第4話

 紅茶色のロングヘアー、身長は平均より高め。少し目尻の下がった美しい女性だった。歳の頃はシエラよりも、やや上か。

 襟を深く刳ったブラウス、前開きのボディス、踝に届きそうなくらいに長いスカート、ややくすんだ浅青色のスカート……この国の伝統的な衣装だと、知り合いが言っていた。首都や州都でも良く見かけた。

「待っていた? どういう事よ」

 咄嗟に身体を半身にして、女性に剣の切っ先を向ける。

警戒を怠らずにシエラが問うと、女性はむしろ気楽に答えた。

「いやね、一日に一度は氣導術で周囲を探査するのよ。魔獣の動きを知りたくて。ほら、こんな所に住んでいるから。昼間に探ったら、どうもこんな廃墟に人が紛れ込んでいる。それも、とても強そう。待っていれば、もしかしたら此処を見つけるかも……ってね」

「……昼間に感じた気配は、ただの気のせいかもしれないと思った。待っていたなら、悪かったわね」

 女性からは余裕を感じられた。それも圧倒的な余裕だ。自身が氣導術士で有ることも簡単に明かした。余裕の正体は何だろうか。何時でもこちらの動きを封じられるという確信か。氣導術による罠を仕掛けたか。

いつ何が起こっても良いように、全身に緊張を漲らせる。

「いいわよ。1度目を正確に察知されていたら、私もいよいよ終わりだし。2度目はあなたが気付き易いように緩めた」

「どうして?」

「魔獣が滅多に無いほど騒がしかったから。もしかしたら、寝る所に困るんじゃないかと思って」

 シエラは眉を顰めた。

「……そのために私をここへ招いたと?」

 女性は嬉しそうに腕を開いた。

「久しぶりのお客さんだから。歓迎するわよ」

 少し間を空けて、シエラは構えを解いた。敵意は感じない。殺気を飛ばしても、何のリアクションも返っては来なかった。

本当に害意は無いのか。一応の警戒は必要だろうが――。

「分かりました。心遣い感謝します」

 半身にしたままの身体で、剣を収める仕草をする。左手には一瞬で鞘が現れている。身体を半身にしたのはこのためだ。初めから鞘が有ったかのように錯覚してくれていれば良いが。

剣を納めて、腰のベルトに掛けた。

 落ち着いた雰囲気を持つ女性だと思った。大人しそうという訳では無く、落ち着いている。シエラは己の師匠を思い出していた。あちらはもっと暴力的だったが。

圧倒的な余裕も、あるいは性格か。

こんな所に住んでいて、戦闘技術を持たないとは考えづらい。最低でもエーバーよりは強いに違いない。性格も有るのだろうが、彼女にはこちらの動きを止められる自信が有ったと考えるべきだろう。

「付いてきて」

 女性に促されて、路地を歩き始めた。あっさりと背後を見せるのは、こちらの油断を誘うためだろうか。いや、流石に回りくどいし、今更だ。そんな事をせずとも奇襲は出来た。

「私はシモーヌ・ブラウンよ。シモーヌと呼んでちょうだい。あなたの名前は?」

「グラシエラ・モンドラゴン……シエラと呼んでください」

「モンドラゴン?」

 女性は眉を顰めた。

「……なにか?」

「ああ、いえ、名前からして、ヒスパニアの方なのね。見た目からしてシュヴァーベン人で無い事は分かったけれど」

「よくお分かりですね。ヒスパニアへは?」

「昔、少しね」

 女性は懐かしむように目を細めた。それに対して、シエラは違和感を覚える。

 ともあれ、シエラは手を差し出した。

「よろしく、シモーヌ」

「こちらこそ、シエラ」

交わした握手からは、見掛けに拠らない感触。がっしりとした手応え。

少し歩くと、シモーヌの拠点へたどり着いた。この都市ではよく見かけたタイプの、2階建てのテラスハウスだ。家と呼ぶにはあまりにも荒廃していたが。

 同区画にある他の廃屋群と同じような劣化具合だ。とても人が住めるようには見えない。辛うじて屋根や窓ガラスが抜けていないのは、先ほどシエラが選んだ住居と同じか。

だが、注意深く観察すると、所々修繕はされているようにも思える。窓ガラスも劣化していない。住むには困らない程度の修繕しか施して居ないという事か。当たり前だが、定住はしていないのだろう。

その考えは一瞬で吹き飛んだ。

目の錯覚を疑った。

「…………」

屋内は至って普通だったからだ。普通というのはつまり、有り触れた内装という事だ。床も壁も天井も、家具も暖炉もキッチンも、全てが使用に十分耐えうる。清掃も行き届いているようで、非常な清潔感を覚えた。内装自体は特別に驚くべき事では無いが、周囲の状況を考えれば十分驚きに値した。

(外面の廃屋は偽装か……?)

 明らかにここへ定住している雰囲気だ。それも、仮に廃屋を偽装しているとすれば、それは隠れ住んでいる事を意味する。詮索するつもりは無いが、如何にも怪しい。

何時から此処に住んでいるのか、それは定かでは無い。内部を完璧に修繕しつつ廃屋を偽装するなど、並大抵の労力では無い。ましてや、この廃都市は魔獣の闊歩する危険地帯なのだから。

「どうぞ、遠慮なく」

 促されるままに足を踏み入れようとしたが、躊躇してしまった。

「……どうしたの?」

「ああ、いえ。この間までウラルに居たので。あちらでは家の中で靴を脱いじゃうんです。玄関扉の前に靴を脱ぐスペースが有って……」

 廃屋では気にならなかったが、整えられた空間ではそうもいかない。

「ああ、そういう国も有るらしいわね。覚えが有るわ。文化の違いかしら」

 シモーヌは笑った。

「ここでは気にしないで」

故郷では土足だったが、4年もウラルに居たのだ。気にするなと言われても無理な相談だった。だが、その違和感にも直ぐ慣れるのだろう。ウラルへ移ったばかりの頃は、靴を脱ぐ事こそ居心地が悪かった。

カーペットの上を土足。やはり落ち着かない。

玄関扉の直ぐ右手にはキッチン。その背後には半地下と2階への階段が上下に伸びている。

リビングの中央にはダイニングテーブルがあり、そこの椅子に座るよう促される。奥には暖炉があって、その前にはロッキングチェアが。暖炉の右手には裏庭への扉が有った。

シモーヌはサモワールに炎石(氣導技術で作られた火の出る石)をセットして、お湯を沸かしていた。

「コーヒーで良かった?」

 やがて、良い香りがリビングを包み始める。こんな場所に定住しているのだから、どんなものを出されるのか。身構えたが、出されたコーヒーにも劣化はみられない。

「品質は保証するから、ここの家にある物でお腹を壊したりする事は無いわよ」

「はあ…………」

シモーヌの言葉に、つい生返事で答えてしまう。毒が入っていないかを警戒しているだけなのだが。

(毒……毒、ね…………)

 氣功を修めた者に、毒の類は聞き難い。シモーヌもそれを知らぬ訳でもあるまい。

それでも過剰に警戒してしまうのは、単純な性分だった。

「砂糖は?」

「いただきます」

物資の調達はどうしているのか。

隠れ住んでいるようにも思えるが。

色々と聞きたい事は有るが、質問には慎重にならねばならない。

魔獣の巣内部への侵入は州の許可が必要となる。それは法で定められている。物理的に言うなれば、州軍の魔獣警戒線を突破せねばならない。不法侵入は困難だ。

シエラが許可を得る事が出来たのには様々な理由が有るが、普通は許可など降りない。危険だからだ。ましてや魔獣の巣内部での居住など認められる筈が無い。

もちろん命知らずの者、無頼の者等には関係の無い事だろう。だが、州軍の問題や魔獣の脅威を排しても、生活の問題はクリア出来ない。孤立した場所での生活は困難を極める。

詰まるところ、物資の調達が必要となる。隠れ住んでいるように見えるシモーヌに、それが簡単だとは思えない。

その辺りの事柄に対して質問する事は、シモーヌと敵対する事になりかねない。あちらから話題にしない限り、知らぬふりをしているのが無難だろう。

 コーヒーを口にしたところで、シモーヌが口を開いた。

「夕食は済ませたのかしら」

「いえ、まだです」

「なら、準備するから少し待っていてね」

有難い申し出なので、謹んで受ける事にした。

シモーヌは地下室へ降り、食材を手に戻ってきた。

 夕食は、シュヴァーベンで極一般的なスタイルのものだった。黒パン、ソーセージにチーズ、シュマルツ、バター、そしてワイン……あっという間に出来上がってしまった。この国の朝食と夕食は大抵こんなものだった。暖かい物は作らない。故郷やウラルではこのようなスタイルでは無かったため、凄まじい違和感を覚えてしまっている。

(まあ、野宿すれば携帯食料とか野生動物の肉とかなんだけれどね)

 それに比べれば、遥かに文化的な食事だ。味も良い。

 お祈りを簡単に済ませ、食事が始まった。シモーヌは恐らく神に。シエラは食材に対して。

一応、シモーヌが食べてから手を付けた。

黒パンにバターを塗り、一口噛んだ所で少し驚く。パンは硬くなっておらず、バターも劣化していない。シモーヌの言葉通りだ。パンは自家製だろうか。キッチンに釜は有った。しかし、バターはどうだろうか。敷地内に乳牛を飼うようなスペースは無かったはずだが。保存状態が良いのは、地下室がしっかりと造られているからか。

だが、妙な点も有った。

「バターが冷たい……ような気がするんですが。ソーセージやチーズも」

「冷蔵していたからよ。保存に便利でしょう?」

「冷蔵箱? こんな場所でどうやって氷を手に入れるんですか?」

 周囲数十kmには民家どころか人も居ない。製氷工場も無ければ、天然氷が出来る場所も無い。まだ『電気式の冷蔵庫が設置されている』と言われた方が信じられたかもしれない。設置されていれば、家へ入った瞬間に音で分かっただろうけれども。それに、あんな高価な物は業者や金持ちの家に限定される。そもそも電気など何処で作っているというのだ。

質問して、シエラは内心で失策を認めた。そのような事を聞くべきでは無いと結論づけたばかりなのに。ただ、あまりにも予想外だったために、つい口が動いてしまったのだった。

だが、

「冷蔵箱じゃないわ。地下室よ。一部を区切って、氣導技術で冷やしてあるから」

 シモーヌは気楽に答えた。

「地下室を」

 それはつまり、大きな電気式の冷蔵庫を氣導技術だけで再現したという事か。

 何と答えれば良いのか分からず、絶句してしまった。電気も氷も使えないなら、氣導術を使えば良い――というのは如何にも氣導術士の発想だ。しかし、氣導術というものはそんなに容易いものでも無かったはずだ。何でも出来るという訳ではない。

「私は氣導術に詳しく無いんですが……そんな事が可能なのですか?」

「不可能では無いわよ。不可能では無いから、そこを何とかするのが腕の見せ所よ。氣導術で電気を際限して冷蔵庫を起動させるより、氣導術で冷気を再現して地下室を冷やしたほうが、冷蔵庫に接続させる手間がかからなくて楽だしね」

 そんな事が気軽に可能ならば、氷室や冷蔵箱は歴史上に登場しなかったに違いない。

 言いたいことは分かるが、一定の温度を保ち続けるという氣導技術は、如何にも難易度が高そうだった。

だから、その全容をシエラが理解する事は無い。

氣導術とは才能だからだ。

氣導術士は空間に文字を視る。常人とは視ている世界が違うのだ。比喩では無く、物理的に異なっている。

空間に氣で文字を描き、現象を起こす。これを氣導術と呼ぶ。

氣を用いて文字を描き、描いた文字で氣を導く。氣でもって導かれた文字は、内容の通りに現象を引き起こす。火と描かれれば火を起こし、水と描かれれば水を起こす。

勿論、実際にはそこまで単純では無い。火と描いただけならば、火は一瞬で消える。火を持続したければその文面を描く必要が有るし、操りたければそのように描く必要が有る。持続した火を操りたければ、そのように描く必要が有る。

この理解もまた、常人に理解し易いように氣導術士が便宜的に言っているだけで、もっと感覚的な世界のようだ。氣導術とは、世界を理解するための学問であると語る者も居る。それが正しいかどうかも、やはりシエラには理解のしようが無い。

しかし、分からない。氣導術士と言えば、エリート階層の人間だ。引く手あまたの人材。年若い彼女が、こんな場所で隠遁している理由が分からない。

「シエラさんはどうしてこんな場所へ? 外国人のあなたが……此処は観光地では無いし、偶然通りかかるような場所でも無いはずだけれど」

「ノイエ・クロッベンブルグへの途中で立ち寄ってみたんですよ。遺跡に興味がありまして。ついでに見ておこうかと」

「途中? 蒸気機関車を使わなかったの?」

「ええ、トラブルでそこまでのお金が回らなかったもので。徒歩ならば直線を行く方が、線路沿いに回り込むより近道でしょう?」

シエラがそう言うと、シモーヌはとても可笑しそうに口元を抑えた。

「……失礼。あまりに予想外の答えだったから」

「いえ、まあ私も他人が同じことをしていれば同じように笑ったでしょうから」

この上、まさか路銀調達のために訪れたとは言いづらい。体裁のために、秘密にしておきたい。そのような恥じらいはシエラにも有った。それ以外にも理由は有るが、会えてシモーヌに語る事でもない。

「じゃあ、あなたは異能力者さんね」

「……どうしてそう思うんです?」

「ただの近道で通りすがるなんて」

シモーヌは軽やかに笑った。

「腕に自信が有るのね。それにとても軽装。氣導術士ならばもっと荷物が多いし、氣功術士はリスクを犯したがらないの。こんな軽装で馬鹿げたリスクを背負うのは、腕に自信が有って、更に別の切り札を持っている異能力者だけではないかしら」

「成る程、ご明察です」

彼女をそこまで信頼していない以上、シエラは出来るだけ自身の能力を低く見せておきたかった。だが、能力さえ明かなければ、異能力者であること自体は明かしても構わない。それは牽制にも成り得るからだ。

異能力もまた才能だ。氣導術以上の奇跡をノーリスクで発現させる。氣導術には際限が有るが、異能力には際限が無いとも言える。

シエラの能力は物体を別の空間へ収納したり、取り出したりするというものだ。1度に取り込める体積や質量には限界がある。だが、収納出来る限界をシエラ自身も知らない。限界を知るために海水で試した事が有ったが、キリがないために諦めた。

「では、このマールブルク州へは観光でやって来たのね。異能力者は国家に管理されているから、まさかこちらへ移住しに来た訳でもないでしょう?」

「いえ、私は国を出た人間なんですよ。だから、旅をして色々な所を巡っているんです」

 その理由をシエラは語らない。パーソナリティーに関わる部分だからだ。警戒心を差し引いても、知り合ったばかりの人間に話すことでは無い。

シモーヌも深くは追求してこなかった。

 そして、シエラは話を逸らした。

「そう言えば、魔獣避けの氣導装置もあなたが?」

「ええ、良く出来ているでしょう? でも、家の敷地くらいの範囲なら簡単なのよ」

 到底そうは思えなかったが、彼女が言うからにはそうなのだろう。少なくとも、彼女にとっては。

「私は久しく外国へ出ていなかったのだけれど、外の国の様子はどんな感じかしら」

「シモーヌさんが外国を訪れたのが何時かは分かりませんが、そう変わっては居ないと思いますよ。少なくとも、10年前でも20年前でも、この国と同じように変わっていないかと。遥か彼方の空を浮かぶ外殻が、何時何処へ行っても同じように。良くも悪くもね」

「そう。変わらないか」

 その答えに、シモーヌは満足したようだった。何に想いを馳せているのかは分からない。ただ、とても満足そうなその顔が印象的だった。

食事の間中、2人は色々な事を話した。とはいえ、内容の殆どがシモーヌからシエラへの質問だった。それも、旅してきた土地や経験に対する質問。どんな魔獣と戦ったのか。シモーヌはシエラの思い出を知りたがった。

それに対して、何か思惑が有るようにも思えなかった。ただ、話を聞いている途中、彼女はとても楽しそうだった。純粋に楽しそうだったのだ。彼女の来歴にはあまり踏み込みたく無いが、あるいは人恋しいのかもしれない。そう言えば、久しぶりの客人だと言っていたか。

やがて、シモーヌは言った。

「旅慣れているのね。……実は、頼みたい事があるんだけれど」

その笑みからは若干、謀の気配を感じたのだった。

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