第3話

たっぷりと砂糖を入れたコーヒーを飲み終えて、一息付いた。

懐中時計を確認する。日没まではまだ時間が有りそうだ。もう少し探索を行うべきか。

何処からか、地響きのような音が聞こえた。魔獣が群れを成して移動しているのだろうか。

ふと、丘の上から見た煙を思い出す。

あれは結局なんだったのだろう。まさか、本当に人が居る訳はないと思うが――。

川の南側だったので、ここから意外と近い場所かもしれない。

煙の正体を確かめるべく、日没までの時間を使おうか。

仮に人間が居た場合、それは只者では無い。何かしら戦う力を持っている可能性が極めて高い。それも、この辺りの魔獣を物ともしないレベルの。

魔獣よりも、強い人間の方が余程厄介だった。

出会わないに越した事は無いが、万が一なにかしらの事態で戦闘状態へ突入した場合、相手の情報は多い方が良い。相手が気がついていないうちに、こちらが先に捕捉しておきたい。

だが、時間は大丈夫だろうか。

(日が沈み切ると、ここに戻ってこれなくなるかもしれない)

 暗い中で、改めて安全な家屋を探すのは不可能だろう。光を使うのは、目立ちすぎる。刺激で魔獣が寄ってくるかもしれない。

「やっぱり、明日にしようか。どうせ気がつかれて居ないなら、明日でも……」


視線を感じた。


臨戦態勢を取りながら、周囲を警戒する。

部屋の中には誰も居ない。

また残身だろうか。いや、違う。生きている何かの気配を感じた。魔獣では無い。人間の視線だ。

昼間に感じた視線だ。今度はあからさまだった。警戒していたから感じとり易かったのか、あるいは挑発か。

視線を感じる前に、微小な氣が身体を通り抜けていったような感覚を覚えた。間違いなく氣導術。

どれだけ強い魔獣でも、このような氣導術は使わない。つまり、人間という事だ。

 都市の何処かから吹き出す煙。

その主か。

必ずしもそうとは言えないが、そう考えたほうが辻褄が合う。それとも、それは恣意的な解釈だろうか。

だが、視られていたのは確実だ。最終的には視線の主が誰であろうかなど、問題では無い。敵かそうでないか。それが重要だ。

そして問題は、既に昼間の時点でこちらは捕捉されていた事になるという事だ。それも、気配を悟らせないレベルで探査性氣導術を使う相手から。

しかし、補足しておきながらこれまで放置していたのは何故だ。今回、挑発のように察知させた理由は?

訳が分からないが、何かしら理由が有ると考えるべきだろう。

 氣の発生源は何となく推測できる。身体を通り抜けた氣の方向性は明らかだった。どちらから通り抜けたかを理解出来ていれば、発生源を特定する事は難しくない。

あるいは、それを理解させるための誘いかもしれない。

罠を十分に警戒して近づくべきだ。

廃屋を出て、広場へ進む。

そこで気が付く。

「食い荒らされてる」

 先ほど殺したエーバーが無残な姿と化していた。シエラが殺した時点で既にかなりの損壊具合だったが、更に酷くなっている。

共食いか。

3級魔獣は数が多いため、そういった事が頻繁に起こり得る。同個体でも群れのグループが違えば、攻撃対象に成り得るようだ。

先ほど感じた地響きは、大きさを増しているように思えた。近づいているのだろうか。出会わないように気をつけなければ。しばらく動かない方が良いのだろうが、そうも言っていられない状況だ。

再びレール上へと戻ると、素早く進み始めた。昼間に散策していた時のように、歩いては居ない。全速のシエラは車よりも早い。今はそれほどの速度を出してはいないが。

普段そうしないのは、別に急いでいないからだ。疲れても嫌だし、待ち人もそのくらいの遅れでは怒らない。

タイムリミットは日が沈むまで。視線の主がそれまでに見つからなければ、先ほどの廃屋へ戻る。

建物の屋根を見やる。上を跳び回れば早いのだが、そうもいかない。屋根は殆どが抜けているか、見かけ上は無事でも間違いなく腐っているだろう。

廃墟と化して静寂が支配する都市に在っては、跳躍時と着地時の音が気になる。

通りは極緩やかな曲線を描きながら、かなり向こうまで続いていた。建物の崩落等で、都市が正常に機能していた頃は見えなかっただろう遠方まで見えている。

その通りを目視出来る限界点から。

ぽつりと小さな影が現れた。

最初は建物の破片だろうと思った。至る所に大小のコンクリートが落ちているからだ。だが、その影はどんどん数を増して行く。それに伴い、地響きも大きくなってきた。

エーバーの群れだ。

思い当たった。

瓦礫をどかしていた時に聞いた雄叫びか。広場で仲間の死骸を見つけたエーバーが、群れの仲間を呼んだのかもしれない。だが、ならば広場でシエラが殺したエーバーは群れの仲間という事になる。死んでいれば群れの仲間すら喰らうのだろうか。喰らうのだろう。

シエラに対する報復では無いだろう。そもそも、シエラという個体を認識していないはずだ。他の群れや魔獣に対する警戒行動だと思われた。あるいは示威行為か。

このまま進めば、数十秒の間に群れと接触する事となる。戦いになっても危険だとは思わないが、かなり面倒な事になるだろう。

遺跡が更に破壊されてしまう。あの群れの移動だけでも、かなりの破壊が行われている筈だ。地響きに混じって建造物の倒壊音も聞こえてくる。大量の土煙も上がっていた。

この都市での目的達成が面倒になりそうだ。そればかりか、金品の回収が難しくなれば、今後の回収業にも支障を来すだろう。

十字路を右折して、速度を増す。あっという間に右折した十字路が後ろへと遠ざかった。腰のベルトに掛けた革のザックが、宙へ浮いたかのように引っ張られる。

右手を振って、剣を出す。

だが、安心しては居られない。地響きの範囲が広がったように思える。群れの本体から離脱して、色々な路地へと入り込む個体が現れたのだろう。異物を発見すれば、雄叫びを上げて仲間へ知らせるはずだ。

この様子だと、先ほどの家屋も無事では済まないかもしれない。ほとぼりが冷めるまで、いっそのこと都市を離脱するか。あるいはエーバーに見つからないよう川を渡って北へ回るか。

この都市一帯は、現在暴走を始めているエーバーの縄張りなのだろうと推測出来た。殆どの個体が南へ渡っている今ならば、北は安全に近いのでは無いか。だからと言って、見つからないように、というのは倒すよりも困難に思える。

それに、誘いをかけてきた人間の存在も気にかかる。彼、あるいは彼女は、この騒動にどう対処するつもりだろうか。混乱の中、唐突に遭遇した場合、攻撃を仕掛けるべきか否か。

前方の道が瓦礫で塞がれていた。何が起こったのかは分からないが、左右の建物が崩落したのかもしれない。いや、近づくと詳細は異なる事が分かった。一帯の建物が崩れ落ちているらしく、高低の差は有れど、瓦礫の山だった。遠くに見える、辛うじて残った建造物から推測するに、集合住宅の一角だったのかもしれない。

いったいどうなったのか、ひっくり返った車――らしき錆鉄の塊――が所々に散乱している。

瓦礫は相応の高さがあり、建物に換算すれば二階建てか三階建てに相当するように思えた。

当然、進路は変えない。

ガレキの頂上まで跳んで、振り返る。高所まで来たならば、状況を確認しておきたい。

入り組んだ路地という路地にエーバーが入り込んでいた。やはり、多い。一々倒していたら切りが無いだろう。ぐずぐずしていたらここも何れ飲み込まれるだろう。

「……なに?」

その時、不思議な光景を目にした。

右斜め前方。数百メートル先だ。

路地へと入り込んだエーバー。その動きの流れが不自然に思えたのだ。

ある一定の範囲に入らない。まるでくずせない壁でも有るかのように、その範囲へ近づくと方向転換している。別の路地からその範囲に近づこうとしたエーバーも、同様の挙動を示した。その範囲は半径400m程度の円を描いているように思えた。

その避け方には覚えが有る。

魔獣避けの氣導装置だ。都市間を繋ぐ蒸気機関車や飛行船には必須の装備。3級の魔獣くらいにしか効果を及ぼせてはいないが、非常に有用だ。当然、軍隊に置いても使用されている。それが何処かに設置されているのだろうか。

シエラは迷わず、そちらへと跳躍していた。

足元の瓦礫が衝撃によって飛散した。衝撃は前方と後方、左右の瓦礫へと均等に伝わり、堆積していた数メートル分が雪崩のように崩れ落ちる。

長距離を跳んで、魔獣避けの領域内へと着地した。

シエラの姿を目視したエーバーが雄叫びを上げて仲間を呼び寄せるが、大挙して押し寄せた群れの一匹すらも、こちらへ踏み出すことは出来なかった。

路地を構成する左右の建物が崩れ落ち始めた。行き場を失ったエーバーが建物を破壊し始めている。

だが、力の流れには逆らえない。先頭に居た数匹のエーバーが圧力で押され、こぼれ落ちるように範囲内へ入った。それらは怯えたような挙動で逆行する。溺れた者が喘ぐように、仲間を踏み潰しかねない勢いで伸し掛る。一つの巨大な肉の塊が脈動しているかのような錯覚を覚える。凄まじい光景だった。実際に踏み潰された個体も居るだろう。

シエラは感嘆した。非常に効果の高い氣導装置だ。

魔獣避けも、決して万能では無い。等級の高い魔獣に効果を及ばさないだけでなく、例え3級でも数が問題になる。大挙して押し寄せられると、効果を及ばさない個体は出てきてしまう。それは許容量の問題なのだと聞いた覚えが有る。

だが、此処のそれは違う。この大群に対しても、その威力を些かも損なっているようには見えない。余程優秀な氣導技術者が作ったのだろう。

 それはつまり、探査氣導術を使用した者だ。シエラは警戒レベルを上げた。

警戒しながら路地を歩くと、気になる物を見つけた。

路上に刺さった1メートル程の鉄棒。建物の壁と密接して地面に打ち込まれた鉄棒は、廃墟にありがちな残骸にも見えたが、違った。

目を凝らすと、その異様さが分かる。

「これが魔獣避けの氣導装置……か? 電力の補助も無いのに、作動している」

 確かに氣導文字が彫り込まれている。尋常では無い密度と複雑さで。触れると、僅かな振動を感じられた。作動の証明だ。

これに類似した装置は、故郷やウラルでも頻繁に見た。但しそれはあくまで巨大な電気機械との併用が前提となる。シエラには理解不能だが、継続的にエネルギーを発生させるのには、とても高度な氣導技術が必要らしい。そのため、科学的な電気の発見は氣導技術の発展に著しく寄与した。

ともあれ、そのような物は個人で所有できるものでは無い。例えば、都市間を繋ぐ蒸気機関車に設置される。あるいは飛行船や軍艦、旅客船。あの鉄棒が装置の役目を果たしているとして、あまりにもサイズが小さすぎる。そんな技術は見たことも聞いたことも無かった。

「待っていたよ」

 鉄棒に気を取られていたから気付かなかったのか、あるいは気配を消していたのか。両方かもしれない。

何時の間にか、路地の先に1人の女性が立っていた。

太陽が沈み始め、空は緋色へと変わりつつあった。

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