものでは無いのかもしれない。発動した瞬間、別の場所でも同様に何かしらの装置が起動した可能性を思い付いた」

「えーと、つまり……」

 装置には何かしらの意味が有る。そうでなければ作る意味が無い。

此処が隠された場所である事を考慮すれば、装置を解除した場合に最も有効的な連動とは何か。察するに、此処の装置が解除された事を知らせる装置ではないか。

仮にそうだとして、装置の先に居るであろう誰か――あるいはシモーヌかもしれないが――は、何かしらの対策を講じるであろうか。

逃げた方が良いだろうか。

「まあ、セラーだけなら、見られて困るものでは無いでしょうけれど」

 セラーだけならば。だが、此処から更なる隠し部屋が在るとするならば、話は別だ。2重に隠している物を暴く事が、どんな災難を運んでくるか分からない。

――と、クラウディアが階段を昇り始めた。

「どうしたの?」

「きっと、ここが……」

 何を感知したのか、ワインの入っている穴の一つを探り始めた。殆ど足元に空いた穴だ。屈んだ瞬間に、クラウディアの下着が見えないものかと馬鹿な事を考えていると、入っていたワインの瓶を渡された。殴られるかと一瞬身構えたが、平静を装って瓶を手に取る。

97年前の物だった。これが飲めるとしたならば、とんでもない値打ち物だろう。

「これで開く……はず」

 穴の上部に手を当てた瞬間、先程よりも遥かに地味な光が一瞬だけ奥の床板に走った。

床板が重い音を立てて、左へとスライドしていく。

「あ、そっちなのね」

奥の見るからに不自然な金属壁では無かった。あれを破壊しても無意味だったという事だ。

開いた床板には梯子がかかっている。穴の底は真っ暗で、何も見えない。

「暗くて何も見えない……」

 少し引いてしまう。恐怖のためではない。嫌な気配が増したのだ。だが、クラウディア同様、少しずつ慣れてきた気がする。

「私が明かりを灯そう」

 クラウディアが右手の人差し指を高速で動かした。氣導術だ。シエラには見えない氣導文字を、宙に描いているのだろう。最後に右手を押すようにすると、描かれた氣導文字が一瞬だけ明滅した。これはシエラにも視認出来た。文字が消失すると同時に、眩いばかりの光球が生まれる。

それを操作し、穴へと落としていく。電灯が付いたかのように明るく、下の様子を明確にした。危険は無さそうだ。少なくとも、生き物の気配は無い。

「しばらくはこれで大丈夫だ」

「便利ね、氣導術って」

「否定はしない」

エルフがどうかは分からないが、氣導術の才能がある者でも習得には時間を要する。便利の一言で片付けられては業腹かもしれないが、持たざる者としては羨ましいスキルと言えた。それは、シエラの持つ異能力でも、同様の事が言えるのだろうが。

この下に何かが有る。祈念広場を作り、聖堂を設え、そして隠された物が。

降りる前に、念のためもう1つ氣導術を発動してもらった。周囲に警戒網を敷くタイプの氣導術だ。クラウディアは渋っていた。どうやら、普通のエルフは弓矢に使用するための氣導術しか習得しないらしい。生活を豊かにするような氣導技術や、より攻撃的だったり援護的な氣導術を使用するエルフは一部らしい。それ以外は簡単なものならば使用出来るが、複雑になっていくとお手上げのようだ。

 ともあれシエラは、クラウディアの感覚に舌を巻いていた。上で彼女が十字架の装置を発見した時もそうだった。

彼女は専門の氣導術士では無いと言った。シエラの知り合いには氣導術士も居るが、氣導装置の存在を察知出来るという話は聞いたことが無い。隠しているとも思えないので、エルフ特有の感覚なのだろう。熟練の氣導術士をも上回る感覚を有しているというのは、種族的な才能に因るものか。

何のかんの言って発動に成功する辺り、やはりエルフは侮れない。精度は期待出来ないと言われたが、異変を察知するための取っ掛りが有れば良いのだ。気休めだ。

それに、シエラも感覚に自信は有るが、エルフの繊細な天然の察知能力には及ばない。エルフの感覚を出し抜く事が出来るのは、エルフだけのように思えた。

下に降りると、円形の空間が広がっていた。聖堂の2倍は有りそうな広い地下室だった。中央には大きく太い柱が立っている。

「う……何だか、臭いわね」

「腐臭のようだ……」

柱を取り囲むようにして、合計11の台座が有る。腰ほどの高さのそれに、棺桶のような石が乗っていた。何となく違和感を覚えたが、それは蓋が無いためか。

それぞれの棺桶にはずた袋のような黒ずんだ何かが置かれていた。それぞれ微妙に形が違う。臭いの事も有るし、死体やミイラでも入っているのかと考えた。だが、物の入ったザックのように置かれているため、違うのかもしれない。何にせよ、良くない何かが入っているのは確かなようだ。

「奥の箱には何も入っていないようだが……」

 クラウディアに指摘されたが、確かにそうだ。あそこに収まるべき何かが有ったのか、それとも初めから無かったのか、

階段に隠していた物がワインならば、此処に有るのはチーズかもしれない。もちろんただの冗談だが、そうだったら気が楽だとも思っていた。

「このずた袋みたいなのは一体……」

「……! シエラ、触るな!」

「え?」

 そのずた袋は突如として動き始めた。

襲いかかられた訳では無い。ただ、陸に打ち上げられた魚のようにのたうち始めたのだ。

それはずた袋などでは無かった。肉の塊だ。

黒ずんだ肉塊から突如として人間の腕が生え出てきて、ペタペタと石棺を叩いた。

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