第6話

「何も残っていないけれど、ここも倉庫か研究部屋に使っていたのかしら……?」

 廊下の最も奥側、右側の個室を調べ終えて、シエラは嘆息した。これは無駄足だったかもしれない。

取り敢えず、入口に近い順から左右の個室を調べていた。部屋の数は14。今、調べ終えた部屋が13室目だ。

個室を調べて気がついたのだが、元々は居住場所として作られていたようだ。つまり、先史遺跡が作られた何千年か前には、ここに何者かが住んでいたという事だ。それも、価値観にそう違いの無い存在が。

左手の壁面からは、壁から迫り出したベッドのようなものが有る。ベッド近接の壁がくり抜かれているが、棚のようにも見える。反対側の壁には、大きなガラスのようなものが貼り付けられている。窓では無い。ガラスは隣室側に向かって付けられているからだ。では、向こう側が透けているかと言われれば、それも違う。ガラスの向こうは真っ暗だった。向こう側の個室も調べたが、内部は全く同じ作り。元の部屋でガラスが有った壁からは、同じようにベッドが迫り出していた。

先史遺跡の内部構造に疑問を呈していても仕方が無い。真相を知りたい好奇心は有ったが、考えたところで詮無い話だろう。専門学者が何百年も考えて分からない事なのだから。

元は居住区――されど、マールブルク州が研究施設にして以来、異なった用途に用いられていたようだ。物置にしていたのか、研究部屋にしていたのか。ガラスの破片が試験管やフラスコの類だとすれば、研究部屋か。

紙類もどうやら散乱していたらしい。らしい、というのは、焦げた紙片を発見したからだ。どうやら、この施設内部全体が火災に遭ったらしい。大抵の部屋でそうだったからだ。どの部屋でも、何かしらの焦げた物品を見て取れた。ガラスの破片も熱で変形した形跡が有った。それがどのような理由だったのかは分からない。火を発する魔獣のせいかもしれないし、研究内容を隠滅するための措置だったのかもしれない。煤自体は残っていなかった。煤となった場合は、掃除されてしまうのかもしれない。遺跡に働く自浄システムの基準は不明だ。少なくとも、割れたガラスの破片は掃除されていない。

外から持ち込まれた棚、ガラスの破片。それらを掃除してしまえば、この居住施設は直ぐにでも使えるようになるのだろう。何千年前かに存在していた者達の息遣いを感じられるようで、不気味だった。

調べた個室の全てを、倉庫か研究部屋として使用していたようだ。

だから、最後の一室にも期待はしていなかったのだが――。

そこだけは様子が違った。

「……誰かの私室だったみたいね」

もちろん、数十年前に存在した研究者の、だ。ネームプレートは無かった。当然と言えば当然だ。遺跡内部の壁面や扉に手を加える事は出来ないのだから。

このような場所を1人だけ専有していたとすれば、使用者は研究の責任者的な立場に居た者だろう。

部屋の中はこれまでよりも雑然としていた。燃え残った紙片やガラスは無い。金属製の棚がベッドの脇に置かれていた。更にその隣には木製の机が。机の引き出しは開けられ、中身が引きずり出されていた。棚に収まっていただろう小物入れや分厚い書物もまた、床に散乱していた。

火災を免れているのは何故か。不明だが、そうせざるを得ない理由が有ったのだろうか。にも関わらず、内部は引っ掻き回されていた。

散乱している本を確認する。何が書いてあるかは分からない。だが、研究の報告書で無いことは分かる。研究者の私物か、研究の資料か。あるいはただの小説かもしれない。挿絵は無かったが。

 考えても分からないことを考えても仕方が無い。それに、シエラには関係の無い事だった。知りたいのは、部屋の主だった者がシモーヌの祖母であるかどうかだ。それが分からなければ、依頼を果たす事は出来ない。

机の下に、小箱が転がっていた。小物入れのようでもあるが、中身は何だろうか。

箱には鍵がかかっていた。この部屋を荒らした者は、きっと中を改めようとしたが叶わなかったのだろう。放り出したそれが机の下に潜り込んだに違いない。

シエラは遠慮することなく、箱を開いた。氣導技術で強化されていないならば、氣功を修めた者に取って鍵など無意味だ。もしかしたら、数十年前には氣導技術で強化されていたのかもしれない。経年劣化は氣導術を殺す。

箱を開けて、まず目に付いたのは万年筆だった。

世界的に有名なローレライ社の万年筆。あるいは価値ある骨董品かもしれない。

次に、ネックレスと指輪。凝った装飾に赤い宝石。高価な物だろうか。

わざわざ鍵を掛けていたのだから、貴重品入れだったのだろう。だが、誰にでも持ち運べるサイズの箱に、本当に貴重な物を入れておくだろうか。その辺り、持ち主は無頓着だったのかもしれない。こんな場所で盗まれる筈が無いと考えていたのだろう。

万年筆と宝石類の下には、十数枚の写真が有った。

一番上は、研究員の集合写真だった。男女入り混じって、横並びに11名。当時としては珍しいカラー写真だ。とはいえ、現在でもカラー写真は普遍的ではないが。箱の中で上手く保存されていたのだろう。あまり劣化はしていない。

中心に立つ一人を見て、シエラは訝しんだ。

「シモーヌ……? いや、違う。彼女の祖母か」

シモーヌに似ていた。祖母なのだろうから似ていて当然なのだろう。しかし、あまりにも似すぎていた。シモーヌの写真だと言われても疑わない程に。

年齢も同じくらいに見えた。この時点で、既にシモーヌの母を出産していたのだろうか。そうすると、家庭を離れて研究に勤しんでいたわけだ。研究肌の氣導術士には決して珍しく無い話ではある。

裏面を見ると、写真を取った暦と日付が書かれていた。

「72年前か。『クロツベンブルグの悲劇』が起こったのは何時だったかな。…………72年前?」

 違和感を覚えた。

同時に、気がつく。

 日付の下に、小さく氏名が書かれている。

預かっていたスペリングの名前と一致する。

 エレオノーラ・アードルング。間違いは無いようだ。

そうすると、此処こそが目的地だ。最後の最後で当たりを引いた。

シエラは散乱した小物を手当たり次第に収納していった。こういう時に絶大な効果を発揮する異能力だった。

後は帰るだけだ。暗くなる前に帰りたいが、少し休憩してからにするか。

部屋から出ると、左に目をやる。建物の最奥だ。廊下からそのまま直結している。扉も何も無い。

棺桶型の構造物であるため、入口からここまでは徐々に廊下の幅が広くなっていた。最奥は広間のようになっている。

既に目的は果たしたが、少しくらいの寄り道は良いだろう。

部屋の四方には柱が立っている。中央の床は円盤型に盛り上がっていた。その部分だけ金属製だ。意匠も何もない、ただの円盤。どうぞ乗ってくださいと言わんばかりの形状だった。乗った瞬間に何が起こるか知れたものでは無い。取り敢えず無視を決め込む。

「この円盤は先史遺跡の物……で、あれがマールブルク州研究チームのものか」

 入口から見えた黒い物体。焼け残った実験道具だろうか。

 だが、どうもそれは違うらしいと気がついた。

「燃えたのは確かだけれど、ただ燃えたのではないわね……」

 その黒焦げた物体は、ロッキングチェアだった物のように見えた。あるいはもっと異なる形状だったのかもしれないが、椅子であった事には間違いない。それ以外の実験道具は見当たらない。きっと掃除されてしまったのだろう。

ただ燃えたのでは無い。そう考えたのは、座る部分の側面に抉れたような痕が有ったからだ。そして、背もたれの部分が殆ど失われている。爆発が有ったように思える。あるいは、爆発的な力を加えられた後に燃やされたか。

だが、それならば妙な事が有る。どういう原因にせよ爆発が起こったのならば、研究員は此処で死んだはずだ。

しかし、人骨が残っていない。人骨も掃除されてしまっただけだろうか。建物の中に人骨は残っていなかった。建物の外には人骨が3人分。明らかに計算が合わない。

ガラスの破片を思い返すに、全体があれ以下にまで粉々にならなければ掃除はされない筈だ。

あるいは州軍が研究書類を焚書した際に回収したか。ならばシモーヌの母がそれを知らない筈は無いのだが。

「…………?」

 床に何かが落ちている。矢だ。丸みを帯びた三角の鏃が、半分ほど欠けている。

どうしてこんな場所に矢が落ちているのか。州軍の使っていた武器としては、些か時代遅れだ。

その時。

『動くな』

背後――広間の入口近くから女性の声が。同時に、鋭い殺気を当てられた。

シュヴァーベン語では無い。もっと別の言語だ。ウラルに居た頃、聞いた覚えが有る。

(エルフ語か……?)

 ならば、背後に居るのはエルフなのだろう。森の奥地に住む、人間と酷似した姿を持つ希少種だ。長命で耳が長く、驚く程の美形揃い。知能も人間より高いと聞く。

こんな場所にエルフの居る理由が分からない。彼らは深い森の奥地に結界を張って暮らしている。この先史遺跡も森の奥地に有る。彼らの住処が近くに有るのだろうか。そうだとして、わざわざ向こうから接触してくる意味が分からない。本来、エルフは人間を避けるのだから。

『お前に聞きたい事がある。妙な動きはするな。もし動けば……』

 エルフの言葉を遮って、シエラは、

『エルフ語は……あー、分からない。シュヴァーベン語で話せ』

 このような事を言った――ような気がする。

分からないのは実際分からない。エルフの言葉も殆ど聞き取れなかった。だが、単語を組み合わせて簡単な意思を伝えるくらいならば、シエラにも出来る。だが、果たして本当に伝わっているかどうか。

「動くな。お前に聞きたい事が有る。動けば射る」

 伝わっていたようだ。

そして、予想はしていたが、やはり矢で狙われているようだ。弓矢はエルフの基本武器。それのみに特化した戦闘術、氣導術は、決して侮れるものでは無い――と師匠が言っていた。

矢――ならば、拾った矢はこのエルフの物だろうか。

シエラは思考した。

エルフの矢は人間のそれより早い。エルフ独自の氣導術は弓矢に施されており、その性能を格段に向上させる。練度により異なるが、達者ならば銃弾よりも早い。そしてその精度は抜群だった。1km離れた対象に的中させる巧者も居るという。

このエルフはどうか。

 シエラが避けきれない速度で矢を放つか。

刺すように鋭い殺気だったが、圧迫感は無い。足を止める重さが無いのだ。戦闘経験に乏しいのだろう。エルフ語で話しかけてきた事もそうだ。人間相手にエルフ語で話しかけて、まさか理解出来ると思った訳ではあるまい。なのに、そうした。このエルフは動転しているのではないか。戦闘というものに対して、過度の恐れを抱いているのでは?

シエラは無造作に振り向いた。

「…………っ! 動くなと言っただろう!」

「ああ、ごめんなさい。でも、会話するんだから、顔くらいみたいじゃない?」

過剰に落ち着いた様子を演出しながら、シエラは答えた。

 射られないだろうという確信が有った。断定は出来ないが、分の悪い賭けでは無いと思った。

動けば矢を射る――という事は、態度次第ではこちらを殺すという事だ。そして、相手の動きを縛った上で尋問したいと考えている。

妙だと感じた。そうしたいならば、背後から動きを牽制する前に、足でも射れば良かったのだ。命を奪う覚悟が出来ているのに、傷つけたくないというのは如何にも矛盾している。こういった事に慣れていないのだろう。

「で、何が聞きたいのかしら?」

「…………随分な余裕じゃないか。私の矢は、何時でもお前を貫けるぞ」

 収束した殺気が、胸の辺りに叩きつけられる。確実に心臓を射るという威嚇だ。だが、やはり重さは無い。

 エルフの顔を見て、シエラは息を呑んだ。

声で分かってはいたが、やはり女性だ。

美形と聞いてはいたが、まさかこれ程とは。これまでに見た、どんな女性よりも美しいと感じた。輝くようなロングの金髪、切れ長の瞳。スラリと伸びた肢体は芸術のようですらあった。見蕩れるとは、このような時に使う言葉なのだと知った。

外見上は歳若い。シエラより歳下に見える。だが、エルフは長命だ。歳を取る速度は人間の5分の1と言われている。ならば、遥かに歳上なのだろう。

胸元の開いたドレスワンピースを着用していた。首にはネックレスが。パーティーに参列する貴婦人にしか見えない。あまりにも場違いな格好だが、あれは防具として機能するだろう。着用物は肉体と共に、氣功の力で強化される。その上、エルフの氣導技術を用いれば、対防性能を備えた高性能の防具となる。軽い動きを持ち味とするエルフに取って、動きづらい鎧は装備するだけ無駄だ。それはシエラも同じだったが。

「そんな怖い顔しないでよ。でも、怖い顔でも綺麗なのね」

 言葉と同時に、手を軽く振る。シエラの手には、何時の間にか剣が握られていた。

「…………!? 何をした!」

 驚愕に眼を見開いて、エルフは身体を強ばらせた。

矢が飛んでくる気配は無い。

「2度……」

「え?」

「攻撃するタイミングは2度有った。1度目は私が振り向いた時。2度目は今。でも、あなたはどちらのタイミングも逸した。何故かしらね」

「…………」

「思うに、あなたは戦闘経験に乏しい。いえ、無いのかも。狩猟の経験は有っても、自分と同じよう形をした対象を攻撃した事がないのね。だから躊躇った」

 人間とエルフは似ている。その実はともあれ、少なくとも外見上は。だから恐ろしい。傷つける事が恐ろしい。傷つけられる事が恐ろしい。自分と同じ形をしたものが、敵意を持っている事が恐ろしい。

そして、殺害の恐怖。シエラにも覚えが有る。初めて人間を攻撃した時の恐怖を。攻撃される恐怖を。

「それがなんだって……動かないで!」

 無造作な動き。踏み出した一歩に、警告が飛ぶ。

「また逃した。3度目よ。ここまでタイミングを逃すようなら、止めておいた方が良い。追わないわよ。見逃してあげる」

「ふざけ……」

シエラは思い切り踏み込んだ。

それに合わせて、エルフが矢を放つ。しかしそれは、彼女自身が狙ったタイミングでは無かった。シエラはそれを狙ったのだ。挑発して虚を付けば、必ずそのようになる。発射タイミングを操作出来れば、直線的な矢など容易く避けられる。

シエラは弓なりに跳躍していた。20数メートルの距離を一瞬で詰めて、エルフの頭上まで跳んでいた。同時に、放たれた矢が黒焦げのロッキングチェアを抉り、壁面に追突した。チェアを抉った事で軌道がずれ、あらぬ方向へ跳ね返る。

「重剣……」

氣功の剣を振り下ろす。弓を狙った一撃だ。

エルフは後ろへ跳んだ。剣に宿った氣の量から、紙一重で避ける危うさを悟ったか。だが、結果的に紙一重と大差無い。

 剣が床を打つ瞬間、持つ手を緩める。

剣は床を強く打った。

鼓膜が破裂しそうな程に高い音が響いた。直後、鐘をその内側で鳴らしたような低い音が身体を震わせる。

 エネルギーは音と共に衝撃を産む。暴風吹き荒れる集中豪雨のように、堆積した埃が渦を巻きながら上下左右の壁面に叩きつけられる。

だが、先史遺跡は壊れない。床には傷一つ付かなかった。

衝撃は強く腕へと返る。

衝撃の瞬間に持つ手を緩めたため、取り逃しそうな程に柄が暴れる。しっかりと握り直し、剣を振り上げて肩を回した。勢いで腕が後ろへと引っ張られるが、その体制のまま追撃へ。

「…………ッ!」

声にならない叫びを上げて、エルフは更に大きく後ろへと跳ぶ。跳びながら、弓を引き絞り――。

だが、遅い。

 後ろ向きで跳ぶより、前へ跳ぶ方が速い。道理だ。

シエラは既に懐へと入り込んでいた。

接近した勢いそのままに、剣を振り上げる。

フェイントだ。

エルフは腕を咄嗟に上げた。剣を生身で受け止めようとしたか。その腹に、突き出した左足を叩き込む。身体をくの字に曲げて、砲弾のように吹き飛んだ。

 それと同時に、シエラも跳躍していた。

廊下を一直線――最終点には入口がある。扉は自動で開くとはいえ、この速度では開ききる前に激突するだろう。

 数十メートル吹き飛んだエルフに追いつき、襟を掴んで急制動をかける。靴底から一直線に火花が立ち昇った。

止まったのは入口の手前だ。

自動扉がゆっくりと開いた。

地面に組み敷いて、首筋近くを狙って剣を振り上げる。

「…………!」

エルフは眼を細めて――。

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