1章・赫赫たる技術者

第1話

 空を見上げると、一面の青空。空の遥か向こうには、外殻と呼ばれる細いリング状の構造体。この星を包み込み、東西と南北へゆっくりと回転している。どんな時でも、変わらない姿でそこに在る。細い影を地面に映していた。

夏の訪れ。やや湿気を伴った空気が髪を揺らした。暖かい空気。新鮮な心地を覚える。

やや低くなった青空の下には、何処までも広がる丘陵地帯。

何処からか魔獣の遠吠えが聞こえてきた。蒸気機関車の汽笛を想起させる重低音だ。

シエラが足を止めて音の方を見ると、かなりの遠方に草を食んでいる魔獣の群れが居た。数は十数匹。四足歩行で、形状は牛に近い。おそらく、3級乙種魔獣。こうして見ると、魔獣もただの獣と変わりないように思える。3級でも甲種ならばともかく、乙種ならば大型の野獣よりも厄介な程度だ。丙種ならば大型の野獣と変わらない。ただ、肉食ではない。大抵の魔獣は雑食なのだと聞いたことが有った。

群れがこちらに反応しない事を確認すると、シエラは再び歩き出した。どうやら、威嚇では無いらしい。襲ってきたとしても、3級魔獣の群れ程度ならば問題無い。本当に厄介なのは1級のみだ。

歳の頃は20程度。はっきりとした目鼻立ちに張り付いた無表情が印象的だった。肩まで伸びた髪の色は黒で、女性としてはやや高めの身長に、スラリとした肢体。白のブラウスに茶色のジャンパースカート、紺色の薄い外套を着用していた。左手で革のザックを担いでいる。

放棄された街道を1人進むには、相応しくない年頃の女性。

いや――年齢も性別も関係ない。ただの人間には、1秒たりとも相応しくない場所だった。

そして、シエラはただの人間では無い。異能力者だ。強大な力を有する異能力者。異能力は、理由もなく超常的な現象を引き起こす。

この旧街道にはどんな無法者も近寄らない。利益が無いからだ。数十年前に魔獣の巣が近くに出来た事で、放棄された場所。既にいくつかの廃墟群を通り抜けていた。

そもそも放棄されて久しいため、『辛うじて街道のような跡が残っている場所』と形容した方が正しい。あるいは、初めから舗装すらされていなかったのかもしれない。殆ど迷わずに街道上を勧めているのは、ぽつりぽつりと民家の跡地が散見されるからだ。

そんな危険地帯を通っている理由は2つ有る。

1つは大した理由でも無い。ただの近道だ。

目的地はノイエ・クロッペンベルク。これが州都から目指すとなると、やや遠い。

その原因は、この打ち捨てられた旧街道にある。

本来はこの一帯を避けて、ぐるりと回り込むように新街道を通らなければならない。しかし、車を購入する金は無い。飛行船や蒸気機関車を使うにも金がかかる。徒歩で旅をする主義を持っている訳では無い。しかし、車を手に入れるまでは、しばらく徒歩の旅を続ける事になるだろう。

シエラが中央大陸のシュヴァーベン共和国へ入国してから、まだ日は浅い。徒歩での旅はこの国を識る良い機会だ。強がりでは無い。輸送トラックを利用する手段も有ったが、そうしなかった。

「それにしても、良い天気ね。暖かい」

 思い浮かぶのは故郷の空――ではなく、先日まで滞在していたウラル共和国だった。あの国は年中寒かった。流石に夏は暖かさを感じたが、冬は最悪だった。この国の冬はどうだろうか。

とある丘の上にたどり着くと、眼下に広がる草原の中に1つの廃墟群が見えた。

まだ数kmは先だろうか。かなり大きい。近づくごとに民家が増え、工場らしき跡が見える。半ばで折れた教会の尖塔らしきものも見える。

都市は南北に長く広がっている。目測で15km程だ。総面積にして100平方kmは有るだろう。

都市の真ん中で、南北を分割する川が有る。橋が落ちていなければ良いのだが、期待は出来ない。

かなり距離を空けて、草原の上に発電所らしき巨大な建造物が。また、送電線の鉄塔が等間隔で幾つも見える。旅路の中で、こうした鉄塔は幾つも見かけたが、成る程、起点はここだったようだ。

発電所のずっと向こうに、ぽつりと大きな建物らしきものが見えた。恐らくは州軍の駐屯地だった場所だろう。

「あれが旧クロッペンベルクか」

数十年前に放棄された、かつて都市だったもの。魔獣の巣が大移動を起こした煽りを受け、放棄を余儀なくされた。

かつての人口は十数万。犠牲者は推定8万人を数える。周辺の街や村、州軍を合わせれば推定10万人以上に及ぶ犠牲者が出たようだ。未曾有の大災害で、クロッペンべルクの悲劇としてしばらくは語り継がれたらしい。

何故そうなったのか。シエラに詳しい事は分からない。所詮、数十年前の出来事。それも、シエラにとっては外国の歴史だ。色々と疑問が残る事件では有るのだが、専門書を引っ張り出してまで調べようとは思わなかった。

ともあれ、様々な都市へ散り散りになった住人達は、しかしクロッベンブルグの再建を目指した。

その結果は、住人の避難から十数年の時を経てノイエ・クロッペンベルクという形で完成する。この場所から100kmは北上した場所にある。シエラの目指す場所でもあった。海を臨む美しい港町だと聞いた。

旧クロッペンベルクは、現在では遺跡に分類されている。魔獣の巣が近いために、誰も訪れることの出来無い遺跡。

シエラが旧街道を歩いてきたもう1つの理由は、ここの探索だった。こういった場所は、当時の財産が残されている事がまま有る。

この周辺には当然、他の街――遺跡もある。そういった場所を巡っても良いかもしれない。ただ、此処に来るまでに通過した遺跡には、大した物は無かった。

(……お腹空いたわね)

 空を仰ぎ見る。縦横を走る外殻の向こう側で、太陽が燦然としていた。懐中時計を確認すると、ちょうど正午だった。

この丘で昼食を取る事にしよう。街へ辿り着くまで、どうせ1時間は歩くのだ。

携帯用コンロと小型の鍋を異能力で取り出した。

シエラの異能力とはこのようなもので、空間を操作して物の出し入れが自在に可能なのだ。この能力を単純に『黒白の櫃』と呼んでいる。

必要を遥かに超えた物が持てるという点で、自分でも重宝していた。もちろん、使い道はそれだけでは無い。ただ、どうせ身につくなら、もっと格好良い能力が良かった。子供の頃はそう思っていた。

更に、氣導技術品である水石――黒く平たいインゴット状――と普通のカップをザックから取り出す。水石に彫り込まれている氣導文字の起点をなぞると、淡く発光した。中に封印していた水を鍋へと注ぎ、携帯燃料でお湯を沸かし、コーヒーを入れる。砂糖をたっぷり入れて飲む。携帯食料が不味いので、甘いもので流し込みたいのだ。栄養という点では申し分ないのだが、もう少し味を何とかしてもらいたいものだった。

都市の方をぼんやり見ながら食事を続けた。すると、何やら煙のようなものが立ち上っているように見えた。気のせいだろうか。遠すぎて判然としない。

川の南側――探索をするならば、川を渡る前にその場所を通りかかるかも知れない。

もしかしたら、人が居るのだろうか。可能性としては、魔獣の立てた土煙の方が高い。しかし、仮に人が居るとすれば、魔獣以上に注意しなければならない。こんな場所へ居る限り、決して常人では無いだろうから。

食事を手早く済ませると、道具を締まって再び動き出した。

歩いて都市の郊外へ近寄ると、遠くからは分からなかった荒廃具合が簡単に見て取れた。人の住んでいない街の匂い。死んだ街の匂いだ。何処か薄暗く、重苦しい空気に包まれているように感じた。それは家々のくすんだ外壁のためか。あるいは石畳に蔓延る緑のためか。

街道から枝葉が伸びるように、曲がりくねった路地が増えてきた。庭付きの民家が多い。農家、あるいは酪農家だったのだろうか。庭の直ぐ傍には草原地帯が広がっていた。柵は無い。土に帰ったのか、倒れているだけか。少し離れた場所には、大きな歯車の付いた鉄の板が見えた。恐らくはトラクターだった物だろう。

試しに幾らかの家を覗いてみたが、中にはあまり物が無い。引越し後のように、とは言わないが、金目の物は無いだろう。

街道はそのまま都市へ侵入する通りへと続いている。道の両側に建物が増えてきた。切妻の屋根をした民家が整然と並んでいる。殆ど全ての建物に、蔦植物が緑を茂らせていた。

そして、何らかの工房、服飾店らしき看板、食堂の看板、カフェの看板――。多くは未だ原型を止めている。しかし、その内部は滅茶苦茶な物も多かった。原型を留めては居るものの、崩落している部分や、木製で腐食している部分等が多い。赤い屋根瓦もすっかりくすんでしまっている。その大半が落ちていた。そうした場所から雨風が吹き込み、時間をかけて内部を腐らせる。窓ガラスの大半は跡形もない。奇跡的に残っていた物も、風化して曇りきっている。

劣化した石畳の歩き心地は、決して良いとは言えない。レンガやコンクリートの破片が撒き散らされていれば尚更。

この辺りは居住区だろう。道路は2車線だが、歩道が如何にも狭い。このまま進めば大通りへと合流するのだろう。

「何か残っているかしらね……」

多くを望んでいるわけでは無いが、多くが残されている可能性は高い。避難しそびれた8万人の犠牲者はここで死んだ――気がつかなかったが、あるいは街道上にも骨は遺っていたかもしれない――であるとすれば、財産の多くは手付かずで残っている筈だ。防衛戦――あるいは退却戦において、都市が破壊し尽くされていなければ。そして、州に委託された回収業者が、目覚しい成果を上げていなければの話だ(経験上、大抵がそうだった)。少なくとも、この辺りの住居では特に何も見当たらなかった。内部が無事な民家でも、価値の有る物は見つけられなかった。

ともあれ、保存状態が良くなければ、美術品の類は無価値だ。

時折、魔獣の遠吠えや唸り声が響いた。多くの魔獣が都市内部を闊歩しているようだ。

この場所は魔獣の巣の中心から、かなり離れている。魔獣の強度は巣の中心へ近づくほど高い。都市内部で最も強いのは、3級の中で最も厄介な甲種か、その上の2級丙種くらいのものだろう。

 特に酷い場所は何処だろうか。

 魔獣も、都市を等しく蹂躙したわけではあるまい。現に、この辺りの建物が魔獣の影響を強く受けたようには見えない。

魔獣は人を喰らうために侵攻したのだ。ならば、かつて犠牲者が多数出た場所を中心として蹂躙された筈だ。この都市の何処から魔獣が侵入したのかは分からないが、目立って酷い箇所を探せば良い。そこに残された財産が有るかもしれない。

敷地の広い金持ちの家が見つかれば良いのだが。

あとは銀行か。数十年前の紙幣は既に使えないだろうから、金や装飾品狙いだ。

「自分で言うのも何だけれど、コソ泥みたいね」

 本当は違う。

シエラは何でも屋だった。条件次第で大抵の事はやる。

仕事の1つに、魔獣の巣に飲み込まれた遺跡からの財産回収がある。これはどんな国でも民間レベルで行っている事だ。あくまでも民間事業であるのは、州や国家としてこれを行うのは、あまりにコストが掛かりすぎるからだ。

この財産回収は数十年経っても、避難者や遺族が生きている限りは行われる。しかし、遅々として進まないのが実情だ。何故ならば、魔獣の危険が大きいからだ。そして、やはりコストの問題。相応の対価が無ければ民間企業は動けない。相応の対価を支払って財産を回収しても、依頼者が赤字になる。一般の避難者がそれを行う事はほぼ無いと言えた。

そして、シエラはそのフリーランスで、安価で一般人の物品を回収している。

今回はたまたまノイエ・クロッペンベルクへ用があるため、此処は殆ど素通りだ。仕事で来ているわけでは無い。しかし、当面の金は必要だ。故に、気分的に心が痛まない金持ちの家から、何かしら持ち去ろうという考えだ。銀行に金や装飾品が有れば、それは間違いなく金持ちの持ち物だろうから、それも同じだ。

ただのコソ泥だった。

肩を落とす。

金が無いと生きていけないのだから、取り敢えずは目を逸らす事にする。まあ、少しだけだ。仕事を開始するまでの繋ぎだ。

友人が知ったら怒りそうな話だった。

(上から見てみるのも良いかもしれない)

 折れていない高層建造物――時計塔を見つけた。音を立てないよう、慎重に登る。例え慎重であっても、高速だ。常人が同距離を走るより遥かに早い。

高さ30メートルをあっという間に登りきる。都市の全景を見渡すことは不可能だろうが、ある程度ならば可能だろう。西部大陸には、高さ200メートルを越える高層建築物が存在するらしい。一度は登ってみたいものだ。その時はもちろん、文明人らしくエレベーターを使う。

全体は把握できない。だが、丘の上から見渡した時よりも、都市の構造が良く分かる。南北を分割する川は、まだ遠いようだ。

 辺りをぐるっと見回して――音を立てないように下へ降りた。

――と。


視線を感じた。


かもしれない。

何処から感じるのかは分からない。だが、確実に見られている――ような気がする。奇妙な感覚だった。本当に視線なのかどうかは分からない。ただの気のせいだろうか?

その気配のようなものは、数秒で消えた。消えたのか、初めから無かったのか。

想起されるのは、丘の上から見た煙。

――十分に注意して行こう。

気を抜くのは論外だが、気の使い過ぎも体力を奪う。

此処は魔獣の跋扈する危険地帯だ。神経過敏になっている可能性は十分に有る。有りもしない恐怖に踊らされて、足元を掬われてはならない。

中心部へと歩き始める。

まずは大通りへ出よう。

正直、何処に何が有るかは分からない。何処がどのような惨状を呈しているのかも分からない。

住宅地に銀行も無いだろうから、中央へ向かって歩いていかねばならない。

富裕層の家は郊外にある――例外はもちろんいくらでも有るが――だろう。通ってきた街道の側にもそのような家は有ったが、そこの財産は運び出された後だった。建物損傷も少なかった。これは1つの事実を示唆している。つまり、魔獣はこちら側からは侵入していないという事だ。

そしてそのために、逃げ出すための準備をする時間は、他の人間よりもたっぷり有った。

金持ちの家を探るならば、魔獣から逃げ出すための時間を十分に取れなかった場所――魔獣侵入地点から近い場所のそれを探すべき、という結論だ。

 敷地が広ければ、損傷の度合いも低い可能性は有る。そうした輩は優先的に逃げ出せている可能性は高いが、高価な調度品まで持ち出せたとは考え難い。回収業者が優先的に仕事を行っていてもだ。あまり重量のある物は、持ち出している間の危険がある。魔獣の標的になりかねない。持ち出せて、装飾品の類だろう。財産の全てを持ち出せたとは思えない。

これはもちろん、シエラの得た経験則からだった。

外周部を歩いて敷地の広い家を探すのも良かったが、あまりに手間だ。先に銀行を見つける事にした。

 色々と考えてしまうのは職業柄仕方がない。――繰り返すが、結局のところ当座の資金を調達出来ればそれで良いのだ。そういう意味では、わざわざ金持ちの家を探して歩き回るのは効率が悪いと言えた。適当に銀行から調達して、早くこの遺跡を脱出してしまおう。

 中心部へと歩けば、いずれ商業エリアに辿り着くはずだ。

こちらは都市の南端なので、北へと歩いていく事になる。

昼食を取った時に見た煙の正体も気になるが、後回しにする。仮に物取りの類だったとすれば、決して穏当には済むまい。出来れば出会わないようにするのが吉だ。

上から見た限り、この辺りに魔獣は居ない。ともあれ、一応の用心は怠らない。2級までの魔獣ならば余裕で対処できる。だが、体力には限界が有る。それに、追われて気分の良いものでも無い。戦闘になれば、遺跡を無用に破壊してしまう可能性も高い。

路地を抜けて、大通りへと出た。

車線も歩道も広くなっている。ただ、車線数が増えたようには思えなかった。その理由は直ぐに分かった。路面電車だ。

路面電車の駅を見つけた。鉄柱だけが残されている。そうと分かったのは、横倒しになった巨大な鉄の箱が有ったからだ。首都や州都で使われていた物に似ている。

 汚れてしまって分かりづらいが、レールも縦断している。寸断され、捲れ上がっている所が多い。逆方向を向くまで反り返り、今にも崩れ落ちそうな程に錆で覆われていた。また、架線はその面影も見えない。

レールを辿っていけば、迷うことなく中心部へと辿り着けるだろう。

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