第9話
体育館の前に着くと、一人の教師らしきスーツ姿の男が、耳もとのトランシーバーめいた機械に向けて何事か喋っていた。小声な上に早口なのでほとんど聞き取れなかったが、唯一耳に残った言葉は、
「アリサ」
だった。
アリサ。確か、校長室で梅宮とイケナイことをしていた、素晴らしいプロポーションを持つ女性だ。あの鮮烈な白い肌……なんて思い出している場合じゃない。
僕はスーツの男に尋ねてみる。
「あの、入学式はまだやってますか?」
「ん? 何だ、きみたちも遅刻か」
男は疲れた顔を僕たちに向ける。
「やれやれ、これでようやく半分揃ったってところか。入学式早々、半分以上が遅刻とは……問題児が揃うのは毎年のこととは言え、頭が痛くなるよ」
どうやら、まだ会場には半分も新入生が来ていないようだ。僕、眠子、百足の三人に加えて、少なくともあと六人ほどが遅刻もしくは無断欠席をキメているらしい。しかもそれが「毎年のこと」と言うのだからひどい学校だ。
「あのぅ、何か、体育館が騒がしいみたいなんですけどぉ〜」
眠子が大事なことを聞いてくれた。
こうして男と話している今も、体育館の中からはドカッやらバビョーンといった不穏な音が響いてくる。
「ああ。あれなあ」
男が情けなさそうな顔で、ぽりぽりと頭をかく。
「新入生の中にとびっきりの問題児がいてさあ。遅刻者が多すぎる、規律がなってないとか言っていきなり暴れ始めちゃって。一応、教師が何人かで抑えこもうとしてるんだけど、実は、戦闘が得意な先生がたも皆遅刻しててね……。嫌になっちゃうよ……」
「さっき、アリサ、とか言ってましたっけ。その人も先生ですか?」
僕は知らないふりをして聞く。
「あー、アリサさんっていうのは……んー……まあ非常勤みたいな?」
男は言葉を濁す。やはり、学校的にはアンタッチャブルな存在らしい。
「アリサさんはトップクラスで強い人だから助けてもらおうと思ったんだけど、連絡が繋がらなくてね」
「ええっ、アリサさんが!?」
意外な情報だった。あの華奢な体でどう戦うというのだろう。戦闘シーンよりも銭湯シーンのために生まれたようなルックスだと言うのに……
「まるで知り合いみたいなそぶりだね」
僕は慌てて「いえいえ、女性なのにすごいなーと思って」とごまかす。梅宮との繋がりはできるだけ隠しておきたい。
「えー、それって女性差別ですかぁ〜」
隣で眠子が頬を膨らませている。話をややこしくしないでくれ。
「そう言えば……」
そこで、男は初めて気づいたように、僕と眠子をじろじろ見比べた。
「きみは金属バットを持ってるし、きみはいかつい機械を持ってる。もしかして、二人とも戦闘が得意なタイプ? いやあ〜ちょうど良かったなあ、じゃあきみたちがアイツを止めてきてよ」
「は? いや僕は……」
「俺らもほら、年だしさ。若いやつは若いやつどうし、拳で語ってみなよ。これを機に親友になれるかもしれないし。青春してるかぁ! ニューヨークに行きたいかぁ!」
男は勝手にテンションを上げると、勝手に解決したつもりになってジョギングをしながら校舎に戻ってしまった。
「……どうしようか」
僕は眠子の顔をうかがう。
「う〜ん、まぁ抜き打ちテストの前の肩慣らしにはいいかも知れませんねぇ。それに」
穏やかだった眠子の瞳に、殺気が宿り始めている。怖い。
「鬼怒川くんの実力も、見られたら嬉しいなぁ〜、なんて」
「いやははは。急に腹の調子が」
「ここはひとつ、初めての共同作業といきましょうかぁ〜」
えっ? そんな、まだ付き合ってもいないのに、気が早い……
「鬼怒川くんは車椅子に座って下さい。二人一緒に行動した方が、何かと効率が良いので」
「あ、そういうことね……」
「もし私が危なくなったら、助けてくださいね?」
僕は頼り甲斐のある男と思われているらしい。
こんな名誉なことはない。だが、こんな迷惑な期待もない。
どうしよう。脚がガクガクしてきた。もしかして殺されるんじゃないか? 大人が束になっても止められない奴なんて。
僕の震えなどお構いなしに、眠子が車椅子をガラガラと前に進める。
つまり座っている僕がどんどん前に進んで行く。
「あっ、これ怖いわ。何か盾になってる感じするんだけど。怖い怖い怖い。もうちょっとゆっくり」
「今さら何言ってるんですか〜、強い人のほうが前衛に立つのは当たり前ですよぉ〜」
「うわあああ! タイム! タイム!」
「さぁ〜お手並み拝見ですよ〜」
僕はなすすべもなく、眠子に押されながら、体育館の中へと突入していった。
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