第5話

旧クロッペンベルクはシュヴァーベン北部・マールブルク州の中西部に存在する。そこから西は魔獣の巣・中心部へと近づことになる。同時に、その方面には森林と湿地帯が広がってもいた。シュヴァーベン北部にはこのような地帯が多い。

旧クロッペンベルクから北西へ20数km。

深い森林の奥地に、それは有った。

「ここか……」

 シエラの目前には、1つの精巧な建築物が在った。あまり大きさは無い。高さも、横にも。奥行だけはそこそこ有る。その形状は直方体の箱……もしくは棺桶のようでもあった。

ただ、棺桶の外側、四方から不思議な柱が天に向かって伸びていた。巨大とも言える柱だ。縦横自体はそうでも無いが、高さが飛び抜けている。数百メートルはあろうか。信じられない程の高さを持った構造物だった。その柱に入口は無い。柱が何のために存在するのか、それが不明だった。

それを言えば、建物本体の存在もそうなのだが。

それは遺跡だった。恐らくは何千年も前から其処に在る、遺跡。

 汚れも無ければ劣化も無い。何の材質で出来ているのか、誰が何をしても傷一つ付ける事が出来ない。

どのように建てられ、どのように滅んだのか。建てられたばかりのような状態を保つこれらを、滅んだと表現して良いのか。存在自体が謎の遺跡。各国の歴史文書にこれら遺跡を建造した文明の記述は無い。だが、このような遺跡は世界中に認められている。未だ発見されていないものも有るのだろう。

このような遺跡を先史遺跡と呼んでいる。旧クロッペンベルクのような青史遺跡とは分けて考えられているものだ。青史遺跡は人類の歴史を辿れば、その出自を知る事が出来る。建築方法や素材、それに伴う氣導技術は年代に相応だ。だが、先史遺跡は年代に不相応。有史以前から其処にある事は明白なのに、驚く程に精巧かつ強靭、解析不可能な建造物なのだ。

その建造に神の名を持ち出す者も居る。基本的には人類が文明を持つ以前に繁栄した何かの仕業、という事になっている。別の人類か、もっと別の何かか。

ともあれ、シエラは其処に居た。

それはシモーヌからの依頼に因る。シエラは、昨夜の会話を思い出していた。



   ※  ※



「頼みたい事、ですか?」

「ここから北西へ進むと大きな森が有って、その中に先史遺跡が有るの」

「ちょっと待って下さい。それは聞けば必ず引き受けなければならない類の話ですか?」

 シエラが制すると、シモーヌは苦笑した。

「慎重なのね。私と出会ってからも、ずっと警戒してる」

「いけませんか?」

「いえ、似ている人を知っているわ。……信用しろとは言わないけれど、別に敵意は無いわよ」

「知っています」

 チーズとハムで簡単なサンドイッチを作り、それを食べながらシエラは言った。

「まだ信用はしていませんが、食事を頂くくらいには警戒心を解いていますよ」

「……そうね。まあ、安心して。話を聞いて、引き受けるつもりが無ければそれで良いのよ。ただの雑談として聞き流して貰って構わないわ」

 シモーヌは口を酒で濡らした。

「報酬も出すわよ」

「報酬……いくらくらいです?」

「150マーク程度しか出せないのだけれど……やっぱり少ないかしら?」

「150…………」

 ウラルから渡航する前に調べた物価や金銭価値から考えると、大体一ヶ月は宿に困らない額だろうか。その辺りの価値観をまだ把握しきれていなかったが、悪く無い金額だと思われた。

一度の依頼でそれ程の金額――如何にも高額ではあるが、回収業の相場から考えれば格安と言える。かかる人件費から考えれば、本来は数倍してもおかしくない。シエラが悪く無い金額だと考えるのは、彼女の信念に因る――というのも有るが、身体一つで回収業を実行出来るという理由も大きい。

だが、問題は依頼の内容だ。割に合わない依頼ならば、当然受ける意味が無い。

「依頼の内容は?」

「先史遺跡の中に、とある氣導術の研究施設が有ったのよね。数十年前の話よ。旧クロッペンベルクを襲った悲劇の時代に放棄されたらしいわ。その中に有る筈の遺品を持ち帰ってもらいたいの」

 それはシエラにとって本業とも言えた。

「先史遺跡の中に研究施設? 妙な話しですね」

「私も詳しい事は知らないのよ。研究の内容も。ただ、祖母がそこで働いていたって」

「お祖母様は氣導術の研究者だったのですか。氣導術の才能は遺伝するものでは無いと思っていましたが……血筋でしょうかね」

 すると、彼女はなぜか悄然と笑った。

「……そうね。ええ、きっとそうよ」

「そのお祖母様は……」

「魔獣の襲撃にあって亡くなったらしいわ」

 シエラが何とも言えない顔をすると、

「ああ、当時としては有り触れた話だから、気にしないで」

 その通りなのだろう。10万人に及ぶ死亡者が出たのだから、そうした悲劇の中の1つに過ぎない。シモーヌとしても、会った事の無い祖母に感情移入は出来ないのかもしれない。

「母がこの頃、遺品を回収出来なかった事を気にし出してね。娘としては、遺品の1つくらい渡して上げたいの。それと、遺骨とか」

 何とも孝行心の強いことだと、シエラは思った。

「それならば、御自身で取りにいってもよろしいのでは? あなたもかなりの実力者だと思ったのですが」

「それは過大評価よ。私の実力なんて、たかが知れているわ。それに、最近は身体の調子が悪くてね」

本人がそういうならば、真相はどうあれそうなのだろう。それに、人に頼む事で要らぬ危険を冒さずに済むならば、当然その方が良いのは確かだ。例え実力が高くても。

「北西へ、どれくらいですか?」

 言うと、シモーヌは地図を出してきた。本に閉じられた、クロッペンベルクの地図だ。かなり年季が入っているが、まあ地形が変わるわけでも無いから問題は無いだろう。

 シモーヌはざっくりと位置を示しただけだった。シエラはそれに難色を示す。道中の道が整備されているわけでは無い、森林の中にある建造物をどうやって探せと言うのか。道が整備されていないまでも、往来の痕跡が残っていれば、それを辿る事は出来る。だが、数十年前の話だ。それは期待出来ない。先史遺跡の発見を込みにしている依頼ならば、はっきり言って割に合わない。

だがシモーヌは、遠目にも分かるから問題ないと言った。妙に自信満々だった。

「しかし、ここよりも魔獣の巣の中心に近い。何も無いかもしれませんよ? 遺骨だって、誰が誰のものかだなんて、判断出来ないですし。それに、地図に記された廃墟から遺品を回収……というならまだしも、研究所だと、どれが誰の物かも判別できませんよ」

「何も無いなら、それで構わないわよ。遺骨だって、まあ本気で言った訳でも無いから」

 シモーヌは眼を細めた。

「何も無いなら無いって分かるだけで、まあ、ね……」

 遺品は持ち出せそうな物を持ち出してくれれば良いと、シモーヌは言った。誰の物か分からなくても、後で母親に鑑定してもらうと。別人の物ならば、市や州に預ければ良い。

後は――例えば居住場所等に個室が有って、ネームプレートが残っている事に賭けようという話になった。仮に有ったとしても、シエラに文字を読む事は出来ない。シュヴァーベン語を勉強した際に会話は習得出来たが、読み書きは不得手だった。全く出来ない訳では無いが、不安だ。なので、名前をスペリングした紙を貰った。

シエラは依頼を受ける事にした。

金銭の報酬以外に、とある条件付きで。シモーヌはそれを快く了承してくれた。

放棄された建造物から金品を漁るよりも、自分の中に僅か残った誇りを損なわないで済むだろう。



   ※  ※



 それから早朝にシモーヌの家を出て、昼過ぎにたどり着いた。

 シモーヌが自信満々だった理由は直ぐに知れた。かなり遠目からでも、強烈に高い柱の存在が目に付いたからだ。

遺跡入口の前に、建造物の残骸を発見した。爆弾でも投下されたかのように、中心部分の地面がえぐれている。建物の基礎が辛うじて残っているため、恐らくはここに建造物が有ったのだろうと判断出来た。

バラバラになった人骨が2体分――かもしれない。頭蓋骨が2つ有ったからだ。此処で死んだ人間はもっと多いのかもしれないが、断定出来ない。

ここは居住施設だったのだろうか? だとすれば、もうここから何を発見出来るものだろうか。シモーヌの祖母の遺品もだ。爆発の衝撃で全て吹き飛んでしまっただろう。

念の為に周囲を散策してみると、壊れた時計や金属製の食器等が幾つか見つかった。湿った地面の上に転がっていたため、腐食が激しい。個人の私物らしき物を、一応回収しておく。

木の下に人骨が一体。しわくちゃになって色あせた軍用ブーツとベルト。元は小銃だったらしき物体。研究員では無く、州軍だろう。氣導術の研究施設ならば、州が関わって当然だ。このような遺体はその辺りに転がっているかもしれない。

腐食した物や廃墟を見ていると、先史遺跡の異常性がより際立ってくる。

「誰にも破壊出来ない、か」

 我、力に自信有り。故に破壊を試みる。

などと、馬鹿な事を考えている訳ではない。

 昔を思い出して、右腕に痛みを覚えた――ような気がしたのだ。もちろん気のせいだ。実際のところ、痛みは無い。どちらかというと、心の痛みだ。

故国での修行時代、師匠から言われたのだ。何かの機会に、先史遺跡の近くを訪れた時だったか。

『この建物に傷一つでも付ける事が出来たら、明日から毎日ケーキを作ってやる』

 とかなんとか、そんな内容だったような覚えがある。

師匠はお菓子作りが上手く、シエラにとっては楽しみの1つだった。稀にしか作ってくれない事も有って、それは貴重な機会だったとも言える。

 当時14歳だったシエラは、当然その言葉に跳びついた。隠れ住んでいたために、嗜好品の類は手に入れづらかったのだ。そもそも師匠の栄養管理が厳しくて、甘いものは中々食べられなかった。そんな中での師匠の言葉、跳びついたからと言って誰に責められよう。

師匠にしてみれば、軽い気持ちだったのだろう。先史遺跡の性質を身体に教え込もうとかなんとか、そういうもの。彼女はシエラに生き抜く術を教えると共に、教養も与えた。

師匠にとって予想外だったのは、シエラが発揮したやる気。

こんな建物に傷を付けるなど、素手でも十分可能。

そう判断して、シエラは全力で建物を殴りつけた。先史遺跡は絶対に傷一つ付けられない。それを知らなかったために。

結果、手首と肘が折れた。

手首の方は開放骨折だった。

師匠のドン引きした目つきを未だに忘れられない。ともあれ、治るまで毎日ケーキを作ってくれたから、嫌な思い出ばかりという訳でもないのだが。思い出すと頭を抱えて転げ回りたくなるような記憶だった。

もう二度とやらない。当時より遥かに力を付けた今であっても、それは変わらない。力を付けたからこそ、もっと酷い事になるかもしれない。

それに、むやみに音を出すのは避けたい。

この遺跡は旧クロッペンベルクから20数km北西。その分、魔獣の巣の中央へと近づいている。巣は中央部へ進むほど、生息する魔獣のレベルが高い。

2級丙種は当然のこと、乙種、運が悪ければ甲種と遭遇する危険性も高い。3級と2級の違いは歴然としている。2級以上は、様々な自然現象を起こす種族も出てくる。火を噴いたり、電気を起こしたりといった、そういうこと。氣導術のようでもあるが、実際のところは良く分かっていない。

魔獣としての強度が高く成る程、個としての意識が高くなる傾向にある。そもそも、個体数が少ないのだ。

仮に2級と遭遇しても、エーバーの群れが遺跡を蹂躙したような事にはなるまい。もっと少ない個体数で群れを形成するか、そもそも単体で行動しているか。しかし、それらを考慮しても、危険度は2級の方が高い。

振る舞いには十分注意しなければ。

「取り敢えず、中へ入るか」

 居住施設がこれだけとは限らない。遺跡内部で寝泊まりしていた者も居たかもしれないし、シモーヌの祖母がそうならば幸運だ。

そうでなかったとしても、中に入りたい好奇心が有った。

 先史遺跡にも様々なタイプが有って、中へ入れるものと入れないものが有る。この遺跡がどちらのタイプかなど、考えるまでもないが。研究施設として使用されていたのだから、入れるに決まっている。

これまでに、シエラは先史遺跡へ2度訪れた事がある。1度目は故国で、2度目はウラル共和国で。故国では中へ入れなかった。ウラルは中へ入ったが、特に何が有るわけでも無かった。不思議な構造物という事は分かったが、それだけだ。驚くような宝は無く、恐ろしい魔獣も居ない。何かが祀られている様子も無い。部屋が多く存在したため、あるいはただの居住区だったのかもしれない。

此処もあるいはそうなのだろうか。

入口は透明なガラスだった。旧クロッペンベルクでみたような、変色しきったガラスでは無い。新品同然だ。とはいえ、向こう側に明かりが無いため、内側がどうなっているかは殆ど分からない。

その前に立つと、自動で扉が両側へとスライドした。自動ドアだ。

それ自体は珍しい事では無い。未だ一般的に普及はしていないが、蒸気機関車や飛行船、高層ビルやホテルのエレベーター、軍事施設の様々な箇所で実用化されている。ただ、建物の入口が自動――となると、珍しいと言わざるを得ない。また、近づいただけで開く意味が分からないし、静音性の面でも驚異的だった。シエラも自動ドアの仕組みを全く理解していないので、技術的な面で驚いている訳ではない。現象として現れたそれらは、十分驚きに値するのだ。

ウラルの遺跡に入った時もそうだったが、何度目でも驚いてしまう。

次に起こる事も大体分かる。

中へ足を踏み入れると、遺跡内部で一斉に電気が付いた。天井から照らされている事は分かるのだが、照明の元が見えない。誰かが居るとは思えないので、これも自動なのだろう。初めてこれに遭遇した時は、無駄に警戒してしまったものだ。

天井、床、壁面は全て同じ材質のように感じたが、何で出来ているかは不明だった。灰がかった色合いで、酷く無機質な印象を受ける。

床上は当然のように埃がかっていた。だが、数十年分の埃という訳でも無い。せいぜいが数ヶ月とか、そんなものだろう。思えば、建物表面の汚れもそうだ。勝手に汚れが落ちているとしか思えない。ウラルの遺跡でも、何千年も放置されてきたとは思えない綺麗さだった。毎日磨き上げても、ここまで綺麗な状態では保存されないだろう。

内部に魔獣の気配は無い。その事に胸をなで下ろす。入口に鍵がかかっていない事はシエラに取っての利点でも有ったが、そのために魔獣が此処へ入り込む可能性は幾らでも有る。根城にされていない事は回収業にとっても幸運と言えた。

廊下は一直線に向こう側まで続いている。長い廊下だ。入口から建物の奥まで、一本の線で出来ている。廊下の左右には等間隔に扉が有る。何かしらの個室だろうか。建物の形状に相応しい、清々しいまでに単純な作りだ。

 建物の一番奥に、黒い影が見えた。かなりの遠方ではあるが、シエラには明確に見える。黒い影というよりも、黒い物体そのものだった。

あれはどうしてそのような事になってしまったのか?

一番手前の個室を開けて、シエラは得心した。

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