第8話

「調子はどう?」

旧クロッペンベルクの都市圏内へ入って、シエラは尋ねた。

クラウディアにだ。

時刻は既に正午近く。思った以上に早く到着した。

「昨日のダメージは……」

「問題無い」

 腹部に手をやって、彼女は微笑んだ。

「全快している」

「それは良かった」

 起床時に確認したが、一応の再確認だ。旅の連れとなった者の体調を確認しておいて損は無い。

 クラウディアが随伴を申し出たのは、起床後直ぐの事だった。

人間社会に詳しく無いという理由で、しばらくの同行を願われたのだ。

シエラにとっては面倒を連れて歩くようなものだ。拒否する事も考えたが、放っておくのも躊躇われた。

というのも、昨日の一件もある。怪我をさせた負い目では無い。クラウディアがシエラの背後を取って脅した件だ。出会う人間全てにそのような事を行うつもりは無い――と、昨日は言っていたが、果たしてどうか。放置した事で何かしら事件に発展しても、勿論シエラには関係の無い事ではある。だが、死人が出る事も考えられる。逆に、このエルフが命を落とすような事もだ。それで胸が痛まない程に無関心でも無かった。

詰まるところ、昨日に突き放せなかった理由と同じだ。昨日の時点でこうなる事は決まっていたとも言える。

「当然、礼もする。人間の貨幣に交換するつもりで持ってきたものが有る」

 それならば依頼だ。何でも屋のシエラにとっては、分かりやすい仕事だ。彼女がエルフという面倒を差し引くならば。

 クラウディアが報酬として取り出したのは、半月型のネックレスだった。手のひら大の大きさが有る。何を表しているのかは分からないが、複雑な文様を型どっていた。

勿論、ただのネックレスでは無い。その各所に、合計12の紅い宝石が散りばめられている。一番小さいもので5カラット、大きいもので10カラットは有るだろうか。

エルフも人間と交流を持たない訳では無い――と聞いた事がある。商人から品物を買い付けたり、人間の都市へ降りて物品を購入したりするようだ。その際に、支払いの大抵は宝石で行われると。

「それは……そのネックレスは、エルフが作った物なの?」

「いや……そうかも知れないし、そうじゃないかも知れない。友人が攫われたと聞いて、急いでいたから適当に持ってきたんだ」

「……誰かの許可は?」

「長老の家に有ったのを無断で持ってきた。いけなかっただろうか」

「いや、エルフの財産管理については分からないから、何とも言えないけれど」

 今頃、エルフの村では大変な騒ぎになっていないだろうか。クラウディアが当然のように差し出したのは、人間ならばひと財産だ。つまり、エルフが使用しても、相当数の物品を人間の商人と交換できる事になる。

(クラウディアは分からないと言ったけれど、これを作ったのはエルフでは無いでしょうね)

 このような装飾品は富の象徴だ。必要以上の付加価値を見出すのは金持ちのみである。好んで装着するのは悪趣味とも言える。詰まるところ、自然のままに暮らすエルフにとっては、最も縁遠い物と言えた。人間と取引している以上はある程度の価値を持つのだろうが、取引材料以上の価値は持たないのだ。故に、このような装飾品を作る意味が無い。人間から購入する意味は更に無い。

放棄された人間の都市や街から回収したのだろうか。あるいはもっと以前の遺跡――共和国の前身である王国時代の物か。そうであれば、アンティークとしての価値は如何許りか。

「受け取っては貰えないだろうか」

「ええと……後で人間社会の金銭感覚とか詳しく教えてあげるから、今は大事に保管しておきなさい」

「……? つまり?」

「同行を許すわ」

 それを受け取らなかったのには理由が有る。プロとして働きに見合わない額を貰うわけにはいかない――というのもあるが、受け取ってしまう事で、エルフとの確執が生まれるかもしれないからだ。

どう考えても村において、ネックレスが無価値――あるいは低価値な筈は無い。それその物に価値を見出さなくとも、取引材料として優秀である事は認知していると考えられる。最悪、クラウディアを追うエルフが居るかもしれない。そうだった場合、村の貴重な物品を奪ったと誤解されては大事だ。多数のエルフと人間社会内で戦闘になれば最悪だ。切り抜けられても、州軍に拘束されるだろう。そうなれば、確実に州軍はシエラをエルフに引き渡す。

 今は様子を見て、後々に別の形で報酬を受け取った方が良い。

 クラウディアは礼を述べて、手を差し出してきた。握手というのは、人間だけの習慣では無いのだろうか。あるいは、彼女が人間に合わせてきたのか。

「ところで、同行の期間は?」

 シエラが問うと、クラウディアは少し考えた。

「出来れば、手がかりが見つかるまで」

 その答えに、シエラは眉根を寄せた。

「私の目的が、貴女の目的と合致するとは思えないのだけれど」

「でも、何も手がかりが無いから。シエラは旅をしているんだろう? 付いていけば、何か分かるかもしれないから」

 シエラは肩を竦めた。

「まあ、好きにしなさい」

クラウディアはシエラに捜索を手伝って欲しいと考えているだろうか?  年齢はかなり上のはず。真面目そうだし、しっかりしているようにも見えるが、何処か危なっかしい。何となく面倒を見たくなるタイプだった。かと言って、事が大きくなれば無料で行うつもりが無いのも確かだ。まだ言い出してはいないが、何れ提案が有るかもしれない。そうなればもちろん相応の報酬を貰う事になるだろうが、それを想定出来ては居るのだろうか。

(それも含めて、同行中に教えていけば良いか……)

 そして、そのような事の一部を教えながら、旧クロッペンベルクへと戻ってきたのだった。

魔獣と遭遇しないように駆け足気味だったが、流石はエルフと言った所か。身軽で、気配を消すのに長けている。背後を取られた事も頷ける。

「ここが人間の都市なのか? 壊滅しているように見えるが……」

 都市内へ入って、クラウディアはそのような感想を漏らした。

「ああ、そう言えば話して無かったわね」

 事の次第をクラウディアに説明した。

シエラがあの遺跡を訪れた理由。この都市が壊滅している理由等など。

得心したのだろう。クラウディアは頷いた。

「成る程。ここが例の……」

「例の?」

「いや。今更の話だ」

 エルフの村でも。人間都市が壊滅した話は語り継がれているのかもしれない。何しろ、犠牲者が犠牲者だ。巣の大移動が有った際は、エルフの村も被害を受けたのかもしれない。

「それでは、これから依頼人の所へ向かうのだな」

「そうね。話がややこしくなるから、適当に何処かで待機してくれていると助かるんだけれど」

「こんな場所でか?」

「依頼人は氣導術の使い手でね。エルフ的に言えば、結界を張って魔獣を避けているの。家に入らなくても、結界内部で待機していてくれれば良いから」

 クラウディアは得心したようだ。自身がエルフであり、人間にとっては珍しい存在だという事を理解しているようだ――というよりも、道中、シエラが言い聞かせた効果も出ているのだろうか。もっと警戒心を持てという忠告だった。

魔獣の跋扈する場所で待機していろ――というのは酷な話だ。そんな事はさせない。

此処は街の北東部分に当たる。行きもそうだったが、帰りもまた同じ方面から都市へ入る事になった。北側には魔獣の数が少ない事に着目したのだ。

都市を横断する川で南北に分けるとすれば――都市を占拠する三級魔獣・リーズィヒ・エーバーは、都市の南側へ集中していた。シエラの刺激によって成された、一昨日の件に因る。

とはいえ、北側に魔獣が全く居ない訳でも無い。また、魔獣が群れを成して戻って来ないとも限らない。それに、何にせよ魔獣の一体にでも見つかってしまえば、一昨日のような事が起きないとも限らない。クラウディアならば余裕で対処出来るだろうが、そういう問題でも無い。これ以上の破壊は望ましく無いのだ。

例の研究所は都市の北西方面に存在する。それなのに北東から出入りするのは何故か。それは、数十年前の魔獣襲来時に、北西から侵入された様子だったからだ。都市の北西側は特に被害が大きい事から、そう推察出来た。建物は原形を止めていなかった。詰まるところ、魔獣から隠れて移動するための遮蔽物が存在しなかったのだ。

対照的に、北東側は比較的被害が少ないように見えた。街の南側と比べてもだ。魔獣の流れは北東側を侵さなかったようだ。それでも崩れ落ちている建物は多数存在した。長期間に渡ってエーバーに占拠されていたのだから、無理もない。

ともあれ、北東側から侵入したシエラ達は、シモーヌの家へと注意深く進んでいった。

だが、とある地点まで進んだ時に、

「文字が……」

 クラウディアが呟いた。

「え?」

「氣導文字が流れてきている。あちらの方角から」

 西の方角を指差していた。

 氣導術士は空間に文字を作る。エルフもまた、優れた氣導術士と言われている。故に、シエラには知覚出来ない力の流れを知る事が出来るのだ。氣導術士同士の戦いならば、流れてくる文字からどういった種類の攻撃が成されるかを知る事が出来るという。

逆に、氣導術士以外には直前まで攻撃を悟られる事が無い。

「誰かが……氣導術士が居るということ?」

 その何者かは氣導術を使用しているという事だ。

 シエラの警戒心が喚起される。それがシモーヌならば良いが、そうで無いなら厄介だ。

「いや、違う。何かしらの装置だろう。村の結界と似たものを感じる」

 想起されたのは、シモーヌに作った魔獣避けの結界だった。だが、シモーヌの家にはまだ距離がある。彼女の家は。都市の南側だ。

ならば、このような場所に存在する氣導装置とは何だろうか? 当然、電気は通っていない。自立的に作動する氣導装置という事になる。だが、そのように高レベルな装置を設置する氣導術士が、果たしてこんな廃墟に2人と居るだろうか?

疑問を覚えながらそちらの方向へ足を運ぶと、明らかな空気の変化を感じ取った。覚えがある。最近ではシモーヌの結界……つまり、魔獣避けの結界内に侵入した時の感覚だ。

クラウディアの案内の下、さらに進む。いくつもの路地を経て、辿り着いたのは広場だった。

それほど大きい広場では無い。

「……妙に綺麗ね」

「確かに。周りの廃墟と比べれば、嘘のようだ」

 明らかに整備されている。この場所だけ破壊の影響を受けなかったかのようだ。

(結界が有ったから襲われなかったというよりも、廃墟と化した後に広場が作られた……と考えた方が自然ね)

 元々何かの広場だったのか、それとも周囲同様に廃墟だった場所を整地したのかは分からない。

石畳の地面には傷一つ付いていない。風雨に因る汚れも目立つが、数十年単位で放置されていたようには見えなかった。

広場の大きさは目測で縦70メートル、横30メートル――ウラルで盛んに行われていたアイスホッケーを思い出した。その競技リンク程だ。シエラは興味を覚え無かったが、親友が地元チームのファンだった。

 ともあれ、実際のところは当然ホッケーリンクでは無いだろう。

 祈念広場のように思えた。

モニュメントらしきものが中央に鎮座していたからだ。

中央は3つの段になっていた。それぞれの段は横長の長方形だ。最下段は20平方メートル程度、二段目はその半分、最上段はそのまた半分の面積で、その上にモニュメントが有った。

大きな台座に、開かれた分厚い書物の形。あるいは聖書なのかもしれない。

段の外側には4基の円柱が建てられていた。単なるオブジェなのか、何かしら意味があるのか。魔獣避けの結界がここに埋め込まれているのかもしれない。

モニュメントより更に後方には、小さな建造物が。廟のようにも見える。

一先ず、モニュメントを確認して見ることにした。

何を祈念したものかは予想が付くが――。

しかし、モニュメントまでたどり着いて、

「これは……なんて書いているのかしら」

 シエラは頭を抱えた。シュヴァーベン語は読めないのだった。

だが、

「読もうか?」

 その様に、クラウディアから気軽に提案された。

「え? 読めるの?」

「もちろん」

 流石はエルフと言った所か。

 シエラは様々な国の言語を話すことが出来るが、それは勉学に因るものでは無い。言わば、氣功の作用だった。中央大陸においては、言語のパターンが一定化している。リズムや感覚を理解すれば、会話の習得は難しい事では無い。だが、識字となれば話は別だ。それでも勉強すれば習得は容易いのだろうが、ウラルからの出立が急だったために、間に合わなかったのだ。


『クロッペンベルクを襲った悲劇における、11万5432と11の魂が安らかにあらんことを』


祈念碑にはそのような事が記されているようだった。

広場が災害後に作られたのだから当然と言えるが、同時に妙な話だとも思った。

 場所が問題だ。魔獣の跋扈する場所でこのような工事を行ったのだろうか。ノイエ・クロッペンベルクに有るならば分かるが、此処に有る事は不自然と言えた。こんな場所に祈念碑を作ったところで、誰が祈りを捧げにくるというのか。

結界で魔獣の侵入を防いでいるからと言って、一般人がこんな所まで来れるはずも無い。

結界には別の目的があるのだろう。例えば単純に、この場を荒らされたくなかっただけとか。

シモーヌに聞けば、何か分かるだろうか。

「シエラ……あの建物から、異様な氣導文字が流れてきているんだが…………」

 唐突に言われてクラウディアを見ると、その顔が引きつっていた。

建物――おそらく廟、あるいは聖堂だと思われるが、異様とは一体どういう事だろうか。

「……危険な感じがするという事?」

「いや……近寄りたくない感じだ」

 嫌な物を目にして――例えば、大量の生ゴミとか、死体とか、そういうものに近寄りたくないという忌避感のようなものだろうか。

廟らしき場所。

嫌な感じ。

そのキーワードだけで近寄りたくは無いが、好奇心も有る。

恐る恐る入口まで近寄る。鉄扉に耳を寄せるが、何も聞こえては来ない。

扉に力を込めると、すんなりと開いてしまった。少しだけではあるが、中が覗き見える。何も危険は無さそうではあるが――。

例えば、中に魔獣が潜んでいるならば、シエラにはそれが分かる。魔獣には独特の殺気が有って――遠方で有っても間違える事は無いだろう。

故に、物理的な危険は無いと断言できる。

クラウディアの言う『嫌な感じ』というのも、シエラには感じる事が出来ない。

引き返すべきか、中へ入るべきか。

 振り返ると、硬い表情をしたクラウディアと目があった。こちらに任せると、その目は物語っている。

 意を決して、シエラは扉を開け切った。

廟の内部に足を踏み入れると、そこに有ったのは――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る