第2話

 慎重に歩いて、順調に都市の中心部へ近づいた――ように思える。まだ川を渡っていないので、半分も進んでいない計算だが。

ここまで、運良く魔獣の全てを避ける事が出来ていた。全てが街道で見た、牛のような魔獣だった。彼らの生息域なのだろう。だが、数が少ないような気もした。あるいは、川を挟んで北側に集中しているのかもしれない。

 魔獣の良く通る場所では草が禿げている。路面電車の軌道上でそうなっている事もあれば、無造作に横断したような形跡も有った。草の有無は目印になるため、生えていない場所は殊更に警戒する。ならば、見つからずに進むこと事態は難しくない。

無駄な戦闘を省けるならば、それに越したことは無い。都市に必要以上の破壊を加えるのは、回収業に取って望ましい事ではない。

魔獣には見つかっていない筈なのだが、先程から何か妙だ。物音がしたと思って振り返っても、何も無い。気配も感じない。野生の小動物が瓦礫の下を走り回っているのだろうか。

商業エリアへと入ったのだろう。食料雑貨店、精肉販売店、カフェ、飲食店――だったのだろう建物が目につく。とはいえ、路地へ入れば、やはり住宅街が続いている。

企業のオフィスビル等など、明らかに郊外の住宅街とは建物の質という点において異なる物が散見された。3割は半壊している。

中心部へ近づくに連れ、破壊痕が激しくなっている事に気づいていた。

人骨も散見された。とはいえ、一見しただけではそうと知れないだろう。数センチから数ミリ単位の白い何か――という感じで散らばっている故に。

何処が何処の部位なのかは、当然分からない。幸いというべきか、雨を避ける事の出来た骨のみが、辛うじて原型を保っていた。破壊された窓から手の骨だけがぶら下がっていたりもして、少しだけ驚いたりもした。

南側では魔獣の破壊痕が少なかった。魔獣の巣は都市から西へと深さを増す。そう考えれば、魔獣の大群は街の北西側から侵入した可能性が高い。そして、退却戦を仕掛ける州軍側に導かれるように、恐らくは東側の何れかに抜けて行ったのだろう。南側から歩いてきたシエラの推測だが、間違ってはいない筈だ。

広場へ抜けた。

車線とレールはそのままに、左手の歩道が広い空間を作っている。

中央には噴水――だったものが。大理石で造られたのだろうそれは、雨ですっかり劣化してしまっている。周囲にはベンチが散乱していた。

左右の建物は大体が3階建てか4階建てだ。1階部分には何かしらの店が入り、それより上はアパルトメント。中央大陸には良くある形式だった。

広場の奥には大きな教会が有って、そこから左右へと路地が続いており、その先には住宅街が見える。

建物は無事な物も有れば、そうで無い物も有り――噴水の辺りまで歩いて、ふと右の建物を見やると、大砲でも打ち込まれたような破壊痕が有った。いや、それより凄まじい。

壁が陥没している――というようなレベルでは無く、数軒先まで消滅している。両側の建物も半分程度が崩れ落ちていた。地面はなだらかに凹んでいる。

魔獣で言えば2級甲種がこれくらいの最大威力を発揮するだろう。しかし、普段は巣の中央付近に存在する魔獣だ。いくら巣の移動だったとはいえ、その強度の魔獣がここまで押し寄せるものか。

 ならば異能力者が能力を使用したのか、氣導術士が氣導術を撃ち込んだのか。氣功の技かも知れない。だとするならば、防衛側には優秀な能力者が存在した事になる。シエラにもこれくらいの破壊ならば可能だ。何かを護ろうとして力を使ったのだろうか。その結果があれなのか。

物思いに耽ってしまった事が災いしたのだろう。

「……迂闊」

雄叫びが聞こえた。蒸気機関車の汽笛を思わせる重低音。

魔獣だ。

教会の左手にある路地から、のっそりと姿を現した。ごわごわとした黒に近い茶色の体毛。猪に似たシルエット。しかし、体長は4mを超える。その数3頭。大きいものが1頭、中くらいのものが2頭。

親子だろうか。あるいは雄と雌か。単純に個体差か。魔獣の生態について、シエラは詳しくない。ただ、奇妙な話をいくつか聞いたことはある。目の前の魔獣に対する分析には役に立たないだろうが。

無用な争いは避けたいが、限界は有る。

先頭を歩く、最も大きな猪の魔獣――後で知った事だが、この国ではリーズィヒ・エーバーと呼ぶらしい――は、身体を震わせて膨張を始めた。力んでいるのだろう。縄のような筋肉が表面に現れた。分厚い筋肉の装甲は鋼鉄を凌ぐだろう。

眉間の辺りから成人男性の腕程ある、鋭い角が捻り出された。

エーバーが突進してきた。普通の人間ならば、それだけで腰を抜かしそうな雄叫びを上げながら。

強靭な肉体に物を言わせた単純な突進で、中々の速度が出ている。少なくとも、巨体ながらも野生の猪より遥かに早い。追突すれば、大岩くらい破壊するだろう。

「相手の実力も測れないなら、野生なんて辞めた方が良いと思うわよ」

 魔獣相手に、それは無理な相談だったが。魔獣とはそういうものだ。恐れを知らない。だから厄介なのだ。

右に手を払うと同時に、シエラの手には剣が一本。刃渡り80センチ程の長剣で、刀身は曲線を描いている。グラディウスと呼ばれる刀剣に似ているが、意匠はより派手だ。

集中し、氣を爆発的に高める。氣穴から生じた氣は全身を巡り、シエラはそれを操作する。氣功の技だ。

シエラが無造作に剣を振り下ろすと、巨大とも言える魔獣の身体が地面にめり込んだ。めり込んだ巨体は地面を陥没させ、砂埃が勢いよく舞い上がる。

即死である。その身体は半ばまで両断されていた。

中央大陸全土に伝わる氣功の技、硬氣功・重剣。体内より生じた氣を重さに変える。

そして、こちらを警戒していたもう2体に、反応させる暇を与えなかった。

一足飛びに2匹の魔獣へと距離を詰める。十数メートルの距離がコンマ数秒だ。勢いそのまま、それぞれの魔獣に鋭い突きを放つ。凄まじい速度で放たれた剣が、空気を引き裂いて鈍い破裂音を残す。2体は砲弾でも撃ち込まれたように顔面を陥没させ、倒れ伏した。

 息を付く暇もなく、シエラは崩れた噴水へと身を隠した。

魔獣は遠吠えをしていた。仲間を呼んでいた可能性は無いだろうか?

数分待って、何事も無いらしいことを確認し、安堵した。

3級の魔獣はとにかく数が多い。遠吠えで仲間を呼ばれていたら、この広場一帯は埋め尽くされていただろう。3級魔獣の最も厄介な所は、そうした点だった。

ふと、視界の端に蠢く姿が入った。

近い。

 心臓が跳ねる。

(…………ッ! この距離まで気がつかないなんて)

 魔獣か? やはり仲間を呼んでいたのか?

だとすれば相当に強い。先ほどの魔獣とは別物だ。

距離を取るために力を込めた瞬間、そのものの正確な姿を目にした。

 それは少女の姿をしていた。

こんな所に居るはずの無い少女だ。とてとて、と走っている。年齢は5歳くらいだろうか。赤のドレスワンピースを着て、両サイドで括った髪が跳ねている。如何にも可愛らしい少女だった。

その姿は半透明に透けていた。

人間ではない。

だが、魔獣でも無い。

これは残身と呼ばれている現象だ。大量に人間が死んだ場所で、かつての住民らしき姿が現れる。

その者が死んだ瞬間を、再現し続けているのだ。

嘆息して、安堵する。害は無い。

 何度か目撃した事が有った。だが、何度見ても生理的な恐怖感を拭いきれない。一度認識してしまえば冷静になれるのだが、唐突に現れるとやはり恐ろしい。何しろ気配が無いのだ。魔獣と遭遇した方がまだ驚かない。

「あのね、私、ぬいぐるみを落としちゃったの。なんかお母さんが逃げなくちゃいけないって。みんなもすごい慌てていて、でも、ぬいぐるみ落としちゃったから……。お姉ちゃん、知らない?」

「そう……それは大変ね」

 残身とはこのように会話が可能だ。触れることも可能だ。だが、彼らに意思が有るかは分からない。話が噛み合わないからだ。有ると主張する者も居る。会話が成立するからだ。だが、彼らは死んだ当時の日常を生きており、歳は取らず、死ぬことも無い。既に死んでいるからだ。魂が残っているという訳ではない。『過去にこういう人間』が居て『このように行動していた』という現象のようなものだと言う者も居る。結局のところ、正確な所は分からないのだ。

こちらからは触れられず、あちらかも同じく。そして、残身はそれを不思議とは思わない。不思議と感じる理性が薄い。

年月を経ればやがて消える。やはり正確なそれは分からない。

この少女の元になった人間は、魔獣が襲撃してきた数十年前に死亡したのだろう。

ただ、それだけの存在だ。

「でも、お姉ちゃんは見てないな。別の所を探した方が良い」

「そっか……何処に落としたんだろ」

 少女は肩を落として歩き出した。悪い足場を物ともせずに。

 シエラはその背中を見送った。

あまり見たくは無い。だが、居合わせてしまった。ならば、見届けることが義務だろう。そんな気がしていた。

決定的な瞬間は何時か訪れるはずだった。その何時かは、直ぐ側に迫っているはずだ。

そして。

少女が少し歩いたその先で。

少女の頭頂部から膝上までが、爆散した。左から猛烈な何かが衝突したような潰れ方だった。半透明の血と臓物が、物凄い勢いで右側へと撒き散った。残された僅かな両足が、パタリと無造作に倒れる。

シエラが息を呑むよりも早く、それらの全てが消え去った。

 後には何も残っていない。

昨日も一昨日も、明日も明後日も。数十年の過去も、数十年の未来も。少女は毎日、ここで見つからないぬいぐるみを探して死を繰り返すのだろう。

とはいえ、少女の主体は既にそこには無い。その筈だ。全ては幻なのだから。

(後味悪いわ……)

ここに存在したであろう少女の両足は、既に風化して消え去ってしまったようだ。あるいは魔獣に食われたか。吹き飛ばされた身体の方は、骨の跡形も有るまい。

臓物が撒き散った先の建造物は、先ほどの消滅したそれだった。少女が巻き添えをくらったのか、あるいは少女が狙われたのか。乱戦の最中、逃げ惑う一般人が犠牲になる事は珍しいことではない。

助けて上げたいものだが、何も出来ない。

 仮に、少女の身体を抱えて一瞬で遥か遠くへと連れ去ったとする。少女は彼女が死んだ時間に消失して、先ほどと同じ場所で爆散するだろう。

仮に、少女の探していたぬいぐるみを探して渡したとしても、それで何が変わるわけでも無い。爆散し、彷徨うのだ。

 考えても仕方がない。もう全て終わった事なのだ。

――しかし、この辺りならば銀行が有ってもおかしくは無いのだが、見当たらない。この辺りに有るかもしれないというのは、もちろんただの憶測だ。本当に見つけたいのならば、もっと探すべきなのだろう。探すべきなのだろうが――。

まさか、先ほどの消滅した建物のどれかが銀行だったという可能性はないだろうか。

だとすれば、別のそれを求めて、更に歩き回らなければならない。

「何だか、面倒くさくなってきたわね」

歩き通しで疲れた、というのもある。体力的な疲れでは無く、気疲れだ。魔獣に見つからないように、注意して進んできたためだ。それに、少女の終わりを見届けて、なんだか虚しくなってしまった。

まだまだ日が沈むには早い時間帯だが、野営の準備をするならば早いほうが良い。魔獣が闊歩する危険地帯なのだから、尚更だ。

拠点を作るのも良いかもしれない。

金目の物を少し調達出来れば良いのだから、明日には出るつもりだ。だが、ノイエ・クロッベンブルグで回収業を始めるならば、予めセーフポイントを用意していた方が後々になって楽だ。

広場の奥から、右へと続く路地へと入る。

少し進んで、損傷の少ない家に当たりをつけた。

内部への侵入を試みる。

二階建ての簡素な家だ。元は赤色だったのだろう壁は、辛うじてそうと分かる程度に色あせている。しかし、奇跡的に綺麗な状態を保っているように思える。

 入口は瓦礫で塞がっていた。この建物が崩れた痕跡は無いため、何処かから飛んできたのだろう。見ると、隣の建物の屋上には大岩程もあるコンクリート――恐らく、壁だったものだろう――がめり込んでいた。

両側と奥の建物が三階建てで、上手く雨ざらしを避けたようだ。屋根は腐っているかもしれないが、落ちてはいなかった。

人の大きさ程もあるそれらの瓦礫を、音を立てないよう、慎重にどかしていく。

すると。

「ぬいぐるみだ」

クマのぬいぐるみだ。首都に拠点を置くという、クマのぬいぐるみ一大生産メーカーのロゴが入っている。故郷でもウラルでも輸入されたそれを見かけた事は有ったが、シエラには縁遠いものだった。

ともあれ、あまり劣化はしていない。瓦礫の下に隠れることで、図らずも保存されていたという事か。雨が染みなかったのは奇跡と言える。

これは、あの少女が探しているものだろうか。だとすれば見つからない訳だ。

少女の通り道に置いておけば、何れ見つけ出すだろうか。結果的に何の意味も無い事だが、その考えは魅力的だった。

(いや、駄目だ)

このぬいぐるみは瓦礫の下で保存されていたからこそ、これまで無事だったのだ。少女の目に付く場所へ放置するという事は、雨風に晒される事になる。数年は大丈夫だろう。だが、少女が消え失せるまでの間、原型を保っていられるかどうかは不明だった。

仮にぬいぐるみと分からない程に破損し、残りくずの欠片すらも風に流されてしまったならば。

今度こそ、少女は存在しないぬいぐるみを探し求めて彷徨う事になってしまう。

一度前向きな気持ちを覚えてしまったシエラにとって、それはあまりにも残酷な事に思えた。

これは野ざらしにならない場所で保管しておこう。そうすれば、少女が彷徨う意味も、きっと無くならないだろうから。

少し感傷的になってしまった。

広場の方からエーバーの雄叫びが聞こえてきた。一定の間隔を空けて、また別の遠い場所からも雄叫びが聞こえたような気がした。

なんだか良く分からないが、近くに魔獣が居るならば、急いだ方が良い。

瓦礫を除いて、家の中へ侵入する。玄関扉と壁面の一部は瓦礫で破損していた。また、上からの雨は防げても、湿気自体は防ぎようが無い。やはり所々が腐食していた。木材は膨れ上がり、虫の住居となって屑が散乱している。

色々な衝撃に曝されたためだろう、家具の殆どが倒れてしまっている。窓ガラスも最早無い。だが、床は抜けそうにない。一軒目にして、良い場所に当たった。

スツールやテーブルもまだ使えそうだ。本格的に使うならば、少し掃除もしたい所だ。埃を払う程度の事しか出来ないだろうが、それで良いだろう。あまり手を入れすぎると、確実に崩壊する。

テーブルの下に写真立てが散らばっていた。何処かから落ちたのだろう。写真を一枚拾い上げる。モノクロの家族写真だった。カビが生えて判別し難いが、1つだけ分かった事がある。

もしかして、と思いはしたが、ここはあの少女の家では無かったようだ。

写真に写っていた子供は少年だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る